宗我坐宗我都比古神社〜蘇我氏の始祖を祀る神社〜 | ゆだぽんの♬虹色オーラ♬ブログ

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お寺や神社巡りで感じた事や、不思議な話・オーラについて…などなど書いています。

さてさて♪
本日より昨年の11月1日〜3日に参加した
『歴史作家 関裕二先生と行く☆奈良・飛鳥の旅』
で参拝させていただいた寺社をご紹介させていただきます(^^)

11月〜12月は自分主催イベント「神人和楽」の記事を優先して書いており、奈良ツアーの記事が延び延びになってしまっていましたが、やっと公私諸々落ち着きましたので、これから楽しく書いてまいりますね☆

奈良ツアーのダイジェスト記事は、ツアーの最中にホテルから投稿しております♪



この順番通りに記事を進めていきますので、よろしくお願いいたします☆

到着した1日目は夕方まで時間が空いていたので、個人的に「東寺」と「橿原神宮」を訪れました。
ここまでは記事にしております。


その翌日の2日目。
スタートは歴史上有名な古代史族『蘇我氏』の神社さんでしたキラキラ


『宗我坐宗我都比古神社』
そがにますそがつひこじんじゃ
ご祭神
宗我都比古大神  宗我都比賣大神


宗我坐宗我都比古神社は、奈良県橿原市曽我町に鎮座されています。この曽我の地は古名を蘇我と記し、第8代孝元天皇の御子である彦太忍信命ひこふとおしまことのみことの孫にあたる竹内宿禰の第三子石川宿禰が蘇我の大家を賜って大阪河内から移り住み、姓を「蘇我」と名乗ったといいます。

第33代推古天皇の御代になって、蘇我石川宿禰五世の孫である馬子宿禰がこの地に社殿を造営して始祖夫妻をお祀りしたと伝えられ、これが宗我坐宗我都比古神社の起源とされます。

神社創建後数十年で蘇我氏宗本家は入鹿とともに滅亡しましたが、分家筋はその後も飛鳥朝の要職を務め、次第に勢力は衰えながらも、その一族は蘇我(宗我)姓を名乗り続け、神社奉仕を続けました。

江戸期には宗我姓を別の三姓に変えましたが、宗我座として神社を守り続け、その中の一家が神官を務め現在に至っています。


こちらの宗我坐宗我都比古神社では思いがけず正式参拝をさせていただきました!

また、社壇上に東面して鎮座する本殿を拝観。
蘇我氏の末裔である宮司さん直々のお話を聴くことができ感激でした♬


まぶしい顔でスミマセンタラー
この後、関先生が言ってくださり握手までしていただきましたルンルン

お気づきの方もいらっしゃるかと思いますが、こちらの蘇我氏の宮司さん、とーっても白いんです☆


ご一緒した内輪のメンバーさんたちとも記念撮影♪


☆八太夫稲荷神社

奥まで撮影できなかったのですが、朱塗の鳥居の奥には八太夫稲荷神社を中央に

向かって左側に戎神社(ご祭神 大国主命)
向かって右側に八坂神社(ご祭神 素盛嗚命)

やはり出雲なんですね(謎)


飛鳥時代、蘇我氏は
稲目→馬子→蝦夷→入鹿
と順に歴史の表舞台に現れるようになり、当時の先進国であった大陸(中国・朝鮮半島)の文化や技術、政治などを積極的に取り入れ、先進国に肩を並べる国にすべく、天皇の下で取り組んでいました。

飛鳥朝の中での勢力拡大に伴い、蘇我氏の専横を快く思わない勢力…中大兄皇子や中臣鎌足等のクーデターにより暗殺された入鹿と共に、蘇我氏宗本家は滅亡することになりました。

奈良時代に編纂された「日本書紀」には、中大兄皇子や中臣鎌足等が成し遂げた律令制の導入などの成果が記されていますが、日本書紀は日本の国史であった事より、蘇我氏の悪行と暗殺の正当性と合わせ「大化改新」として長く伝えられ、明治以降の学校教育で教えられていました。

↑これ、私の時代もそのように教えられましたし、蘇我氏に対してもそのようなイメージでした。ただ個人的には中大兄皇子や中臣鎌足に対しても良いイメージは無かったですが(^^;;

しかし最近では日本書紀の記述に疑義を持つ歴史研究家の方が増えてきており(関裕二先生♪)、蘇我氏の業績と悪名の見直しがされるようになって、学校教育での大化改新も見直されてきているのだとか。

私も兼ねてより、日本書紀の記述にはその信憑性に少なからず疑問を持っておりましたし、関先生の講座を受講するようになってからは、さらにその想いが強くなりました。
もちろん私の持つ浅い疑問と、関先生とでは視点が全然違いますよσ^_^;

宮司さんは関先生のおかげで蘇我氏が少しずつ名誉を回復してきていることに、とても感謝されているご様子でしたハート


アレですね、昨日大河ドラマ「麒麟がくる」がスタートしましたが、例えば織田信長や豊臣秀吉を主人公にしてそちらの視点で脚本を書けば、明智光秀が悪い感じで描かれますし、明智光秀の視点で脚本を書けばその反対になります。

なので日本書紀も、編纂された時の権力者は藤原不比等。不比等の父である中臣鎌足や中大兄皇子側の視点で記されていますので、当然蘇我氏などが悪名高くなってしまうわけです。
当たり前といえば当たり前ですけどね。

どちらかだけが悪ということはあり得ませんから、ことさらに悪いイメージを持たせる一方的な記述には、蘇我氏に限らず少し疑問を持った方が良さそうですね☆

しかし蘇我氏の宮司さん、かなり白い宝石白
私の感覚的なことで恐縮なのですが…
そのことが蘇我氏の本質を物語っているように思った次第です(^^)

記事の内容は宗我坐宗我都比古神社のご由緒書を元に書かせていただきました赤薔薇



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