『歴史作家 関裕二先生と行く☆奈良・飛鳥の旅』
今日ご紹介させていただくのは、またまた蘇我氏に関わる神社さんです(^^)
ご祭神の蘇我入鹿公は、遣隋使だった南淵請安が飛鳥に開いた塾で、中臣鎌足を除いて蘇我入鹿公の右に出る者はいないと言われるほど頭脳明晰であったことから、入鹿神社は学業成就の神として知られています。
乙巳の変(645)で蘇我入鹿公が飛鳥板蓋宮で、中大兄皇子や中臣鎌足らに首をはねられたので、入鹿神社は昔から「首から上の病」に霊験あらたかな神として信仰されています。
☆入鹿神社本殿(橿原市指定文化財)
入鹿神社は廃寺となった真言宗高野山派仏起山普賢寺の東南部の一段高い所に西に向かって建ち、もとは普賢寺の鎮守社であったと伝わります。
本殿は一間社春日造。
ご祭神が素盞嗚尊のため、かつては印度舎衛国にあった祇園精舎の守護神の習合として、牛頭天王社とも称されました。
社名についてですが、明治時代に橿原神宮造営にあたり、皇国史観に基づいて神武天皇を祀る橿原神宮の近くに、逆臣である蘇我入鹿を神として祀るのは都合が悪いとして、ご祭神を素盞嗚尊に・社名を地名からとった小網神社に改めるように政府から言われましたが、地元住民はそれを拒んだといいます。
日本書紀に基づいた「蘇我氏逆臣説」が日本史に通説となっている今に至るまで、地元の人々から崇敬を集めています。
神社に伝わるところによれば、乙巳の変で蘇我入鹿公が飛鳥板蓋宮で中大兄皇子や中臣鎌足らに倒された頃、ここ小網町は隣町の曽我町(昨日ご紹介した宗我坐宗我都比古神社がある)の領地だったので、蘇我入鹿公はこの入鹿神社あたりで幼少期を過ごし家があったとか、入鹿の母が身を寄せた家があったなどと伝えられています。
また蘇我入鹿公が首をはねられたので、昔は小網では鶏を飼わなかったとか、小網で生まれたものは蘇我入鹿公を暗殺した中臣鎌足を祀る多武峯へ参ると腹痛が起るとか、明日香村小原は中臣鎌足の母の出生地ということで、小網町と小原は縁組みしない等、多くの伝説があるのだそうです。。。
記事の内容は入鹿神社のご由緒書を元に書かせていただきました
明日は入鹿神社と同じ境内にある寺院をご紹介いたします
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