ふんわりすとへようこそ! -3ページ目

ふんわりすとへようこそ!

~*~ I'm happy because I'm happy ~* ~

このごろ、やたらと 暇さえあれば

‘幸せ’について 考えている、

というか、幸せについて 気づくことが多い

ように、思います。

 

なぜでしょう、キッチンに立っていると、

ふいに やってくる!(笑)

 

今日は、コーヒーを淹れていたら、

「幸せ(の質)は、変化していっても 良いんだ」

と ふと 思いつき、

「ああ、そうだったんだね」

と、その瞬間に 納得しました。

 

 

以前 自分が求めていた(感じていた) 幸せと、

いま 自分が「幸せって、こういうもの?」と

感じているものは 同じではなさそうだ。

いつのまにやら 変化していたのでは?

 

きのうは きのうで、そんなことに 気づき、

今日は 今日で

また その答が やってくる。

 

 

なにかに 気づいて 初めて、

いままでの自分の在りよう、考え、傾向などが

見えてきて。

 

その瞬間の境界線に立つのが、

とても 楽しいのです。

 

 

自分自身に対する 禁止事項が

減っていくと、

自分の、肉体部分だけではない自分が

自由になって、広がっていって・・・

 

あっちから こっちから、いろんなものを

拾ってくるのかもしれません。

 

 

物質的な 美味しいものも 大好きだけど、

‘気づき’も とっても 食べ応えがあって、

(飲み応え? 味わい応え?)

心の栄養になっていくのです。

 

 

ありがとうございます。

 

 

 

‘幸せ’は、

特別なもの、あるいは特別な状態、である、

と、思っていた。

 

‘幸せ’は、追い求めていくもの、

いまの自分には 手に入らないもの、

なにか 達成したならば、いつか 成長したならば

味わえるもの・・・

と、位置づけていた。

 

 

ああ、自分は そんなふうに 思っていたんだ、

ということに、気づきました。

 

もしかしたら、

求める‘幸せ’象が変化したから

特別なものではなくなった、

ということなのかもしれないけれど。

 

 

実は、‘幸せ’は、いつでも そこにあるもの

でした。

愛という大気のように。

 

特別なものではなかったのです。

 

そこにある それは、たぶん 同じもので、

ただ 呼び方、名前が違うだけ

なのかもしれません。

 

 

 

 

結局のところは、

青い鳥のお話に行きつくようです。

 

 

ありがとうございます。

 

 

 

 

結果を見て、「ああ、そうだったのか・・」
と気づくことって、多いと 思います。

◯◯な状態になっている、

ということに気づいて 初めて、
実は自分が‘◯◯な状態’を望んでいたんだ、
ということを知る、というか。


意識の上では わかっていなくても、
結果(現状)を見て、

「ああ、そう、これが、望んでいたことだったんだよ」
と納得する、というか。


そのときは 不満が募るような出来事だったとしても、
数週間後、数ヶ月後、数年後には

「なんだ、あれで、よかったんじゃん」
「あれのおかげで、あっちに行かずに、済んだよ」
なんて思い返すことも、ありますものね。

 

(具体例を出していないので、わかりづらくて、

ごめんなさい。)


現状を見て、自分の望みを、知る。

そして、自分が 自分を 把握できていないだけで、

実は、結構 なんとなく ぼんやりと

望みは 叶っている、

(長期的に見れば) うまくいくようにできている。

 

・・・のかな、なんて 思ったりもする。

 


ありがとうございます。



 

コンティニュアムのクラスで

新しいシークエンスを やるときには、

かすかな緊張が 走ります。

 

これで、いいのかな。

正しく できてているかな。

このやり方で、間違っていないかな。

 

そんな不安が あるからでしょう。

 

間違ったからといって、

別に 先生に怒られるわけでも

コンティニュアムが成立しないわけでも

なんでもないんですけどね。 

 

 

簡単なものであれば 2回目には、

そして 難しいと感じたものでも

何度か繰り返していくうちに、

スムーズに できるようになります。

 

カタチに 注意を注ぐ必要がなくなると、

安心して、思う存分 自分自身へと

潜っていくことが、できるようになります。

 

 

コンティニュアムで

自分に 緊張が走っているのに

気づくたび、

自分が どれだけ ‘正しくあること’に

縛られているか?

ということを、目の当たりにします。

 

逆に言えば、

‘正しくあること’だけの世界から

抜け出そうとしているのでしょう。

 

これまで‘正しくあること’が 当然であり

それに副うべく努めるのを 最優先にして

生きてきたから。

 

そして、自分が そうしていることに

気づいてすらいなかったから。

 

それ以外の世界がある、

ということを おぼろげながら 知り、

そちらへ 踏み出そうと

しているところなのでしょう。

 

 

ああ、もちろん、

‘正しさ’を求めることが 悪いわけでは

なくてね。

 

それが すべてではないよ、

‘正解’が 存在しない領域も あるんだよ、

ということなのですが。

 

両方の世界を 行き来できるように

なれば、

いつでも そのとき ふさわしい方を

選ぶことが できますものね。

 

 

これが いまの私のテーマなのか、

最近、やたらと「‘正解’のない」類いのものに

ぶち当たります。

 

「‘正解’が、ない」ということに、

私は 最初 驚きました。

 

‘正解’がないなら、なにが ゴールなの?

どこを的として、矢を射ればいいの?

・・・と。

 

目指すべきゴール(合わせるべき焦点)が、

限られた1点のみ、ではなく、

‘このへん’という範囲であるのなら、

そこに当てるのは 楽なはず、

なんですけどね。

 

かえって 難しく 感じるのですよ。

的が ぼやけてしまって。

 

 

 

 

次から 次へと 形を変えて、

新しいものが、やってくる。

 

無意識のうちに 正解を 求めて

突っ走っては、

方向感覚を失い、道に迷った挙句に、

石に躓いて 転ぶ。

 

ああ、ここも また

正解のない世界だったか、

と 気づき、立ち上がる。

 

その繰り返しです。

 

 

迷路の中を 歩くと 同時に

空から 全体を見ることも できれば、

楽なのにね。

 

あーだ こーだと 言いながら

迷い、転ぶのも、また

楽しんでいるんだろうな。

 

 

ありがとうございます。

 

 

 

コンティニュアム・ムーヴメントは、

私にとって

瞑想でもあり、ダンスでもあり、

セルフ・マッサージでもある、

様々な側面を持つワークです。

 

その、セルフ・マッサージという一面について、

先日のクラスの中で

新しい発見がありましたので、

今日は それについて 書いてみようと

思います。

 

 

「コンティニュアムって、

セルフ・マッサージでもあるんだなー」

 

いままで 私が そう感じていたのには、

2つの意味がありました。

 

 

まずは、

‘肉体’としての身体に関して。

 

オープンアテンションのときに、

身体が、自由に、動きたいように

動く。

 

その影響は、

ふだん 使っていないような部分にまで

及びます。

 

伸びたり、曲がったり、傾いたり、と

なんらかの動きが 生まれた結果、

思いもよらぬところに 圧が掛かったり

引っ張られたりして、

自然と マッサージのようになっていることも、

しばしば。

 

意識の上では 気づいていないような

わずかな 凝りや 痛みでも、

コンティニュアムをしている中で、

「ああ、ここ、こんなんだったんだ?」

と 気づくことは、よくありますし・・・

 

特に そこに アプローチせずとも、

終わった後に なんだか 楽になっている、

ということも、多いんです。

 

 

もう1つは、内面に関して。

 

コンティニュアムをしていると、

自分の内側も、耕されます。

 

特に セラピー的な働きかけが

行われるわけではありませんが、

続けているうちに、

えぐることなく、自然と 掘り起こされていく。

 

自分の未知の部分や 本音が

浮上してきたり、

1つの気づきから 連鎖的に 起こる

新しい気づきの波が、

生まれたり。

 

これも 一種のセルフ・マッサージと

言えるのではないでしょうか。

 

 

そして、今回 知った 3つめは、

声の振動によって 生まれる、

エネルギー的な意味のセルフ・マッサージ

でした。

 

今回のクラスのシークエンスの中に、

指で 肋骨の間を 触れていく、

というものが あったのですが・・・

 

そのとき 出している Θ(シータ)の声の振動が、

指先から、皮膚、筋肉や骨を通って

もっと 奥深くまで 伝わっていくのを、

感じたのです。

 

ああ、こんなマッサージも あるんだな、

と。

 

 

ちなみに、同じΘの声でも、

空気の通りが速く、鋭いΘもあれば、

優しく 穏やかな Θも あります。

 

おもしろいことに、

穏やかで 静かな Θの方が、

振動が 深いところまで 浸透するように

思います。

 

これは、他の「声」についても 言えること。

 

有声の「HA」よりも、

無声の、窓に息を吹きかけるような「HA」

の方が、奥深くまで 届くように、

私は 感じます。

 

 

もうひとつ ちなみに。

 

私が、サイキック・マッサージや

ホリスティック・トリートメント+F で

ハートのあたりに アプローチするときの

ある手法が、

このシークエンスと、似ているんです。

 

ボディワークを 再開するつもりは、

現時点では さらさらないのだけど(笑)

 

もし また 機会があるならば、

そのテクニックのときに Θの音を加えたら

どんなふうに なるんだろう。

 

そんな興味も 湧いてきました。

 

 

 

 

 

同じシークエンスでも、

やってみたときの印象・感触は

そのときによって 違います。

 

回数を 重ねることで、

どんどん 気づきが 深まっていくことも

あります。

 

そのとき、そのとき、

前回とは違う 「私」が やっているのだから、

当然かもしれませんね。

 

 

毎回 新鮮な感覚を 味わえるのも、

コンティニュアムの魅力のひとつです。

 

 

ありがとうございます。

 

 

 

クローバーコンティニュアム・ムーブメントについて

詳しくは こちら を ご覧ください。