1人の男が歩いている

ずっとずっと地べたを歩き続ける日々

大空を鳥に乗って自由にどこまでも飛んでいける人々

どこへでもいける人々


高い高い空を見上げながら

大空を飛べるようになりたいと心から願った


鳥族と人族とはそもそも種が違う


比べることなどできない


鳥族は飛ぶことが息をするかのように自然だ


しかし、人族は鳥族に強く憧れた


鳥族の方が優れていると思い込み

人族は何もできないと卑下した


魚族(人魚)は非常に美しい容姿と美しい歌声を

持ち、海の中を自在に泳ぐことができた


しかし、人族はただ・・地面を歩くことしかできない


こんな不平等なことはない・・そう人族の男は思った




鳥族は大空を羽ばたきながら大地を眺めていた・・

太陽の光を浴び、キラキラと輝いている大地を見た

そのキラキラと輝く大地を歩き、耕し、作物を生み出している

人族を眺めた

お祭りだろうか・・

賑やかに笑い、輪になって踊り、飲み食いしているその幸せそうな

人族の姿を眺めながら、「なんて感情豊かなんだろう・・人族という種は

本当に魅力的だ・・」鳥族は感嘆のため息をついた


だからと言って鳥族は人族になりたいとは思わなかった。

そもそも他と比べるという概念がないのだ


同じように鳥族は魚族の美しさも認めていた。。


それぞれの中に、それぞれの素晴らしさ、美しさがあるのだ

それでこの世界は成り立っている

そのことを鳥族はよく理解していた


人族は鳥族にも魚族にもなれない

鳥族は人族にも魚族にもなれない

魚族は人族にも鳥族にもなれない


しかし、この3種族が素晴らしい正三角形のハーモニーを奏でることで

この世界がバランスされているのだ



鳥族に憧れ、人族であることを卑下し、自分を情けなく感じていた人族の男は

ようやく上ばかり見ることをやめた


やめて自分の手を見た


大地にすっくと立っている足にも目を向けた


この大地を生きることに適したこの肉体は

この大地でしかできないものがあり

この大地でこの人族の肉体を持って全力で生きるために

生き切るためにここにいる


ようやく彼は人族として歩み始めた





人は今ある自分の環境や容姿や能力から目を背けて、何者かに憧れる時があります


でも何も持っていない人なんていません

どんな人でも自身の魂が決めた道があり、そのために必要な最低限の装備を備えて

この世界に生まれてくるのです。


でも目に見えないものは、ないものに扱われるのがこの世界です


本当に大切なものは目に見えないものなのに

世界の常識に囚われて

目に見えるもの・・お金、地位、学歴、資格、外見・・様々なものに

影響されて生きています。

この世界で生きている以上、それを全く意識していない人はいないと私は思っています


囚われていることがダメなんじゃない


囚われている自分を観ることが大切なんだと思います


囚われていることを自覚して、時にそれを認めていきながら

でもそれぞれが持っている能力を活かしていく・・

それが生きるってことなのかな・・とも思います



また来年もここArucaのセッションルームでお待ちしております爆笑



この歳になって

ようやく自分らしく生きられるようになってきたなぁ。。と感じています


自分らしく生きるということは

昨日思っていることと今日のこの一瞬に思っていることが

違っていたとしても

そうであることを許すということ


この世界にはいろんな世界観を持った人がいて

目にみえる外側のものがあることで安心したり

いい大学にいっていい会社に就職して、いい資格を持つことがいいと

世間一般では言われているけれど


私が大事にしたいことは

きっと目に見えないこと


菌糸が地中に張り巡らされていて、全てが繋がっている世界のように


例えば

私が今朝、ゆっくりと紅茶を飲んで外を眺めて、鳥の声を聴いて

心の底から・・

「なんて幸せなんだ・・」

と感じた時


その感動の感覚、情熱のエネルギーは

菌糸のように広がって・・・

私の全く知らない地球の反対側の誰かにもしかしたら

影響を与えていることにもなるんだと


そしてその逆もまたあるのだと実感した時

私たちはお互いに影響しあって生きているのだと

心から確信を持ってそう思います


何のために生きているの?と問われれば

そのために生きていたいと思う


だからこそ、自分のご機嫌は自分で取りたいと思う


心豊かに日常を味わって噛み締めて

生きていたいと思う



天命も使命も関係ない

限りある肉体の中でこの人生をどれだけ心豊かにご機嫌に

過ごせるかということなのではないだろうか・・


とそんなことを思った今朝の私です。

(そう思ってもまた変わるかもしれませんが。。そんな自分も

許そうと思います〜^^)



こんにちは。ラーナです!

 

なんだか気が付けば、2024年も10月に入ってしまいました(汗)

そして

クライアントさんに教えていただいて気づいたのですが、これまでのHPが

消えていました😨

カード決済にしていたのですが、そのカードが期限切れしていたみたいで

多分、Wixさんはメールで教えてくれていたのだと思うのですが

私が全く気付いていなかったので、すっかりと消えておりました(涙)

 

でも、これもいい機会だと思い、新しくHPを変えることにしました。

 

これからもっとHPは変えていく予定ですが、とりあえず(仮)のHPを

簡単に作りましたので、こちらからセッションの内容や料金をご確認くださいm(__)m

 

 

 

私事ですが、最近私はガイドと会うとき、丸テーブルにすでにガイドが座っていて

時に優雅に紅茶をゆったりと飲みながらいろいろなことを相談したりするのですが

 

私が最近、いろいろなことをぐずぐずと迷ったり考えたりしていたら

 

丸テーブルでガイドが大ジョッキビールをガンガン飲みながら

私の悩みごとなんて爪の先ほど大きくないものだと話してくれました。

 

だんだんおっさん化するガイドにビビりましたが^^;

でもそうやって私をいつも笑わせて、なんとかなるさ~と思わせてくれるガイドたちに

私は本当に助けられています。

 

私たちは一人じゃないということを心から感じられるのはこういうときです。

 

皆さんも同じです^^

 

物事はそんなたいそうなことはないのです。大抵のことは、笑って流せることが多いのです。

それを難しくしているのは自分自身だということに、ふと気づいたとき

内なる神はすぐそばにいます。

 

今日もありがとうございました。

ある森の中で、フードを深くかぶった男性が泉の側に腰かけて

釣り糸を垂らしている

 

私はそっと近づいて

「何が釣れるのですか?」

と尋ねてみました

 

するとその男性は笑いながら

「釣れる?何かを釣っているのではないよ。

ただ待っているんだよ」

と答えました

 

私は

「何を待っているのですか?」

とまた尋ねました

 

するとそのフードの人は言いました

「光が源に届くのをただひたすら待っているんだよ」

と答えました

 

釣り糸の先は鋭い釣り針ではなく

優しい、淡い光がついていました

 

その優しい淡い光は、一見弱そうに見えます

今にも消えてしまいそうにも見えます

 

しかし、実はその光は消えそうで消えない

強い風が吹いても何かがぶつかってきても

大きく揺れ動き、少し光が弱まることはあっても

決して決して消えない光でした

 

その光は、泉の中へ、少しずつ少しずつ下へ下へ

奥へ奥へと降りていきます

深層心理、潜在意識の奥深くまで

気が遠くなるほど長い時間をかけて

もしかしたら

何度も別の人生を体験するくらい長い時をかけて

 

その光はゆっくりと降りていきます

 

途中

ところどころで光は止まります そこに留まり動かない

 

その部分、その一点、またはその層に何かがあるのです

 

傷ついた思い出、トラウマ、浄化できていない過去

 

それらと共に留まると

時に痛みを感じるかもしれない

 

痛みやじわじわ出てくる感情たちを自分で引き受ける

それは誰のものでもない自分のものであるから

 

そしてそれを癒すことができるのは自分しかいないから・・

 

それが自分で責任を取るということ

 

 

時間がかかってもいい

 

人それぞれ 時間の感覚は本当は違う

 

誰と比べることなんて決してできない

 

自分とゆっくり向き合いながら

自分のペースでゆっくりと

それらを溶かしていく

 

その柔らかく優しい光でそれらを包み込む

 

そして

やがてそれらは消えていき

また光を持った釣り糸は更に奥へと進んでいく

 

 

釣り糸を持ったフードの彼は私のガイドだ

 

決してその釣り糸を手放さない

どこまでも一緒に  私と共にいる

 

どこまでの層にいったからすごいとか特別とかない

 

これは自分の魂とのつながりを深めていくワークなのだ

 

しかし決して一人ではない

どんなときも

どんな絶望の淵にいようともガイドは共にいる

もし私たちが諦めたとしてもガイドはあきらめていない

決して釣り糸の光は手放さない

 

私たちは光でいつもともにいるのだから

 

 

※少しずつHPを書き換え中です

 

現在、ホメオパシーの学校にて勉強中です

自分の体力気力、エネルギーと年齢( ´艸`)も考慮して

というか自分の身体を大事に労わりながらセッションを

行っておりますので、ひと月に行える人数がこれまでの半分

ほどになっております。

今は、私自身も学びを深め今まで以上に自分と向き合う時だと

感じており、自己探求に自分を集中させています。

今を逃したらきっと後悔すると感じ今は全力で自分の深い部分と

向き合っています。

お問い合わせいただいたり申し込みしてくださった方々には

予約がなかなかとりずらくなってしまいご迷惑をおかけしております

申し訳ありません

でもご縁のつながった方々に対しては

お一人一人、心を込めてその時間はその方だけのために

全力で向き合っておりますので、どうぞご了承ください

いつも本当にありがとうございます 感謝をこめて

 

 

 

「罪悪感」

罪悪感に苦しんでいる女性がいました。

彼女はとても真面目で責任感が強くて頑張り屋さんです。

でもそれゆえに無理をしすぎて周りの人達を気遣いすぎて

周りの目を気にしすぎて自分を追い詰め

つい責めてしまっていました。

だから彼女はいつも罪悪感に襲われていたのです。

 

ある時、彼女はいつものように歩いていてふと気づくと

全くべつの世界に入り込んでいることに気づきました。

 

彼女の内側の世界です。

 

彼女の歩く道は

小高い丘の上にある煙突のある小さな家に向かって

続いていました。

 

歩いていくと、その小さな木でできた

可愛らしいお家の外に誰かが座っています。

 

白髪を綺麗にまとめた可愛らしいおばあさんでした。

 

彼女は何かを切っていて、私に気づくと振り返りました。

振り返った瞬間、ニコッと笑っていいました。

 

「よく来たね。待っていたよ。ちょうどよかった。

いいハーブもとれたしお茶にしましょう」

 

そういって、おばあさんは彼女に手招きをし

てドアを開けて入っていきました。

 

彼女も恐る恐るそれに続きます。

 

中は温かく可愛らしいカントリー調で、

テーブルやいすも丸くて

チェック柄の可愛らしいカーテン窓を飾っていました。

椅子に座った彼女に、おばあさんは

「お腹はすいてないかね?」と聞きました。

彼女はびっくりしながらすいてないといいましたが

おばあさんは「ちょうどできたところだからと」

手作りのケーキを切り分けてくれました。

林檎がキラキラと輝いていてとてもきれいなケーキです。

見つめていると「タルトタタンだよ」と教えてくれました。

 

「タルトタタン」そう呟きながら、彼女は一口食べました。

甘酸っぱさと甘さがいい感じでとておいしくて、びっくりです。

 

お茶の準備をしながらおばあさんは言いました

 

おばあさん:「さて、今日あんたが来た理由はわかってるよ。罪悪感だろう・・

今までずっとあんたはこの罪悪感に悩まされてきた。それはなぜだと思う?

罪悪感は最初は種なんだよ。みんな持っている種だ。

それは人それぞれ、芽吹く瞬間や時期は全く違う。

あんたは罪悪感を育てる名人だ。

罪悪感という種を一度芽吹かせたら

花を咲かせるまでせっせと水をやり

肥料をやって、こまごまと世話を焼いている・・・

 

でもね。そこにばかり集中してちゃだめだよ。」

 

彼女:「じゃあどうしたらいいのでしょうか?

勝手に罪悪感は次々でてくるし

それに振り回されて自分が嫌になりそうなんです。」

 

おばあさん:「それはね。こうすればいいんだよ。

罪悪感が種から芽が出て少し成長してきたら、ほらこうしてね。

(実際に手を動かして)チョキンとちょん切るんだよ。

そしてそれを煮てお茶にして飲んでしまった方がいい。

さっき、私が庭で切っていたハーブがあるだろう?

それはね、あんたの罪悪感だよ。

それが成長していたからちょん切ったんだ。

それを煮て今からお茶にして飲もうとしていたところだよ」

 

彼女はびっくりしてしまいました。

 

「ええ!!!罪悪感を切ってお茶にして飲んだら、

それこそ罪悪感がひどくなるのではないですか?」

 

確かに

普通に考えればそうでしょう・・

 

でもおばあさんは言います。

「いいかい。あんたの中から生えてきたものはすべて愛からできてるんだよ。

怒りも、悲しみも、歓びも、もちろん罪悪感も。元々は愛さ。

愛から生まれたんだよ。

愛から生まれた罪悪感にネガティブな意識を植え付けたのはあんた自身だ

あんたが、これは嫌なやつだ。嫌なものだ。自分を苦しめる悪い奴だ。

そう思いながら水をやり、肥料をやって育ててきたんだよ。

でもね、元は愛からできているんだ。愛に戻してあげればいいんだよ」

 

「でもどうやって?」と彼女はたずねました。

「どうやって愛に戻すのですか?」

 

「これをあげようね」といっておばあさんが

丸っこいハサミを彼女の手に握らせました。

このはさみで、罪悪感が成長してきたら切るんだよ。

その時黙って切ってはいけないよ。

『よ~しよ~し、いい子だね~』そう言いながら切るんだよ。

そうしてね、切った罪悪感を鍋に入れて

水を入れてゆっくり煮だしていく。

そのときも、『よ~しよ~しいい子だね』を

繰り返し唱えながらゆっくりかき混ぜておあげ。

そうすれば、ほら、

こんな風に、美味しいお茶の出来上がりだよ^^」

 

おばあさんはニコニコ笑いながら彼女にお茶を出してくれました。

暖かいオレンジ色のお茶を一口飲んでびっくり。

お砂糖を入れていないのに甘くてとても美味しい。

その上、飲めば飲むほどどんどん心が軽くなっていくのです。

 

これまで自分の中で伸び放題だった罪悪感が

どんどん消えていき、愛で満たされていきました。

「おばあさん、ありがとう!」彼女がお礼をいうと

おばあさんはニコニコ笑顔で微笑んでいました。

 

 

 

罪悪感は誰の心の中にも存在しています。

罪悪感も怒りも、嫉妬も、色々な認めたくない隠したい思いも

すべてそれらは私たちの中にあります。

 

だから悪なのか?

これらはすべて悪なのか?

 

すべて消し去ればいいのか?

 

消し去れば何事もなく素敵な自分でいられるのか?

 

そうならないから私たちは苦しみます。

それらの感情を抑え込み、防御しなんとかしようと

コントロールする。

 

でもそれらはすべて悪ではない。愛です。

 

元々が愛であるなら、愛に戻していけばいい

 

そして自分の中から生まれたものを愛に戻していけるのは

自分しかしません。

カウンセラーやセラピストがヒーリングで取り除こうとしても

限界があります。

 

自分の機嫌は自分がとる

 

自分の癒しも自分でやる

 

そういうことができる時代になりました。

みんながそれぞれ目覚めてきています^^

 

ところで、「煮だしてお茶にする」「ゆっくりかき混ぜる」

とはどういうことだと思いますか?

 

それは「メディテーション」そして「日記をつける」こと

だと私は感じています。

地味に感じることですがコツコツやることでどんどん

自分の内側が開いていきますよ^^私も毎日行っています。

 

おススメですよ♪