京都で出会った言葉。
「出会いは天使の贈り物」
天使の贈り物に気がつけるかどうか。
天使の贈り物を大切にできるかどうか。
前に書いたけど・・・
ひとつひとつの出会いと別れに対して、
外から(他人から)思われる以上に私は真剣です。
だからこそ、自分自身の「核」となる想い、考えを伝えるようにしています。
こういう記事とか 全力でお付き合いしているからこそ
正しさとか、私の正義とかが言いたいんじゃなくて、
私自身が大事にしている想いや考えを表に出すことで、
それを受け取ってくださる、受け取ろうとしてくださる方とお付き合いしたいから。
出会いが「天使の贈り物」であることに気づける人との縁を大切にしたいから。
なんか違う!!と思ったらすぐにバサッと切ったり、
絶縁メールみたいなのを送っちゃったり、
約束全部なしにしちゃう(気分でキャンセルする)とか、
行動が極端な人は私は苦手だし、
そういう人ってやっぱり「自分自分自分」の人。なんじゃないのかな、と。
これも前に書いたことがあることだけど、
長い人生の間にはいろんなことがあって、
間違うときもあるし、あとで考えが変わるときもある。
あって当たり前だと思うし。
そういうときに「前はこうだったのに」とか「ずっと仲良くするって言ってたくせに!!」
とか「私と仲良くするなら○○と付き合うのはやめて欲しい」とか
「あなたのその考えは・・・」とか、私は相手に言わないように気をつけてる。
(ちなみに私が伝える時は≫ここに書いたような理由があるとき。 )
人が成長していけば付き合う相手が変わることは当然のことだし、
「考え」が私と違ったとしても人によって正解はそれぞれ違うわけだから、
そこは「間違えている」とか言うものではないと思うし。
仲良くしていた人との間で、なんとなく心の距離を感じたときや、
考え方、付き合う仲間が違ってきたな、と思うとき、
私は「そっとしておく」ことをなるべく選びたいと思っています。
お互いに相手の人生を尊重していれば、それができるんだよね。
今はこの関係を「そっとしておく」という大人の対応が出来る人を
私は信用するし、そういう人の方が好きです。
そっとしておくことで、またどこかのタイミングで縁が戻ったり深まったり、
そういうことも多々あるから。
でも、バツッとバサッと切るようなことをした縁は、
戻せなくなっちゃうものだから。
だからこそ、そこをわかっているからこそ、
私が縁を切る時は本気です。
なんて書いちゃうから、厳しすぎて怖いとかたまに言われちゃうんだけど・・・
出会いは天使の贈り物。
大切にしたいといつも思っています。