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Be Fully Human

「日本とフィリピン社会により広く大きな貢献をする」ことをミッションにした青年による、その実現までの道のりを綴ったブログです。このブログを通して、ひとりでも多くの方が「ごきげん」に人生を送っていただければ・・・、そんな願いを込めてお送りします~。

2012年10月も終わりがけ。

「本当に英語教師になりたいとかいな・・・」という疑問で悶々としていたある日、授業である教育者が紹介されました。

ブラジルの教育者、パウロ・フレイレ。

 

1960年代にブラジルの貧しく文字が読めない農夫たちに、自分達の問題を考えさせ、それを「意識化」させるという独自の識字教育を実践し、農夫たちの解放を導いていった20世紀が誇る教育思想家・・・。

フレイレの紹介があり、何か心の奥底で琴線に触れた感覚がありました。

(何者なんだこの人・・・?)

(もしかしたら自分の将来への疑問の答えが見つかるかも・・・?)という期待を抑えながら、無我夢中にフレイレのことについて調べました。

このフレイレ、調べていく中で僕はどんどん魅了されていきました。

まず生い立ちを知って驚いたのですが、彼は法学部出身で大学卒業後、弁護士だったらしいんです。

でも唯一1回のケースで辞めてしまい、中学校でポルトガル語の先生になったというんです。

それから文字が読めない農夫たちへ識字教育を行い、どんどん農夫たちが「自分達がいかに抑圧されていたのか」を気づかせ、彼らを解放へと導いていきました。

しかし大資本家からフレイレはウザがられ、クーデターに遭ってしまい、彼は国外追放になりました。

でもそれからヨーロッパやアメリカなどで独自の教育学を展開し、再度ブラジルに戻り、被抑圧者とともに戦い続けた彼はまさに炎の教育者でした。

(うお~超熱いぞこのおっさん!!!)

その日から、フレイレの代表作である「Pedagogy of the Oppressed」を無我夢中で読みました。


フレイレはこの本の中で、先生が生徒に一方的に知識を与え詰め込む教育を批判し、「先生は生徒自身が抱える問題を引出し、生徒自らその問題を解決していくようにファシリテートしなければいけない」ことを主張しています。

なぜなら知識を埋め込む作業というのは「これを覚えて聞いていればいいんだよ」という「非人間化」の行為であると。

そういう一方方向の教育である限り、おっかなくて偉い人の言うことが全て正しくなってしまい、農夫達は自らが「もうどうにもできない人間なんだ」と無意識のうちに思っていってしまうと。

「それこそが問題なんだ!」とフレイレは言うんです。

だからまずはその問題を「意識化」させて、自分たちも文明をつくる「人間である」ことに気づかせなければならない、そして農夫自身の中にある「抑圧者」に気づかせ、それから解放させなければならないと・・・。

・・・

本のページがどんどん黄色のマーカー線で埋まっていきました。


(やっと出逢った・・・。)


何か自分の将来の指針がぼんやりと現われてきました・・・。


パウロ・フレイレ。

・・・

ちなみにこのブログのタイトル「Be Fully Human」はこの本の中に出てくる言葉です。

直訳すると「めいいっぱい人間になれ」となりますが、ちょっとわかりづらいですよね・・・。

う~ん・・・

うまい日本語が出てきませんが、「人間」の反対が「機械」だとすると、

「機械、マシーンの真逆になれ!!」

といったところでしょうか??

パウロ・フレイレ・・・。

僕は本当にこの教育者に出逢えたことが、後に大きな意味になっていく気がしてなりません。

アメリカ人男性と日本人男性。

個人差はあるものの、容姿で見劣り感は否めません・・・。
(とくに小生の場合。)

しかし、一緒に過ごしていく中で、「あれ?」と思うことに気がついてきたのです。

・・・

(むむむ、彼らはカッコ悪いことを全くしないぞ・・・??!)

・・・

周囲から笑いをとろうとしても、結局は自分の安全とメリットを考えている感がしてならないのです。

最終的には自分たちがカッコよく終わるように初めからなってるんです。

・・・

(フフフ・・・他の人の目はごまかせるとしても、この九州男児の目はごまかされんぞ!これだなこれ。)

・・・

その後あった学内の2大パーティー、「大和魂」っちゅうものば、アメリカ人にしっかり魅せることが出来ました。

どんなことをやったかは、ここでは割愛させていただきます。笑 (><)


SITに一人だけ日本人の教授がいました。

Tatsushi Arai.

通称Tats(タツ)。

 
「紛争解決学」の教授でした。

僕は英語教育のプログラムだったので学部が違かったのですが、10月半ば、本当に英語教師になりたいのかどうなのか迷ってしまい悶々としていたので、一度相談にのってもらおうと会いに行きました。

このタツ先生、学生間で絶大なる人気。

紛争解決学専攻のアメリカ人、スーダン人、インドネシア人、インド人、みんな「タツの授業が一番面白い!」「タツがベストだ!」って言っていました。

(へ~どんな人なんだろう??)

・・・

10月吉日、タツ先生の研究室にアポをとってお邪魔しました。

壁にはデカデカと習字で

「紛争解決」

(うお~すげ~!!)

タツ先生はものすごく物腰が柔らかい方で、忙しい中、相談にのってくれました。

今おそらく40歳前半くらいの先生なんですが、その時、先生がここ行きつくまでの半生を語ってくれました。

それが本当に面白く、胸に突き刺さるものだったんです・・・。

・・・

タツ先生は関東圏のある有名大学を卒業した後、どうも皆のように「就職活動」というものが出来なかったそうなんです。

できないというのは、家庭の事情とかではなく、その~「前へ習え」ができないような・・・。笑

大学卒業して一年間、清掃員をやっていたというんです。

今の僕みたいに悶々と悩みながら・・・。

そのとき、「本当の自分のコア・バリュー(価値)は何なのか?」というのを深く突きとめようとしていたそうです。

自分にとって、もうこれがなくなったら死んでしまうというものを・・・。

ちなみにこれをタツ先生はオニオン・プリンシプルといっています。

例えば今飲んでるコーヒーがもしとられても生きていける、この前買った靴がとられても生きていける・・・そうやって、これがとられたらもう生きていけないという自分の存在意義に関わるようなものを玉ねぎの皮を剥くように探していったというのです。

そのプロセスで、最後に行きついたのが、中学生の時に広島、原爆ドームで聞いた被爆者のお年寄りの方の話だったそうです。

その時の衝撃が全てだという結論にいきついたのです。

「生涯、平和構築に生きる。」

・・・

その志を立て、アメリカの核関係で有名な大学院に進学しようと決めました。

1年目、英語が出来ずに落とされます。

2年目、また英語が出来ずに落とされます。

3年目、本当に泣きすがって受けたらしく、そしたらやっと合格しました。

それでも英語がやっぱりできなかったというんです。

・・・

そこの大学院でみっちり平和構築のファシリテーターとしての訓練を受け、アメリカでワークショップなどで経験を積んだあと、90年代後半から、アフリカ、ルワンダ大学で教鞭をふるい始めました。

あの大虐殺があったわずか数年後です。

そこで内戦の生々しい傷口を見ながら、平和構築に精を出されました。

その後、これが面白いのですが、FedXという郵送会社の社員となり2年間大阪で勤務してたというんです。笑

でも実際に何か問題が起きたらしく、法廷にも立ったそうで、「紛争解決の経験が活きた」とおっしゃっていました。笑

それから「武器をもたないと!」ということで、アメリカに再び戻り、博士号を取得。

現在は中東やパキスタン・インド間での平和構築を中心に活動され、一方、SITの大学院で教鞭を執り、ワシントンDCにある出身大学院でも授業をされているという大忙し。

最近では尖閣諸島をめぐる問題に関して、ワシントンDCで中国人の教授と日本政府にダイレクトで提言しているらしいんです。

またハーバード大にも呼ばれたり、紛争解決の著書も出版されたり、チョー広い範囲で活動されていました。

そしてプライベートは台湾人の奥さんとの間にアメリカで子どもをもうけ、子どもはアメリカ国籍。

(一体何者なんだこの人は?!)

・・・

「紛争というものをシステムとしてとらえる社会学が一番しっくりくる。」

「Vocationさえわかっていれば、目の前の職業は変わってもいい。」

「もうこの時代、日本だけに貢献したいなんて言ってる時代じゃない。」

「全人類の平和を念頭におくと、考えがものすごくシャープになる。」

「靴を履いてこうやって学校に通えるなら、全人類社会のために貢献すべきだよ。」

・・・

その後、「見においで」ってタツ先生の授業に招待され、受けさせてもらいました。

自らの実体験からつくられた授業は「紛争解決学」を知らない僕にとっても、めちゃくちゃ面白く、本当に刺激的な授業でした。

英語は確かにペチャペチャな日本人英語です。

でもアメリカ人、インド人、インドネシア人、カンボジア人の学生、皆が聴き入って必死でメモを取っていました。

・・・

授業が終わって、挨拶に行きました。

「先生、本当に感動しました・・・。」

するとこう言われたんです。



「当たり前だよ。これ、俺の人生だから・・・。」

・・・

・・・

帰り際に一言言われました。

・・・

「自分に実力がつけば、周りが求めてくる。そういう人間になりなさい・・・。」

We Teach Who We Are.

(我々は我々自身を教えるのだ。)

これはパーカー・パーマー氏の「Courage to Teach」という本に出てくる有名な言葉。



「(我々自身を教えるのだ!)ってなんじゃ?」という感じなので簡単に説明しますと、

「教師というものは英語とか理科といった教科を教えるだけの存在ではなく、自分自身の性格、人生経験、信念、感情・・・その全てが知らず知らずのうちに表に出てくるため、教師は自分自身の全人間全てでもって教える存在なんだ。」ということだと思います。

教師は「己を知ること」が全てのスタート地点であり、そのことは古代ギリシアの哲学者でもあり、教育者であったソクラテスも「汝自身を知れ」という言葉で語っています。

このSITという大学院もまさにこの考え方をもっていて、ことあるごとに自分自身と向き合わなければならない機会が多々ありました。

例えば英語の4スキル(リーディング、ライティング、スピーキング、リスニング)をどう教えるかということを学ぶ授業でも最初の日は必ず、次のような質問から始まるんです。

リスナー(Listener)としての自分とは?

ライター(Writer)としての自分とは?

・・・

またどの科目も最後に振り返るためのリフレクション・ペーパーというものを書かなければなりません。

授業で学んだこと、つまり経験したことを振り返るプロセスを歩むことで、自ずと自分自身の信念とか価値観とかが浮き彫りになってきます。

どんどんどんどん内なる自分と向き合わなければなりません。

SITという大学院の強みはまさにこの部分だと思います。

よく英語教育となると、「4スキルを上げさせるにはどうすればいいか?」という話に終始することが多いのですが、SITは英語教育であろうがなんだろうが、常に自分と向き合わせる哲学的な要素をもっていました。

・・・

よく何かを学ぶとなると知識、技術の習得がメインになります。

「Knowledge」と「Skill」。

SITには「KASAパラダイム」(4つの学びの要素の頭文字)というものがあります。



「Knowledge」と「Skill」だけではなくて、学びにはあと2つのA、「Attitutde」(態度)と「Awareness」(気づき)が必要だというんです。

どのような「態度」を身につけさせるのか?

どのような「気づき」を促すのか?

・・・

そして4つの中でも「気づき」が一番大切だといいます。

それは「気づき」があって初めて、ある知識の必要性に気づき、「気づき」があって初めて、細部まで注意を払いながら技術を習得することができ、「気づき」があって初めて、自分自身の態度もコントロールすることが出来るからなんです。

「教師にとって自分自身に関する「気づき」が、最も重要である」ということをSITが教えてくれました。

SITでの学びを通して、自分自身とは何者であるかということが、ちょっぴり前より分かってきた気がします。

10月に入って、また新しい講義が始まりました。

Way of Council (ウェイ・オブ・カウンシル)。


この講義がSITの神髄ともいえるのではないかと思うくらい、僕にとってはとても印象深いクラスでした。

このウェイ・オブ・カウンシル、何かというと「心から聴き、話すこと」のプラクティスなんです。

(なんじゃそりゃ?)

元々ウェイ・オブ・カウンシルとはネイティブ・アメリカンをはじめとする先住民の儀式をアレンジしたものらしいのですが、先住民はその昔、いつも何か大切な決め事や話し合い、または文化と伝統を次の世代に継承するとき、たき火の周りで円になって座り、一人ひとりが自分のストーリーを語っていったといいます。

一人ひとりがありのままの自分のストーリーを話し、それを周りの人たちは、なにも考えず、ただただその人の気持ちになって聴いていったというのです。

つまりこのウェイ・オブ・カウンシルは自分のストーリーをシェアして、それを皆で聴くというもの。

真ん中にはキャンドルに火を灯し、円になり、トーキング・ピースといわれるもの(石でも枝でも)を回して、それを持っている人は自分のストーリーを話し、周りの人はただただ聴く。そして話しが終われば隣りの人にトーキング・ピースを渡していくというものなのです。

(なんじゃそりゃ?!意味あるとそんなこと?てか簡単やん!)と思われるかもしれないんですが、このただただ「聴く」という行為、何気に難しく、奥が深いんです。

というのも、僕らはいつも人の話を聞いているようで聴いていないことが多々あるからなんです。

相手の話を真剣に聞いていたとしても、すぐに次に何を言おうか考えたり、頭はフル回転しています。

本当に相手を理解しようと、ただただ聴くという行為は、何気ない日常では結構難しいものなんです。

このウェイ・オブ・カウンシル、そういった「頭で聞く」という行為から「心で聴く」という行為に変えるプラクティスになるんです。

そして聴く内容も内容です。

それは一人ひとりのストーリー・・・。

クラスメイトの仮面の下にあるありのままの自分のストーリーを、守られた環境で話していきます。

(えっ?!そんなことがあったんだ・・・。)

(えっ?!まじで・・・。)

・・・

中には涙をみせるクラスメイトも多々見受けられました。

・・・

仮面の下にあるありのままの弱い自分をさらけ出されたとき、

(あっ・・・俺も一緒やん・・・。)

肌の色も育ってきた環境も違うアメリカ人と、チベット人のクラスメイトと繋がれる瞬間がありました。

・・・

(何かゆっくりとストーリーを聴き、話す時間って、とても大切やな~・・・)

テクノロジーが発達してどんどんスピード化するこの時代、僕らは「どうやってスローダウンするか」をちゃんと学ばなければいけない時代を生きているんでしょう・・・。

僕のプログラムはTESOLといって「言語教育者」を育成するためのプログラムでした。

クラスメイトのほとんどがネイティブの英語教師、または他の大学の言語学の教授。

つまりこのプログラムの主な対象は将来、英語教師をはじめとする言語教育者になりたい人、またはレベルアップしたい人でした。

前期が始まり約1ヶ月くらい経った頃、カルチャーショックもあいまってか、悩みはじめてしまいました・・・。

(果たして俺、英語教師になりたいとかいな・・・)

・・・

昔から将来は日本の「教育」の分野に携わりたいと思っていました。

ベルトコンベアーにのせていく今の教育というものを壊したい思いがずっとありました。

「まずは現場から!」と英語教師になることからがスタートだろうと思い、このプログラムに入りました。

でも大学を卒業してから、フィリピンのゴミ山で、インドの貧しい町の路地裏で、瓦礫で覆われた石巻の商店街で、言葉では表わせないような光景を見てきたために、なんか「英語教師になる」という目標に「?」をもち始めていました。

他のクラスでは「紛争解決学」など平和構築のための授業が行われている中、いかに生徒の英語を上達させるかなんて、正直どうでもいいように感じてきてしまっていたのです。

(英語教師になったところでどうするとや俺・・・)

大学院の授業はカウンセリングや心理学、文化人類学から生物学等をとり込んだ形の「英語教育」だったため、内容が面白く、興味深いものが多かったのですが、いざ寮の部屋で一人将来のことを考え出すと、答えのない問いにずっと悩んでしまいました。

・・・

(おれ、本当に英語教師なりたいとかいな・・・)

(大体、日本人の俺が英語教師なったところで、なんか意味があると・・・)

(あ~、もう昔みたいに英文法とかに熱くなれんったい残念ながら・・・)

(くそ、いいなあ~他のクラスメイトは英語教師になってプロフェッショナルとして世界中飛び回れるのに・・・)

(てかさ~、逆に将来の選択肢、もう日本で英語教師になることしかなくなりよっちゃね~と?)

(まあ英語好きやけど、三度の飯の方が好きやし・・・)

(いや~ホント俺将来、何がしたいっちゃろう・・・)

机についてはこんな疑問が頭によぎり、自分なりに英語教師になる理由を頭でこねくり返して考えるのですが、どれもしっくりくるものはなく、かなりさ迷っていました。

・・・

そんなとき、何人かの教授に質問したことがあります。

英語教師になる意味を・・・。


ある教授は「生徒にVoiceを与えることはエンパワーにつながるわ!」と。

ある教授は「反原発のように他の国で同じ理念をもって戦っている人達とつながることができるわ!」と。

またある教授は「確かに人の生死に関わる災害援助なんかに比べたら英語教育とかこれっぽっちのことだよね・・・。」と・・・。

(う~ん・・・。)

・・・

頭でっかちになっていたなあと今、思います。

でも当時の僕は「自分の天職は本当に英語教師なのか?」ということにめちゃくちゃ真面目に考え込んでしまっていました・・・。

「ことば」って何なんでしょうか?

ある言葉を知っていると人とつながることも出来るし、また知らないと排除することもできます。

あることばは音を伴っていて、またあることばは身体を使って表します。

あることばは文字があり、またあることばには文字がありません。

同じことばでも、小説か2チャンネルか、ジャンルが違えば全くちがったもののようにみえたりもします。

ことばって、一体いくつあるんでしょうか?

どこまで知って、マスターしたといえるんでしょうか?

・・・

今まで英語学習というのは、どうもコンピューターのようにAを空っぽの脳みそにインプットして、そのAをアウトプットするといったような感じでした。

僕もそうやって英語を勉強してきました。


A → おれ → A 


って感じです。

言語というものは何か形が決まっていて、それを「取得」するという考え方でした。

が、しかしエルカは「ちょっと待った!」というのです。

そもそも「ことば」というものは形あるもので「取得」するべきものではなく、もっとオーガニックなもので「出現してくる」(Emergence)ものなんだと。

つまり会話をしている人たちの間で、ことばというものが現われてくるんだと。

つまり・・・

        A’ 
「おれ」 → ↑ ← 「あなた」


って感じでしょうか?

ことばが先にあるのではなく、交流が先にあり、その中でことばが生まれてくるという考え方なんです。

つまり言語学習とは「取得する」ことではなく「参加する」ことなんだと主張するんです。

Language Learning as AcquisitionではなくLanguage Learning as Participationだと!

さらにさらに、「ことば」というものは形あるもので、1~1000・・・まで全て覚えたらいいというものではなく、動物にとっての森のようなものだというんです。

動物は森すべてを知りませんし、知ろうともしていません。

森の中に生きています。

森を使って生きています。


人間にとっての「ことば」も同じようなもので、「ことば」全てを知ることはできないし、また知る必要もなく、「ことば」の中に生きているんだと。

だからそれをアクティブに使っていくことが大切なんだと言っています。

「ことば」はオーガニックで人と交わることによって生まれてくるものであり、アクティブに使っていくものだというんです。

これがEcological Approach(エコロジカル・アプローチ)というんだそうです。

面白いなあ~と思います。

「ことば」というものを、そういうオーガニックなものとして見れたら、自由になれるというか、単純に面白くないでしょうか?

どんどん使ってみたいなって思っちゃうのは僕だけですかね?

英語教育関係のみなさん、英語学習者のみなさん、どう思いますか??

「第二言語習得理論」という講義を担当しているエルカというブルガリア人の教授。

 
この先生、もともとは国連やヨーロッパ諸国の首相などの同時通訳をしていたそうです。

その後アメリカに移住して、今はSITで教鞭を奮っています。

ちなみに日本の大学でも教えていたことがあり、もう日本LOVE。

エルカの研究室、自宅と至るところに着物から博多銘菓「にわかせんぺい」の空き箱まで、日本のものが飾られていて、まるでミュージアムみたいでした。笑

(あれ?エルカの自宅に行ったとき、ブルガリアのもの何も見なかったなあ・・・。)

話は脱線しますが、社会活動家でもあり、デモ行進から何から「さすがアクティヴィストの州、バーモント住民!」といった感じで超パワフルな先生でした。

・・・

この先生、英語に対して、また言語教育に対しての見方がものすごく面白いんです。

なので主に2つ、紹介したいと思います。

・・・

1つ目はPlurilingualistic Pedagogy。

この先生、ブリガリア出身で、英語は母国語ではありません。

ブルガリア語が母国語で、ロシア語、フランス語はネイティブ並にペラペラ話せ、英語は人生の後半になって勉強したといいます。

マルチリンガルの英語ノン・ネイティブなんです。

エルカは「英語オンリーで例えば日本語使っちゃダメ!」みたいなネイティブの先生の授業を批判します。

英語が「母国語を殺すキラーランゲージであったらいけない」って言うんです。

・・・

この図はなんだと思いますか?

 
一番下の〇がアメリカ人やイギリス人など英語を母国語として話す人の数、真ん中の〇がインド人やケニア人など英語を第二言語として話す人の数、そして一番上の一番大きな〇が僕ら日本人をはじめ英語を外国語として話す人の数を表した図です。

そうなんです、実はアメリカ人などネイティブと言われている人たちより、僕ら日本人を含め、ノン・ネイティブと言われている人たちの方が今、多いんです。

「英語は母国語を殺す言語であっちゃいけない。そうじゃなくて互いの言語や文化を祝福していくものじゃないといけません。」

とエルカは主張するんです。

この考え方がPlurilingualistic Pedagogyなんです。

クラスでは至るところで日本語と英語の違い、ジェスチャーの違い、文化の違いを比べていきます。

「あるものが何かを知るためには、あるものが何でないかを知る必要がある」と、トマス・クーンがいうように、比較し対照することで、くっきり見えてくるものがいっぱいあり、どちらがいいとか悪いとかではなく、比較、対照することでお互いの言語と文化を祝福していこうというものです。

簡単な例を挙げてみます。

英語で「女性の社会進出」ってどういうと思いますか?

・・・

社会だからsocietyで進出だからadvance・・・?

・・・

実はもっと簡単に「Women started to work outside.」でいいんです。笑

つまり、英語は「シンプルに具体的に」表わすことが大事なんです。

その言葉のうらに「事細かく言葉に出さないといけない」という文化があります。

色んな人種が交わるアメリカでは事細かく言葉に出さないとお互いを理解することが難しいからなんでしょうか?

社会で生活する上での必然性からそうなったのかもしれませんね。

それとは対照的に日本語は、「女性の社会進出」と見てわかるとおり、漢字を使って、「抽象化し、コンパクトにする」言語のようです。

ダラダラ言える事細かいこともヒョイッと熟語にして簡潔にしてしまいます。

「以心伝心」という表現からも見てとれるように、何を言わなくても分かりあうことがいいとする価値観や、社会を平穏にするために、あまり言わない方がいいという価値観がこんなところからも垣間見れます。

英語と日本語を比較、対照することでこんな文化的な背景や世界観も見えてきますよね、どちらが良いとか悪いとかではなく。

これがPlurilingualistic Pedagogyなんです。

だから英語を学ぶとき、自分達の言語や文化を捨てる必要はなく、むしろ英語をよりよく知るための武器にもなるのです。

・・・

話はちょっと飛びますが、アメリカでは、移民や難民など、生活のために英語を習う大人の方が多いんです。

難民として来た老人の方々は英語は知らなくても、今までの人生で色々なことを経験し、たくさんの知恵をすでに持っています。

でも英語教師は英語を知らないという理由だけで、「はい、じゃあこれ言ってみて、I love ミッキー!」とか子ども扱いすることも多いようなんです。

「なぜネイティブというだけで地位が高くなるの?この老人は「歩く不足した生き物」ではありません。もうすでに色んなことを知っているんです。ならそれを活かしましょう。」

その老人の知っていること、言葉、文化、知恵・・・すでにもっているものを使って、比較して、英語を教えていく・・・。

・・・

「そのすでにもっているものを教室の入り口に置いてきてはいけなんです。それは財産なんです。」

・・・

エルカにとってPlurilingualistic Pedagogyは、社会的弱者に立たされる人達をエンパワーするためものだったのです。

個人主義と集団主義の狭間で苦しんでいた時、あるクラスで「どうやってグループがはじまるのか?」ということを発表する機会がありました。

それも自分の文化をつかって。

(ほうほう、まあクラスも一つのグループだと捉えれば、やっぱり「気をつけ、礼、お願いします。」だな。)

高校の時、嫌というほどこの「起立、気をつけ、礼、お願いします、着席」をやらされました。


ちょっと遅れただけでやり直しとか、声が小さかったらやり直しとか、腰は90度までしてなかったらやり直しとか、(あ~、もうまたかよ!もうやり直しばっかやけん最初っから座っとこっかいな。)とイライラしながらやらされていたことを覚えています。

この何気ない日常の光景も、「日本人」として教育されていたんだなって、気がつきました。

ちなみにこのアメリカの大学院では、足組んで座ったり、椅子の上であぐら組んで座ったり、昼飯食べながら授業受けても全く構わないんです。

(ああ・・・ラク。笑)

どっちが良い悪いってないとは思いますが、(このラクさ・・・たまらん。笑)

・・・

話を戻します。

「グループのはじまり」ということで「起立、礼、着席」を発表しようと思いました。

そもそも、面白いのが、この何気ない「起立、礼、着席」にもやっぱり日本人の世界観があるんですね。

まずお辞儀。

目上の人に礼を重んじるという意味で、これは儒教からきてるんですかね。

そして皆同じタイミングで同じ動作で。

これはみんな同時に歩調をあわせてする田植えの文化、和を尊ぶ仏教からきてるんですかね。

(面白えなあ・・・)

Googleでいろんな画像みてると、何気なくしていた体育の行進、「前に習え!」なんて、まさしく「日本人」を教育するプロセスだったんですね。


ちなみにアマノジャクの僕は、「はっ?なんで前に習わないといけないんですか~?」とか、今もし小学生に戻ったら言ってしまいそうです・・・。

・・・

(この「集団行動」が災害時に世界から称賛され、この「集団行動」がハマらない人を隅に追いやるんだろうなあ・・・。)

(どの文化もコインの裏表のようにいい面もあれば悪い面もあるんだなあ・・・。)

・・・

10月吉日、発表の時、日本の色んな場面で行われる「起立、気をつけ、礼、着席」の様々な画像を見せて、宗教の話をして、クラスメイト皆に「起立、気をつけ、礼、着席」をやってもらいました。

誰かが遅れると、

「あっ、リンズィー遅い。はいみんな着席。」

誰かが速すぎると、

「あっ、アブリル、速い。はいみんな着席。」

エンドレス・・・。

(これ、高校の教師ども、面白がってやってたんじゃねえのか?!)

号令をかける小生、超ラク。

何度も繰り返すクラスメイト、超たいへんそう。

・・・

クラスメイトのみんな、ごめんね。笑

ここで秋のバーモントの写真をポレポレ。 

秋といえば食欲の秋!

バーモントは作物で豊かな町でした。

・・・

リンゴとはちみつ、ハウス・バーモントカレーのバーモント州のリンゴをとる小生。




そのリンゴを食べさせてもらう小生。




リンゴの次はカボチャ。パンプキン祭りでカボチャに見惚れる小生。



よく部屋に邪魔(笑)しに来たズッコケ三人組とカボチャと小生。



持って帰ったカボチャに落書きしてワインを飲んでほろ酔い気分の小生。



他人の部屋のベッドの上にこっそり置いてきちゃいました。テヘ。


 
秋のバーモントはリンゴやカボチャでいっぱいで、リンゴやカボチャの妖精さん達が、紅葉の中を飛び回っていました。(ウソ)