2012年10月も終わりがけ。
「本当に英語教師になりたいとかいな・・・」という疑問で悶々としていたある日、授業である教育者が紹介されました。
ブラジルの教育者、パウロ・フレイレ。
1960年代にブラジルの貧しく文字が読めない農夫たちに、自分達の問題を考えさせ、それを「意識化」させるという独自の識字教育を実践し、農夫たちの解放を導いていった20世紀が誇る教育思想家・・・。
フレイレの紹介があり、何か心の奥底で琴線に触れた感覚がありました。
(何者なんだこの人・・・?)
(もしかしたら自分の将来への疑問の答えが見つかるかも・・・?)という期待を抑えながら、無我夢中にフレイレのことについて調べました。
このフレイレ、調べていく中で僕はどんどん魅了されていきました。
まず生い立ちを知って驚いたのですが、彼は法学部出身で大学卒業後、弁護士だったらしいんです。
でも唯一1回のケースで辞めてしまい、中学校でポルトガル語の先生になったというんです。
それから文字が読めない農夫たちへ識字教育を行い、どんどん農夫たちが「自分達がいかに抑圧されていたのか」を気づかせ、彼らを解放へと導いていきました。
しかし大資本家からフレイレはウザがられ、クーデターに遭ってしまい、彼は国外追放になりました。
でもそれからヨーロッパやアメリカなどで独自の教育学を展開し、再度ブラジルに戻り、被抑圧者とともに戦い続けた彼はまさに炎の教育者でした。
(うお~超熱いぞこのおっさん!!!)
その日から、フレイレの代表作である「Pedagogy of the Oppressed」を無我夢中で読みました。
フレイレはこの本の中で、先生が生徒に一方的に知識を与え詰め込む教育を批判し、「先生は生徒自身が抱える問題を引出し、生徒自らその問題を解決していくようにファシリテートしなければいけない」ことを主張しています。
なぜなら知識を埋め込む作業というのは「これを覚えて聞いていればいいんだよ」という「非人間化」の行為であると。
そういう一方方向の教育である限り、おっかなくて偉い人の言うことが全て正しくなってしまい、農夫達は自らが「もうどうにもできない人間なんだ」と無意識のうちに思っていってしまうと。
「それこそが問題なんだ!」とフレイレは言うんです。
だからまずはその問題を「意識化」させて、自分たちも文明をつくる「人間である」ことに気づかせなければならない、そして農夫自身の中にある「抑圧者」に気づかせ、それから解放させなければならないと・・・。
・・・
本のページがどんどん黄色のマーカー線で埋まっていきました。
(やっと出逢った・・・。)
何か自分の将来の指針がぼんやりと現われてきました・・・。
パウロ・フレイレ。
・・・
ちなみにこのブログのタイトル「Be Fully Human」はこの本の中に出てくる言葉です。
直訳すると「めいいっぱい人間になれ」となりますが、ちょっとわかりづらいですよね・・・。
う~ん・・・
うまい日本語が出てきませんが、「人間」の反対が「機械」だとすると、
「機械、マシーンの真逆になれ!!」
といったところでしょうか??
パウロ・フレイレ・・・。
僕は本当にこの教育者に出逢えたことが、後に大きな意味になっていく気がしてなりません。