エルカのアプローチ① Plurilingualistc Pedagogy | Be Fully Human

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「日本とフィリピン社会により広く大きな貢献をする」ことをミッションにした青年による、その実現までの道のりを綴ったブログです。このブログを通して、ひとりでも多くの方が「ごきげん」に人生を送っていただければ・・・、そんな願いを込めてお送りします~。

「第二言語習得理論」という講義を担当しているエルカというブルガリア人の教授。

 
この先生、もともとは国連やヨーロッパ諸国の首相などの同時通訳をしていたそうです。

その後アメリカに移住して、今はSITで教鞭を奮っています。

ちなみに日本の大学でも教えていたことがあり、もう日本LOVE。

エルカの研究室、自宅と至るところに着物から博多銘菓「にわかせんぺい」の空き箱まで、日本のものが飾られていて、まるでミュージアムみたいでした。笑

(あれ?エルカの自宅に行ったとき、ブルガリアのもの何も見なかったなあ・・・。)

話は脱線しますが、社会活動家でもあり、デモ行進から何から「さすがアクティヴィストの州、バーモント住民!」といった感じで超パワフルな先生でした。

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この先生、英語に対して、また言語教育に対しての見方がものすごく面白いんです。

なので主に2つ、紹介したいと思います。

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1つ目はPlurilingualistic Pedagogy。

この先生、ブリガリア出身で、英語は母国語ではありません。

ブルガリア語が母国語で、ロシア語、フランス語はネイティブ並にペラペラ話せ、英語は人生の後半になって勉強したといいます。

マルチリンガルの英語ノン・ネイティブなんです。

エルカは「英語オンリーで例えば日本語使っちゃダメ!」みたいなネイティブの先生の授業を批判します。

英語が「母国語を殺すキラーランゲージであったらいけない」って言うんです。

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この図はなんだと思いますか?

 
一番下の〇がアメリカ人やイギリス人など英語を母国語として話す人の数、真ん中の〇がインド人やケニア人など英語を第二言語として話す人の数、そして一番上の一番大きな〇が僕ら日本人をはじめ英語を外国語として話す人の数を表した図です。

そうなんです、実はアメリカ人などネイティブと言われている人たちより、僕ら日本人を含め、ノン・ネイティブと言われている人たちの方が今、多いんです。

「英語は母国語を殺す言語であっちゃいけない。そうじゃなくて互いの言語や文化を祝福していくものじゃないといけません。」

とエルカは主張するんです。

この考え方がPlurilingualistic Pedagogyなんです。

クラスでは至るところで日本語と英語の違い、ジェスチャーの違い、文化の違いを比べていきます。

「あるものが何かを知るためには、あるものが何でないかを知る必要がある」と、トマス・クーンがいうように、比較し対照することで、くっきり見えてくるものがいっぱいあり、どちらがいいとか悪いとかではなく、比較、対照することでお互いの言語と文化を祝福していこうというものです。

簡単な例を挙げてみます。

英語で「女性の社会進出」ってどういうと思いますか?

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社会だからsocietyで進出だからadvance・・・?

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実はもっと簡単に「Women started to work outside.」でいいんです。笑

つまり、英語は「シンプルに具体的に」表わすことが大事なんです。

その言葉のうらに「事細かく言葉に出さないといけない」という文化があります。

色んな人種が交わるアメリカでは事細かく言葉に出さないとお互いを理解することが難しいからなんでしょうか?

社会で生活する上での必然性からそうなったのかもしれませんね。

それとは対照的に日本語は、「女性の社会進出」と見てわかるとおり、漢字を使って、「抽象化し、コンパクトにする」言語のようです。

ダラダラ言える事細かいこともヒョイッと熟語にして簡潔にしてしまいます。

「以心伝心」という表現からも見てとれるように、何を言わなくても分かりあうことがいいとする価値観や、社会を平穏にするために、あまり言わない方がいいという価値観がこんなところからも垣間見れます。

英語と日本語を比較、対照することでこんな文化的な背景や世界観も見えてきますよね、どちらが良いとか悪いとかではなく。

これがPlurilingualistic Pedagogyなんです。

だから英語を学ぶとき、自分達の言語や文化を捨てる必要はなく、むしろ英語をよりよく知るための武器にもなるのです。

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話はちょっと飛びますが、アメリカでは、移民や難民など、生活のために英語を習う大人の方が多いんです。

難民として来た老人の方々は英語は知らなくても、今までの人生で色々なことを経験し、たくさんの知恵をすでに持っています。

でも英語教師は英語を知らないという理由だけで、「はい、じゃあこれ言ってみて、I love ミッキー!」とか子ども扱いすることも多いようなんです。

「なぜネイティブというだけで地位が高くなるの?この老人は「歩く不足した生き物」ではありません。もうすでに色んなことを知っているんです。ならそれを活かしましょう。」

その老人の知っていること、言葉、文化、知恵・・・すでにもっているものを使って、比較して、英語を教えていく・・・。

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「そのすでにもっているものを教室の入り口に置いてきてはいけなんです。それは財産なんです。」

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エルカにとってPlurilingualistic Pedagogyは、社会的弱者に立たされる人達をエンパワーするためものだったのです。