西と東。
よく西洋文化と東洋文化の違いとして個人主義か集団主義かが挙げられます。
このSITという大学院。
「橋を架け、人生を変えよう!」ということを謳っているだけに、やたらとグループワークをさせるんです。
まあ~いいことなんですが、クラスメイト、僕と2人のチベット人を除いてあとは皆アメリカ人・・・。
このグループワークっちゅうやつに本当に頭を抱えさせられました。
・・・
前期がはじまりもうすぐ。
毎度のことグループワークです。
皆で話し合って、「グループワーク」がはじまるんですが、個人主義を重んじるアメリカ人と一緒にグループワークをしていると、日本人として(しかも体育会で)今まで「集団行動」という名のグループワークをしてきた僕にとって、頭くることが多々ありました。
まだグループワークが終わってないのに先に用事があると言って帰る人。
やたらと自分の意見を押し通そうとして譲らない人。
終わった後、片づけせずにさっさと帰る人。
自分が楽しそうにしていたら、他のメンバーのことをあまり気にかけない人・・・・。
(ぬお~!!!怒
なんやコイツ等!!!怒
「集団で行動する」って意味しらんとや!?怒
「当たり前」も知らんとや!?怒
コイツら自分勝手な奴ばっかでふざけんなよマジで!怒)
・・・
正直、もう頭きてしょうがなかったです。
「何やくそがっ!あいつ等ホントにわかってないわ!!怒」って、スチューデント・アクティビティで働いていた日本人スタッフのケイコさんによく愚痴っていました。
・・・
あとになってわかったんですが、これがいわゆるカルチャーショックっちゅうやつでした。
僕は日本の「集団行動」という見方からグループワークを見ていたんです。
この「集団行動」、家で学校で無意識に身につけていたもので、まさか自分がその「日本人のレンズ」から見ていたとは気づいてもいませんでした。
・・・
ちなみに日本では学校で掃除、みんなでしますよね?
アメリカの学校は清掃員の方がいるので掃除の時間がないらしいんです。
・・・
「まつくま君、プロレスごっこしないでちゃんと掃除してください!」(中2の時の担任)
「え~、はいはい。チェッ。」(中2の小生)
・・・
実はこんなちょっとした会話の中からも、僕は「日本人」として教育されてたんですね。笑
この個人主義と集団主義の違い。
これに一番苦しめられ、これを乗り越えれたことが、アメリカでの生活で、一番大きな「学び」でした。
ついに修士課程の前期が始まりました。
最初のオリエンテーション。
教室でクラスメイト30人ちょっとと教授が円になって座りました。
ちょろっと教授の自己紹介があった後、教授が「こんな天気がいい日は外で動きましょう。」と言い、それからすぐに外に出ました。
(あれあれ、なんが始まるとや?)
その教授は外で皆を集め、「これからゲームをしましょう!」とかいうんです。
(おいおい、俺は大学院に来たんだよベイビー。なんやゲームって?ガキじゃね~ったい全く・・・。)
ルールは「こことあそこのラインの間を川として、段ボール5枚で向こう岸まで全員が渡れるか?」みたいな話・・・。
(ちょっと待ってくれよベイビー。ここは小学校かっつーの!!?)
早速リーダーシップ取りたがりが我よ我よと意見を出しあいます。
(うげ、やっぱり先生の集団。(クラスメイトは大半が現役教員)出たなこの仕切りたがり・・・。)
あれよあれよと皆ぐちゃぐちゃなりながらも、20分後、最後は全員が川を渡れました。
「さあ教室に戻りましょう。」(教授)
(なんじゃこりゃ?!)
意味不明でした。
・・・
教室に戻りまた円になって座ります。
それから教授が質問しだしました。
「では今何をしたのか振り返ろう。
まず最初、何が起こったか?
誰が何という意見を出して、どう動いたか。
時系列に沿って、具体的に描写していこう。
ふむふむ、それから?
ふむふむ、その時どう感じた?
ふむふむ、それから?
ふむふむ、その時どう感じた?
ふむふむ
・・・
そうだね、それで皆が最後渡れた。」
教授は生徒の発言を黒板に書きだしていきました。
「ではこの部分をどう解釈する?
ふむふむ。
この行為をもっと抽象的にいうとどういうこと?
ふむふむ。
この発言をどう捉える?
ふむふむ・・・。」
・・・
最後に教授が質問。
「ではこの経験から何を学んだ?
何を持って帰る?
どう次の経験に活かす?
ふむふむ。
ふむふむ。
ふむふむ・・・。」
・・・
皆が各々の学びを話した後、最後にその教授がこう言いました。
「経験そのものに意味は必ずしもありません。
しかしこの今やった一連のプロセスを通して、「意味」をつくり出すんです。
一歩下がって、自分自身の経験を教材として、じっくり分析していく。
つまり経験から「意味」を見出し、それを「学び」にしていくんです。
そして次の経験に活かしていく。
経験、描写、解釈、計画、経験、この終わりのないプロセス。
これがExperimental Learning(経験学習)です。
ウェルカム トゥー SIT!」
(はあ~、面白えなあ!!!)
・・・
また翌日、「第二言語習得理論」の最初の授業。
エルカというブルガリア人がこの授業の担当教授。
50歳くらいのおばさん先生ですが、ものすごくパワフルな先生。
クラスで話しをしているとき、エルカは権威ある人が書いた分厚い教科書を手に持っていました。
そして、次の瞬間、なんとその教科書を放り投げたのです!!
(オ―マイゴッド!!)
「教科書は神様」みたいに日本で教えられていた僕は目の前で今起こったことを疑いました。
(マジかよ!?)
なんとエルカ、さらにその教科書を踏みつけました!
(オーマイブッダ!!)
そしてこう言ったのです。
「いい?「学び」というものはこの中にあるんじゃないのよ。
あなた達一人ひとりのこことここにあるの。」
そういって、頭とハートを指さしました。
・・・
(おお~!!!なんか知らんけどカッケ~ぞこのおばさん!!!)
・・・
Experiemental Learning
なんとなくつたわりました??!
自分自身の「経験」から、自分の頭とハートでもって「学び」をうみだす・・・。
(これたいこれっ!こげんことがしたいっちゃん将来!)
よく「クリエイティブ(創造性)が今の教育には必要だ」という主張でTEDトーク等で有名な方らしいのですが、大学院に留学する前、僕は彼の存在を知りませんでした。
大学院の最初の授業の予習でケン・ロビンソンのTEDトーク等見てくるように言われました。
色んな動画や記事を読みましたが、完璧ハマってしまいました。
ケン・ロビンソン。
この人めちゃくちゃ面白んです。
何が面白いって、雑談。笑
(いかんいかん、ちゃんと中身について書こう。)
彼の教育観が、ものすごく面白く、非常に共感するんです。
ケン・ロビンソンは今の「教育システム」というものを批判しています。
それは今の教育システムは主に2つの間違いがあるからだというんです。
・・・
1つ目は「教育とは直線上にある」という間違い。
どういうことかというと、今の教育システムって「中学を出て、高校を出て、大学を出て」って、何かベルトコンベアーにのっているような感じで「一直線」になっているような感じがありませんか?
彼は教育というものをこの「直線」で捉えるのが、そもそもの間違いだと言っているんです。
なぜなら「教育とはもっと有機的、オーガニックなものだから」ということが彼は主張だからなんです。
「大学に行くことが悪い」と言っているんじゃなくて、全ての人が行く必要もないし、またすぐに行く必要もないと主張しています。
もし学校の勉強でなくても、自分が情熱を注げる何かが今あるなら、それを追いかけてみなよってことを言っているんです。
そしてその情熱を追いかけて「一流」となった人たちをどんどん紹介していくんです。
つまり「教育とは直線上にしかない」という考え方を壊して、一人ひとりがもつ才能を開花させるべきだということを主張しています。
・・・
2つ目の今の教育システムの間違いは、「みんな一緒にしてしまおう!」という「画一化」です。
答えが1つしかない一斉テストなんかが典型的な「画一化」ですよね。
ケン・ロビンソンはこの「みんな同じにして1つのモノサシで測ること」に反対しています。
というのも人類社会は様々な「多様性」で成り立っているからです。
簡単に言うと、僕らが住んでいる社会は床屋さんがいれば、工事現場のおっちゃんがいて、サッカー選手もいれば、政治家だっています。
一人ひとり、必要としているものって違いますよね。
そのバラエティさが社会を豊かにしているのに、1つのモノサシで、例えば「政治家は筆記テストがいいから偉くて、画家はOOの点数が悪いから偉くない」みたいにされたらたまったもんじゃありません。
でも実際、今の教育システムがやっていることってこういうことなんです。
一人ひとりを1つのモノサシで測るんじゃなくて、色んなモノサシがあっていいじゃないですか。
もっと教育というものを一人ひとりの個性に合わせた形でアレンジしていきましょうよというのが彼の主張です。
・・・
彼は今の教育システムは「産業モデル」だといっています。
学校は工場のように生徒をベルトコンベアーにのせて、バラバラの部品(理科とか数学とか)を空っぽの容器に押し込み、製造年月日をつけて出荷していく。
これじゃ人間のポテンシャルが活きず、人的資源が枯渇していきます。
だから彼はこれからの教育は産業をモデルとしたものではなく「農業モデル」にしていかなければならないと主張しています。
先生は農家のように、それぞれの作物が最適に自ら育つ環境を整えていくことが大切だといっています。
これがざっくりとした彼の教育観です。
僕は面白いなって思いますし、めちゃくちゃ共感します。
高校時代、ベルトコンベアーにのせにかかってきた教師に反抗していたこと、「大学進学~一流企業~生涯安泰」というレールにのって運ばれていくことが果たして「正しい人生」なのか?と疑問をもったこと・・・。
今までの自分の考えをケン・ロビンソンはわかりやすくまとめてくれた感じです。
・・・
皆さんはこの彼の教育観、どう思いますか?
そんなご時世だからこそ、中国語を勉強したり、中国留学に行く方も多いかと思われます。
そんなご時世の中、僕は2人のアジアから来たクラスメイトに出逢いました。
バディーンとサンドジ。
チベット人の英語教師。
僕は学期が始まる留学生用の英語プログラムで彼らに出逢いました。
聞くとアメリカのある財団がチベットの文化を守るために毎年チベットの英語教師をこのSITに派遣しているらしいんです。
(お~なんかSITらしいなあ・・・。)
2人ともチベット文化にめちゃくちゃ誇りをもち、チベット文化を残さなきゃいけないという使命感に燃えていました。
チベットの国旗は中国国内では掲げてはいけないらしいんですが、ここSITの食堂にはドデ~ンッと真ん中に。
その間キャンパス内は週ごとに色々な会議やワークショップ等が行われていました。
そんな中、僕は食堂でナットというマダガスカル人に出逢いました。
このナット、アカデミック・アドバイザーとしてアメリカの大学からマダガスカルに留学してくる学生のお世話を現地でしているといいます。
このナットとの会話が超面白いんです。
僕は「マダガスカル出身」と聞いて、すぐに映画の「マダガスカル」について話題をふりました。
そしたら「あんな映画、アメリカが僕らを馬鹿にしてるだけなんだよ」って。
「マダガスカルには人間が生きているっつーの!!」
目の前には「オーガニック・Save the earth」と書かれたティッシュ箱がありました。
「だいたいなんでこれがオーガニックなんだよ。笑 オーガニックって地球が僕らに自然と与えてくれるものなのに、なんでオーガニックのものの方が高いんだよこの国。笑」
前述したとおり、このナットはアメリカから来る大学生の留学サポートを現地でやっています。
「よく学生や教授がマダガスカルに来たとき、僕は話さないんだよ。代わりに音楽を流す。そして踊る。「人間」に戻すんだよ。笑」
「よくマダガスカルに来たアメリカ人の学生から「教科書はないんですか?」って聞かれるんだよ。でも何言ってんだよ、教科書ならアメリカにいた方がいっぱいあるだろって。笑 ここにきて教科書で勉強するのかよ?教科書で勉強したかったらアメリカに帰りなよって。笑 学びに来たんだろ?そしたら踊るぞ!笑 農場に連れて行ったり、踊ったり、これが「経験学習」だよ!」
(かっけ~!!)
マダガスカルに来るアメリカ人学生を連れ回すナット。
数日後、キャンパス内でパーティーがありましたが、踊り舞う彼の姿はまさに「人間」そのものでした。
2012年5月吉日、正式に大学院から入学許可のレターが届きました。
(いや~ホントぎりぎりやったわ・・・)
2012年7月末、ついにアメリカへと旅立つ日がやってきました。
こうフィリピンやらインドやら石巻やら飛び飛びしていると、もう「緊張」というものがなくなってきていました。
福岡から成田、そしてピョ~ンッと飛んでアメリカの東岸にあるハートフォードの空港に到着。
空港から少し離れた安いゲストハウスに一泊しました。
お腹が減ったのでゲストハウスの近くを散策し、食べ物を探しました。
もう外は暗くなってきていました。
(あ~腹減ったなあ・・・空港でケチらんで何かくっとけばよかったわ・・・)
しばらくすると遠くに明かりが見え、見るとSUBWAYがありました!
(よっしゃっ!!)
入って注文しようとメニューを見る・・・。
(ゲッ・・・)
SUBWAYはサンドウィッチの中身をこと細かく選べますが、こと細かい食材の英語なんて知りません。
(知るかこんな単語!!?)
ピンチ。
・・・
When in Rome,Do as the Romans do.
(郷に入れば郷に従え。)
・・・
「前の人と同じやつください。」
でたっ!日本人の必殺技!
・・・
がっしかし、出てきたサンドウィッチは超デカいやつで値段もデカいだけに高い。
・・・
(食えるかこんなドデカいの!!)
ウェルカム トゥー アメリカ。
・・・
翌朝、Greyhoundのバスに乗り、バーモント州を目指しました。
曇り空が広がる日でした。
数時間後、SITがあるバーモント州ブラトロボロに到着。
SITはタウンから離れた山奥にあるため、山をタクシーで登りました。
行くこと15分・・・。

(おお~!これパンフレットで見たことあるやつやん!)
ついにSITに到着!!
着くとスーダン人のアスマという寮長に連れられ、寮の自分の部屋に入りました。
このアスマ、内戦、紛争解決のためのNGO、国連関係で働いていたというスーダン人。
その後の留学生活、寮でものすごくお世話になりました。
いつも寮で馬鹿をしていたので、「アンタが真面目にしているところ見たことがないわ。笑」と最後言われてしまいました。(失敬!!)
到着したその日は長旅と時差ボケもあり部屋で眠りこけました。
そして翌朝、外に出ると快晴。
目の前には今まで見たこともないような大自然が広がってました。
SIT(シットじゃなくてエス・アイ・ティー)。
School for International Trainingというアメリカ合衆国バーモント州にある大学院。
(なんじゃそりゃ?)
今までの人生、外国語大学英米学科を出たものの、あまりアメリカという国に興味がなかった僕は留学前、バーモント州がどこかも知りませんし、大学といったらハーバード大くらいしか知りませんでした。
学生時代、僕にとって日本男児(中でも九州男児)の無骨さは至上のものであり、メリケンから発信されるものは低俗なものだと決めつけていました。
(ふっ、アメリカのプロレスはエンターテーメントであり、日本のプロレスには敵わん。)
(ふっ、メリケン人に長渕剛のような「男」の唄がつくれるわけないだろう。)
・・・
ごめんなさい。
・・・
このSITという大学院を知ったのは、4年前、バヌアツ共和国から帰国した時、お世話になっていた大学教授と話していた時に遡ります。
「あなたSITなんか行ったらいいんじゃない?」
(???)
聞くとSITという大学院は英語教育では有名な大学院で、もともとPeace
Corps(アメリカの青年海外協力隊みたいな組織)の人材を育成するために、または海外から帰国した隊員が自身の経験と理論とを結びつけるために出来たトレーニング・センターだったそうなんです。(SITについて(動画))
なのでNGOをはじめとする草の根活動のリーダーが学生に多いと伺いました。
学部も「紛争解決学」「国際教育学」「開発学」と平和構築につながるものばかり。
地雷撤去活動でノーベル平和賞を受賞したジョディー・ウィリアムス氏や「モッタイナイ」という言葉を世界に流行らせた故ワンガリ・マータイ氏が主な卒業生や名誉役員としています。
この大学院、アメリカ・プラグマティズムの哲学者でもあり、教育学者でもあるジョン・デューイが提唱するprogressive educationを実践している大学院であるため、「机上の理論」よりも「経験」を重視する大学院らしいんです。
なので例えば前期で理論を学び、教育実習で実際に実践、後期は自分自身が経験したものを振り返り、学びをうみ出していくというExperimental
Learning(経験学習)が学習の基盤となっています。
これまで机上の勉強よりも、自分自身で直接見たもの、聞いたもの、感じたものから多くのことを学んできました。
なのでSITの話を教授から伺った時からずっと興味がありました。
(なんか面白そうだなあ~。)
(SITホームページ)
なんとかTOEFLは乗り越え、エッセイも書き終え、大学教授からの推薦状も書いてもらい、全て書類を揃えて超ギリギリで大学院へ提出しました。
(マジ、セーフ。あぶね~これもし間に合ってなかったら、俺どげんなっとったちゃろう・・・。)
まあ~とにかく、間に合った!!
・・・
そして5月末、僕はNPOをぬけるのですが、後任のスタッフの方が幸運にもすぐに決まり、引き継ぎ完了。
宮城県を離れることになりました。
(NPOのスタッフの方々には迷惑をかけたなあ・・・。)
名取を発ち、南へ下るはずが、やはり・・・、気がついたら僕は北上していました。
(石巻北上町の人達に会いに行こう!!)
北上町の方々に、留学が決まったこと、宮城県を離れることを告げ、僕は実家の福岡に帰りました。
最終準備をして2012年7月末からいよいよアメリカの大学院留学へと向かうのでした。
ちなみに大学を卒業してからこれまでの経緯・・・
メーカー企業で営業~フィリピンのゴミ山で活動~インドのマザーテレサの施設でボランティア~石巻で瓦礫撤去のリーダー~亘理の仮設住宅で学習支援~これからアメリカへ大学院留学・・・
(なんやこの一貫性のないムチャクチャな人生!!!)
僕の今後の人生は一体どうなるんでしょうか・・・?
2012年3月。
留学準備としては超遅いスタート。
(こりゃやばい・・・)
まず何が何でもTOEFLという英語テストのスコアを取らないと話になりません。
東北ではTOEFLの受験会場が少なく、受けるのであれば関東方面に出ないといけない感じでした。
しかも4月末までに結果を出さないといけないというスケジュール・・・。
(やばい・・・)
空いている時間があればTOEFLの問題集を解きまくりました。
仮設住宅へ向かうバンの中でもリスニング問題のCDを流し続け、何冊も問題集をリュックに入れ、解きまくりました。
・・・
4月吉日。
浦安でTOEFL受験。
前夜21時に学習支援を仮設住宅で終え、友人が車で夜中浦安まで送ってくれました。
留学のため、お金をケチった僕はインターネットカフェを夜中の2時に探しました。
が、あった唯一のネットカフェは個室でも普通のイスしかなく、明かりも部屋全体ついたまま・・・。
(まじかよ・・・)
明日午前10時開始の試験・・・。
(あと8時間後・・・えい、クソ。もうここで寝たれ!)
狭い個室に入り、イスの足元でうずくまり、フロアの上に寝転がりました。
壁の下の隙間から人が通る靴が見えます。
(終わってるな俺・・・あ~もうくそったれ!)
・・・
翌朝、やはり睡眠不足で起床。
午前10時に試験会場に入り、それから4時間、パソコンの画面とにらめっこをして試験を終えました。
(やべっ・・・・こりゃもう1回受けないかんかもしれん・・・)
・・・
点数が足りなかった場合に備え、東北帰宅後、再度TOEFLの勉強を始めました。
(あ~もうイヤっ!!)
悶々とした日々を過ごしました。
・・・
が、4月末、大学院への提出期限がギリギリに迫っていたある日の夜、ウェブサイトに浦安で受けた試験結果が出ました。
結果・・・、オッケー!!!
(よっしゃ~っ!!!!!!!留学行ける!!!)
もう、あのネットカフェで過ごした夜は、生涯忘れないでしょう・・・。
2011年の11月から主に亘理町の仮設住宅で学習支援をすることになりました。
2012年3月、学習支援に通う中学3年生が無事に高校受験を終わらせました。
外は雪。
(ああ、もう被災地で活動をし始め、1年が経とうとしとるったい・・・。)
・・・
それとは一方、2012年の年明けから、どうも自分自身、心の奥底にあった何かが湧き起こってきていました。
・・・
(成長したい・・・。)
ムズムズ。
・・・
(また飛び出して色んな経験をしたい・・・。)
ムズムズ。
・・・
若さゆえのものかもしれません。
ドタバタ走り回る復旧から復興の段階に入った被災地では、毎日走り回るよりも、ゆっくり腰を落ち着け、そこに「いる」ことが何よりも大事なフェーズと入ってきていました。
何をもって「バリバリ」、「成長」としていたのか、よくわかっていなかったと思います。
未だ企業で働く同期と比べていたのかもしれません。
でも、もっと色々な経験を積んで自分自身を成長させたいという想いに当時の僕は駆られていました。
「本当に自分がしたいこと」が見えてない分、焦っていたんだと思います。
・・・
以前、大学教授からとあるアメリカの大学院を紹介されたことを思い出しました。
(もう一回「社会」に出る前に一度勉強しなおそう。)
・・・
ここでいう僕の「社会」とは一体なんだったんでしょうか?
未だによくわかりませんが、「もう一度ブラシュアップして浪人時代からの夢であった教育関係の道に進もう!」と思い、NPOの上司の方に恐る恐る相談しました。
「辞める」となると、いい気分ではありません・・・。
NPO側にとったら、無責任な行為。
・・・
(あ~、この空気・・・しまった・・・。)
・・・
それでも、ありがたいことにNPOの上司は理解してくれました。
・・・
そして留学準備を被災地で始めました。
(こりゃちょっと頑張らないかんばい。)

















