2011年8月7日。
ここ宮城県石巻市北上町橋浦。
ほぼ復旧作業は終盤に入りました。
現地で拾い上げ、完了してきたニーズは8月7日までで102件。

あと数日で現地での震災ボランティア活動を終えようと思いました。
この町を離れると思うとちょっと寂しい・・・。
本当にここでの住民の方々との触れ合いは一生ものになるんだろんだろうなあ。
ずっと繋がっていたい住民の方が何人もいました。
新たな故郷(ふるさと)が出来たような、そんな感覚がしました。
ここで共に時を送ったボランティアの方々との出逢いも一生ものになるんだろうなあ。
様々な職業、立場に関係なく「北上町橋浦」の復旧復興というベクトルに向かい、寝食共にしてきたメンバー・・・。

コムサデモードの元役員のおじさん。
千葉、浦安で被災した保育士さん。
沖縄移住に向け、看護学校に来年から通う元タイのスキューバーダイビングのインストラクター。
大阪から車で来たご夫婦。
神奈川県のログハウスの大工さん。
焼肉屋で働いていた埼玉県の女の子。
埼玉からオフの日にいつも駆けつけてくれた消防士チーム。
2週間に1回、東京で10数名の人を呼びかけ、ボランティアに来てくれるビジネスマンチーム。
大学時代、共に汗を流したラグビー部の同期。
昨年ヘルニア手術をしたにも関わらず、長期でボランティアに来てくれた68歳のケーキ職人とその奥さん。
佐賀から軽トラで来た元自衛官、トラック野郎のおじさん。
夏休み返上で来てくれたSE。
名古屋からの薬剤師さんとその娘さん。
インドでボランティアしていた時に知り合いになり、たまたま偶然、石巻で合流した女性。
福岡から駆けつけてくれた高校時代のラグビー部の監督。
いつも自分の担当地域に直接来てくれた千葉、京成バスのボランティアツアー。
東京都小平市の職人さん達・・・
職業や道は違えども、皆それぞれ大切にしていたものがありました。
皆それぞれ自分が出来ること黙々とやっていました。
それが社会のため、北上のためにひとつに繋がっていく光景を目の当たりにしました・・・。
誰が上とか下とかなく。誰が得するとか損するとかなく・・・。
「民主主義とは人が人をケアしようという精神から生まれた」とアメリカの教育者、ジョン・デューイが言っていました。
「あっ『社会』ってこういうことなんだな。」って大切なことに気がつきました・・・。
・・・
このまま北上に居続けることも出来るし、住民の人からも「ここに住め」とも言われました。
でも本来、震災ボランティアは消えていく存在なんだと思うんです。
被災地にいる被災者の方々が、元の生活に戻らないにしても、顔を上げて、腰を上げて、また新たな「日常」を送っていける兆しが見えたなら、僕らはすぅーっと静かに去っていけばいいんじゃないのかなって思ったりするんです。
僕はひとつの地域に密着してやっていたので正直、他の地域のことはあまり詳しく知りませんでした。
ただ北上町橋浦地区は、ボランティアの潮時だと感じました。
仮設のケアはまたそれ専門の団体が活動していて、業者、企業も入ってきていました。
(村の平安を祈り、この町をあとにしよう。残り数日も、普段と変わらず活動しよう・・・。)
一日一日、住民の方と交わす笑顔と挨拶が、なんだか尊いものに感じてきました・・・。