5月30日、大雨暴風。
風速34メートル。
テント大破。
まさかボランティアに来て避難民になるとは・・・。
夜、64歳のおじちゃんの軽トラ内で就寝・・・。
2011年5月24日。
本当に心温まることがありました。
昨日の朝、活動区域を回っていた時、お婆さんが一人、庭の瓦礫の上に立ち、外からガラスが割れた窓枠から部屋の中の様子を見ていました。
部屋の中は家具がひっくり返り、泥が入りむちゃくちゃ状態。
その家具に手を伸ばして何かしようとしていました・・・。
「お婆ちゃん何か捜してるんですか?」と声をかけると、土地の所有権が入った金庫を捜しているというのです。
「金庫は重たいから津波に流されずにこの下あると思うんだっちゃ・・・」
見た感じ、とてもじゃないけど中に入れません・・・。
「あとお父さんの位牌もあるんだっちゃ。でも木だから流されてしまったかも・・・」
悲しそうな顔してうつむいていました・・・。
「明日、朝ボランティアの人連れてくるから一緒に探しましょう」と言って、電話番号教えてそこを離れました。
・・・
そして翌日、朝7人のボランティアと一緒に捜しに入りました・・・。
「奇跡」ってあるんだなぁ・・・。
なんと金庫も位牌も見つかったんです。
流されてもおかしくない位牌が、何の偶然か、一つの植木鉢に引っ掛かり、そこにありました。
「あっ!あったよ!」
お婆ちゃん、位牌抱きしめて泣いていました。
よかった・・・。
本当によかった・・・。
思わず神様か仏様かわからないけど、本当に「ありがとうございます」って、気がついたら手を合わせていました・・・。
本当に、本当によかった・・・。
あの時感じたもの、見たものは一生忘れられないでしょう・・・。
僕はあの一瞬が今も脳裏から離れません。
その度に心に何か温かいものがかよいます・・・。
お婆ちゃん、本当によかった・・・。
・・・
心理学者のマズローは人間の欲求を5段階層にして示しました。
衣食住の生理的欲求が人間にとって第一で、それが満たされてはじめて、安全の欲求、所属と愛の欲求、承認の欲求、自己実現の欲求と順に満たしたくなるという説です。
確かに生物として生き残っていくためには、まず衣食住が必要でしょう。
でも、このお婆ちゃんの家は崩壊していました。
衣食住の「住」がない中、探していたもの、求めていたものは、旦那さんのお位牌、旦那さんとの「つながり」でした。
お位牌を抱きしめて、泣いていたお婆ちゃん。
人間の欲求に階級などなく、衣食住が人間にとって必要なように、大切な人とつながっているという感覚も、これまた同じくらい人間にとって必要なことなんだろうって、僕はこのお婆ちゃんから学びました。
大街道地区での活動が続きました。
住民の方とも知り合いになり、一緒に働くボランティア仲間とも仲良くなり、自分自身「石巻」にどんどん愛着を持ち始めました・・・。
この日もあるお宅でヘドロを掻きました。
夕方、ボランティアの人達と自衛隊が運営してくれている仮設風呂に入りにいきます。
出ると真っ赤な夕日が目の前にありました。
「今日一日、ありがとう。」って何かわからないけど、もの凄く感謝の念に満ちました・・・。
・・・
自衛隊風呂の待合室に一冊の日記がありました。
利用者が書ける日記です。
何気なくパラパラめくっていたら、あるメッセージに目が留まりました。
・・・
「自衛隊の皆さん、ボランティアの皆さん、今日もご苦労様でした。皆さんがこんな田舎町にわざわざ来て、汗を流してくれていることで、石巻も少しずつ、復興に向かって歩み出しています。今夜はゆっくり身体を休ませてまた明日も頑張ってください。 石巻のおやじより」
・・・
自然と涙が出てきてしまい、とっさに顔を伏せました。
・・・
瓦礫で溢れたこの町に、何か美しいものがありました。
打ちひしがれたこの場所に、不思議な何かがありました。
「明日も頑張ろう」って思える空気がありました・・・。
Pray for Japan。
(日本の為に祈りを捧げよう)
・・・。
僕はその度にある言葉を思い出していました。
「When you pray, move your feet.」
(祈るとき、足も動かせ)
この言葉の方が、大事な気がしていました・・・。
石巻に来て一週間経過。
長期でいる予定ということもあり、ボランティアリーダーを任されました。
地図を片手に地域住民の方と話し、ニーズを探し集め、毎日押し寄せてくる個人・団体ボランティアの方々を割り振る役目です。
自転車でその地域をぐるぐる回り、住民の人とお話しました。
道具を取りに、ボランティアの方の誘導に、来る日も来る日も駆け回りました。
リーダーをしていたので実に数多くのボランティアの方々と接する機会を頂きました。
震災直後の4月5月当初、ボランティアとして駆けつけていた方々の多くは、言葉は失礼だが、いわゆる「ブルーカラー」と呼ばれる方々ばかりでした。
大工さんや建設業の方や、職人さん・・・。
個々人が様々な想いを胸に手慣れた道具を持参し駆けつけてきていました・・・。
僕はそれまで心のどこかで正直、「ブルーカラー」と呼ばれる人達を無意識のうちに見下していました。
曲がりなりにも進学校に入り、4年制大学を卒業した僕は・・・。
いつからなんだろう・・・。
世で言う一般の「就職活動」には先ず名前が挙がらないところで働いている方ばかりがそこにいました。
僕は頭のどこかで「大企業=偉い人」というものを持っていました。
就活中、「大企業に受からなかったら終わり」とも頭のどこかで思っていました。
おそらく就活をする時、本当に自分の価値は何で、本当に何をしたいかわからないまましていたからだったのでしょう。
だから「名前」に頼るしかなかったんだろう・・・。
・・・
ともかく、ここ石巻で、僕の目の前には汗を流したカッコいい大人がいました。
(いざ日本がこのような危機的状況に陥った時、駆けつけたのはこの人達なんだ・・・。)
話すともの凄く芯があり、男気あってとても格好いいんです・・・。
(どれだけ自分自身、視野が狭かったんだろう・・・。)
・・・
ここ石巻の当時のボランティアの仕事内容は主に泥かき、家具出しでした。
定年退職されたご夫婦が車内で寝泊まりして重たい泥を掻いていました。
全身刺青をした仏画家の方が、一番をきって片づけをしていました。
大阪から工具を軽トラに積み、駆けつけた大工さんも黙々と一人汗を流します。
単身一人で埼玉から来た21歳の女の子も泥まみれです。
お坊さんも泥まみれです。
本当に色んな人が全国各地から集まっていました。
(人それぞれ色んな生き方があるんだなあ・・・。)
ここでは本を読んだり、学校で教わることよりももっと多くのこと、大切なことを学んだような気がします。
Experience is the best teacher.
(経験が最良の教師である)
それから数日間、職人さんチームと共に行動し、床を剥ぎ、ヘドロを掻くということを続けました。
「復興」という言葉は格好いいです。
日本がその言葉のもと一つになり・・・。
でも現実は復興どころか「復旧」の段階でした。
地味で地道な作業の積み重ねでした・・・。
(やるしかない。)
僕が活動していた大街道という地域は一階まで津波が襲い、車は大破、家具はもう使い物にならないという状態でした。
でも家具をだし、床板を剥がし、ヘドロを出せばまだリフォームをして住むことが可能になるかもという地域だったんです。
一人ではどうすることも出来ないものが、一人、また一人と合わさり、片付いていきます・・・。
「人間のすごさ」というものについて深く考えさせられました。
・・・
仕事が終わってテントの中、まだ身体はヘドロのにおい・・・。
(またしても女の子が遠のいていくなあ」
あまり心配していない自分が怖いです・・・。
翌日早朝、仙台駅に到着。
そこからさらにバスを乗り継ぎ石巻市を目指しました。
2時間後に着いた石巻駅・・・。
雨雲が広がりどんよりした雰囲気が町全体を覆っていました。
バスでボランティアセンターが開設された石巻専修大学へ・・・。
窓越しに見える商店街は、ガラスが割れ、シャッターがひん曲がり、泥まみれになった瓦礫が道沿いに山積み・・・。
(あっ、フィリピンのゴミ山が何故ここにも)
フィリピン、インドと行っていた僕にとって、何故か変な角度でこの光景に違和感をもちました。
・・・
専修大学には多くのボランティアの方々がテントを張っていました。
僕も陸上トラックの横に一人用のテントを張り、荷物を中に置きました。
・・・
まず、現地を見ようとタクシーに乗り、被災地域を回りました。
何台ものへしゃげた車が逆さまになり、何隻もの船が民家に突き刺さっている・・・。
丸焦げになった小学校の校舎が物騒と佇み、製紙工場の紙ロールが至る所に散乱・・・。
窓越しに見た光景は、まるで夢の中にいるかのような、現実感が全くありませんでした。
・・・
日和山公園という町を見下ろせる丘の上の公園から辺りを見渡しました。
ここは毎年花見で賑わう場所であったようです。
何も無くなった町が目の前に広がっていました・・・。
残骸の向こう側に、いやらしくも海が見えます・・・。
(あの海か・・・。)
正直、現実感がわきません。
目の前に広がる光景を受け入れられない自分がいました。
・・・
翌日は大雨となりました。
本来はボランティア活動中止となるはずなのですが、じっとしていることが出来ないタチの僕は、自己責任のもと活動をしようとする集団を探しました。
すると東京から来た建築屋さん、さっし屋さんの職人さん達が現場に向かうということだったので入らせてもらいました。
皆ご年配の方たちでした。
「大街道」という石巻の中心部に行きました。
被災者宅は一階全てが津波に襲われ、二階が何とか無事な家でした・・・。
床板を剥がし、ヘドロをかき出します。
職人の方々、皆65歳なのに、さすが職人さん、テキパキ動き、もの凄く格好良かったです。
被災された家のおばさんが雨の中、外に立って「申し訳ございません。助かります。」って何度も頭を下げていました・・・。
(何も悪いことしていないのに・・・。)
(なんで謝らんといけんと・・・)
・・・
悔しかったです・・・。
何に対してかわからないけど・・・
悔しかったです・・・。
その方は知り合い宅で6人6畳で生活していると言われていました。
・・・
泥だらけになりテントへ帰りました。
10人組で7時間かけ一軒終了・・・。
人が足りない意味が初めてわかりました・・・。
ちなみにその晩、暴風、大雨。
テント内水侵入。
寝袋びしょ濡れ・・・。
死ぬかと思いました・・・。
2011年4月、予定より早く日本に帰国しました。
正直海外で何も成し遂げていない中、周りの同期は働いている中、無職として日本に帰ることは正直、怖かったです。
自分の将来を考えると潰れそうな自分もいました。
「でも今はそれどころじゃない」といった感じでした・・・。
弱い自分が顔を覗かせた時、「よかやんまつくま」っていつも自分に言い聞かせました。
「よかやんまつくま。
お前の25歳、日本のために譲っても・・・。
お前はまだこれからがあるやん。
でも東北の人達はそのこれからすら失くしたとぜ。
よかや、自分のことはこの際忘れろ。
被災者の瞳をのぞけ。
耳を澄ませろ・・・。
何も語らなくていい。
ただ行動すればいい。
一燈、捧げて来い。」って・・・。
団体の受入れを待っていましたが、すぐに宮城県石巻市が県外ボランティアの個人を受入れ始めたことを知りました。
しかも同日、我が教祖(?)長渕剛も石巻に向かっているというではありませんか。
すぐさま大学時の友人にテントを借り、ヘルメットに長靴、水に食糧一式をバックパックに詰め込み、九州は福岡から東北を目指しました・・・。
・・・
ちなみに大阪まで新幹線で行き、そこから夜行バスで仙台へと向かったのですが、新大阪駅に到着したのは夕方5時半。
プラットフォームに降り立った時、会社帰りの多くのサラリーマンが行き交っていました・・・。
その中、ヘルメット、長靴をぶら下げたバックを担ぎ、両手に大量のペットボトルを持つ私・・・。
「あっ完璧、道から逸れたな」って、一人でニヤっと笑みました・・・。
マザーハウスで働く最終日、朝の集いが終わり、施設に向かおうとする前、あるシスターに呼ばれました。
「手伝ってほしいことがある」というので施設に行かずに残ることにしました・・・。
(不思議だなあ。)
このシスター、ボランティア初日の日にも呼ばれました。
登録している最中の僕を呼び、一緒に救急車に乗って、路上で病気をしているお爺さんをピックアップし、施設へと運びました。
そしてそのままその施設で働き始めました。
3月11日、日本で震災が起きたまさにその日でした。
・・・
あれから1ヶ月、今日が最後だと決めた日にまた同じシスターに偶然呼ばれました。
そして一緒に救急車に乗り、街を回りました・・・。
想像を超えるような「貧困」がそこにありました。
ここではその様子を示すことを控えます。
・・・
駅で生活していた2人のおじさんを車に乗せ、いつも働くプレムダンまで連れて行きました・・・。
・・・
午後、ひとりでまた施設へと向かいました。
仲良くなった人達がたくさんいます・・・。
ずっと頭を洗っていた青年。
日に日に仲良くなっていきました。
今日が最後だと知っていました。
今後のシャンプーについては仲が良かったポルトガル人の友人に頼んでいました。
帰る際、握手をして「テイクケア」って声をかけました。
いつも握手しても力がないのに、がっしり握ってくれました。
僕が離そうとしても離さない・・・。
一緒に時を過ごした何気ない日々が思い返されます。
・・・
最初に拒まれたこと、初めて笑顔を見せてくれた日のこと、ハイタッチしたこと、歌うたってくれたこと・・・。
門まで向かいました。
振り向くと、ずっと僕の方を向いて手を振ってくれています。
門をくぐり、帰りの坂道、泣けてしょうがありませんでした・・・。
「愛し、愛されること」
「愛することには覚悟と努力が必要なこと」
マザーテレサが語ったこの言葉をこの青年が教えてくれました・・・。
・・・
2011年、1月からフィリピンの団体で、インドのマザーハウスで「人のために生きるとはどういうことなのか?」「Selflessとはどういうことか?」を自分自身、問い続けてきました。
今、はっきりとこれだと言えるものはありません。
むしろ言い切れないものなのだろうと思います・・・。
ただひとつ言えることは、心と手が、そこにあるということ。
彼らが神様と対話し、耳を澄ませるように、僕らは「良心」という心の光に耳を澄ませることなのではないかなと思います。
・・・
まだまだな自分。
その自分を受け止め、認めたところからまた腰をあげよう・・・。
日本に帰国しよう。
幸いにも仕事を退職し、時間があった・・・。
東北に向かおう・・・。