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Be Fully Human

「日本とフィリピン社会により広く大きな貢献をする」ことをミッションにした青年による、その実現までの道のりを綴ったブログです。このブログを通して、ひとりでも多くの方が「ごきげん」に人生を送っていただければ・・・、そんな願いを込めてお送りします~。

施設で働く日々を送っていたある日曜日、「ナボジボン」という別の施設で、1週間に1回、ボランティアの人20数名募って、普段働いている場所を休み、その「ナボジボン」に活動しに行く機会がありました。

 

そこの施設では主に障害をもった子どもがケアされているんですが、ボランティアの仕事は主に、外で暮らすストリート・チルドレンの身体を洗い、遊び、お昼ご飯を与えるでした。

 

その日曜日、今働く施設を休んで、そちらへ行くことに決めました。

 

心の中では、「あっ、いつも働いている施設のあの青年、頭を洗われるの待っているかもしれないのに、ちょっと申し訳ないな。」という気持ちも正直ありました。

 

でも久しぶりに子どもと遊びたかったのでそっちに行きました。

 

・・・

 

施設に着き、子ども達と遊びます。

 

途上国に足を運んだことのある者なら誰でも経験があると思いますが、ここの子ども達も例外なく、非常に人懐っこく、エネルギッシュ。

 

追っかけて、追っかけられて・・・。

 

他のボランティアの人達も皆楽しそうに遊んでいました。

 

終わりがけ、帽子がないことに気づきました。

 

さっきまで、子どもに取られて、取り返してとしていたんですが、その後どこに行ったんだろうと思って見渡していると、向こうの方で子ども2、3人の様子がどうも怪しい・・・。

 

そこまで行ってみると、タイヤが重ねてある奥に、袋がありました。

 

袋を取るとその中には、僕の帽子と、他のボランティアの人のタオルが・・・。

 

盗もうとしとったったい・・・。

 

「ダメ」と言って全部没収すると「ノーーー!」と言いながら取り返しに来ました。

 

でもそれを断り、他のボランティアの人にタオルを返しました・・・。

 

ちょっと悲しかったです・・・。

 

他のボランティアの人達はそんなことも知らずに、「かわいいね」と言いながら楽しんでいました。

 

知らなければ僕も、「かわいいなこの子たち」と言いながら、楽しそうに帰ったかもしれません・・・。

 

よくよく考えるとこの子達は道端で寝泊りしている子ども達。

 

そりゃ外国人の人達が日曜日遊びに来て、かわいいタオルや何やら持っていたら、欲しくなるのも当然やん・・・。

 

複雑な心境でした・・・。

 

やるせない気持ちで、帰りました・・・。

 

・・・

 

お昼ご飯を食べた後、一人部屋で横になっていました・・・。

 

(いつもの施設のあの人、今日あれしとらんな・・・。あの子の頭、今日洗ってないなあ・・・。全身動かないあの人にマッサージ今日やっていないなあ・・・。)

 

・・・

 

いつも働く施設の人達の顔が頭を過ぎる・・・。

 

でも、自分自身、久しぶりに子どもと走り回り正直、疲れていました。

 

気持ちの問題もあってか、笑顔になれる気もしません・・・。

 

(このまま、寝よっかなあ・・・。)

 

色々考えたけど、やっぱり午後、施設に向かうことに決めました。

 

部屋を出て、オートリキシャを拾って、午後3時。

 

一人、施設に着きました。

 

そして午前中出来なかったことを全部やりました。

 

頭を洗ったり、マッサージしたり、便所に連れて行ったり、オイルを塗ったり・・・

 

し終わった後、笑顔をくれる人が中にはいます。

 

・・・

 

仕事を終え、外に出ました・・・。

 

不思議なことにあんなに来る前、疲れていたはずなんですが、終わってみるともの凄く元気になっている自分に気づきました・・・。

 

(あれっ?)

 

・・・

 

本当に何気ない笑顔、ただそれだけやのに・・・。

 

・・・

 

「与える以上のものを与えられる。」

 

それはお金では買えないものなんでしょうか・・・。

 

「痛いと思うまで愛しなさい。」

 

「愛するということは甘いものではなく、覚悟と努力がいるということ。」

 

・・・

 

このマザーが語った言葉の意味が、日々を重ねるにつれてなんとなく分かってくるような気が・・・。

 

足のない老人に、結核を患った青年に、頭の半分が皮膚ガンのような青年に、200人の「貧しい者の中で最も貧しい者たち」が、こんな自分に教えてくれます・・・。

 

ボランティア最終日前日の夕方、一人笑顔で宿へ帰りました・・・。

衝撃でした・・・

 

・・・

 

マーケット沿いの夜道を歩いていた時のこと。

 

人がごったがえる中、ラジオのスピーカーから何かお祈りのようなものが流れていました。

 

(おそらくイスラムだろう。)

 

見ると道の真ん中を30歳くらいのインド人が車の付いた荷台を紐で引っ張っているんです。

 

その中に25歳くらいの男の人が仰向けで寝ていた。

 

手足がない。

 

 

顔と胴体だけ。

 

 

その体の上にお金を入れてもらうカゴ。


横には祈りのようなものが流れるラジオ。

 

 

人ごみの中を引かれていく。


道行くインド人が小銭を投げ込む。


悲しそうな顔してた。

・・・


思わず立ち止まりました

 

下を見るとサンダルを履いた自分の両足がありました・・・。

ちょっと力入れて自分の両手を確認しました・・・。

日本の生活を思い返しました・・・。

何でも出来る環境に改めて気づきました・・・。

自分が荷台に乗って引かれていく姿を想像しました。


・・・


「くよくよしている場合じゃない」って強烈に思いました。


・・・



あの悲しそうな顔が僕に無言で訴えてくる。





「なんで?」って。

・・・

インドで出会った2人のボランティアの方を紹介したいのでします。

 

一人目は同じ施設で働くドイツ人のお爺さん。

 

インドにもう10年間住んでボランティアをしています。

 

もの凄く元気で優しいお爺さん。

 

元神父さんだって。

 

「なんでここで働こうと決めたと?」と聞いたら、こう言われました。

 

「自分は神父として聖書の教え(貧しい人を助けること)を説いてきたが、一度もそういった人たちに触れたことがなかった。だからここに触れにきたかった。」

 

この施設では結核患者もいるので、マスクをした方がいいんです。

 

でもこのお爺さんはマスクを付けることを頑なに拒みます。

 

なぜって・・・シンプルに「自分の笑顔を見せたい」だって・・・。

 

200人ほどの男性患者さんがいるこの施設の中を、まるでディズニーランドにでも来たかのように、毎日ニコニコしながら歩き回り、皆に声をかけています。

 

・・・

 

ニュージーランド出身の65歳のお婆さんもがいました。

 

 

彼女もかれこれ15年間、インドに住みつきボランティアをしました。

 

昔は母国で囚人のカウンセラーをやっていたそうですが、15年前、マザーに憧れここを訪れて、それ以来ボランティアを続けていました。

 

ある日、片足の患者さんのリハビリのために一緒に病院に連れて行きました。

 

インドの道路はほぼ無法地帯。

 

クラクションを鳴らしながら車が縦横無尽に行き交い、道を横断するのも一苦労。

 

そんな時、「今だっ!」という瞬間、このお婆さんはいきなり僕の手をガシッて握って先導してくれました・・・。

 

もの凄いパワフル。インドの街を颯爽と歩いていく・・・。

 

(こんな大人になりたいな・・・。)

マザーテレサの施設では、毎週日曜日にシスターがマザーの生前のお話をしてくれます。

 

マザーテレサが大切にしていたこと、エピソード、現代社会へのメッセージ等、シスターがシェアをしてくれるんです。

 

シスターの中には日本人のシスターもいて、お話をしてくれました。

 

あるエピソードがとても印象深かったので、ここで紹介します。

 

・・・

 

その昔、マザーの施設の一つである孤児院に砂糖が底を尽きてしまいました。

 

それを新聞の告知か何かで知った地元の3歳の男の子が、母親に言ったといいます。

 

「僕はこれから3日間、砂糖を我慢して、貯めた砂糖をマザーにあげる」と・・・。

 

それから3日間、この男の子は本当に我慢して、それをマザーにプレゼントしたそうです。

 

3日間苦い紅茶を飲んで、甘いものを食べずに、3歳の子どもにとってはどれほどきつかったことでしょうと。

 

貯めた少しの砂糖を持って、母親と共にマザーのもとへ伺うと、マザーは大変嬉しがっていたといいます。

 

「この子は傷つくまで人を愛してくれた」と・・・。

 

シスターが言いました。

 

「3歳の子が3日間貯めた砂糖というものは本当に微々たるものに過ぎません。ひょっとしたらこの男の子はお父さんに頼めばもっと多くの砂糖をマザーにプレゼント出来たかもしれません。でももしそうしていれば、マザーはそれほどまで喜んではいなかったでしょう。・・・「愛する」というと何だか日本では甘い恋愛のような感じがすると思います。でもそうではないのです。「愛する」ということは、覚悟と努力が必要なものなのです。」

 

・・・

 

ふっとあのシャンプーの青年の顔が頭をよぎりました・・・。

 

「愛するということは、覚悟と努力が必要なのです・・・。傷つくまで愛しなさい」

 

・・・

ある日、頭の半分が、皮膚がんか何かで真っ黒な脳みそのような塊がへばりついてる青年の頭を洗うように言われました。

 

見た目、正直、本当にグロテスクで、話しかけることもなく、今まで少しばかり避けていました。

 

(他にも数人ボランティアがいるのに、なんで自分が・・・。もし感染したらどげんしよう・・・)

 

恐れの方が先にきました。

 

でもそのような顔しては駄目だと思い、笑顔をつくり、水場まで連れて行き、一生懸命洗いました。

 

一生懸命頭を洗えば洗うほど、泡と水が飛び散り、自分の手に、顔にかかり・・・

 

陽気に声をかけながら、「僕は君の友達だよ」と偽りながら・・・

 

(ふうー)

 

・・・

 

ボランティアが終わって帰宅したらその絵が思い返され、ご飯食べる気になれず・・・

 

(こんな気持ちでボランティアしちゃいけんやろ?)

 

・・・

 

小さい自分が嫌です。

 

でもそれが正直な気持ちでした・・・。

 

そんな自分を捨て去りたい・・・。

 

(そういえば、あの人いつも一人でおるなあ)

 

(他の人はいつも陽気で笑顔でいるのに、あの人いつも悲しい顔しとるなあ)

 

(子どもの頃はどうだったっちゃろう?)

 

(あげな風になったキッカケってなんやったとかいな?)

 

(皆から避けられてきたけん笑顔がないとかいなあ)

 

(確かに他のボランティアの人も声かけている姿見たことないなあ)

 

・・・

 

一晩中、気がついたらあの人について考えていました・・・。

 

翌朝、また施設に着きます。

 

またあの人の頭を洗うように言われました。

 

何かラグビーの試合前でもあるかのように、気持ちを引き締めました。

 

そして洗った・・・。

 

相変わらず、泡や水がかかってきましたが、昨日よりは大丈夫でした。

 

「OK?」と声をかけても返してくれません・・・。

 

(当たり前かこんな気持ちやったら・・・。)

 

・・・

 

彼の心は一人ぼっちの暗闇なんだろうな・・・。

マザーテレサの施設でボランティア活動を開始しました。

 

毎朝5時起床、シスター達のお祈りに参加します。

 

そこにはマザーが眠るお墓があり、僕は毎朝、マザーのお墓に向かい、日本の無事をお祈りしていていました。

 

 

いくつかの施設があるうち、僕はプレムダンという施設で働くことになりました。

 

そこは結核等の重病患者、四足のない身体障害、精神障害をもつ成人、老人の男女が約400人過ごす施設。

元々彼らは劣悪な環境下で路上生活をしていました。

シスター達がその中でも目に余る者を町中で見つけ、この施設に運んできます・・・。

ボランティアがやることといえば掃除、洗濯、食事の手伝い、マッサージにトイレのお世話など、極めてシンプルで専門性など必要ありません。

 

この施設は病院というよりも「人間らしい」生活への回復、また神様の愛を注ぐ場という感じでしょうか・・・。

 

僕は日本にいた時、介護の経験が全くなく、そのどれもが学びでした。

 

そして自分の小ささに苦しみました。

 
・・・


毎朝、施設まで歩いて行きます。

 

結核を患った青年の身体にオイルを塗ります。

 

もう身体の肉がない・・・

 

鎖骨が、尾てい骨が、背骨がむき出し・・・トイレにももう行けません。

 

おしめのようなものはこの施設にはありません・・・。

 

お尻を拭きました。

 

「うわあっ」って表情になっている自分に気づく・・・。

 

その時、その青年の顔を見たら、僕の顔を見ていました・・・

 

(しまった)

 

笑顔をとっさでつくりましたが、どんな思いで僕を見ていたんだろう・・・。

 

どんな気持ちで僕に接してほしかったのだろう・・・。

 

・・・

 

事故で全身が動かなくなったネパール人の患者さん。

 

食事の時間、寝たきりの彼にスプーンでご飯を口に運びます。

 

タイミングとか、どのおかずを次にあげようかとか、どうやったら食べやすいかとか、こぼさずにするにはどうすればいいだろうかとか、スプーンを口に運ぶまでに、色々なことを考えます・・・。

 

・・・

 

ものがもうしゃべれない、自分で歩くことがもう出来なくなった老人。

 

でも一生懸命、ゆがんだ手を伸ばし、通りがかった僕に何かを訴えてきます・・・。

 

(何をしてほしいとかいな?)

 

言葉はないんですけど、その伝えているものを受け取らなければなりません。

 

想像力を働かせて・・・。


(自分が接している相手はどう思っているんだろう?)


(何を望んでいるんだろう?)

 

(僕に何が出来るんだろう?)


このことを、ここプレムダンの患者さん達が教えてくれます。

 

 

 


その度に小さい自分が嫌になりました・・・。

 

午後、インド、コルカタの安宿に着きました。

 

着くとインド人スタッフや数名の日本人が釘付けになってBBCニュースをテレビで見ていました・・・。

 

画面上、右上のテロップを見ると「日本で史上最悪の地震発生。M9。死者数不明」と・・・。

 

(えっ・・・)

 

画面には津波が田畑を覆い尽くす映像がしきりに流れていました。

 

でもそれ以外の情報が何もありません。

 

場所は東北だという・・・。

 

死者数不明、田畑だけ津波でやられ、人命には異常はなかったんだろうと震災当日、あまり現実味を感じていませんでした。

 

が、しかし・・・。

 

翌日から入ってくるニュースに愕然としました。

 

どこぞこで遺体が200体ほど確認。

 

どこぞこで遺体○○体確認。

 

福島第一原子力発電所の爆発の危険性あり・・・。

 

その知らせを聞くたびに愕然としました・・・。

 

九州で育った僕にとって、東北には身内の人は一人もいませんでした。

 

でも海外でこのニュースを見た僕にとって、この震災は「東北」のことというよりも「日本」のことのように感じて、もう他人事ではありませんでした。

 

すぐに帰って行こうと思いました。

 

家族や知り合いにメールをして現状を確認しましたが、口をそろえて「まだ来るな」という返答が返ってきました。

 

今は自衛隊や専門家が入っているからもう少し待ちなさいと。

 

団体行動の方がいいからNPOなど募集があってからでも遅くないと。

 

今思えばこの忠告はナンセンスでした。

 

でも情報が不確かなインドの田舎町にいた僕にとって、日本からの情報に頼らざる他ありませんでした。

 

(とりあえず1ヶ月、ここでボランティアをしよう。そして一ヶ月後に日本に帰国し、東北に向かおう・・・。)

フィリピンで2ヶ月が過ぎようとした時、そろそろ次の国へ行ってみたくなりました。

 

(質問ばかりではなく、もう自分が動き始めないとっ)

 

色んな国で異文化に触れ、ボランティアをして周ろうって。

 

どこの国に行こうか・・・。

 

日本を発つ前は東南アジアと考えていましたが、僕は当時ある人物の存在が気になってしょうがありませんでした・・・。

 

Selfless」の代名詞、マザーテレサ。


 何故かインドが僕を呼んでいるという気がしました・・・。

 

今思うと、勝手に思い込んでいただけでした。

 

が、当時の僕はマザーの爪の垢でも煎じて飲みたいと思っていたのでしょうか、旅よりも献身的に何かをしたいと思っていました。

 

ビザが発行され、3月11日、遂にマザーテレサが生前活動をし続けたインド、コルカタに到着しました。

 

そう、2011年3月11日・・・。

 

前日の日記には「ビザが切れる5月末までインドでボランティアをしよう。その後は中東、アフリカへ行こう」と書いてありました・・・。

 

まさか翌日に起きる大惨事をこの時は知る由もありませんでした。

KBはどうやって子ども達をガイドしてきたんだろう?

僕はそのスキルを彼から得ようとしていたんでしょう・・・。

「どうやったら子供達をガイドできるんですか?」

単刀直入に聞いてみました。

そしたらこう言われたんです。

「多量の経験が必要だ。」って。

「一番インパクトが大きかった経験って何?」

僕が尋ねると、自分が誤って、間違った判断をしてしまったために子ども(ギャング)を牢屋に送ってしまったことだって。

自分は子供を誤った方向にガイドしたくないって。

もう間違った判断はしたくないって。

だからリーダーシップに関する本を多量に読んで、カウンセリングのセミナーにも参加して勉強したって。

・・・

ちょっと驚きました。

KBはクリスチャンだから、神様のなんちゃらというと思っていました。

(普通の人と同じように、ものすごく勉強してきたんだ・・・。)

・・・

ある日の日曜日の朝、Sunday Worship Serviceに出た。

僕の席の前にはCNN HEROのエフレンが立っていました。

Prayer Songを歌っている最中、何か心の声が聞こえてきました。

・・・

(お前がエフレンになれ。)

・・・

僕がフィリピンに来てから、Learninig Centerの開校式に向けて最終準備をしている真っ最中でした。

彼らは12年間、地道に活動してきて、ついに学校を作ろうとしていました。

毎日そのCenterの図書館の整理をしたり、エフレンの数々の賞状を並べたり、KBの部屋に飾られている教え子との写真を見るたびに、「お前がエフレンになれ」「お前がKBになれ」って声がずっと響いてくるんです。

・・・

(今僕は自分の人生を生きていないのかなあ。)

なんだかエフレンの、KBの人生を生きているような気がしました。

KBは本を読んだり、セミナーに通ったり、独自に努力してきたんだ。

僕みたいに知識もない人間が人の役に立とうと思うならば、人一倍努力しないといけないんだって・・・。
"Everyone was born with pure spirit and innate goodness within.

All you have to do is just use that."

きっとこれは本当なんだろうなあ・・・