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Be Fully Human

「日本とフィリピン社会により広く大きな貢献をする」ことをミッションにした青年による、その実現までの道のりを綴ったブログです。このブログを通して、ひとりでも多くの方が「ごきげん」に人生を送っていただければ・・・、そんな願いを込めてお送りします~。

ある日、KBがこんなことを尋ねてきた。

・・・

「Shin,“Mankind”の意味わかるか?」

「Human(人間)ってこと?」

「そう、でもなんで“Mankind”というかわかるか?」

「『人間という種の』みたいな感じ?・・・」


・・・

「みんな人間っていうのはそもそもKind(親切)なんだ・・・」 

MANILA, Philippines - Shinichiro Matsuguma, or Shin to his friends, has worked hard all his life just to achieve his purpose in life - to be an educator.

Shin belongs to an average Japanese family. When he was 18, he left his hometown to study and work at the same time, and live independently. He knew competition in school was tough, as he was raised in a culture that to be able to survive, one needs to be more competitive and cognizant of opportunities.

But then he realized that there was something wrong with his fellow youth.

"Because of the recession and what happened to our economy, the Japanese tend to be self-minded. Most of the children lose their direction and hardly find the purpose to live. There are those who commit suicide because of too much pressure from their parents or sometimes, from the society," Shin says.

At present, Shin is spending time here in the Philippines to witness how Filipinos live. He goes to the depressed areas, cemeteries, and dumpsites to see for himself how Filipinos survive a life full of hardships and challenges amid poverty and corruption.
* * *
Hero from the rising sun
Em: What can you say about the Philippines?
Shin: Filipinos are known for being hospitable. I also know Philippine tourist places. I saw Boracay, the beaches of Cebu and Samar because I always see it on TV.

Em: Are you here for vacation or for business?
Shin: One place that caught my attention is Payatas, it is famous in Japan. We see it in TV programs in Japan and many Japanese are aware about what's happening in Payatas. I visited Payatas, and also a dumpsite in Cavite with the pushcart of Kuya Efren.

Em: What's with Payatas that caught your attention?
Shin: The poor families and children living in the garbage dump. I want to know what those people feel and experience, and also learn the principles of those who are helping them.

Em: What did you feel when you were in Payatas?
Shin: It was like a dream; I couldn't believe that I was there. There were people who burn tires and garbage at night. Many houses were made of trash and I pity them. But at some point, I didn't really felt sorry because I see the children playing and smiling and it seemed they were having fun. I haven't seen those smiles in Japan, those smiles are like a delightful sun and they looked strong and could bear hardship.

I noticed what true happiness was, it was with their smile. I don't see that in Japanese teenagers.

There are many suicides cases even though they have their own houses, they have enough food unlike those living in Payatas. Some of them commit suicide because they have no purpose to live. What I am trying to say is they see life in a stereotypical way, following what the society dictates, studying and working. If you fail, you are a disgrace and it's a shame.

Here, the children need help because of the situation but they do not give up and that is very inspiring. I want to know how they do that so that I teach my students to be like that and lessen the cases of suicides.

Em:
So you wanted to be a teacher; did you finish your studies?
Shin: Yes, yes. I graduated last March. I just worked for a year to save money to visit the Philippines. I work as a sales person but I resigned before I came here.
* * *
Last December Shin resigned from his work when he earned enough for his tour to the Philippines. He was formerly working with Keyence Company - one of the leading companies in Japan. But he never regretted resigning because it is really his desire to teach and help prevent teenage suicide by teaching them to become a better person. He was inspired by some Filipinos who do advocacy and serve others.

Shin believes that the people here in the Philippines are very selfless and have a purpose in life. He wanted to find out how they make it happen.

This man's dedication to learn and do positive change is so inspiring. He is not just rationalizing things, he think of ways to help his people and how he can give back to his society. In his very own way, Shin is unleashing the hero in him.

(Emanuel Bagual is a freshman college at UP Diliman taking up Community Development. He was nominated for the International Children's Peace Prize in 2009.)

2011年1月、僕は日本を発ちました。

 

この1年をかけて世界を周り、この眼で見て、この足で歩いて、この手で触れて、ここで感じたいと思ったんです。

 

まずは前述の理由のとおり、再びフィリピンへと向かいました・・・。

 



 

前回の訪問からある疑問が頭から離れなかったんです。

 

(どうやってエフレンやKBはあんなSelflessでマチュアなボランティアの子達を教育したのだろう?)

 

当時、日本は死んでいると思っていました。政治の問題なのか、不況の問題なのか、家庭での問題なのか、どんどん自分のことしか考えない、他人の不幸を知らんふりして、自分さえ良ければというような風潮になっている気がしてなりませんでした。

 

それは今も昔もかもしれないし、その流れの中に生きている自分自身もそうなんですが、「公のため、大義のために生きる」ということからあまりにもかけ離れた社会だったように強く感じていました・・・。

 

(こんなトレンドを断ち切りたい。)

 

でもどうすればいいのかわかりませんでした。

 

KBやエフレンのもとで学びたいと思って飛び出しました。

 

そして実際にエフレンやKBと再会を果たし、2人に毎日質問をしたり、ボランティアをしている10代の子達にも質問したり、バイブルを読み続け、それから2ヶ月間、カビテ州の小さな町で「人のために生きる」とはどういうことかを考え続けました・・・。

 

・・・

 

その中で驚いたことがありました。

 

エフレン、KBをはじめ色々な人に個別に質問して話してとしていると、みんな口にすること、共通することがあることに気がつきました。

 

そしてそれはあまりにもシンプルなことだったんです・・・。

 

「どうやったらSelflessな人間を育成できるのか?」

 

一人の例外もなく、皆こう答えました。

 

Be a good example.”って。

 

We cannot teach them to be selfless, but we can teach them by showing them."って。

 

「まずは自分が示せ」って。

 

「僕等は人をSelflessにすることなんて出来ないよ。でも「示すこと」は出来る。先ずは自分が人のために動くんだよ。周りは見ているから。そしてもし見ていた人、親切にされて嬉しかった人がいたら一緒に巻き込んで、最後は彼らだけでやるのを見届けるんだよ。」って・・・。

 

ここを訪れるまでもっと大それたことだと思っていました。

 

なにか教育機関を作って、訓練やカリキュラムを作ってって・・・。

 

(そうじゃないったい。)

 

単純なことでした。

 

(自分自身が目の前の人のために生きればいいだけのことだったのか・・・。)

 

それ以上でもそれ以下でもないような気がしました。

 

皆言っていました。

 

「KBが示してくれたから。」

 

「エフレンが助けてくれたから僕も他の人を助ける。」って。

 

KBも何人かとストリート・チルドレンへの教育活動をし始めた時、団体の名前もこんな大きな組織(フィリピン中で今や有名な団体)をつくるつもりはなかったらしいんです・・・。

 

(何も特別なことじゃないったい。ただ周りにいる人のために生きればいいだけったい。)

 

Be a good example.

 

まずは自分から。

 

周りがどうの、社会がどうのではなく、それが一番大切なことなんでしょうね・・・。

 

そんな単純なことに、馬鹿な僕は初めて気づきました。

決意はしました。

 

年末で目標金額に到達することはわかりました。

 

それから来年一年間は先ず世界を見て周ろう。

 

そう決めました・・・。

 

でもその年末が近づくにつれて、夜が更けていくにつれて、どんどん臆病になっていく自分もいました・・・。

 

(怖い・・・このまま流されて淡々と生きていけば楽やのに・・・安定して生きていけるのに・・・なんで敢えて外に出ようとする自分がおるとかいな・・・。ひょっとしたら将来食っていけないかもしれん。ひょっとしたらその地で死ぬかもしれん。ひょっとしたら・・・)

 

考え始めたらきりがありませんでした。

 

どんどんどんどん臆病になっていく・・・。

 

弱虫な自分がどんどん出てくる・・・。

 

こんなことをここに書くのも、恥ずかしい・・・。

 

・・・

 

11月中旬、上司に退職を告げるか決め兼ねていた時、仕事帰りに親に相談しようと電話をしました。

 

「どげんしようかまだ迷いよるったい・・・」

 

恥ずかしいがまだうじうじしていました。

 

そんな時、母親にガツンと言われました・・・。

 

「アンタ人生どげん偉くなろうが皆80歳そこらで同じように死んでいくとばい。同じように死んでいくんやったらアンタは面白く生きなさい。」

 

・・・

 

(「面白く生きろ」って・・・。)

 

このご時世、親が子に対して言う適切な助言かどうかはわかりませんが、僕は母親のこの言葉にもの凄く背中を押されました・・・。

 

11月下旬、引出しに大切に締まっていた成績表を全て破りちぎりました。

 

(過去にしがみついたら自己を見失う。)

 

覚悟が心に宿った時でした・・・。

 

12月末に退職したい旨を上司に告げ、12月吉日、僕は会社を出ました。

 

その時の日記がありました。

 

当時の馬鹿な僕の想いをここに記しておきます。

 

『今を生きる』

12月22日、俺はひとつの決断を下した。

「退職」。

俺は会社を出た。

このまま続けることも出来た。

「激務」と聞いて入社した会社は激務ではなく、ちゃんとレールに沿っていけばいいだけだった。正直、もっと厳しいものだと思っていた。

「教育」というものに人生捧げたいのに、敢えて飛び込んだ。

同期は有名どころの大学出。

経済学部や経営学部と、言語学を専攻していた僕にとって、とても超えられない存在にうつっていた。

でも蓋を開けたら違っていた。

この不況な時代には考えられない程の給料ももらえる。

でも、先が見える。

人生先送りにして、今をただ漫然と生きる。

それが面白くないったい。

どうも器用に生きられん。

いろんな人に言われた。

「もったいない」って。

「こんな時代やのに」って。

周りによく思われたいという卑しい気持ちが出てきたら、自己を見失う。認められなくてもいい。

認めさせない。

そのくらいが丁度いい。

最低限の費用が貯まったなら、もう次に走るべきだ。

自分の中に沸き上がるほど、この日本に対してぶつけたいものがある。

それにさらに油を注ぐには、この行動しかない。

こんな時代にするからこそ、意味がある。

こんな腐った時代に迎合する気はサラサラない。

ある芸術家が言った。

「結果がまずくいこうがいくまいが構わない。まずくいった方が面白いんだと考えて、自分の運命を賭けていけば、いのちがパッとひらくじゃないか。ほんとうに生きるということは、自分で自分を崖から突き落とし、自分自身と闘って、運命をきりひらいていくことなんだ。それなのに、ぶつかる前からきめこんでしまうのは、もうその段階で自分の存在を失っている証拠じゃないか」と。

来年の1月、ある国に飛ぶ。

そこに尊敬してやまない教育者がいる。

その方の哲学、考え方は今の日本社会にとって、非常に重要な意味をなすものだと強く感じる。

その方のもとで、今しばらく勉強しよう。

安全な国じゃない。

その地で殺されるかもしれない。

でも行くしかない。

もう決意は固まったのだから。

2010年10月。

 

下期に入った秋口、僕はある芸術家に出会いました・・・。

 

前衛芸術家、岡本太郎。


 

出逢ったといっても本の中でですが。

 

大学時代に読んだ岡本太郎のある本をなぜか無性に読みたくなって書店で買いました。

 

一度は読んだことのあった本だったのですが、読み始めた瞬間、胸ぐらを掴みえぐられたような感じになりました・・・。

 

「“いずれ”なんていうヤツに限って、現在の自分に責任をもっていないからだ。生きるというのは、瞬間瞬間に情熱をほとばらせて、現在に充実することだ。過去にこだわって、未来でごまかすなんて根性では、現在を本当に生きることはできない。(中略)人間がいちばん辛い思いをしているのは、“現在”なんだ。やらなければならない、ベストをつくさなければならないのは、現在のこの瞬間にある。」(自分の中に毒を持て―あなたは“常識人間”を捨てられるか』青春文庫)

今の自分の在り方に突き刺さるような言葉の数々・・・。

 

読むたびにぶん殴られ、鼓舞されているかのようでした・・・。

 

それから僕は毎晩、毎週末、岡本太郎の本を買いあさり、読みふけ、対話しつづけるようになりました。

 

「芸術は爆発だ」という言葉の意味。万国博で創られた「太陽の塔」の社会的メッセージ。「アンチ日本人」になると覚悟を下して臨んだ第二次世界大戦・・・。

 

そのすべてが僕にとって強烈なメッセージでした。

 

「「君のここの部分が分けがわからないのは、モチーフをはっきりつかんでいないからだ。モチーフと技術がずれている。それが自分で分かっていない。」モチーフというのは、言い換えると、どれだけその人に、「表現したい」「表現しないではいられない」という内的欲求があるのか。それと社会に対してどういうことをいいたいのかというメッセージ。「どういうことを言おうとしているのか、自分でつかめないのに、人に伝わるわけがない。」

 若者たちによくそう言っていました。自分が何をやりたいか、何を伝えたいのか分かっていたら、技術は後からついてくる。それは突き詰めれば「どう生きるか」ということ。どんな姿勢で、どんなふうに社会に向かっているのか。それはただデッサンとか色がどうとか、技術的なことを追い求めても見つからない。何をどういうふうに表現したいかは、自分で見つけるしかない。自分で発見し作り出すしかないと心底思っていた。太郎さん自身も、青春時代に悩み、苦しみ、もがき、闘いながら見つけてきたわけですから。だからアカデミズムとは対極にある。「美術学校に入りたいんですけど」などという若者がいたら「そんなことやっているからダメになっちゃうんだ」と答えていました。どういうふうに陰影をつけたらいいのか、どう色の配分をしたらいいのかといったことを手先だけでやっているうちに、自分が何を表現したいのかがだんだん鈍らされていく。それより自分は何を伝えたいのかをもっと考えるべきだ。つまりどう生きるかをもっと真剣に問い続けろと。」(岡本敏子『岡本太郎~岡本敏子が語るはじめての太郎伝記~』アートン)

「人生はキミ自身が決意し、貫くしかないんだよ。」(『壁を破る言葉』イースト・プレス)

 

「誰でも「誤解されたくない」と言うだろう。「私はそんな人間じゃありません」なんて憤然としたり、「あいつはオレを誤解している」と恨みがましくめそめそしたり。だけど、じゃあ自分の知っている自分って、いったい何なんだい?どれだけ自分が解っている?せいぜい、自分をこう見てもらいたいという願望のイメージなんだよ。そんなものは叩きつぶしてしまわなければ、社会とは闘えない。自分がどう見られているかじゃなくて、自分はこれをやりたい。やる。やりたいこと、やったことが自分なんだ。」(岡本敏子『いま、生きる力』青春文庫)

 

「どう生きるのか?」ということを徹底的に考えた1ヶ月間でした。

 

10月、10冊以上は読んだでしょうか・・・。

 

(最低限の資金を貯めたら外に出よう。先ずは自分の目で世界を見よう。)

 

・・・

 

秘かにそう決意しました。

ガムシャラに働いていたある夏の日、突然春に訪れたフィリピンのKBから連絡がありました。

 

聞くとテレビ取材の依頼でした。

 

日本人が遥々訪れ、フィリピン人から学ぼうとした姿勢が印象的なことだったようなんです・・・。

 

何故フィリピンに行ったか、そこで何をしたか、今、何をしているのか等をテレビ電話を通してインタビューをしたいという内容でした。

 

承諾して実際にインタビューを受け、後日その放送を見ました・・・。

 

画面には僕の姿が映っていて、フィリピンでのことなど話した後、「将来の夢は日本で学校を建てたい」等、将来の夢について語っている自分を見ました・・・。

 

もの凄い自己嫌悪に・・・。

 

(何嘘ついとるとやコイツ。)

 

(将来のことって嘘やん。今なにもやってないやん。)

(今お前メーカーの営業しよるとぜ。教育うんぬんって・・・何もしてないやんか。)

 

・・・

 

口だけ人間。

 

一人部屋の中で頭を抱えてました。

 

・・・

 

(何言ってんだろ俺・・・)

 

・・・

 

よく売る営業マンの先輩に言われました。

 

「営業マンなんて皆嘘つきやで」

 

「まだ金額引けるのに「もう精一杯です」とか駆け引きで言うやろ?嘘やで嘘!」

 

・・・

 

誰もが商談の最後に通らないといけない価格交渉。

 

この駆け引きがうまい人が俗にいう「トップセールスマン」になるのでしょうか・・・。

 

顧客の前では「金額、今回はかなり頑張りました」と言い、社内に帰れば「余裕やで」と胸を張る。

 

綺麗ごとだけでは「トップセールスマン」にはなれないのでしょうか。

 

少なくとも僕が所属していた会社では・・・。

 

・・・

 

上期が終わり目標金額を超える数字を売りました。

 

でもその過程では嘘もたくさんつきました。

 

それを交渉と呼ぶかどうかは人それぞれだと思いますが、僕はそんな自分がもの凄く嫌になりました・・・。

 

・・・

 

皆、よく「よきセールスマンとは何か?」という主題のもと議論します。

 

果たして僕はよきセールスマンになりたいのだろうか・・・。

 

「交渉力をつけたい」

 

「トップセールスマンになりたい」

 

「お金を稼いで家族を幸せにさせたい」・・・

 

この思いがあるから人は頑張れるのでしょうか。

 

この「したい」という思いが自分を自分で前に推していく力となるんでしょうか。

 

果たして僕はこの会社の中で何が「したい」んだろう・・・。

 

何をやっても考えても最後に襲われる「虚無感」・・・。

 

よく「やりたいことがわからない」とか「なりたいものがない」とかいうことを学生間で耳にすることが多かったのですが、僕はずっと「教師になりたい」という「したい」ものがあって、ない人の気持ちがわかりませんでした。

 

会社に入って何となくわかった気がするんです・・・。

 

目指すべきものがない人生ほど虚しいものはないなって。

 

逆に「目指すべきものがある」「したいことがある」人はとてつもなく強いんだろうなって・・・。

「目指すべきもの」「したいこと」一言でいうなら、やはり「夢」。

 

この一文字に最後は行き着くのかなあ・・・。

 

またそれかと言う声も聞こえてきますが、人は理屈では動かない存在なのかな、これを持ち、それに向かって努力している人は如何なる人でも美しいなあ・・・。

 

・・・

 

僕等は生まれて死ぬまでの限られた時間の中を「現代」という歴史の中で生きています。

 

色んな考えもありますが、やはりこれを見つけられるかどうかというのは、早い遅いに関係なくとても大切なことなのだと改めて思いさせられました。

 

果たして僕は「トップセールスマン」になりたいんでしょうか・・・。

 

Death is not the greatest loss in life. The greatest loss is what dies inside of you while you live.

2010年4月、フィリピンの活動とは正反対(と当時は感じていた)のことが始まります。

 

企業の新入社員となりました。

 

いずれ辞めることは述べていましたが、中途半端なことをしていては何も意味がないと思い、ガムシャラに働こうと決めていました。

 

最初の1ヶ月間の研修期間では業界・製品知識を勉強するんですが、誰よりも勉強して毎日行われるテストでも常に1位をキープしました。

 

配属先の広島営業所に移ってからも、迷いなしで貪欲に働きます。

 

勉強しました。

 

この会社は新人だろうが6月から単独で営業に行かせてくれたんです。

 

いざ実践の営業活動へと入っても、売れるところはないか、電話をかけ訪問し、北へ南へ東へ西へと駆け巡りました。

 

土日の休日ももちろん業界の勉強もしました・・・。

 

結果、成績も常に同期で一位、営業所内でも一個上の先輩の成績を抜きました・・・。

 

今、ここまで読んでくれた方にとって、すこぶる順調なスタートを切ったかに感じるかと思います・・・。

 

が、しかし・・・。

 

なぜか「虚無感」しか残らないんです・・・。

 

本来、一生懸命努力し、結果が出たら人間、誰しもが嬉しいものだと思います。

 

努力した先に得られる達成感や感動、これを集めていくことが「人生」だと思い込んでいました・・・。

 

一生懸命努力しているのに、嬉しいとか「よっしゃ!」という感情が何も起こらない。

 

(あれっ?・・・)

 

全力で振り上げた拳がどこにも当たらないような・・・

 

虚無感しか残らない・・・。

 

何か無表情になっていく自分がいました・・・。

 

自分をこのフィールドで生き残らせるために、感情を本能的に殺している自分もいました・・・。

 

どれだけ働いても虚無感しか残らないんです。

 

(なんでやくそっ・・・)

 

Courage and effort are not enough, without purpose and direction.

(勇気や努力だけでは十分ではない。そこに目的と方向性がなければ。)

 

インドのとある学校に貼ってあったポスターの言葉を思い出しました・・・。

 

目的と方向性か・・・。

フィリピンでエフレン、KBをはじめとするDTCのメンバーから「人のために生きるとはどういうことなのか」ということを目の前で示されました。

 

そして僕にもそのことを感じ取らせてくれました。

 

彼らの優しさ、思いやりに触れ、自分の小ささを、今までの自分がとってきた自己中心的な行動を振り返り、そしてそれを恥じました・・・。

 

心に杭を打つために行ったフィリピン。

 

明らかに打ち抜かれすぎた感は否めなませんが、これから彼らから学んだことを、日本で実践していかないと・・・。

 

とにもかくにも、先ずは帰国後、いよいよ社会人になるんだなあ・・・。

 

毎週土曜日のボランティア活動は4ヶ所で行われるんですが、どこも終わり方は決まっています。

 

グループに分かれ勉強している子ども達がスタッフに連れられ、全員が1ヶ所に集まり、その数なんと200人ほどの大きな集団となります。

 

そしてその集団の前に立つボランティアのリーダーが、高らかと国旗を掲げ、全員が一斉に国歌を唄いだすんです。

 

国家からはお荷物のように扱われるストリート・チルドレンの子ども達も胸に手をあて、国旗を見上げ唄っています。

 

自分達は「フィリピン人」なのだという誇りをもって、皆が唄う。

 

この国歌、国旗には様々な規制が法律で決まっているらしいんです。

 

例えばフィリピンの国旗を地面に置いたら、その人は逮捕されるとか。。

 

フィリピンの国旗には赤と青の色があります。

 

赤は戦争を、青は平和を表しているそうです。

 

青が赤よりも上に位置しているのは、現在が平和であることを意味しているといいます。

 

フィリピンはその昔、スペイン、アメリカ、そして旧日本軍に占領されていたという歴史を持ちます。

 

幾人もの英雄達が自身の命と引き換えに、この国の独立を果たすために戦ったという歴史の事実が、今日のフィリピン人に自信と誇りを与えているそうです。

 

それは貧富の差に関わらず、フィリピンという地に生を受けた一人ひとりの心の中に宿っていました。

 

この200人の大合唱は、その誇りを分かち合う、なにか神聖なオーラを放っていました・・・。

 

何か羨ましかったです・・・。

ある日の夜、ゴミ山でエフレンの人生ストーリーを題材にしたドラマの収録があるということで、ついて行き、海のように広がるゴミ山に向かいました。

 

夜のゴミ山は昼間とは違い、異様な雰囲気が漂います。

 

空には満天の星が不気味に輝き、あちらこちらのたき火から煙が上がる。

 

子ども達は眠る気配もなく、たむろして遊んでおり、収録ロケに興奮した人だかりができていました。

 

ゴミ山の上に並ぶ家々は、ありとあらゆるゴミを用いて作られており、衛生的に良くないのは見てすぐにわかるんですが、何か「かわいそう」というよりも、「人間って強いんだな」と感心してしまったのが正直な気持ちでした・・・。

 

というのも、僕の前を行き交う、そこで暮らす子ども達、若者達、大人たちが、何故か笑顔なんです・・・。

 

(えっ・・・)

 

なんでこんな環境で暮らしているのに、見たこともないような笑顔で僕に笑いかけてきます・・・。

 

そして確かに少なくとも「生きて」いました。

 

その時ふっと聞こえてきたんです。

 

(あれ?)

 

「日本人は死んでいる。」

 

・・・

 

モノが溢れ、「豊か」とされる日本の子ども達は自らの手で自分の命を絶っているという事実・・・。

 

しかも「就活が失敗して」という理由でも・・・。

 

フィリピンの子ども達と同じモノサシで測れないことは百も承知です。

 

今、日本で生きている子ども達や若者達も目には見えない形で様々な苦しい思いに苛まれているんだろうなあ・・・。

 

モノがあることが当たり前の中、生まれてきた僕達も、それがゆえに引き起こるまた新たな複雑で深刻な問題を抱えて生きている・・・。

 

今、まさにこの瞬間も・・・。

 

僕は遠く離れたフィリピンのゴミ山の上で、部屋に閉じこもって下を向いた日本の子どもの姿が脳裏をよぎった・・・。