Be Fully Human

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「日本とフィリピン社会により広く大きな貢献をする」ことをミッションにした青年による、その実現までの道のりを綴ったブログです。このブログを通して、ひとりでも多くの方が「ごきげん」に人生を送っていただければ・・・、そんな願いを込めてお送りします~。

Amebaでブログを始めよう!
こんにちは!

こちら九州は桜の花を咲きはじめ、ポカポカ陽気な日となってきました。

今回、東京でまた新たなスタートを切るにあたり、ブログ心機一転しようと思いました。

新しいブログは以下のリンク先になります。

↓↓↓
『Vision 2020 ~見える人も見えない人も~』
http://ameblo.jp/positive-vision-2020

これから大学院での研究内容など、そちらの方に書き綴っていこうと思っています!

またそちらでお会い出来ればと願っています~!

今後とも宜しくお願いします!!

まつくま

ご無沙汰しています!

ようやく春の風が感じられる日になってきましたね。

皆さん、おげんきですか?

2015年4月から、東京に移り、新しい扉を開くことになりました。

またおいおいそのことは、書き綴っていこうかと思いますが、これを機にしばらく遠のいていたブログを再開していこうと思います。

昨年一年間で、自分自身の考え方も180度変わったり、色んなことに関心がいったり・・・、昨年はあまり更新できませんでしたが、今年はしっかり更新していきます~。

数日後にデザイン等も変えて、過去の記事も整理して、心機一転やっていきます!

宜しくお願いします~♪

新年、明けましておめでとうございます。

長らくこのブログを更新していませんでしたが、皆さんお元気でしょうか?

こちら九州は寒い日が続き、インフルエンザも流行っては来ていますが、太陽の光がさんさんと降り注ぎ、気持ちが良い日が続いています。

さて、新年はじまってすぐですが、このブログ、ここでいったん幕を閉じようと思います。

フィリピンの台風支援から始まった昨年、自分にとっては転機となる1年間でした。

「苦しみの先に幸せや成長がある」という価値観をずっともっていましたが、その価値観が崩れ落ちた1年でした。

「苦労の先には苦労しかなく、幸せの先に幸せがあるんだ」ということを身をもって学んだ一年でした。そしてそのことに気づいてしまった今、何か一つの章が幕を閉じたなって感じがしており、その感じと一緒にこのブログもひとまず閉じようという気持ちになりました。

今までこのブログに立ち寄って頂き、本当にありがとうございました!!

この続きは、またこの春くらいからしっかり別の場所で書き綴っていこうと思います。

心が明るく軽くなるような、春風と共に・・・

またお会いしましょう!

アディオス~♪
鳥は海では飛べないし、魚は空では泳げない。

つまり、鳥には空という環境(フレーム)が必要で、魚には海というフレームが必要だと。

・・・

海にいる鳥、空にいる魚。

鳥も魚も悪くない。

ただ環境に合っていないだけ。

・・・

これをフレーミング理論というそうです。

・・・

うん、納得。
8ヶ月ぶりに東北、宮城県石巻市に帰りました。

震災から3年5ヶ月。

震災前に戻っているところ、何も手つかずなところ、集落が消えていたところ、建物は復興しているけど、心の復興ができていないところ…一言では片付かない「現実」が目の前にありました。

今朝、震災当時に瓦礫だらけだった田んぼの畦道を、一人で歩きました。

以前は瓦礫が突き刺さっていた田んぼ。

今では青々の稲穂が風に揺られています。

歩いている時、空を一羽の鳥が飛んでいきました。

羽をばたつかせ、一生懸命大きな羽を動かし、大空の中、飛んでいきました。

どれが正しい道かもない大空の中を懸命に羽をはばつかせ飛んでいる鳥を眺めていると、「ああ、生きるってこういうことなんだろうな」って…。

今の自分は懸命に羽をふっているのかな…??

あてもない空を懸命に飛んでいく鳥。


どこまで遠くへ行けるのかなぁ…


そんなこと考える時間ももったいないと言わんばかりに、黙々と懸命に羽を羽ばたかせ、目の前を通りすぎていきました。

8月6日、明日から11日間の夏休み。

これから台風に先だって、九州から東北、宮城県石巻市を目指します~。

被災地では震災から3年経った今、色々な問題が出てきているようです。

・・・

「東北のために」

頭の中の概念でしかない「東北」のために僕は何も出来ません。

でも具体的に宮城県石巻市〇〇の〇〇番地の〇〇さんのためなら、なんか出来そうな気がします。

東北は国内であるにも関わらず、ちょっと遠いなあと思い始めている自分に気がつきました。

これはやばい!(><)

行ってきます~♪

Generation (ジェネレーション)

「世代」という意味ですが、1世代って英語では「30年」なんだそうです。

つまり、人間は「30歳で1つの人生が終わる」と考えてもいいんでしょうか。

「30歳」単位で考えると、もうすぐ最初の人生が終わるんだなあ。

次の人生、31歳から60歳までかあ・・・。

・・・

過去にしがみつかず、今を善く生きたいものですね。
福岡の中心地、天神。

大通りに沿って建ち並ぶビル。

その中の一つのビルに福ビルというビルがあり、いつも夜になると一人のおばあちゃんが台を出して座っています。

占い師、通称「天神の母」

夏の暑い日も冬の寒い日も、いつもそこに座っているおばあちゃん。

僕は人生は自分の意志で切り拓いていくものと思っている傍ら、見えない世界もあると思っているので、手相とか、占いっちゅ~やつが結構好き。

ほんとたまに天神の母のおばちゃんに会いに行ってお話するんですが、今日天神に出た帰りに久しぶりに話しに行きました。

将来のこととかも色々相談のってもらいましたが、フッとなんでおばちゃんが占い師になったのか?とおばちゃんのストーリーに興味がわいてしまい、逆質問みたいに聞いてしまいました。

「おばちゃん、なんで占い師になったと~?」(小生)

そのストーリーがまた興味深かったんです。

今、76歳のおばちゃん、戦前に産婆さんの手によって生まれたらしいのですが、身体が病弱でもう10日くらいで命がなくなるから、押し入れにでも入れておきなさいと言われたらしいんです。

でもお父さんが懸命に看病してくれ、生き長らえることができ、よく小さい頃にその産婆さんから「あの子が・・・」と言われてたらしいんです。

でもまた23歳の時に結核にかかり、もう駄目だということを言われ、病院で闘病生活。

本当に死を宣告されていたらしいのですが、ある日、夢で滝を昇る赤い蛇を見て、昇った先に観音様がいたというんです。

「きれいだった~・・・」

翌日に病気が治り、また生き長らえることができたそうです。

そして闘病生活を終えた26歳の時、一般的な仕事をしてもうまくいっていなかった中で占い師さんに占ってもらい、この道を勧められたというのです。

それから修行を積み、35歳から今までの41年間、天神に腰をおろし、人の悩みを聞き占ってきたとのことでした。

76歳の今も年に3回滝に打たれ、修行をされているというのです・・・。

・・・

(いや~面白いなあ・・・)

・・・

おばちゃん、「自分は生かされていて、これがこの世における自分の役割だから」っていいながら結核時に患った後遺症の跡をさすり、僕にお話してくれました。

・・・

改めて思います。

「この社会で何の役割を担っているか?」

それを掴めた人って、本当に自分らしく輝いているなあ。

・・・

このおばあちゃんも「社会人」。

何千何億通りの生き方があり、きっとそれぞれに大切なことがあるってことを、このおばあちゃんから学びました。

・・・

「自分の役割を全うした時にお迎えが来るから、それまではどんなにきつくても生きていかないかんよ」

・・・

おばちゃん、また来るけん。
先週末、アメリカのバーモント州にある大学院で卒業セレモニーが行われました。

僕は昨年末12月に修士論文を提出し修了しましたが、もしアメリカに残っていればこのセレモニーがいわゆる「卒業式」にあたるものになっていました。

アメリカから素敵な写真が一枚。



ちょっぴりセンチになってしまう今日この頃でした。

昨晩、姫路の大学時代のラグビー部の同期から電話があり、彼のおばちゃんが他界されたということを聞きました。

難病を患い、あと2年と言われていたところ5年以上、闘病生活を送りながら優しく強く生きてこられたおばちゃん。

臨床心理士として笑顔で温かく、そしてユーモアに溢れながら生きてこられたおばちゃん。

僕自身もよくお世話になっていました。

特に会社を辞めてフィリピンに戻った2011年。

フィリピン、インドと飛んでいるときにあった東日本大震災。

急遽予定を中断して日本に帰国し、東北に向かおうと。

東北へ向かう直前の2011年4月、僕はおばちゃん宅にお世話になりました。

当時の僕は、無職。

海外で何も成し遂げていない中帰国して、周りは働いている中、これから東北に向かおうとしていた時でした。

右も左もわからず、本当に迷っていた時期で、自己嫌悪に陥っていた時でした。

ふつうだったら「お前、無職なんだからボランティアとかいかずに働け」と言われる立場で、何か周りに申し訳ない気持ちで小さくなっていく自分がいた時でした。

でもおばちゃんと僕のラグ部の友達は、そんな僕を何一つ否定せずに、温かく受け入れてくれ、無職の僕に飯を食わせてくれ、布団で寝かせてくれ、お風呂までいただき、東北で使うための一人用のテントを渡してくれました。

その時の感謝が、やっぱり今でも忘れられません。

本当に、忘れられません。

・・・

姫路に日帰りで行き、おばちゃんのお通夜に参列させて頂きました。

本当にいい笑顔をしている遺影に、多くの参列者の姿・・・。

本当に温かい人生を送られたんだなあ・・・。

僕のお世話をしてくれた時も、ずっと闘病生活だったんだって、おばちゃんの人徳、懐の深さに、本当に言葉には表せない感情が込み上げてきます。

人は死ぬとき、その人の本当の真価が問われると、聞いたことがありますが、ホントなんだなあ・・・。

・・・

やさしい笑顔のおばちゃんの遺影。

「人間は温かい、そしてそれが人間たる所以だよ」

そんな言葉が、聴こえてきました。

ここ最近、忙しさやリバースカルチャーショックもあり、心にゆとりがなくなり、カリカリカリカリしていました。そしてそれが目の前にいる生徒にも伝わっていたんじゃないかって思います。

なんか、人間として本当に大事なものを思い出させてくれました。

そして「温かく生きよう」と改めておばちゃんの遺影に心の中で誓ってきました。


おばちゃん、安らかに・・・。

そして、これからも、心の中で生き続けて。