声、語り、歌、ヴォイストレーニング1日1話 -3ページ目

声、語り、歌、ヴォイストレーニング1日1話

歌手、声優、俳優、芸人、ビジネス、一般、声に関心のある人に。
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日本で評価されなかった中丸三千繪さんの声

 

 かつて世界の4大コンクールを制したソプラノ歌手の中丸三千繪さんのインタビューでの話です。

4大コンクールとは、ルチアーノ・パヴァロッティ、マリア・カリニア、フランチェスコ・パオロ・ネリア、マリア・カラス国際コンクールと、オペラ歌手の登龍門といわれるコンクールです。

彼女は、この全てで優勝しました。(1988~1990年)

 

 「私は、日本でいい声と言われたことは一度もないのに、イタリアでは皆が『ベラ・ボーチェ(いい声)』と言ってくれた。私は、日本にいたときは、先生にいろいろ言われても自分の考えは決して変えませんでした。そのため、全くいじられていない声、それがあちらでは非常によかったというわけです。」

 

 「実は、日本人がいい声だといっているような声は、イタリア人からすると、全然、芯のない声なんですよ、ベルカントというのは芯のあるハガネみたいな声ですから。」

 

 「二期会の研究所にいたとき、私が留学してコンクールを受けようと思っていると言うと、ある女の先生に、そんなことを人前で言うと気が狂っていると思われると言われました。」

 

 「私の声そのものは、今も大学のときと変わっていないわけです。」

 

 どうでしょうか。これだけで判断するのはよくありませんが、

日本の声楽界で、この程度の器量の狭さ、見識のなさです。

教える人の声のよしあしというのが、日本独自のものであれば、どうにも通用しません。

 

 まして、ポピュラーを歌う人について、誰がどのくらいわかっているのかというと心細い限りです。

 日本人には日本人の好む声や発声というものがあるということで終わらせるのは簡単です。

 

 しかし、それが、世界のなかで、唯一、ことばと音楽がかけ離れたまま、

歌を本心から楽しめない原因になっているとしたら、

大きな意識革命も必要ではないでしょうか。

 

本当によい声とは

 

 私がよい声だと思う声は、従来、日本でよい声だと思われてきた声と少々違うかもしれません。

なぜなら、私は、日本人の生声も日本人のプロの歌い手の声も、

声においては、概して評価していないからです。

 

どんな国でも、歌い手の声の魅力は素晴らしいものです。

経済的にも文化を取り巻く環境においても

日本よりもずっとハンディのある国でも、ヴォーカルやキャスターなど、

プロとして声を使う人はとてもよい声をしています。

ポップス、ジャズ、シャンソン、何でも、です。

 

本当のプロのヴォーカルの出す声には、

同じような共通の声のイメージがあります。

それと日本でプロといわれている歌い手の声がどうも違うのです。

アジアも南米も東欧も、私が聴いた歌い手には、

必ず声にしっかりした芯がありました。

声域に関わらず、均質な声で揃っていました。

 

もちろん、日本でも伝統音楽で継承されてきた声は、

海外に引けをとらないと思います。

 

ここでは、ポピュラー音楽の歌唱において、述べています。

しかし、この点も、Jpopsとなり、

音響での加工やヴィジュアライズされたステージでは、

世界に通用するアーティストも出てきていますから、

その声をどのように判断するのかは、後世に委ねたく存じます。

 

アーティストになるための10カ条

 

 1.身につくかどうかに、中途半端はない。

 

 2.間違うことを恐れるな。行わないことを恐れよ。

 

 3.欠点は自分である。欠点が長所とみえるまで徹底して長所を伸ばせばよい。

 

 4.失敗は成功するまで続ければよい。あきらめたとき、やめたときが失敗になる。

 

 5.才能とは続ける力、モティベートできる力。

   新しい課題を発見し、解決しようと努力する力である。

 

 6.最も楽しいのは、何かをつくる場とつくる過程である。

   そういう人の集まる場に存在を認められることである。

 

 7.ひとつを得たら、それで充分すぎると感謝する。

   相手に全てを求めるな。不満は自分に向けよ。

 

 8.わがままも我道を行くのもよい。しかし、実力あってのもの。

 

 9.「変」のなかに才能も個性も自分の売りものもある。

 

 10.素直に謙虚な姿勢で、真剣に続ける。すると、本当の声を聞きとれるようになる。

   自らの内なる声に耳を傾けよ。

トレーニングかどうかの判断

 

 トレーニングが明日のために行なうものならば、

トレーニングには、力が身につくかどうかということが問われます。

ストレス解消や気分ばらしのために行うものではありません。

 

 私が、トレーニングの判断の目安としてチェックに与えていることは、

次の三つです。

  □トレーニングしたあとに声が出やすくなる。(まれに目的によっては、そうでないこともある)

  □次の日に声が出やすくなる。(出にくいときは、間違えとは限らず、やりすぎのことも多い)

  □のどには、負担を感じず、腰や体に疲れがくる。(個人差もあるし、感じ方もケースによる)

 

 間違ったトレーニングというのは、のどに負担がきます。

これをトレーニングだと思って頑張っている人は、まさに自らの首を締めていることになります。

 

本当に基本のヴォイストレーニングは、

一年たったら一年分、ヴォーカリストとして必要とされる体に近づきます。

体の細胞のイメージも変わります。

 

私が言うまでもなく、本物のヴォーカリストは、

ただもの、並の人ではないのです。

 

トレーニングは明日のためにやるもの

 

 トレーニングとは「明日のために行うもの」です。

「今日の結果を求めるものではない」ことを頭に入れておいてください。

 ステージでは、今ある力を無心にまとめてだせばよいのです。

 

一方、トレーニングは、発表会ではないのです。

日々、続けることによって、地道に力をつけていくことが目的です。

 

 これを混同すると、歌っていくことがトレーニングとなってしまいます。

歌でうまくいかないとことを補うためにトレーニングがあるのです。

 

 声が安定し人に聞かせられるレベルになるまでは、

歌うこと自体はあまりトレーニングにならないと思ってもよいでしょう。

カラオケ10年のキャリアは、それなりに10年ですが、

カラオケだけでは、基礎づくりにならないことが多いでしょう。

 

 スポーツの選手も、実践トレーニングで力がつくと知りながら、

毎日、試合ばかりしているわけではありませんね。

ましてや、ファームで明日の活躍をめざしている人は、

試合で力をつけているのではありません。

そこには基本トレーニングがあるのです。

 

 トレーニングとは、明日のために、自分の力をつけるために行うものなのです。