声、語り、歌、ヴォイストレーニング1日1話 -2ページ目

声、語り、歌、ヴォイストレーニング1日1話

歌手、声優、俳優、芸人、ビジネス、一般、声に関心のある人に。
プロ、トレーナーも含め、トップレベルのヴォイトレ論を展開します。

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○共鳴のチェック

 

1.共鳴しているところで、「アイウエオ」がはっきりと同じようにいえること。

また、そのほかのどんなことばでも聞き取りやすいうように言えることが目的です。

口の形をあまり変えなくとも言えるようにしてください。

とくに「ウ」と「イ」が難しくなっていないかをチェックしてください。

 

2.身体や息のコントロールによって、どの音においても2、3倍に強くもできるし、

2分の1、3分の1の声量にもできること。

つまり、フォルテッシモやピアニッシモが自由につけられる。

 

3.マイクを15センチくらい離しておいて、発声したとき、

高音部において、声がカン高くキーンとひびいたり、

ひびきの不鮮明な声、かすれた声にならない。

 

4.1オクターブ(8度)の音程で急に音を下げたとき、

その音を同じフレージングの流れのなかでとれる。

声の魅力と表現を学べ

 

 ヴォーカルに必要なトレーニングは、音楽、メロディ、歌詞、リズムよりも、声です。

まず、声の魅力を最大限に出すことと、その声で表現することを学ぶことです。

 声がある程度しっかりとしてきたら、歌ってもよいのです。

ところが、声を鍛えずして歌ってばかりいるから、いくら歌ってもなかなか、様にならないのです。

 

 

 のどに負担のない声をめざそう

 

 のどに負担のない声とは、声を出していてものどが疲れず、体の方が先に疲れる、いや、そこまでのどが疲れない声のことです。のどに負担があったり、つっかえたり、かすれたり、何かひっかかるようであれば、それをはずすことも覚えることです。

発声では、共鳴点ばかり、強調されているようですが、

声になるところが深くなる、声の芯をつくるというイメージでよいでしょう。

そこには、体で支えた深い息が必要です。

首がない、首から上に何もない感覚で声が出せたら理想的です。

 

 

 基本トレーニングは「ハイ」

 

 大きな声で「ハイ」と言ってみましょう。このとき、次のようなのは、よくありません。

  1)のどがビリッとなる。

  2)声がかすれる。

 

 1)のときは、のどを楽にして、お腹から声を出すことです。

 姿勢を正すこと(胸を心持ち高くして、首を立て、あごを引く)と、

胸の真ん中あたりにアタックする声をイメージするとよいでしょう。

 

 2)のときは、ことばとして、しっかりと「ハイ」と言って、

その声と息のバランス(息→声の100パーセント交換)を壊さないように、

少しずつ強くしていきましょう。

ベストの状態でのトレーニングをすること

 

 スポーツをするにも、体を動かしたり柔軟をしてから

軽い運動から始めます。

そして、徐々にハードなトレーニングに入ります。

すぐに走り出したり水に飛び込んだりする人はいません。

 

歌にも準備が必要です。

まずは、体を動かし、ほぐして、呼吸を整えましょう。

少し汗がうっすらとにじむくらいのところから

声を出してみたらどうでしょう。

声になりにくければ、息を吐くトレーニングをやって、

少しでも体から声の出る感じがつかめてから

トレーニングに入るとよいでしょう。

 

大きな声が出ない現代っ子

 

 演出家の山崎哲氏は、現代の若者の声について、

次のようにいっています。

 

 「劇団の子達は、相手に対して自分を閉じちゃっていると思うんですよね。彼らは、その上で他人とコミュニケーションしようとしているわけですよ。僕はその殻を破らせようと、もっと大きな声を出せ、相撲でぶつかり合うような気持ちで出せと言っている人です。

そうするとだんだん大きな声が出せるようになるんだけど、彼らには、そこまでの経験がないものだから、自分の声を支え切れなくなっちゃうんだね。

今の子は、胸部とか腹部が圧倒的に弱くて、自分の声が支え切れなくて、どんどん前のめりというか猫背になっちゃうんですよ。集中するとみんなそうなってしまう。」

 

この傾向は、さらに高まっているでしょう。

では、どうすればよいのか、そのヒントもこの話のなかにありますね。

日本で評価されなかった中丸三千繪さんの声

 

 かつて世界の4大コンクールを制したソプラノ歌手の中丸三千繪さんのインタビューでの話です。

4大コンクールとは、ルチアーノ・パヴァロッティ、マリア・カリニア、フランチェスコ・パオロ・ネリア、マリア・カラス国際コンクールと、オペラ歌手の登龍門といわれるコンクールです。

彼女は、この全てで優勝しました。(1988~1990年)

 

 「私は、日本でいい声と言われたことは一度もないのに、イタリアでは皆が『ベラ・ボーチェ(いい声)』と言ってくれた。私は、日本にいたときは、先生にいろいろ言われても自分の考えは決して変えませんでした。そのため、全くいじられていない声、それがあちらでは非常によかったというわけです。」

 

 「実は、日本人がいい声だといっているような声は、イタリア人からすると、全然、芯のない声なんですよ、ベルカントというのは芯のあるハガネみたいな声ですから。」

 

 「二期会の研究所にいたとき、私が留学してコンクールを受けようと思っていると言うと、ある女の先生に、そんなことを人前で言うと気が狂っていると思われると言われました。」

 

 「私の声そのものは、今も大学のときと変わっていないわけです。」

 

 どうでしょうか。これだけで判断するのはよくありませんが、

日本の声楽界で、この程度の器量の狭さ、見識のなさです。

教える人の声のよしあしというのが、日本独自のものであれば、どうにも通用しません。

 

 まして、ポピュラーを歌う人について、誰がどのくらいわかっているのかというと心細い限りです。

 日本人には日本人の好む声や発声というものがあるということで終わらせるのは簡単です。

 

 しかし、それが、世界のなかで、唯一、ことばと音楽がかけ離れたまま、

歌を本心から楽しめない原因になっているとしたら、

大きな意識革命も必要ではないでしょうか。