ちょっと重い内容なので、楽しい話題を期待される方はスルーして下さい。
今、高校野球が繰り広げられていますが、地元の応援方法の取り決めに少し疑問を感じます。
甲子園に出場した高校の出身地や出身中学などに「祝!○○高校甲子園出場 ○○中学出身○○君頑張れ!」と言った、横断幕や垂れ幕を付ける事は禁止と言うのです。
何故我が町の英雄を町民上げて応援するのがいけないんでしょうか?
○○君だけを特別に応援すると言う事がダメだって事みたいです。
「○○高校頑張れ!」なら問題なくて「○○君頑張れ」がダメ。
甲子園には○○高校として出場するんだから、一個人を応援するのは特別使いだって言うみたいです。
そりゃぁ、確かに応援してもらえる子、応援してもらえない子が居ると平等ではなくて、最終的には虐めの対象になりかねないと言うかも知れません。
だから、その考えも間違っては居ないと思います。
しかし、我が町、我が中学から、晴れ舞台に出た子を、町をあげて応援したって良いじゃないですか。
応援してもらえなかった子は、自分は自分の地域の人、学校に応援してもらえ無かったと言う悔しさをバネに頑張り、甲子園で勝ち、そんな人達を見返してやれば良いのでは?
何もかも、虐めの要因になると言って、そう言った事を禁じて、最近の小学校の運動会では、徒競走と言った順位の付く競技を行わなくなってしまっています。
走るのが遅いって虐められる要因になるからだそうです。
人間、
生まれ持った能力で、皆運動能力は違います。
だから、走るのが速い遅いってのも仕方ない事です。
しかし、走るのが遅い子でも他に優れている面も必ず有ります。
虐め自体は陰湿で良くない事だけど、今の教育のやり方は、人の欠点を虐める事自体を悪い事と教えずに、虐めの元を取り払ってしまっています。
走るのが遅ければ、早く走れる子が、どうすれば早く走れるかって教えてやるべきです。
その代わり、走るのが遅くてもマット運動とかが得意なら、マット運動が苦手な子に教えてやるって事をすれば良いのです。
そう言った事から、仲間意識って言うのが生まれるんだと思います。
最初から仲良しこよしで、優劣の出来る事をさせないって言う、今のやり方は間違ってるんじゃないかと思います。
そんな指導方法で、学生生活を終えて、社会人となって会社に入ってくる今の新入社員、全員がとは言いませんが、競争心と言う物が殆ど有りません。
社会に出れば、仕事の出来不出来は必ずと言って成績となり給料と言う見返りになって現れます。
私が社会人になった、ン十年前には一日でも早く仕事を覚えて、同期のヤツより何か一つでも出来るようになるんだ!
1~2年ぐらいの先輩なら、追い越してやるんだと、がむしゃらに仕事を覚えました。
覚えたと言っても、先輩が丁寧に指導してくれるのでは無く、先輩方がやっている事を、とにかく見て見様見真似で覚え、分からなければ聞くと言う手段で覚えたのです。
しかし、今の新入社員は、自分から進んで仕事を覚えようとしません。
先輩や上司が、この仕事は、こう言う風にやるんだぞ。と教えなければ、いつまで経っても仕事が出来ないのです。
その上、与えられた仕事が終われば、自分で仕事を探してするなんて事も殆ど有りません。
まだマシな方だと、与えられた仕事が終われば「終わりました」と報告してきて次の仕事を与えてもらいます。
しかし、大抵は与えられた仕事が終われば、同期の者と喋ったりしているか、ボケ~っと次の仕事を言ってもらえるのを待ってるって事が多いです。
虐め問題が大変な事は私も分かっています。
しかし、その虐め問題の対応策として行った、虐めの要因になりそうな事は何事もさせない。
皆、平等で優劣を付けないって言うやり方が、競争心と言う物を無くさせてしまっているのです。
やはり、虐めが有れば、虐める事が駄目な事だって教えるのが先決で、虐めの要因を何もかも取っ払ってしまおうと言うやり方は、本末転倒であり、行く行く日本の将来を背負って立たなきゃダメな若者を、社会では通用しにくい人間にしてしまっているのでは無いかと思います。
長々と読んで下さり有り難うございました。
私個人の考えですから、賛否両論有ると思いますが、最近痛切に感じる事ですので、記事に書かせてもらいました。