滋賀県を経ち再び岐阜県まで。

前々回の彦根城は修学旅行生とカチ当たってしまった・天守に足場が組まれていたのでリベンジしたい。

前回の佐和山城はやはり城山を登ってリベンジしたい。

今回はですね…

2019年の旅行時に立ち寄る予定だったが時間が押してしまい(当時は詰め込み過ぎ超過密スケジュールだったw)

泣く泣く断念した大垣城。

大垣城そのものがリベンジです。

ようやく来れましたね。

関ヶ原合戦時は西軍の拠点だった城で、

東軍の拠点だった岐阜城には2019年に訪れており

 

 

 

 

 

本来であれば、東軍拠点と西軍拠点の両方を訪れるはずだったのだ。

 

因みに岐阜城も大垣城も関ケ原古戦場の東に位置しており、

結果的に両軍共々西に向かって進軍してたという何ともおかしな光景だったw

 

東門

現在の城郭の面積の関係からか柳口御門をこちらへ移築したそうです。

本来はこの位置に門はなかった。

 

現在の城郭は本丸曲輪と大垣公園として整備された二の丸を残すのみ。

残念ながら総堀の大半が埋め立てられてしまっています。

 

城郭内からの東門

 

艮隅櫓

門の外から見えていたんですが、中からだと木がーーー…

こちらは旧国宝。

空襲によって焼失してしまい、現在建っているのは鉄筋コンクリート造の復元です。

 

木の合間から太陽直撃

 

 

景観重要建造物

大垣氏指定第1号ですよ。

 

当時の縄張り図がこちらに。

総構えで堅牢且つ、巨鹿城の異名の通りの巨大な縄張りを有する城だった事がよくわかる。

今やこれの1/30程度なのでは…

 

再び太陽直撃w

 

そして、こちらが旧国宝・大垣城天守

天守・艮隅櫓ともども廃城令による破却を免れ、昭和11年に国宝認定されるが

昭和11年の大垣大空襲によって焼失してしまう。

破却を免れてた天守の大半が空襲で焼失してしまってるんですよねぇ…
 

あ、関ケ原にあったのと同じデザインの看板が立ってるw

 

池田恒興による近世城郭への改修の際に三重三階の天守が建ち、

戸田氏鉄による改修で四重四階の天守へと改修されたそうです。

 

現在の天守は鉄筋コンクリート造の外観復元。

復元の際に一部が改変されていたそうでして

2011年には史料を基に焼失前の外観に近くなるように改修されています。

 

天守内へ。

 

大垣城年表

 

大垣戸田家伝来と思わしき具足

因みに我らが戸田宗家は大垣戸田家とは同門の親族にあたる。

 

黒塗紺糸素懸威段替二枚胴具足

 

朱漆塗紺糸威段替二枚胴具足

天衝前立てに朱漆なのでまるで彦根藩重臣の様な姿。

そして後ろの当世具足図も井伊の赤備えになっているw

 

紫糸素懸威紋柄袖二枚胴具足 七十二間小星兜

こちらは赤穂事件の際に使者として派遣された戸田源五兵衛が

有事に備えて持参したと伝わる甲冑。

復古調なので赤穂事件よりもう少し後の様な気もするが…

よく見ると六文銭が入ってるんですよこれ。

六文銭と言えば松代藩真田家だが、真田信尹(昌幸の弟)の家も幕府の旗本として残っている。

戸田家と真田家の婚姻ではないでしょうかね。

因みに我らが戸田宗家の御先祖である松江戸田家も真田信尹家と婚姻関係にあった。

 

武蔵大掾是一作の刀

 

 

穴澤流薙刀術開祖・穴沢主殿助盛秀所用と伝わる薙刀

作者は不明。

 

おあむ物語(複製)

おあむ物語とは、石田三成の家臣・山田去暦の娘であった老尼が、

少女時代に体験した関ヶ原の戦いの頃の様子を子供たちに語った話の筆録。

 

槍の穂先

左から

作者不明

下坂作

伯州住広賀作

石見守正直作

作者不明

七本槍に対して札が5ちしかありませんがなw

 

素槍

左から二番目が微妙に笹穂槍っぽい中間形態

 

素槍、右側が大身槍

 

裏側にも槍

左から

大隈守藤原家信作

河内守国助作

文殊包久作

関兼定作

美濃住清里作

 

十文字槍と片鎌槍

 

素槍

左側のが大身槍なのか素槍なのか微妙なラインだな…
 

火縄銃

一番下だけ幕末あたりの日本製洋式管銃(ゲベール)

 

袖搦と槍の柄

一番下のは体験用で持てるっぽい


火縄銃と大弓の体験コーナー

あ、大弓引いてみればよかった。

刀とか鉄砲の体験はよくあるけど弓ってなかなか無かったり。

 

石田三成・小西行長・島津義弘・宇喜多秀家 連署禁制 慶長5年9月5日

複製ですが錚々たる顔ぶれですよこれ…

 

杭瀬川の戦い

関ヶ原本戦の前哨戦で局地的な小競り合いだが西軍の勝利。

戦略的にはほとんど影響は無かったが西軍の指揮を上げるには十分だったのだろう。

 

杭瀬川の戦いジオラマ

建物と人のサイズがアレだが気にしてはいけないw

西軍を指揮するのは島左近。

東軍側は中村一栄(一氏の弟)隊、有馬豊氏隊。

左近の策略に嵌って深追いすればするほど被害が多く出たという。

とはいえ40名ほどだそうですw

 

焼失前の大垣城天守

ホント勿体ない…

当時の政府の阿呆どもが戦争なんてするから…

 

江戸時代の大垣城下町のジオラマ

 

 

 

真ん中に大垣城の写真があるので、これが城の位置を示している。

 

鑑札

 

高札

 

寺社奉行所札

 

大垣藩札

 

合印鑑

 

寛永天保通宝

 

櫛・簪・笄

へぇ~こんな小さな笄もあるんだ

 

お歯黒染め用具

 

せいろ凾

 

七つ玉そろばん

 

町会所絵図

 

紋入蒔絵矢筒と鞭

 

印籠

 

桜蒔絵団扇

 

遠眼鏡

望遠鏡です。

 

足付盥

 

九曜紋入茶台

大垣戸田家の紋入り

 

梨地蒔絵枕

これ横から撮ればよかった

 

関ヶ原合戦図屏風

…のパネル

 

東軍武将

 

 

西軍武将

 

個人的に東軍が青、西軍が赤のイメージがあるんだけど

初日の関ケ原古戦場記念館でも東軍が赤、西軍が青だったんですよね。

一般的にはこのイメージなんだろか?

 

三成の大垣入城から落城まで

 

 

 

 

 

 

 

隣に案内動画再生中のモニターがあり、見てる人の邪魔になるとマズイので変な角度になってしまった…

 

復元鯱

 

二の丸跡側

右下に見えるのが乾隅櫓。

 

東門側

窓に網が貼ってあって上手く撮れず、マトモな写真がこの二枚しかなかった…

 

いや、ホントこれの通りなんですよ。

戦の無くなった時代の天守は外観こそが重要で

内部は板張りの至ってシンプルな造りになっている(一部例外あり)

 

以上、大垣城天守でした。

続く。