前回の河原城の展望室から見えた

賣沼神社・八上姫公園へ。

 

八上姫と因幡の白兎伝説所縁の地です。

 

八上姫と大国主命の出逢いの像

これ城にあったのと同型だな…

 

川の対岸には城の展望室から見えた簗瀬山。

 

嶽古墳

この看板にしっかり書いてたんですよ…山の先端尾根に築造と。

 

八上姫伝説のモニュメント

1

こちら、数字順にお話が進んで行くっぽい。

むかしむかし因幡国に八上姫というたいそう美しいお姫様がおりました

…のくだり。

 

2

八上姫と白兎

ある日、八上姫の使いの白兎は海まで遊びにでかけました

…のくだり。

 

3

大国主と八十神

実にゲスい面をした兄たち。実際ゲスなんだけどw

中央の大国主だけイケメン。ゲスの中に一人だけイケメンが紛れている。

山賊の中に一人だけ場違いなイケメンが紛れている場合は説得すると仲間になる某SRPGの如く。

 

八上姫の美しさは出雲国にも伝わり八十神たちは大国主を連れて皆で因幡の国へと向かいました

…のくだり。

このモニュメントでお話が進んで行くんでしょうけど逆方向に進んでるので戻りますw

 

曳田川

 

対岸へ。

 

そして、山の麓を右へ進む…

…これが間違いだった。

 

山の麓に嶽古墳があるという話(これが誤情報だった)だが…

それらしきものが見当たらないまま人様ん家の庭先へ出る…

 

近くにそれらしきものがあったが…

規模からして絶対違うだろう…

 

こちらも墳丘らしきもの①

 

こちらも墳丘らしきもの②

 

こちらも墳丘らしきもの③

いずれも規模が小さく絶対違うだろう…

これらは全然情報が無いんだけどおそらく八上古墳群かと思われる。

 

で、家帰ってから調べたんですが曳田川の橋を渡った後、右ではなく左へ進むんだそうです。

そして麓ではなく尾根。

 

続いて賣沼神社

一の鳥居

 

 

 

田中寒樓「鳥啼くと 空を仰げば陽の光 賣沼神社の 青葉そよげり」の歌碑

 

二の鳥居

神社の創建年は不明ですが、

延長五年(927年)に編纂された延喜式の神名帳に記載された因幡国八上郡の「賣沼神社」が初出で、

少なくとも延長五年には創建されていたということになる。

 

神輿庫

 

一段上に拝殿と本殿。

 

拝殿

こちらは寛政六年(1794年)の建立。

 

本殿

同じく寛政六年(1794年)の建立。

主祭神は八上比賣神(八上姫)

明治元年に伊弉冉尊、保食神、建御名方神、高龗神、闇龗神が合祀されたそうです。

 

拝殿の左側

 

拝殿の右側

 

右奥へ

 

熊野神社の境内社

左奥側には稲荷神社があるそうだが気付かずスルーしてましたw

 

以上、賣沼神社でした。

 

道中の河原城。

 

道中の湖山池。

しばらく走って鹿野町まで。

 

続いて鹿野城跡。

 

鹿野城下の図

 

こちらの城郭図ばかり見ていて…

 

下の方にこれがあることに気付かなかったのだった…

幸盛寺(こうせいじ)って…その名の通り山中鹿介幸盛ですよ。

亀井茲矩が鹿介の菩提を弔うために建立したそうです。

向かい側には鹿野往来交流館というのもあるし見事なまでに見落としていたわッ!!

因みに幸盛寺には杉原土囲という付城跡が残っているそうで、境内も城の縄張りの一部だったそう。

亀井茲矩ってそんなに有名な武将ではないので名前くらいは知ってる程度だったんですが、

良い機会だったので調べてみたところ、かなり興味深い経歴の人であることが判明。

弘治三年(1557年)尼子氏家臣・湯永綱の長男として誕生。

永禄九年(1566年)第二次月山富田城の戦いで主家の尼子氏が滅亡、流浪の身となり京都へ潜伏。

永禄十一年(1568年)頃、尼子勝久・山中鹿介と出合い尼子再興軍へ参加。

後に鹿介の養女(亀井秀綱の次女)を娶り、亀井姓を名乗り名跡を継ぐ。

因みに鹿介は一時的に亀井氏の養子となっているが、病弱な兄に代わって家督を継ぐために山中氏へ戻っている。

天正六年(1578年)上月城の戦いでは勝久は自刃、鹿介は暗殺。茲矩は秀吉に同行していたため難を逃れる。

以降、再興軍の残党は茲矩が率いて羽柴軍に属する。

天正九年(1581年)鳥取城攻略戦での武功によって鹿野城主に任命される。

尼子氏としての再興運動は潰えたが、その遺志は茲矩が継いで亀井家は幕末まで続く。

また、亀井氏は尼子氏との姻戚関係による尼子一門説もあり(亀井氏は筆頭家老なので婚姻関係は十分に考えられる)

尼子の名は無くなってしまったが、尼子の血筋は大名家として再興を果たしたとも考えらる。

…という非常に興味深いお話。

 

鹿野苑

由来は教の四大聖地だそうですが、茲矩が城下町の一帯を仏教ゆかりの聖地になぞらえて鹿野苑と呼んだそうです。

現在は休憩所になっています。

 

鹿野苑からの内堀跡

 

 

 

文豪 司馬遼太郎先生 御立の処

司馬遼太郎氏といえば新選組の名誉回復に一役買った反面、

フィクション英雄・坂本竜馬(小説では別人という意味を込めて龍馬ではなく竜馬としている)を生み出してしまった。

 

原田輝子彰效之碑

 

 

橋の上から外堀

 

熊谷道伸・子貞先生頌徳之碑

 

おそらく二の丸(出丸)跡の一部

 

二の丸曲輪からの内堀

 

二の丸曲輪からの外堀

 

 

 

この辺りから鳥取市立鹿野学園の敷地になります。

王舎城学舎というらしい。

王舎城とは茲矩が名付けた自らの居城の名だそうです。

 

それっぽい建物の体育館。

城跡に学校が建てられるのは珍しいことではありませんが、

大概は観光ルートと学校の敷地は隔離されるわけなんだけど…

ここは学校の敷地が観光ルートでして普通に校舎の下を横切って行きますw

 

本丸橋

 

それっぽい橋だが、鉄とコンクリートの橋。

 

東側

 

西側(来た道方面)

 

本丸への大手道跡なのか帯曲輪跡なのか新しく造られた道なのか

 

草ボーボーで完全に埋もれている本丸跡の表示板w

 

本丸跡…

ネットが張ってあって立ち入り禁止ですw

 

ネットの隙間から

 

逆方面へ移動。

 

ネットの隙間から

こっちの方が良く見えるね。

 

僅かに残る石垣跡

 

残念ながら遺構は僅かしか残っていない事がわかりました。

 

駐車場方面へ戻りまして

城山神社の鳥居

境内は山の中腹に。

 

亀井氏時代は山頂が本丸でしたが、

江戸時代には例の如く山頂はあまり使われなくなり山麓に本丸が移されます。

 

向こうは稲荷神社

 

山頂への階段

 

下から覗いてみるが先が見えない…これは奥に続いてるな。

標高148mだそう。

余裕で登れはするけど時間かかるだろうしやめておく。

 

以上、鹿野城でした。

 

本日の昼食

続く