雲州乃旅路 月照寺・後編

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奇跡を目の当たりにした前回から引き続き月照寺です。

 

ここ、月照寺は入り口を背にし、

中央に不昧公。

左側に直政公。

左側に3~6、8、9代。

となっているのです。

やはりこの御二方は別格という事か。

 

では、右側へ向かいましょう。

 

 

 

第五代藩主 宣維公

 

 

院号:善隆院

五代 松平宣維(1698-1731)

 

 

 

 

藩主のみならず歴代藩主の近親の方々の霊牌もあり、

こちらは直政公御生母月照院様。

その名の通り、月照寺とは元々この方のための寺院だったとか。

 

そしてこちら・・・

早世した若君、姫君の名が。

 

ここには不昧公の子と思われる三つ名が記されている。

童女 寛政八年 おそらくは五九姫(1795-1796)

童女 寛政一二年 おそらくは富姫(1792-1800)

童女 享和三年 おそらくは国姫(1796-1803)

そこに童子の名は無く、次男はやはり生きていたと考えれられるのだ。

 

これが、戸田藤馬と不昧公の次男が同一人物であることを裏付ける

一つの要因になったのです。

 

 

 

第三代藩主 綱近公

 

 

院号:隆元院

三代 松平綱近(1659-1709)

 

 

こちらにも早世した若君、姫君が。

 

 

藩主の近親者のものと思われる碑。

 

 

 

第九代藩主 斉貴公

 

 

戒名:直指庵

九代 松平斉貴(1815-1863)

 

 

 

第二代藩主 綱隆公

 

 

院号:宝山院

二代 松平綱隆(1631-1675)

 

 

 

こちらは藩主に近しい家柄の女性達の碑。

 

 

 

第八代藩主 斉恒公

藤馬の兄である。

 

 

院号:月潭院

八代 松平斉恒(1791-1822)

 

 

 

第四代藩主 吉透公

 

 

院号:源林院

四代 松平吉透(1668-1705)

 

 

最後はこの御方。

不昧公の父、

第六代藩主 宗衍公

 

 

院号:天隆院

六代 松平宗衍(1729-1782)

 

そしてこちらが

 

 

月照寺の大亀。

この大亀にまつわる伝説があり、

夜な夜な動き出し蓮池の水を飲み、松江の城下を徘徊し人を食い殺したとか。

 困り果てた住職が大亀に説法をすると、

大亀は 「私にもこの奇行を止めることはできません。あなたにお任せいたします。」

と涙を流しながら住職に頼んだとか。

そこで、亡くなった藩主の功績を石碑に彫り込み、

二度と動き出さないよう封じ込めたと言われています。

 

背中の石は寿蔵碑といい

本来は不昧公が父の長寿を願って建てられたとか。

この石材が出雲より運ばれたクタン大神が逗留したと伝わる神石で、

神威を恐れた不昧公がお抱えの絵師に延命地蔵像を描かせたそうです。

その延命地蔵像にあやかり、現在ではこの大亀の頭を撫でると長生きできると言われています。

あやかろうとする怪しい男。

 

 

以上。

初代 直政公から

二代 綱隆公

三代 綱近公

四代 吉透公

五代 宣維公

六代 宗衍公

七代 治郷公

八代 斉恒公

九代 斉貴公まで

十代藩主である定安公は明治維新後も存命という事もあり、

こちらには祭られておりません。

時代背景が大変よくわかります。

 

こうして見ると直政系越前松平家宗家には通字が無い事を再認識できます。

強いて言えば綱、斉の字でしょうか。

 

 

実は院内も閉館ギリギリの時間でして、

ここへ来た時から宝物殿はすでに閉館していたのですが・・・

特別に入らせていただく事ができました。

これも血統の成せる奇跡かw

最後に不昧公の廟を見ておこうと思いましたが、

時間外は閉鎖されてしまうのですね。

隙間から

 

 

こうして奇跡の力を授かった我々は

本日の総仕上げ一般公開演武 夜の部へと赴くのでした。

帰り道の飛行機雲

松江城付近でも