本牧徒然雑記。「7月暦絵・本牧読書日記5年目・他雑記」。
①「本牧読書日記5年目」。
・当読書日記も340記事。満4年間を終えて5年目を迎えました。
振り返って気づいたことを書いてみます。
先ずは厚くて重厚な本は避けて、どんどん「読んで楽しい本」に傾いていること。
09年「浦安図書館日記」をやめる時に「これからは雑読の海の漂流を切り上げて古典の島に上陸しよう」と格好をつけたのを覚えていますが全くの嘘っぱち。その後は「新・旧聖書」の主要部分位しか読んだことがありません。例えばアダム・スミス「道徳感情論」は買っちゃったので仕方なく半分ほど読んだところでギブアップ。「古典」に類する本は図書館でパラパラめくって諦めたり、借りたものの最初の章も終わらずに返却したりでその例は数えきれません。結局「身の丈に合わない本」は断念しています。
古典については解説本を時折読んでブログに書く程度で接しようと思っています。
以前に自分の読書水準を「大学教養課程か市民講座レベル、新書程度」と書きました。
実際に手持ち本が少なくなったので30冊余りを「丸善みなとみらい店」から購入したところ、大半はちくま、岩波等の新書で、これらの本と再開した図書館本とでこの一年間を充当して参ります。
・次に気づいたのはブログの「マンネリ化」です。
最近は「以前に書いたが……」の前置きがしきりに出てくるようになりました。要するに僕の経験の「引出し」が少なく、また「持てるもの」の熟成がなされていないのです。以前に書いたことを忘れているか、繰り返しになっていると思い当たっても、元々が「クドい」人間ですから平然と同じことを繰り返し書いているのです。それに「自分史」での思い入れがどうしても強く出てしまうのも一因になっているでしょう。自分史は簡素化して読書日記の時折に織り込むようにしようとは思っております。
ところで、自分は全くの世間知らずでした。
偶々「読書ブログ面白い・文学・思想系」を検索してみてビックリしました。読書量・質とも驚異的な読書ブログがたくさん出てくるのです。松岡正剛氏のような有名人は知っておりますが、アマチュア(もしくは半プロ?)の読書マニアが世の中には大勢いるのですね。
でも純アマの80歳代は珍しいかも知れません。まあ、その辺だけを拠り所にして続けていきたいと思います。というのもブログ閲覧の方は圧倒的に男性で、年齢層最多は70代だから。
きっと引退OBの方々で、同じような人生と価値観を共有する同志と想像しています。
そうした方々とOB会で語り合う気分で書いていきたいと思っております。
②「処世の秘訣は朦朧(もうろう)たるに在り、汝(なんじ)義理明白に過ぐ、宜しく春藹(しゅんあい)の二字を以て雅号と為せ」(中江兆民)~鷲田清一「折々のことば」より。解説文は「明治の社会主義者・幸徳秋水は若き日、思想家・兆民にこう言われた。幸徳が「朦朧を憎む」と抗(あらが)うと、中江は自ら血気盛んな頃に号としていた「秋水」をこの弟子に与えたという。厭世と悲哀の過剰を案じ、楽天的であれと諭した中江と、敬愛する師の不遇を悲しむ弟子との相思のやりとり。」とある。
心に残った先日のコラム記事。これからの「暦絵」にはこうした短い記事も載せていきたい。
ついでにもうひとつ。自作川柳。
・「折角の気遣い妻に気づかれず」。
中・高・大・職場とコロナ明け4月~6月に続いたOB会も一段落しました。
大学クラス会でテーブルを共にした4君との会話から。
「家内にいろいろと気を遣うのだけれど逆効果になることもあるんだよ」
「そうそう、反って二度手間になったとか……」
「家事でも自分と同じ手順でないと納得しないような。」
「そう、自分の聖域では忠実な弟子であることが要求される。」
小津映画の同級会の場面が思い出されるような会話です。
「家庭史」でも「歴史は繰り返される」のですね。
そこで上記の夫婦川柳。きっとこの辺りでの関係がよいのでしょう。
③今月の「暦絵」。
中世フランスの7月は羊の毛を刈る季節なのですね。