本牧読書日記。宇野重規「近代日本の「知」を考える」・西と東の往来 (ミネルヴァ書房)。

本書はミネルヴァ広報誌連載の単行本化。「西と東」とは東京と関西。

東京中心の近代知性史に対して関西(西日本)発祥の知性・文化人についてのエッセイである。

西の知性の一大中心は京都学派とそこからの流れ。

西田幾多郎、鈴木大拙、三木清、戸坂潤、あるいは梅棹忠夫、桑原武夫、梅原猛、上山春平といった人々。その影響は柳田國男や、独語を西田に英語を鈴木に学んだ柳宗悦にも及んでいるようだ。

それより古くの西の知性は福澤諭吉、岡倉天心、九鬼周造、南方熊楠……。

僕はこれらの人々の著作を読むことはないだろう。しかし先人を高く評価する著者の、冴えているけれど暖かい視線を感じて実に好感を覚える。

関西については自分も5年間の京都勤務(自宅は豊中)を経験しているので同感するところが多々あり。日本橋生まれ(確か日本橋図書館の所に生誕碑があった)の生粋の東京人でありながら、震災後の関西生活をすっかり気に入った谷崎潤一郎の心境もそれなりに分かる気がする。彼を関西出身と思い込んでる人は多いのではないだろうか。雰囲気がそのまま関西の人なのである。

そういえば岡倉天心も生まれだけかも知れないが横浜・関内に生誕地の碑がある。

時代を下って鶴見姉・弟、司馬遼太郎、高坂正堯、手塚治虫、山﨑正和、村上春樹となると、ぐっと身近に感じる。機会があれば読んでみようと、本書から以下の数冊をリストアップした。

・鶴見俊輔  「戦後日本の思想」

・坪内祐三  「慶応三年生まれの七人の旋毛(つむじ)曲り」

・山﨑正和  「鷗外・闘う家長」

・岡潔          「春宵十話」


ここではその内、岡潔についての本書p205「道義の根本は人の悲しみがわかるということにある」の後半部分を転記してみる。

「「春宵十話」が面白いのは、数学者である岡が情緒の重要性を説いていることにある。人間の根本にあるのは情緒であり、情緒が損なわれれば人間も社会もダメになる。数学とはいわば、この情緒の上に成り立つ調和に他ならないと岡は説いた。幼少年期の情緒の涵養の意義を重視した岡は、自身も絵を好み、文学に親しんだ(好きなのは夏目漱石、芥川龍之介、松尾芭蕉であった)。その上で岡は「悲しみ」を理解できるようになることを強調する。幼児は人の悲しみを理解できない。ところが成長するにつれて人の悲しみがわかるようになり、自分もまた悲しいと感じるようになる。それが宗教であり、道義の根本であるというのが岡の主張であった。逆にこのような意味での情緒が失われつつあると考えた岡は、日本の将来に繰り返し危惧を表明している。ちなみに岡は、自他の対立する理性的な世界に対し、自他の対立のない宗教の世界を対置する。そのような岡が、自他の対立のない世界に安らぎを覚えつつも、自他の対立がなくなると理想も向上もなくなると言っているのが面白い。晩年、宗教への傾斜を強めた岡であるが、ヨーロッパにおける天才たちの激烈な競争についても触れている。情緒に支えられた数学の自由な精神を追求した岡の生涯とその著作は、近代日本の知性の歴史において独自な輝きを持っている」。

以上、岡も著者・宇野教授も「慧眼」というべきである。


ところで、著者は日本学術会議・非承認6人の中の1人である。

東京出身、東京大学。思想的に特段の左翼系とも思われない。現代の技術が不可避的に「デュアル・ユース」の世界になっていることは充分承知しているだろう。一方非承認の元凶・警察官僚・東大出の杉田和博元内閣副長官は埼玉出身、親玉安倍首相は山口、菅首相は秋田、ここでは西も東もない。

このトラブルは「思想の対立」としては、仕掛けた方が余りにも稚拙である。

世の中の良識は「非知性」が「知性」に対して挑んだ理不尽事件とみている。

彼等もそれが分かるから「ダンマリ」を決め込む。なんとも情けない事件である。

かつて日本の良識は極端な学生運動や、労働運動でも「動労」等に見られた「非知性」を憎み排除・是正した。例えばJRの現在の姿にその成果を見ることができる。そうした市民的知性・良識こそが健全社会の基礎要件だというのになんと馬鹿げた徒労の愚かさであろうか。自民党は糊塗的法案を検討しているようだが秘かに心痛の党員もいることを期待したい。最早6人はこの問題に見向きもしないであろう。

間もなく安倍首相の一周忌を迎える。非業の死には心から哀悼の念を覚える。

しかし最近の日韓関係回復の報道の中で、徴用工問題の報復としてとられた半導体部材の輸出阻止が及ぼした悪影響(韓国民の感情的反発。国際法上は自国に非があるとはいえ国民感情を逆撫でされたら反発する)が何のメリットも生まなかった結果を読んで、何かこの学術会議問題と通底する安倍思考の「意地を張る」悪弊に改めて思い当たった。「モリカケ」でも同様の影を見る思いがする。

意地を張った結果を予測できない政治家は決して歴史的に評価されないであろう。

杉田和博氏を検索したら彼は僕と同年の41年生まれ。戦後民主主義教育第一期生として、どうしてこうした思想傾向と頑迷な主張をするに至ったのか想像することができない。その顔写真を見ていたら気分が悪くなった。先程中断した録画の英国ロイヤルバレー「ロメオとジュリエット」を再開して気分を直そう。ミュージカルがかっているがプロコフィエフと舞台(衣装も含めて)の素晴らしに我を忘れます。


こうした番組を居間で楽しめ、また安価な本と無料の図書館本とで読書を楽しめる。

老境での文化の享受ほど有難い世界はありません。

ただ心を痛めるニュースもあります。出版界の苦境です。

先日、自分の実家で購読していた「週刊朝日」と、独身時代から結婚初期にかけて購読していた「レコード芸術」の休刊が報道されました。まことに寂しいことです。

子供の僕は「週刊朝日」で少々は大人の世の中を知りました。

長じては忙しく働く心身を癒してくれた「レコード芸術」のレコード・音楽評たち。当時関心を持ち始めた室内楽。共に弦楽四重奏団のバリリのモーツァルトやブダペストのベートーベン全集をまだLP時代だったので結構高額で購入して大事に聴いた日々。LP類は転居時に「持ってくるなら引き取る」と言われて神田の店に無償譲渡しました。今もどなたかが楽しんでくれている事を期待いたします。

苦労されている出版関係の方々には、無償の図書館利用は内心申し訳ないと思っています。

せめての償いで図書館利用の際には同じ冊数の既読の所有本を寄贈することにしております。

図書館本は返却期限がありますので、読みかけての本を措いてそちらを優先しなければなりません。丁度今も予約本が用意できたとのメールが入ったので早々に受け取りに行きます。

以上、「読書日記5年目」の続編風に書きました。