ゆめしま海道3橋4島 | 新労社 おりおりの記

ゆめしま海道3橋4島

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鞆の街と向島→因島→生名島サイクリング

の続きです。

 

今日はサイクリング3日目。ゆめしま海道を堪能します。3本の橋の県道としては6kmちょっと。全部で30kmほどですが高速で通過するサイクリングでないので、かれこれ6時間ほど回りました。大自然や海もさることながら、島の人々の現実、暮らしというものをちょっと感じてみたかったのです。

 

(朝の浜とテント)

 

波 生名島

 

起床5時。テントはすっかり夜露に濡れています。乾かしたり海辺でぼーっとしたりトイレに行ったり。周囲を見渡すと、昨晩守ってくれたお地蔵さまや、ゆめしまのモニュメントなどあります。漁船は早朝から漁に出るようで、海峡を通っていくフネがけっこうありました。ただ昨日の夜釣りの方の釣果はイマイチのようでした。

 

 

テントたたんで7時に発進。のどはカラカラですが、周囲に食堂やコンビニはおろか、自販機もありません。岩城島橋のたもとから、西浦集落に入ったところで朝の掃除をしている地元の方に、自販機のありかを伺いました。水を2本買って飲みます。うまいうまい!

 

(生名島西浦)

 

この辺りは生名島の大きな港から山越えの西ですが、生名島の特徴、スポーツの合宿所や新しい住宅もあり、既存の住居もそんなにくたびれていません。バスの便も1日4本ほどあります。住宅に各種の畑や養殖場など、地域おこしのために土地を隙間なく使っている感じ。山の方はみかんと竹林です。ただ休耕地や空き家もあります。

 

昨日は港に着いて半周したのですが、今度はもとの港に戻って佐島、弓削島を目指すべく、山越えをします、と言っても大した山ではありません。せいぜい10分登って因島に面する港に戻り、生名橋と弓削大橋を渡るのです。山越えではすれ違ったのは軽トラ1台。西部より、因島に面し3分で渡れる東部の方がより便利です。

 

(峠越えと道しるべ)

 

この辺りはチョウは舞っていますが、その他の虫は海岸のせいか少ないです。山道などにもいるのはカニです。大きくても3cmくらいで、自転車が通るとスススと身を隠します。クルマでペシャンコになったのを見てもカニです。それだけ多いのです。

 

 

自転車 生名橋

 

渡る前に港のコンビニで朝食。昨日午後6時ごろのうな丼以来。コンビニ「ポプラ」のサービスで大盛にできる弁当に野菜、パンまで掻っ込みクルマが結構出入りする中で食事です。午前8時半でコンビニの窓が曇るくらいの暑さです。昨日来た道を今度は、生名橋にアプローチします。早朝から動き出す若いサイクリストもいます。私のように盛大に荷物は積んでませんが、挨拶して通ります。

 

(生名橋、下から上から)

 

景色は非常によく、歩道が広いので展望できます。海峡を船が行き来します。ただ海面をよく見るとすごいクラゲの群れ。紺碧ですが、泳いだら大変です。高さ25m、長さは500mほど。すぐに渡り終えるのですが、北に因島、南の海峡の果てに燧灘の大海が広がり、展望台でしばし見とれます。佐島の港、集落も一望です。

 

自転車 弓削大橋

 

生名橋を渡って、佐島は後にしてすぐに20世紀にかかった弓削大橋を渡ります。生名橋と同様、右側のみの歩道で、ベンチ付きの展望スペースがあります。ここはさらに展望がいい感じで、こんどは上弓削の集落・漁港が一望です。ここは980m、高さは21mで生名橋と展望は似ています。

 

(弓削大橋、下から上から)

 

佐島は数百人の人口ですが、役場のある人口数千人の弓削島とつながった、というので利便性が増し、弓削島に安全に通うことができるようになったゆめしま海道の端緒だったのです。海道の完成には1996年のこの橋の完成から、2022年岩城橋の完成まで26年かかりました。しかしホントに四国本州とつながる夢がかなうのはまだまだ先になりそうです。

 

波 弓削島

 

大橋を降りると久司ハイキングコースもいいのですが、南の集落に降りてみます。けっこう大きな鉄工所が操業していました。フネの修理や部品などを作っているのでしょうか。頼もしいことです。海沿いには釣りのヒトがちらほら。それ以外は普通の家で、行き止まりです。周回道路はハイキングコースの急こう配を登らなくてはなりません。

 

(弓削の商船学校)

 

上島町役場のある下弓削の集落に行きます。弓削高専(国立の高等専門学校)の実習船の船着き場があります。「海の男」を育てる教育機関、瀬戸の海の海上輸送は彼らによって支えられ、また弓削島の産業も支えています。次いで町役場。図書館が扉全開で開放してあります。立ち寄って休憩がてらパラパラと本をめくってみます。

 

 

浦沢直樹のYAWARA!や政治のなつかしいマンガの他に、合併前の弓削町史、上島町史もあります。こういうところで読むのは伝説や説話。海に関する伝説が多いですが、四国らしいタヌキに化かされたハナシもあります。産業は漁業より農業の方が、より工夫を要しているように思えました。水が少ないせいもあるでしょう。

 

その水は昔から島では悩みの種だったようですが、今は中国地方の三原のダムから購入しているようです。その導入の功績を記念した公園もありました。井戸は塩辛いこともあって、農業やるには水量が少なかったのです。それでもありがたく、お地蔵さんが寄り添っています。

 

(友愛の水と昔からの井戸)

 

少し離れた上弓削の集落へも行ってみます。商船学校の航路を横切らないように港があり、因島と結んでいるので、車の往来も多いのです。電動車いすに乗って下弓削のデイサービスに通うお年寄りとも話しました。水道のことを聞くと、それで水道代が高くなったそうです。

 

(下弓削より南方)

 

お年寄りは因島からお嫁に来て60年。尾道あたりに行くと都市の雑踏でアタマが痛くなるそうですが、都市のインフラはじつにありがたいものです。他に昔は海水浴で児童生徒がカマボコ板に名前を書いて、教師が人数を確かめるくらいたくさんいたというハナシも聞きました。

 

向かい側の因島は故郷なんですね。島から島へと嫁く「瀬戸の花嫁」なんですね~因島に横付けする「空母ラシキモノ1隻見ゆ」のような光景も出くわしました。

 

(“しもきた”か“おおすみ”?)

 

波 佐島

 

再び弓削大橋に戻って渡り、左に曲がって佐島に上陸します。廃屋が多いイメージで、住宅はありますが、東岸はあまり人が住んでいない感じです。西岸に行くべく山越えをします。その途中に建物があって、縄文遺跡の考古学の発表を行うとありました。愛媛大学の方に参加勧められましたが、見送りました。行ってみても良かったかなと思います。

 

(佐島ビーチと集落)

 

小峠を越えると、佐島の本集落。自販機で水を買い、日陰で涼んでいると、フネの係員の方が、中で涼んでいきなさい、と言ってくれます。佐島港の人出は、生名橋ができてからさっぱり。それでも今治に行くフネは、ここにも寄港しますが、先ほど発着した便は乗客0だったそうです。インフラもイイことばかりではないようです。

 

(今治行きのフネ:佐島港)

 

集落は勾配のみかん山も含めて建付けのいい家が建っていて、お寺や神社もあって1つのコミュニティです。平安時代から大きな島で独立した自治体だった生名島、弓削島、岩城島よりも古い歴史があるようで、この島が農業が漁業より盛んなのも、その名残かもしれません。

 

(佐島から見た生名橋と西方寺)

 

自転車 岩城橋

 

また生名橋を渡って、今度は一目散に岩城橋に。生名島をまた勾配を越えて横断します。外国人の自転車の一団が勾配と暑さに耐えかねて休んでいます。坂を下りてまた登って、岩城橋のたもとに着くとこの橋、歩道がないんですね~風などの影響や建設費を減らすためもあるでしょうが、自転車で行くと欄干も低く、相当怖い感じがします。

 

クルマがあまり通らないのすが、真ん中までは勾配で、風がビュウときたら飛ばされそうなスリル。さっき泊まったところも一望ですが、高さ30mはあるでしょうか。写真を1枚自転車に乗ったまま撮ったっきりで、早々に渡り切りました。

 

(昨日テント張ったのはビーチの脇の造成地)

 

波 岩城島

 

岩城橋の道路は山の中です。レンタサイクルの集団が10数台、渡っていきました。海岸に出て、海水浴場はにぎわっています。島の道路は狭いところもあれば広くもあり、自動車に道を譲るとプップッと礼を言ってくれるところは人情深いです。

 

今治行きの船が出る岩城港は旧岩城村の中心でもあります。なんと食堂もありました。スーパーがあったのでパンと牛乳、それにミニトマトを炎天下で食してから気づきました。ショッピングセンターと併設で、船待ち人でけっこうにぎわっています。サイクリストは私だけでした。

 

(対岸は赤穂根島、バスがくる)

 

岩城島は桜で村おこしをしているようですね。生名はスポーツ訓練誘致、弓削は学校や産業、佐島は考古学とみかんといった感じでしょうか。地区各々ポジションがあるようです。スーパーの前の乾物市場でいか天など買いましたが、岩城島やこの周辺のモノはないとのこと。海水の温暖化と度を超えた清潔化で、魚のエサが少なくなったとのこと。漁業は昔ほどたくさんは取れないようです。

 

(岩城島で買ったが尾道製)

 

もししまなみ海道とつながることがあるならば、ここから南下して赤穂根島、津根島を経て伯方島とつなぐことでしょうが、ロング橋を3つも掛ける必要があり、費用的にやりにくいかなと思います。生口島も長い橋が必要で、一番短い因島は土地が狭く市街を壊さなければならないし、海運業とのバランスも相まって、しまなみ連絡は難しそうです。

 

 

岩城の「島本陣」を見学します。江戸時代、参勤交代で松山藩のお殿様は海で往来し、ここで泊まっていたのです。殿様よりも、明治後、詩人、若山牧水が来たことの方が有名で、歌碑もあります。勝手に見よ、ただネコが入るので戸は閉めよ、という無人資料館で、あちこち迷路のような広壮な屋敷を探検しました。

 

注意書きに従って、ふっと戸を開けると肩幅よりちょっと広いローカで茶室に導かれる、という感じの造りで、牧水でなくても退屈しない長期滞在できそうな感じがしました。港の待合所に戻るとフネがもうすぐ来るとのこと。乗船券と自転車券を買っておきます。あっという間に来て列車のようにすぐ出ていくようです。

 

(ざっと8LDK)

 

この後13時過ぎのフネに乗って今治へ行きます。

 

つづく