室町時代の働き方改革 | 新労社 おりおりの記
2020-08-31 20:00:00

室町時代の働き方改革

テーマ:歴史

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働き方改革は、何も平成・令和の御代のみに合ったものではありません。生産性向上とそれに伴う生産量の増加は、中世から近世への時代の進展をもたらしました。

 

室町時代は、政治は南北朝の争いから始まって、それが過ぎたと思ったらすぐ戦国時代に入り、安定しないイメージがあるのですが、その前の時代に比べると、基幹産業、農業は結構進歩しました。具体的には以下の通りです。

 

牛や馬を使う。

肥料を撒いて成長量が増す。

竜骨車など、灌漑の“機械化”。

 

牛馬と竜骨車は、耕運機とポンプのような感じでしょう。耕すのと、農業には不可欠な水の確保です。竜骨車は踏み車、さらに水車と“機械化”が進んでいきます。

 

これ以前は鍬で耕す、または桶で汲んでそれこそ水を運ぶやり方でした。竜骨車は桶を次々に連続させて水を掻き揚げる方式で、手ではなく足で行う踏み車、さらに水車と進歩して行きました。

 

これを行ったのは、中央の幕府や朝廷が呼び掛けたわけではありません。鎌倉時代以来、自立した守護大名の領地からでした。自分の領土が自立し、富むためにはローカルに生産性を引き上げる必要があったのです。さらにその守護大名に脅かされる貴族の荘園と、そのトップの荘官も、同じ動機から“近代化”を押し進める必要がありました。

 

ただ荘官はこの室町時代、現地に行くヒトは少なくなりましたけれどね。それも守護大名が力を持った理由です。それがさらに土着して守護大名の家に英雄が出ると、戦国大名になり、荘官のように都にとどまり、現地で織田氏、朝倉氏のような「守護代」を置く場合は、地域の実情を反映した彼らに取って代わられました。

 

幕府や朝廷のような中央集権では、なかなか近代化に及びもつかず、奈良時代は「貧窮問答歌」のような取り立てるだけ、平安時代は「羅生門」のような天災に勝てず、死体ゴロゴロの感じだったのです。

 

ただ、鎌倉時代は朝廷の他に幕府という、もう1つの全国的な権力構造が生まれ、人口の大多数を占める農民が、権力構造の変化に伴って自覚を持ち、近代化につなげていったのは、興味深いところです。働き方改革は、生産性向上へ向かうやる気と、地域や会社など組織の自立です。技術がすでにある以上、あとはそれらを喚起すれば、働き方改革は成功し、多くの人がその福利を得られるでしょう。