ここっとさんは最近フランス時代のこと
フランスから帰国する直前や帰国後のことを
記事にすることが多くなっています。
最近・・・というのは、
以前は描けなかったから。
それくらいここっとさんの人生でつらい時期でした。
モラハラ夫と外国での独りぼっちの子育て。
信じてた人に裏切られた人生最低の時期。
全てを捨てて子供たちと
日本に帰国することを決断した時期。
やっと傷が癒えてきて
最初に描けたのが
幸せの白い鳩シリーズでした。
このシリーズを描いたのが2016年の9月。
帰国後6年経ってやっと描けた。
どんだけ治癒力遅いのかって感じですが
それからちょくちょく当時のことを
記事にし始めました。
そのたびに皆さんに
暖かいコメをいただいたり
コメ返ぶっきらぼうな女で忙しくてできない時もありますが
とても感謝してるんですよ。ホントに。
何よりブログ記事に描くことによって
自分の中で消化できていなかったことが
整理できて、
そのころの出来事が
つらい大きな塊の中の
一部分ではなく、
一つ一つの意味ある事柄や
思い出としてとらえることが
できるように
なっていることに
気づきました。
人に話して消化する人もいますが
ここっとさんにとっては
ブログに載せるために
絵や文章を書くことが
自分を癒すことになるんだなって
気づきました。
露出狂?笑
う~ん・・・というよりも、
文章にまとめて構成を頭の中で
考える過程がいいみたい。
フランス妊娠秘話や出産の話も
その中の一部です。
今回記事にするのは
とてもとても重い話です。
正直ここっとさんには
まだ消化できていません。
おそらく一生消化できないかもしれない。
でも描くことによって何か変わるかな?
何回かにかけて描きますので
お付き合いくださいね。
先日
を描きましたよね。
アメトピにも取り上げていただき
ご好評をいただきました。
そこに、「2週間出張で留守にした」
と書きました。
これはその間に起こったお話です。
日本に帰国直後は、まだ元夫と一緒に
展示会コンサルティングの仕事を
やっていました。
元夫の顔は見たくなかったけど
経済的に仕方なかった。
別居はそれぞれ、
フランスと日本でビジネスを
広げるためとかなんとか
理由をつけてましたよ。
笑
当時日本製品の展示会の
出展社とお客さんを結ぶ
役割を担っていまして
パリの街を一日中駆け回って
夕方疲れて電車で郊外の町
(もともと住んでいた通りの友人の家に
泊めてもらっていました)
に帰る途中・・・
「人身事故のため、この電車はしばらく
停車します。」
またかよ。
と思いましたよね。とにかく、
パリの近郊線RERは
老朽化も激しいし、ストは多いし、
週に何回も止まるし、遅れるなんてざら。
北のほうまで行けば治安も悪いときた!
RER B線に乗って
車両が故障したから
この駅で全員下りてください
なんてアナウンスが流れると、
あぁ、フランスに帰ってきたなぁ。
と思うくらいで・・・。笑
どうやって帰ったか覚えてないんですが
何時間もかけて
ヨレヨレになって友達の家に
帰ってきた覚えが・・・。
さて、その翌日、
展示会準備で遅くなったのと
展示会本番が次の日だったこともあり
この日はタクシーで帰りました。
郊外といってもパリから15㎞くらい。
タクシーでも払えない距離ではありません。
すると携帯が鳴った。
元夫からだ。電話なんかすんな。むかつく
エリックが自殺した
エリックとは・・・
ここっとさんが6年間住んでいた家の
前の住人家族のお父さんで
ここっとさんたちとは同世代。
ちょい年上くらい。
その縁もあってずっと仲良くしていました
ここっとさんちに子供が生まれてからは
子供の年齢が少し離れていたこともあり
少し疎遠にはなりましたが、
一時期は月2,3度は
一緒にご飯を食べてた・・・
会えば必ず立ち話してた。
奥さんのCももちろん友達だった。
前日ここっとさんの乗ってた
電車が止まったのは
友人が飛び込んだせいだった。
もちろんここっとさんが乗ってた電車が・・・
というわけではありません。
けれど
衝撃
は強烈だった。
そして・・・
次に頭をよぎったのは
エリックの息子のことでした。
だって・・・
だって彼はまだ14,5歳だった。
...今の私の子供達と
同じ中学生...
エリックの馬鹿野郎!
亡くなった友人に対して
その損失を悼む前に
何よりも前に・・・最初に
頭に浮かんだ言葉でした。
何回か間をおいて続きます。
当時の記事はこちら
できれば両方クリックplease
重い話ですみません
でもなんか今描きたくなりました。