本書は、結構前から話題になっていたのですが、2024年の「本屋大賞」を受賞してから、一気に注目されました。第39回「坪田譲治文学賞」も受賞していますが、小さな賞から大きな賞まで、合わせて15冠に輝いているということです。
 賞でよくわからないのは、本書の第一章「ありがとう西武大津店」が、「女による女のためのR-18文学賞」を受賞していることでしょうか。まぁ、本賞は、最初は「女性によるエッチ系な作品」を目指していましたが、それだけでは話題にならないし、大した作家も発掘できていないので、「女性による」という部分を残した無難な賞に切り替えたという経緯があるのですが。
 「R-18文学賞」がうまく機能した作家と言えば、「宮木あや子」さんでしょうか。『花宵道中』で花魁の歓びと苦しみを描いた本作は、第5回の「R-18文学賞」を受賞していますが、後年、宮木さんは『校閲ガール』シリーズを著し、石原さとみ主演で、ドラマ化もされています。作家のステップアップに、うまく貢献したということでしょう。
 ですがいまだに、賞のタイトルに「R-18」という言葉を残しているのが、全く謎です。

 『成瀬は…』の主人公、「成瀬あかり」は、坂木司『アン』シリーズの梅本杏子。宮木あや子『校閲ガール』シリーズの河野悦子。柚木麻子『アッコちゃん』シリーズの黒川敦子といった、完璧超人的な女性ですが、成瀬はなんと女子中学生~女子高生です。

 全6編の短編集ですが、いずれも「成瀬あかり」が主人公。
 彼女は、子供の頃から優秀で、絵画でも文学でも、なんでもできる天才肌の高校生。自身「二百歳まで生きる」と豪語していますが、「俺が俺が」というタイプではなく、「オンリーワン」な魅力にあふれています。
 何でも一人でできるため、彼女自身が他人を遠ざけなくても徐々に孤立してしまいます。口数が少なめなところも影響しているのでしょうが、意図的なことではありません。

  第一章、「ありがとう西武大津店」は、「島崎、わたしはこの夏を西武に捧げようと思う。」という成瀬の言葉で始まります。
 彼女の住んでいる滋賀県大津市にある「西部百貨店大津支店」が、一か月後に閉店し、44年の歴史に幕を閉じることになります。そのため、地元のローカルTV局で、西武大津店から生中継をことになり、それに毎日映りこむという決心をします。
 「島崎(みゆき)」というのは、成瀬の数少ない(というか、ほとんどいない)友人で、唯一成瀬のことを理解している同級生(女性)です。
 「また、成瀬が変なこと言ってる。」と思う島崎ですが、成瀬に言われた通り成瀬の映っている番組を毎日チェックする島崎。そのうち一緒に映り込んだりするようになります。
 実は、成瀬が西部大津店の番組に映り込もうとしたのにはある理由があって、それは最後に明らかになります。

 ネットの評判を見ると、「面白かった」「成瀬みたいな友達がいたら楽しい」という声とともに、「普通」とか「何で本屋大賞かわからん」といった声が見られます。

 「本屋大賞」は、書店で働く書店員が、過去一年の間、書店員自身が自分で読んだ本に投票します。

 余談ですが、投票なので、本来なら一位だけが「本屋大賞」なのでしょうが、次点作も「〇〇年本屋大賞 2位」と言われたりしています。ですが、本来はノミネート作と言った方が良いのでしょう。
 このあたり、本を売るために、主催者側もあえてやっているという気がします。と言うのは、芥川賞や直木賞は、ノミネート作の投票の順番は公表しません。数人の審査員の話し合いで決めているからです。しかし、本屋大賞は、ノミネート作が決まった後も、あくまで書店員によって点数投票し、その投票結果も公表しているため、必然的に順位がつくのです。順位を公表しなければ、大賞以外はノミネート作ですが、順位も公表するので、「〇〇年本屋大賞 2位」なんて言い方が可能になってくるのです。

 『成瀬は…』についてどうなのか、というと、「普通」という感想にも頷けますが、「普通」の中に「物語」を発生させるのはかなり難しい作業です。本作では、「成瀬あかり」という、ある意味「カリスマ少女」が、ちょっと普通とズレたような行動をしながら、「普通の枠」を広げようとしているように感じます。また、特殊な状況(暴力や犯罪)がないのに、読者を惹きつける内容となっており、読後感も良いです。

 本屋大賞の、過去の大賞作品を見ると、読んでてつらい作品が多いです。
 2023年大賞の凪良ゆう『汝、星のごとく』は、育児放棄や愛する人の死。
 2022年大賞の逢坂冬馬『同志少女よ、敵を撃て』は、主人公がいきなり家族を戦争で殺されます。↓ 

 

2021年大賞の町田そのこ『52ヘルツのクジラたち』は、虐待、ヤングケアラー、DVのてんこ盛り。
 2020年大賞の凪良ゆう『流浪の月』は、育児放棄とSNSの暴力に性的障害。
 2019年大賞の瀬尾まいこ『そして、バトンは渡された』はこちら↓


 昨今は、つらい作品が多くて、楽しい感想が書けない中、「読書の楽しみ」を思い出させてくれる爽やかな作品として、シリーズ化をして欲しいです。
 
 続編『成瀬は信じた道を行く』も、期待したいと思います。

 文庫のあらすじには「予測不能の結末が待つ、衝撃の物語」とあります。

 ですが、ワン・アイディアの駄作。(杉井さん、どうした!?)

 杉井さんと言えば、『さよならピアノソナタ』や、『神様のメモ帳』といった、アニメにもされた傑作があり、キャラクターの強烈な個性と推理がさえる作品で有名なのですが…。

 本書が結構売れているのは、「電子書籍化不可能!」といった惹句に、「透きとおる」という表現に、昨今の「お涙系ストーリー」が予想されるからではないでしょうか。

 みんな、どんだけ『セカチュー』とか『恋空』とか好きなんだろうね。

 主人公の藤阪燈真(ふじさかとうま)は、母と二人暮らしの20歳のアルバイター。彼の父親は、推理作家の宮内彰吾で、ベテランで売れっ子で女遊びが激しい人。主人公の母親が大学を出たばかりの頃、プレイボーイの宮内の毒牙にかかり、燈真を妊娠。堕胎を承知しない彼女は、金銭援助も認知も断り、女手一つで彼を育てます。

 燈真は少年の頃、病気で脳手術をしますが、一種の視覚障害を持っています。原稿などは平気ですが、書籍化された本を読んでいると、目が痛くなってしまい、長く読んでいられません。
 燈真の母は、彼が20歳の時、交通事故で死んでしまいます。
 折しも、宮内彰吾の訃報(がん)を知りますが、宮内の本妻の長男から、「親父(宮内彰吾)が亡くなる直前まで書いていた作品を探してほしい。題名は『世界でいちばん透きとおった物語』」と依頼されます。そこから、燈真の遺作原稿探しが始まります。

 以下、ネタバレですが、原稿は結局見つかりません。

 しかし、どういうものだったかは提示されます。

 ネタバレにあたり、京極夏彦さんの「京極堂シリーズ」の執筆におけるこだわり話が語られます。彼の第一作『姑獲鳥の夏』は最初、講談社ノベルスで出版されますが、書籍化にあたって、京極さんは文章に対して、厳密なルールを設定しています。
 例えば、「一文がページをまたぐことはない」とか、「一字ぶら下がりの削減」などを駆使し、徹底的に読みやすさを追求しています。しかも、文庫化にあたっても。こうしたルールを徹底しているため、版組が変わることに対しても対応できるるよう、大幅な加筆修正を行っています。
 「京極堂シリーズ」は、かなりページ数が多い作品ですが、読み疲れしないのは、作者の「ストーリーを変えずに、読みやすさを徹底する」という信念に貫かれているからでしょう。
 実際、このシリーズは「長い」ですが、「冗長」ではないです。本の厚さにたじろぎますが、実際読んでみると、意外とスイスイ読めます。

 宮内彰吾が書こうとしていた作品とは、
① 一見して普通の小説
② 左右ページで、鏡上に文字の配置を対称化させる。
③ 表ページに文字がある場合は、裏ページにも文字を配置し、表ページで空白の部分は裏ページも空白を配置する。

 というものです。ちょっとわかりにくいですが、要するに、(裏と表に文章のある)ページを透かして見ると、表に文字があるところには裏にも文字があり、空白のところは裏も空白、ということです。

 例えば最初のページの文字配置が
××××××××(←8文字)
××××(←4文字)
×××××××××××××(←13文字)
××××××××××××××××(←16文字)
××××××××××××××××××××××××(←24文字)
×××××××(←7文字)

 なんていう風だとすると、次のページは
×××××××(←7文字)
××××××××××××××××××××××××(←24文字)
××××××××××××××××(←16文字)
×××××××××××××(←13文字)
××××(←4文字)
××××××××(←8文字)

 となって、最終ページまで、全く同じ配置となるということです。

 なぜ宮内彰吾が、そんなことをしようとしたのかというと、燈真の「視覚障害」と関係しています。燈真は「視覚障害」というよりは、「視覚過敏」だったのです。そのため、通常の本では、普通の人が感じない空白部分に透けて見える裏ページの文字と、さらにその次のページの文字を認識してしまい、「脳が疲れてしまう」のです。
 浮気相手の子供とは言え、そんな障害を抱えている息子に、自分の書いた、しかも目の負担にならない本を読ませたいという想いが、執筆を決意させたのでした。

 宮内彰吾が実際に執筆していた原稿は、本妻の手によって燃やされてしまうのですが、燈真青年はその遺志を継いで、宮内氏のアイディアを執筆しようと決意します。
 そして、できあがったのが本書であったのだ、という仕掛けなのでした。
 本書は実際に、(裏に文字のある)最終ページまで、見開きページでは各行の行数が左右反転対称であり、かつ小説としても成立しているというものです。結果的に、文章もページをまたいでいないということも実践されています。


しかし、ワン・アイディア!

 第一に、キャラクターの造形に魅力がありません。

 

 唯一、編集者の霧子さんが魅力的ですが、彼女の推理も、所詮根拠のない推測となっています。まぁ、宮内氏の原稿が「失われた」形にならないと、燈真君が書くことにならないんで、しょうがないんでしょうけど、これまで、一切小説を書いたことがない人に書けるものでしょうか。
 また、文字が裏映りすることが脳の負担になるなら、限りなく空白に近い句点(「、」)や傍線(「――」)の裏に文字があったら、認識しちゃうんじゃないのか。しかも、本書は、段落の途中で「?」が使われた場合、そのあとに一字空白が挿入されていますが、その裏ページには文字が配置され、実際しっかり透けています。

 なんといっても、題名の『世界でいちばん――』という修飾語が大げさ過ぎるし、気持ち悪い。読者を煽るだけ煽って、「こんだけぇ~!?」という内容。

 自分のアイディアを「京極夏彦」に引き比べているあたりも不遜。いや、京極さんの作品と比べても、全然読みやすくないです。

 全く、あの杉井さんとは思えない作品です。

西加奈子:著『サラバ!』

 2015年の直木賞を受賞した作品。イランで生まれ、大阪で育ったた著者の自伝的要素が入っているのではないかと予想されます。

〇あらすじ

 1977年5月、圷歩(あくつあゆむ)が、父の赴任先のイランで誕生するところから始まり、終始彼の一人称視点で物語は進みます。
 美男美女であり、性格はおとなしい父と、やや激しめの母。そして、4歳上の傍若無人の姉。姉は「食べ物の上を歩く」、「癇癪を起こす」、「家の中に植木鉢の土をぶちまける」など、暴虐の限りを尽くしています。それは、一家が日本に帰国しても、彼女が中学生になってもおさまりません。姉は高校進学もせず、街のあちこちに「しっぽ付きの巻貝」を描き続け、カリスマ・アーティスト扱いされます。
 歩は、そんな姉を横目に、高校から大学へ進学しますが、卒業しても就職せず、音楽雑誌に時々寄稿するような生活でした。
 

 そんな、根無し草な状態の中、恋人と別れたり、次の恋人に裏切られたり、親友と思っていた友人が自分の元を去っていったり、親しい人が亡くなったり、両親が離婚したり、父が出家したり、頭がだんだんハゲたりしていきます。
 そんな時、カリスマ・アーティストをやめ、世界中を放浪していた姉が、恋人を連れて帰ってきます。昔の暴虐ぶりはすっかり鳴りを潜めており、あろうことか、「あなたは誰かと自分を比べて、ずっと揺れていたのよ。」と分かったようなことを言われます。そして、母と姉の仲も、あんなに激しく諍いあっていたのが噓のように、穏やかなものになっていきました。
 

 いたたまれず、子供の頃に暮らしていたイランに行きます。子供の頃、親友だったヤコブに会い、心穏やかになり、姉の言葉にも向き合うことができるようになります。そして、唐突に小説を書くことを決意。これまで語られていたことが、実は歩の書いた小説であることが語られます。


〇感想

 長い!上下巻合わせて700ページ越え。
 そして、エピソードが多いにもかかわらず、全てのエピソードが未消化。結末が示されず、投げっぱなし。
 特に、姉の暴虐ぶりに家族が振り回される描写が長くて、読んでいてつらいです。しかも、姉はそのトラウマをあっさり克服し、逆に歩に上から目線。

 本作は、同時に「直木賞」というものの抱える問題が露呈されているように思います。
 

 「直木賞」は、エンタメに与えられる国内で恐らく一番権威のある賞ですが、その年の出版物のみが対象とされる一方で、「この人、そろそろ直木賞獲ってもいいんじゃないか」といった忖度が働くものです。

 そのため、実績のある人に対しては、それなりの作品でも与えるということが起きるため、代表作ではないような作品でも「そろそろ…」という感じで受賞するということが起きます。こうした配慮は、「作品に対する賞」と言っていながら、「同じ人には二度与えない」という、というある意味、矛盾した運用から生じています。まぁ、大概の賞がそうですが。

 ちなみに、売れ行きでいうと「直木賞」より、「本屋大賞」の方が良いようです。(本作は、本屋大賞第2位)

 著者自身は、いくつも素晴らしい作品を書いていますが、本作については、「小説という形式による作者自身の自分語り」と感じます。「自分語り」だから、消化しなくても良い。人生なんて、そんなもんじゃん、と言っているようです。
 だから、あらゆるエピソードが未消化。そして、語り手が小説の作者。この2点において、「エッセイでも良かったんじゃない?」と思わせる作品です。
 

 西さん好きには良いのでしょう。でも『ふくわらい』や『さくら』、『漁港の肉子ちゃん』(アニメ化)の方が、小説としての完成度は高いと思いました。
 

 そろそろ、直木賞を与えるには手ごろな作品だったんじゃないでしょうか。