第11回アガサ・クリスティー賞を受賞したデビュー作。第166回直木三十五賞候補に挙がり、2022年本屋大賞及び第9回高校生直木賞を受賞しました。
 特に、アガサ・クリスティー賞は審査員5人が全員満点をつけ、満場一致の受賞であったといいます。


 ドイツの第二次世界大戦における、ソ連侵攻作戦が舞台。

 1942年、モスクワ近郊の農村イワノフスカヤ村にもドイツ軍が侵攻。住民を皆殺しにしていきます。少女セラフィマも、ドイツ兵に殺されそうになりますが、駆けつけた赤軍の女性兵士イリーナに救われ、「戦いたいか、死にたいか。」の二択を迫られます。セラフィマは、村を蹂躙したドイツ兵の上官イエーガーと、自分を戦場に無理やり連れてきたイリーナへの復讐を果たすため、イリーナが教官を務める訓練学校で一流の狙撃兵になることを決意します。
 同じような境遇で家族を喪った女性狙撃兵たちと訓練を重ね、彼女らは「第三九独立小隊」として、独ソ戦の転換点となるスターリングラードの前線を始め、戦闘の渦中に飛び込んでいきます。
 
 戦争ものは、どちらの陣営から描くかによって、読者の意識が変わってきます。
田村由美『ミステリと言う勿れ』に、「真実は無数にあるが、事実は一つしかない。」とあります。一見、「逆じゃない?真実は常に一つって、誰か言ってたよね?」って思うでしょう。

 裁判の例を考えるとよくわかります。裁判では、互いの真実を裁判官に訴えるため、「事実」を明らかにすることに努めます。その結果、検察と被告のどちらに「真実」があるのかを競いますよね。裁判とは、たった一つの事実を明らかにすることで、原告の真実と被告の真実のどちらを採用するのかを競うものだといえます。


 本作は、ソ連の少女セラフィマの視点で描かれるため、一応「ソ連」側に立っていますが、大義はどちらにもありません。セラフィマの復讐心さえ時には否定され、読者は「戦争」そのものが歪んだそれぞれの「真実」を生み出すものなのだと理解します。
 ドイツ軍の蛮行はもちろんですが、セラフィマの活躍に対しても、自軍のソ連兵から揶揄されたりと、必ずしも肯定的な描き方をしてはいません。
 ですが、本作は気が滅入る類の戦争ものではありません。
 狙撃に従事しながら、人間的に成長していくセラフィマの物語を縦軸とし、そこに歴史のエピソードを横軸とすることで、「彼女の物語を知りたい。」という読者の興味を持続させることに成功しています。
 さらに、登場するキャラクターも魅力的です。主人公はもちろん、「鉄の女」と呼ぶにふさわしい教官イリーナ、「ママ」の愛称を持つ年上の仲間ヤーナ、ウクライナ出身のコサックであることに民俗的誇りを持つオリガ、タバコをふかしながら女性への気遣いを忘れない看護師のターニャ等に加え、実在したソ連の女性狙撃兵リュドミラ・パヴリチェンコも登場し、物語に躍動感を加えています。
 
 大概の物語は、主人公の目的が達成されたところ(セラフィマにとっては、村を焼いたドイツ将校の殺害)で終わりになるところですが、「エピローグ」で、それぞれのその後の人生まで抑えており、読者の期待にきっちり応えているところもありがたいです。

 本書は、著者も言っているように、2022年2月のロシアのウクライナ軍事侵攻によって、違った文脈によって読まれるようになってしまいました。
 しかし、本作がそれでもなお傑作なのは間違いありません。それは、戦争という歪んだ「事実」が生み出す、それぞれの「真実」を、公平に描いているからなのではないでしょうか。