文庫のあらすじには「予測不能の結末が待つ、衝撃の物語」とあります。

 ですが、ワン・アイディアの駄作。(杉井さん、どうした!?)

 杉井さんと言えば、『さよならピアノソナタ』や、『神様のメモ帳』といった、アニメにもされた傑作があり、キャラクターの強烈な個性と推理がさえる作品で有名なのですが…。

 本書が結構売れているのは、「電子書籍化不可能!」といった惹句に、「透きとおる」という表現に、昨今の「お涙系ストーリー」が予想されるからではないでしょうか。

 みんな、どんだけ『セカチュー』とか『恋空』とか好きなんだろうね。

 主人公の藤阪燈真(ふじさかとうま)は、母と二人暮らしの20歳のアルバイター。彼の父親は、推理作家の宮内彰吾で、ベテランで売れっ子で女遊びが激しい人。主人公の母親が大学を出たばかりの頃、プレイボーイの宮内の毒牙にかかり、燈真を妊娠。堕胎を承知しない彼女は、金銭援助も認知も断り、女手一つで彼を育てます。

 燈真は少年の頃、病気で脳手術をしますが、一種の視覚障害を持っています。原稿などは平気ですが、書籍化された本を読んでいると、目が痛くなってしまい、長く読んでいられません。
 燈真の母は、彼が20歳の時、交通事故で死んでしまいます。
 折しも、宮内彰吾の訃報(がん)を知りますが、宮内の本妻の長男から、「親父(宮内彰吾)が亡くなる直前まで書いていた作品を探してほしい。題名は『世界でいちばん透きとおった物語』」と依頼されます。そこから、燈真の遺作原稿探しが始まります。

 以下、ネタバレですが、原稿は結局見つかりません。

 しかし、どういうものだったかは提示されます。

 ネタバレにあたり、京極夏彦さんの「京極堂シリーズ」の執筆におけるこだわり話が語られます。彼の第一作『姑獲鳥の夏』は最初、講談社ノベルスで出版されますが、書籍化にあたって、京極さんは文章に対して、厳密なルールを設定しています。
 例えば、「一文がページをまたぐことはない」とか、「一字ぶら下がりの削減」などを駆使し、徹底的に読みやすさを追求しています。しかも、文庫化にあたっても。こうしたルールを徹底しているため、版組が変わることに対しても対応できるるよう、大幅な加筆修正を行っています。
 「京極堂シリーズ」は、かなりページ数が多い作品ですが、読み疲れしないのは、作者の「ストーリーを変えずに、読みやすさを徹底する」という信念に貫かれているからでしょう。
 実際、このシリーズは「長い」ですが、「冗長」ではないです。本の厚さにたじろぎますが、実際読んでみると、意外とスイスイ読めます。

 宮内彰吾が書こうとしていた作品とは、
① 一見して普通の小説
② 左右ページで、鏡上に文字の配置を対称化させる。
③ 表ページに文字がある場合は、裏ページにも文字を配置し、表ページで空白の部分は裏ページも空白を配置する。

 というものです。ちょっとわかりにくいですが、要するに、(裏と表に文章のある)ページを透かして見ると、表に文字があるところには裏にも文字があり、空白のところは裏も空白、ということです。

 例えば最初のページの文字配置が
××××××××(←8文字)
××××(←4文字)
×××××××××××××(←13文字)
××××××××××××××××(←16文字)
××××××××××××××××××××××××(←24文字)
×××××××(←7文字)

 なんていう風だとすると、次のページは
×××××××(←7文字)
××××××××××××××××××××××××(←24文字)
××××××××××××××××(←16文字)
×××××××××××××(←13文字)
××××(←4文字)
××××××××(←8文字)

 となって、最終ページまで、全く同じ配置となるということです。

 なぜ宮内彰吾が、そんなことをしようとしたのかというと、燈真の「視覚障害」と関係しています。燈真は「視覚障害」というよりは、「視覚過敏」だったのです。そのため、通常の本では、普通の人が感じない空白部分に透けて見える裏ページの文字と、さらにその次のページの文字を認識してしまい、「脳が疲れてしまう」のです。
 浮気相手の子供とは言え、そんな障害を抱えている息子に、自分の書いた、しかも目の負担にならない本を読ませたいという想いが、執筆を決意させたのでした。

 宮内彰吾が実際に執筆していた原稿は、本妻の手によって燃やされてしまうのですが、燈真青年はその遺志を継いで、宮内氏のアイディアを執筆しようと決意します。
 そして、できあがったのが本書であったのだ、という仕掛けなのでした。
 本書は実際に、(裏に文字のある)最終ページまで、見開きページでは各行の行数が左右反転対称であり、かつ小説としても成立しているというものです。結果的に、文章もページをまたいでいないということも実践されています。


しかし、ワン・アイディア!

 第一に、キャラクターの造形に魅力がありません。

 

 唯一、編集者の霧子さんが魅力的ですが、彼女の推理も、所詮根拠のない推測となっています。まぁ、宮内氏の原稿が「失われた」形にならないと、燈真君が書くことにならないんで、しょうがないんでしょうけど、これまで、一切小説を書いたことがない人に書けるものでしょうか。
 また、文字が裏映りすることが脳の負担になるなら、限りなく空白に近い句点(「、」)や傍線(「――」)の裏に文字があったら、認識しちゃうんじゃないのか。しかも、本書は、段落の途中で「?」が使われた場合、そのあとに一字空白が挿入されていますが、その裏ページには文字が配置され、実際しっかり透けています。

 なんといっても、題名の『世界でいちばん――』という修飾語が大げさ過ぎるし、気持ち悪い。読者を煽るだけ煽って、「こんだけぇ~!?」という内容。

 自分のアイディアを「京極夏彦」に引き比べているあたりも不遜。いや、京極さんの作品と比べても、全然読みやすくないです。

 全く、あの杉井さんとは思えない作品です。