手前味噌~ビジネス・家族・子育て・経営・仲間・お客様・恋愛等から気づく法則~ -7ページ目

手前味噌~ビジネス・家族・子育て・経営・仲間・お客様・恋愛等から気づく法則~

経営や企業として、また、父親、夫として、あるいは上司、仲間として取り組んできた結果や経験から気づく事を週一回程度UPさせて頂きます。

お役に立てれば幸いです。

今回は、最近の動きの中での話で、初心について書きたいと思います。


東京や首都圏で仕事をすることが増えてくる中で、お客様の要望は具体的になってきており、会社としての対応をしなければならないところまで来ています。


そんな中、外資系ソフトウェア業界世界2位のコンサルティング本部様との取引が2月21日から始まりました。
運命めいた何かを感じつつ、打合せの回数を重ねています。


21日からプロジェクトに参画するために20日の夕刻、訪問するため、お客様先へ行きました。

東京支社があるのは西新宿、時間が2時間少しあったので戻ればよいのでしょうが、いろいろな事情から、胸を張って東京支社のスペースが使えない状況となっています。


そこで、なんとか仕事が出来るようネット環境を求め、周囲をリサーチしました。

有名ホテルのネット環境は満席で使えず、キンコーズは料金が半端なく高いため、ネット喫茶を探しました。
1時間400円で使用できるネット喫茶を見つけ、そこで仕事をしました。


狭い1人分のスペースで資料を回覧したり、グループウェアでメールの確認をしたり、1時間30分程度作業をしました。

その時に改めて気づいたことがあります。


今、振り返ると、私が会社に入社した時、すでに関西の事業所のスペースはありました。
しかし、一番初めは社長がテナントビルを探すところからが立ち上げであり、今回、私と2名の3人が体験したのは、場所すらないところからの体制作りということなんだなぁと、改めて認識しました。
と、同時に、今まで狭いながらも大阪支店や神戸オフィスを開設できていること自体が大変有難いことだったのだと、心底感じました。


そして、今から首都圏のインフラ・DBチームを立ち上げるためスペースの無い状況からやっていくんだということを、改めて認識しました。

文字通りゼロからの「事業立ち上げ」と言うことです。


普段、仕事をしている中で、あたりまえだと思うことは実は当たり前じゃないんだということなんだと認識したのです。

これから首都圏のチームはプロジェクトでも大変な思いや困難な局面に立ち向かうことになるでしょう。


私は、なるだけ早く、皆さんが快適に仕事をしていただける環境を用意できるように、今まで以上に、真剣に、全身全霊で取り組もうと思いました。


社長に出会い、会社に入社したころの初心を思い出して、新しい仲間と共に、今まで経験したことの無いことを、今まで以上に頑張って取り組んでいきます。


そして、皆さんがこの会社や社員の皆さんをもっともっと愛せるように、良かったと思っていただけるように、結果を出して行きたいと思います。


初心と決意を忘れぬよう、皆さんの役に立てるよう精進いたします。

私がまだ現場で開発をしていた時の話ですが、大変影響を受けた方がいます。


高卒で旧第一勧業銀行に入社して、同期500人(高卒は50人ほどだったそうです)の中で一番早く、支店長になられたと言う経歴をお持ちで、その会社へはヘッドハンティングで入社されたそうです。
また、旧第一勧業銀行の歴史上、最年少支店長だったそうです。
※たしか32歳で支店長に就任したと聞いています。


その方は課長と言う立場の方でしたが、実質は事業部長の決裁権をお持ちでした。
今は健康食品の通信販売を立ち上げられ、社長をされていると聞いています。


当時、私は通信販売の会社のシステム開発に参画しており、出向していました。
所属していた会社のグループ会社でした。
資本金1億程度の企業で、会員数が80万人程度の中堅企業でした。


データベースマーケティングの仕組みを開発するにあたり、営業企画一課のその課長さんと一緒に仕事をすることになりました。
課長さんは今の私の年齢だったと思います、つまり、36歳、私は3年目くらいだったと思いますので、25歳くらいでしょうか。
課長さんは、駆け出しの私に向き合って、本気でよく打合せしていただきました。

またその方は小説を本気で書いていたり、「おやじ組」という呑み会を結成されていて、その会長をしていたりと、何かと風変わりな方でした。
※おやじ組の移動手段は自転車のみで、カラオケはサザン限定だそうです(笑)


課長さんに色々なことを教わりましたが、今回は夢の定義について書きたいと思います。


ある日、一緒に食事を取りながら仕事の打合せをしていました。


私はマーケティング手法など全く知識がありませんでしたので、具体的な話をヒアリングするためでした。


いつものように、課長さんはガンガン酒を呑まれて酔っ払っていらっしゃいました。


突然、「お前の夢は何だ?」と聞かれまして私は答えました。
以下、小説風に記載します。


私  「本格的なイタリアンレストランを経営したいと思っています」
課長 「本格的とはどんなことを言っているんだ?」
私  「現地の食材で、本場の味で、しかも若い人にも食べていただけるような安価なメニューです」
課長 「それは夢じゃないな」
私  「なぜですか?」
課長 「お前はいま料理人じゃないからだ」
私  「夢を聞いたんですよね?」
課長 「夢とは叶えるためのもので、”こんなこと出来たらいいなぁー”という希望は夢じゃないんだよ!」
私  「それは違うと思います、夢は夢で、いつか出来ればいいなと言うことだと思います」
課長 「それは希望だよ、じゃ具体的な場所やメニュー、資金繰りは考えてるのか?」
私  「だから、夢でしょ?」
課長 「お前が言ってるのは何の脈絡もない空想なんだよ」
以下、省略


こんな感じで言い合いになりました。

この後も、課長さんが飲み潰れるまで話は続きました。


課長さんが仰っていたのは、計画と実力と実行タイミングを考えないものはただの空想で、夢ではない。

夢とは実現するための計画や実力など総合的なものだと言うことでした。


1年ほど課長さんと一緒に仕事をして、データベースマーケティングのシステムが完成しました。
問題(追加要求)は山ほどありましたが、達成感を感じたのを覚えています。


そして、そのタイミングで課長さんはこう言いました。
「この会社の夢をひとつ作り上げたんだ、夢とはこういうものだよ」

その時になるほど、そういうことかと思いました。


その会社にとって経営的に必要だった仕組みを、コンピュータで作れたということは、夢の実現に他ならなかったんですね。

そして、自分が出来ることのカテゴリーや範囲でないと実現しませんから、夢とはいえないと言うことだと感じました。


夢の定義は、人それぞれ捉えかたが違うと思いますが、私はビジネスの中では実現するための夢のほうが現実的で良いように感じます。


全てが当てはまるとは言えませんが、今私は夢を実現するため、この会社で実行計画やタイミングを考え、頑張っています。


うまくお伝えできませんが、これからも私が追い求める夢とは、実現できるためのもの、そして、実現させるものだと思って、これからも精進して行こうと思います。


そして、皆さんが思い描く夢を実現できるように、お手伝いをしてゆこうと思います。


ちなみに”イタリアンレストラン”の夢も死ぬまでには実現しようと思います。

今年の年賀状は80枚くらいでした。

去年に比べると倍以上になっています。


もちろん親戚やおばあちゃん、昔からの友人にも出したんですが、65枚程は会社の仲間に書きました。

増えた要因は会社の仲間にあります。


クリスマスイヴに用意しておいた年賀はがきに、一人ずつ、あて先を書きました。

メッセージも一人ずつ書きました。


最初は「疲れるかな」とか「どれくらいの時間がかかるかなぁ」と少し不安だったんですが、書いているうちに研ぎ澄まされてきて、名前を見ると書きたいことがスラスラ出てくるんです。

だから、数時間で終わりました。


短いメッセージのほうが早いと思って、絵葉書を用意していたんです。
でも少し驚いたんですが、短いメッセージのほうが難しいんですね。


伝えたいことをすべて書けないから、端的になってしまいます。

でも端的になってはいけないから、書く前に相手の方をイメージします。


すると、面白くなるくらい書けました。


いろんな仲間がいます。

そして皆さん大好きです。


最初に入社して頂いた、姫路の方。

この方とはこちらの都合で、すぐに正社員で入社していただけない事情があって、メールで必死に伝えました。

入社していただくまで、メールのやり取りからいろいろあって、思いの深い方です。


入社するまでに、4回も面接を結果的にした方。

この方は、会社に対する質問をExcelにまとめて、メールに添付してきましたね。

30項目くらいあったんじゃないかなぁ。

この方も思い入れがありますね。


入社が半年遅れて、入社して頂いてすぐに、大変なプロジェクトにリーダーで入っていただいた方。

この方も、入社までの間の途中で連絡がつかなくなって、とても心配しましたし、思い入れが深いです。


ほかの方も思い入れがあります。


度々飲みに行ってはそこで作戦会議をしていた、東京から引き抜いてきた方。


前の会社から引っ張ってきた女性ですが、男性より仕事に思いを持っていてくれている方。


前の会社で事実上、もめて辞めてきた方。


新しい分野に挑戦したいと入社された方。


実家から引越ししてまで、入社していただいた方。


違う業界で働こうと思っていた方。


前職の上司に説得されて、入社するのをやめようとされて、でも、入社された方。


私と一緒に仕事すると面白そうと言って、入社された方。


面接のときに、職務経歴書の書き方がまずいと、私にレクチャーされて入社された方。


前の会社が全て残業カットされていた方。


前の責任者が採用した方。


起業するために勉強になるからと言って、入社された方。


未経験ですがなんとしてもこの業界で働きたいと入社された方。


上に書いていないその他の方も、全員思い入れがありました。

思い出も、これからの目標も、約束も、私は知っていて、すべて違うからです。


だから手で書けたんでしょうね、年賀状のメッセージ。


誰一人、同じ内容を書いたものはありません。

これが、「手紙」なんでしょうね。


最近、私たちは「メール」というコンピュータに慣れてきています。

今日、私は80枚程度の「手紙」を書きました。


人は感動するものです。


メールやブログも感動を与えるものだと思いますが、書き手がどれほど思いを伝えられるのかと言うのは疑問があります。


このブログも、手書きなら私の汚い字や、書き順を間違っててバランスの悪い字もあると思います。

でも、そのへたくそな字で感動することもあると思うんです。


私はこれからも、年賀状やメールで、思いを伝えるため自分自身の言葉で、なるべく手書きで書こうと思います。

特に年賀状は何枚になろうと、手で書こうと思っています。


少しでも沢山思いを伝えたいから、だから手で書こうと思います。


それが、メッセージなんだと思うからです。


皆さんありがとう。

そして、これからもよろしくお願いいたします。




2006年が終わろうとしています。
でも、2007年が始まろうとしています。


今年はチャレンジと変化と試練の1年でした。


皆さんとお会いできて、こんなに心強く感じて仕事が出来て、寂しがりやの私にとっては嬉しく、感謝できることです。


本当に皆さんのおかげです、ありがとうございます。


来年は今年より、更に飛躍の年になるように、更なる覚悟で挑みます。
また、新しい取り組みも目白押しです。

皆さんのお力を貸してくださいね。


これからも家族同様、一緒に泣き笑いしましょう!


大変お疲れ様でした。


2007年もどうぞ、よろしくお願いいたします。

前に読んだ本で「人間の意識は1秒で変わる」と書いてありました。

そのことと近いと思うんですが、最近よく考えることがあります。


私は学生の頃、凄くお金に困っていました。

6千円の家賃のアパートに住んで、睡眠時間はバラバラでしたが、平均2時間程度でした。

それも夏場眠っていると、シロアリが体中を這っていて、むず痒くて目を覚ますことがよくありました。

シロアリに噛まれた事があるのは、世界広しといえども、先進国の人間ではあまりいないのではと思います。

(ちなみに中学の時にアルバイトしていた喫茶店でゴキブリに噛まれたこともあります)


バイト代が入っても、支払いに全部消えてゆく現実に、心が折れそうになって「死にたい」と思った事もありました。

まぁ自業自得なんですが。。


私がその経験をして決断したことは「絶対に前のような生活するのは嫌だ」ということです。

そのことが志となり、仕事や生活基盤の行動になって現れているんだと解釈しています。


以前に釣り鐘を作っている会社の社長さんの話を書きました。

その社長さんはこんな志を持って生きてらっしゃいました。


戦争中に徴兵された社長さんは(その時は社長じゃありませんが)軍から指令を受けて、機銃の弾丸を製造していらっしゃったそうです。

当時から日本は金属や石油など、ほとんどと言っていいほど輸入に頼っていました。

戦争中は当然輸入も規制されていて、材料不足に陥っていたようです。

ちなみにゼロ戦の機体は、一部紙で出来ていたそうです、なるほど軽くて小回りがきくはずです。


それでお寺にある釣り鐘を材料に、全国の寺院から軍がかき集めて、その青銅と溶かして加工していたそうです。

当時300貫以下の梵鐘は終戦までかき集めたそうで、その青銅を溶かして海軍の戦艦や弾丸などを作ったそうです。

Kgで言うところの1,125Kgですね(1貫=3.75Kg)


社長さんは寺院のシンボルである梵鐘を、割ってバラバラにして溶かしていくことが、とても辛かったと仰っていました。


戦争が終わり、実質社長さんは失業します。


そして、国に言って、銅を溶かすための炉を払い下げで安く分けていただいたそうです。

土地も払い下げてもらって、そこに工場を建てました。


炉を使って、自分が溶かしてきた青銅の梵鐘を各地の寺院に復活させたいと思ったからでした。

自分が心苦しくも溶かしてきた梵鐘に対しての償いの気持ちもあったと仰っていました。


奈良時代の製法を独学で勉強して、全国各地に粘土や砂、土などを探して歩いて、何年か後に梵鐘を作ることに成功したそうです。


そして、全国各地の寺院を回って梵鐘を軍に持っていかれたかどうか、行脚されたそうです。

1件見つけて、また1件見つけてとしているうちに、重要文化財の復元や国宝のレプリカを製作するようになっていったそうです。


また、はじめは1人で始められたそうですが、そのうちに1人職人が入ったり、鋳型や原型の先生の生徒さんが入社してこられたりして、15名ほどの会社になっていったそうです。


今では檀家さんや寺院の関係者さんも大変喜んでおられて、社会の役に立てる会社に成長しておられます。

また、息子さんに代替わりをしていますが、社長さんの意思を継いで、今でも梵鐘や銅像を作り続けていらっしゃいます。


社長さんが戦時中に人を殺す道具を作るのではなく、皆さんが喜ぶものを作りたいと決断された結果が、今に受け継がれているのだと思います。


人間は決断をするとその後の行動が変わります。

そして、行動の結果が因果関係で必ず出ます。

それがよい方向か悪い方向かは行動の結果で、つまるところ決断をするか、しないか次第なんだなって思います。

こうしよう、と思っても、決断しないと結果が伴わないのだと思います。


自分にとって「決断」とは、腹を括る事と思っています。

それは「挫折」する事なく、「あきらめない」事だと思っています。


皆さんと一緒に人生を掛けて、腹を括ってこれからも取り組んでいきたいと思います。


社長さんのケースように、将来私の意志を引きついてくれるであろう誰かのために、精進することを決断いたします。