私の父は、「太平洋戦争」に従軍し、人生のもっとも華やかな青春時代を海軍で過ごした。


軍艦に乗って、釜山、香港、上海、シンガポールなどアジア諸国の港に立ち寄り、結構楽しいこともあったようだ。

国内でも、佐世保、横須賀などの軍港に寄港していた。

軍艦「霧島」にも乗っていたので、鹿児島でも飲んでいたのだろう。敗戦後、四国の片田舎に帰郷して、自棄酒を飲んでは、「花は霧島~煙草は国分~」と蛮声を発していた。


田舎の座敷には、軍艦「陸奥」に乗船していた頃の、軍服姿の父の写真が、今でも額に入って飾られている。


しかし、私の父のイメージは、敗戦後の酒におぼれただらしのない姿と、悪酔いして母親をなぐる野蛮な姿と、そして、夢と自信をなくした弱々しい姿である。


私がいま住んでいるマンションの近くに、居酒屋「すずろ」がある。


そこのオーナーは80歳をはるかにすぎているが、いまだに小粋な感じのする小倉さんである。小倉さんは、なんと、戦時中、インドネシア・スラバヤの「士官クラブ」で働いていたという。

その当時の若かった小倉さんの写真を見せてもらった。

あるいは、私の父も一度くらいは、小倉さんに会っていたのかもしれない。


戦後60年といわれ「大反省」の日本であるが、身近に戦後を感じている。


「離婚」はめずらしいことではないが、離婚しない方が良いに決まっている。

それでも、男女の間は理屈ではない「不思議の国」であるから、当事者の間で解決不能なことかもしれない。

別れて暮らす方が良い場合もあるだろうと思う。


私の場合は、結婚するには「自立心」も「自律心」もまだ未熟であったの一言につきる。自分が一人の人間として「独立」していなくて、相手への依存心が強かったのだと思う。


今は一人で自由である。


結婚という枠に入るつもりはない。


しかし、人と人との関係は大切にしていきたい。

できれば、相手を傷つけることなく、裏切ることなく、お互いを必要とする関係でいたいと思う。




鹿屋市は、来年1月1日に、吾平町、串良町、輝北町を吸収合併して、10万都市になる。



鹿屋市街地を外れて、高隈山系を一望する高台をバイパスが走っている。

鹿屋市街地を背にして、左へ行けば「垂水」、右へ行けば「志布志」方向に走ることができる。


ご多分にもれず鹿屋市も旧市街地はさびれ、やたらと小口金融機関の看板が目立つシャッター商店街になっている。

一方、バイパス沿いには外食産業、パチンコ店、病院、老人ホーム、本屋、電気器具店、パソコンショップなどが進出していて、新しい街を形成している。


外食産業の「ジョイフル」も、回転寿司の「寿司虎」もみなバイパス沿いに店を出し、繁盛している。

日曜日のパチンコ店には、開店前に客の行列ができている。


旧市街地も、ようやく古い建物が壊され、再開発の工事がはじまっているが、明らかに街の中心はバイパス沿いに移っている。

旧市街地はダウンタウン、バイパス沿いは「山の手」といった感じで鹿屋市は変貌している。



鹿児島空港から鹿屋には二つのルートがある。

一つは、錦江湾に沿って垂水をとうって鹿屋に入るコースである。

もう一つは、国道10号線から、国道504号線をとうって、山道を走るコースである。


国道504号線は、ほとんど信号のない山中を縫って走る道路である。

ハイウエーではないが、信号がないから、車窓に映る自然を満喫しながら快適に走ることができる。

但し、夜間や、霧の濃い日や、雪の降った冬の日には注意が必要である。


それに、朝早く一人空港に向かうときなど、路上で野生のサルの家族がゾロゾロトと通り過ぎたりするから、あまりスピードを出すのは危険である。


海岸線を走るのも嫌いではない。

垂水には「道の駅」もあり、日本で一番長い「足湯」があるので、立ち寄って休憩することもできる。

しかし、国道504号線を走るのは、大自然の山々を縫って走る快適ロードだからなのだと思う。


はじめて食べた。

まず、色が強烈ですね。

香り、甘味は抵抗ないのだが、食べた後に刺すような酸味が残る。


・・・・・・・そう、キウイのようだ。


なんと「ドラゴンフルーツ」は、沖縄特産で、サボテンの実なのですね。





医療福祉は、国の政策の下に、医療保険制度・介護保険制度を運用して、行政が事業所を誘導してきました。

従って、医療現場、福祉現場は行政の動向に敏感に反応することにより、事業を継続させることができました。

しかし、自ら主体的に「経営」を考えることはなかったのではないでしょうか。


「行政に対応する」ことが「医療福祉経営」だという反論があるかもしれないのですが、これからは行政を超えたところで事業経営を考えることが期待されているように思うのです。


医療福祉事業は「自立性」を求められていますが、現実を考えると、政策を理解し、行政の動向もわかり、更にそれを超えたところで事業経営を考えるとなると、容易なことではありません。


「経営コンサルタント」が求められているものは、これからの事業経営の方向性と具体的な経営戦略の提示ではないかと考えます。

新規事業の開発と人事賃金制度の見直しが、これからの課題となるでしょう。









「フォーラム21」は、NPO法人ヘルスケアフォーラムと連携して、医療福祉事業の経営支援を行う、「教育研修集団」です。

www.npo-healthcare.jp/forum21/


医療福祉事業経営についての基本的考えは、「病院経営ニューパラダイム」にまとめています。

また、経営コンサルティングについては、「病院経営新時代活動試案」で枠組みを述べています。

そして、高齢者医療福祉事業の取り組みについては、「サクセスフルエイジング社会の建設」で、その考え方を発表しました。


多分、必要なことは、私に何かキラッと光るものがあるかどうかでしょう。





NPO法人ヘルスケアフォーラムは、「市民の目線で、ヘルスケアサービスを考え、医療福祉経営を考える」ことにしている。

www.npo-healthcare.jp



医療福祉を、医師の目線、病院の目線、福祉施設の目線、行政の目線で捉えるのではなく、利用者である市民の目線で考えていく。


これは簡単なことのようだが、本気で取り組んでいる組織は少ないと思います。


これから2015年までは、高齢者医療福祉がメインテーマになると考えています。

社会福祉法人恵仁会が立ち上げた最初の小規模多機能サービス拠点。

民家を借りて改修し、今年オープンした。


池田病院グループ創立者、池田哲男会長のニックネームである「哲ちゃん」から、ネーミングされた。

哲ちゃんの家と書いて「てっちゃんち」と読ませる。


今のところ、「ミニ・デイサービス」といったところであるが、今後の事業展開が期待される。