私の父は、「太平洋戦争」に従軍し、人生のもっとも華やかな青春時代を海軍で過ごした。


軍艦に乗って、釜山、香港、上海、シンガポールなどアジア諸国の港に立ち寄り、結構楽しいこともあったようだ。

国内でも、佐世保、横須賀などの軍港に寄港していた。

軍艦「霧島」にも乗っていたので、鹿児島でも飲んでいたのだろう。敗戦後、四国の片田舎に帰郷して、自棄酒を飲んでは、「花は霧島~煙草は国分~」と蛮声を発していた。


田舎の座敷には、軍艦「陸奥」に乗船していた頃の、軍服姿の父の写真が、今でも額に入って飾られている。


しかし、私の父のイメージは、敗戦後の酒におぼれただらしのない姿と、悪酔いして母親をなぐる野蛮な姿と、そして、夢と自信をなくした弱々しい姿である。


私がいま住んでいるマンションの近くに、居酒屋「すずろ」がある。


そこのオーナーは80歳をはるかにすぎているが、いまだに小粋な感じのする小倉さんである。小倉さんは、なんと、戦時中、インドネシア・スラバヤの「士官クラブ」で働いていたという。

その当時の若かった小倉さんの写真を見せてもらった。

あるいは、私の父も一度くらいは、小倉さんに会っていたのかもしれない。


戦後60年といわれ「大反省」の日本であるが、身近に戦後を感じている。