駒大苫小牧高校が、昨年夏に引き続き2005年夏も優勝した。


夏になると高校野球をTV観戦して、今まで何時も感激してきた。


子供の頃は、愛媛県の片田舎で、ラジオを聴いていた。


高校野球って何時頃始まったのだろうか・・・。

調べたら、1915年に第一回大会が開催されている。


しかし、私が生れた翌年、1941年から1945年の5年間は、戦争のため中止になっている。

そして、1946年から、また再開されたのである。


この60年間、高校野球は、「平和日本」の象徴的行事だったといえよう。


今年の高校野球のキーワードは「感謝」であった。



社団法人日本医業経営コンサルタント協会の機関誌「MMRC」の第4回編集会議が、東京で、9月6日(木)10:00~12:00に予定されている。


この会議は何時も楽しみである。


誰が、私を委員に推薦してくれたのか・・・、多分、広報委員会担当常務理事の、向江健治氏であろう。


盛氏とか布施氏とか知人が多く、かつ情報が豊富なのでまことに有益である。


NPO法人ヘルスケアフォーラムで研究会、セミナーを開催しながら、

そしてBlogを書きながら、

マイペースの生活を送る。


そして、講演依頼、経営支援依頼があれば、日本全国どこにでも出かけていく・・・


これを9月からの「私のライフスタイル」とする。


そのためには、10人の仲間、協力者が必須要件である。



私の書いたBlogに、トラックバックがないか、コメントがないか、ランキングはどうなっているかなどと「雑念」が入ってきた。


危険な兆候である。


小倉みゑさんの経営する居酒屋「すずろ」へ行ってきた。


そこで「歴史街道」平成17年9月号をいただいた。「PHP研究所」発行の月刊誌である。


「昭和20年8月15日、その時日本はー証言でつづる終戦秘話ー」に、みゑさんの文章『わが青春の地・インドネシアへの恩返し』が掲載されている。


小倉みゑさんは、大正10年生まれ。昭和19年にスラバヤへ渡り、「海軍給養施設」の「海軍士官倶楽部」に勤務。終戦で、昭和21年に帰国。東京築地で、旅館・飲食店を経営する傍ら、私財を投じてインドネシアに「奨学基金・日本語学校ミエ学園」を設立。日イ友好の架け橋となっている。


・・・とあり、士官倶楽部時代のみゑさんの写真も紹介されている。


スラバヤ時代のみゑさんは、負けん気の「きりっとした」いい女である。





介護保険に担保されて、高齢者のお世話をする。

医療保険に担保されて、患者さんの治療にあたる。


それが基本なのだが、保険だけではすまないことになってきた。


医療の世界では、従来、特定療養費とか、部屋代差額といった個人負担分があるが、介護の世界でも、この10月から、居住費と食費は自己負担となる。


提供するサービスの内容によって、価格が違ってくるのは必定、安いコストで豊かなサービスを提供する「経営」が必要となってきた。




私の書いた「太平洋戦争」に9件のトラックバックと1件のコメントがあった。


なるほどね・・・・。こんな感じですね。


私も「宮城県沖地震報告」に、はじめてトラックバックし、コメントしました。


「天変地異」、世の中ひっくり返るのか・・・。

心の中に「封印」していたものが、ほとばしり出る。


それはどんな表現方法であれ、何時までも心の奥にしまいこんでおくよりも、表出させた方が良い。


自分でも意識していない、もろもろの粕が溜まっている。



私は母から強い影響をうけて、この間まで「マザコン」だったように思う。

母の私への期待が大きく、その期待に応えなければならないという「呪縛」にとりつかれていた。


私の母は、生まれてすぐ、祖父母に育てられた。

母の父親「千代志」は、移民として米国にわたり、母親の「お雪さん」は、その後、大阪に住んでいたことがあるようだが、最後は満州で亡くなったと聞いている。


「ドラマ」のような母の出生を知ると、大抵のことでは驚かなくなった。