안녕하세요~♪
오레만 이네!!
おかげさまで 元気になりつつあります。
今日は、映画の視聴感想です。ご興味ない方は、スルーしてくださいかお

「国際市場で会いましょう」 2014.韓国公開

200.jpg

去年、本国では公開されて 歴代2位となる観客動員数を記録し
大ヒットした映画です。一人の男の60年余りの人生を通して
激動の時代を描いた作品です。
主人公 ドクスに ファン・ジョンミン。彼を初めて見たのは2005年に
公開された「ユア・マイ・サンシャイン」と、言う映画でした。実力派女優
チョン・ドヨンの相手役でしたけど、完全にこの人の演技力を実感する
ような映画でした。
ドクスの妻役に キム・ユンジン。古ーい映画ですが私が韓国に嵌った
原因?となった映画、「シュリ」に女スパイで出ていました。と、言うか
ハン・ソッキュ様の相手役でしたが。その後、あんまり見ないなぁ。
と、思っていたら米ドラマ「ロスト」で見てびっくり!!しました。
この人の方がチョン・ジヒョンより遥かに国際派女優だと、思います。
英語もペラペラですもの。
後は、助演ながらいつも、いい味出してくるオ・ダルス。
この人に出る映画、全部ヒットしてるような気がする。のは、私だけ?
後は初めて映画に出た、東方神起のユノもチョイ役で出てますが。
カッコイイです。
…と、まぁ。実力派キャストを集めた、真面目な映画です。
前置きが長くなりました。ここからがあらすじです。
ネタバレです。

一羽の白い蝶が釜山の国際市場の上空をひらひら舞っている。
その蝶が最後に飛んで行った先は2人の老夫婦のところだった。
釜山港を見下ろす高台に、主人公ドクス
(ファン・ジョンミン)がいた。
ヨンジャ(キム・ユンジン)と2人、庭の椅子に腰を下ろしとりとめのない
会話をしている。「なぁ、俺の子供の頃の夢がなんだか分かるか?」
と、ドクス。「さぁ。」とヨンジャ。
「俺はなぁ、船長になりたかったんだ。」
「…なんで言わなかったんです?」
「今さら、言ってもしょうがないだろう?昔の話さ…。」

場面が変わって。国際市場「コップン家」そこにドクスがいた。
怒鳴り声が響く。「売らないったら、売らない!!もう来るな!」
怒鳴っているのはドクス。相手は、土地を買おうとする業者。
戦前からあるこの国際市場を地上げして大きな開発しようと
土地の買収をしていた。ところが、ドクスは頑として「売らない」の
一点張り。今日も口汚く、業者を罵って追い返すドクス。その、頑固さと
口の悪さから、周囲の店でも鼻つまみ者なんだと、分かる。
孫の手を引いて歩く、ドクス。孫に「おじいちゃん、怒らないで。
おじいちゃんが怒ると怖いから。おじいちゃんは子供のころから
怒ってたの?」
と、聞かれて…心は自分の子供時代へとタイムスリップする。

1950年12月。咸鏡南道・興南。(現在の北朝鮮北東部)朝鮮戦争の
真只中ここに中国軍が攻めてきたところから物語は始まる。
村人たちが我先にと逃げる先に、アメリカ軍の艦隊が係留する
興南埠頭があった。ドクスは年のころ10歳くらいか?
両親と、兄弟たち取り分けすぐ下の妹マクスンはドクスが手を引い
て埠頭を目指して、出発。幼いマクスンには事の深刻さはまだわか
らない。ドクスは幼い妹に「ここは運動場じゃない。遊びに行くんじゃ
ないんだ。ふざけたりしないで兄ちゃんの手を放したら絶対にダメだ
ぞ!」と、事あるごとに言い聞かせていた。
こんな、混乱を極めている状況では、家族とはぐれたら最後。
死を意味する。
いよいよ、目の前に敵がせまり、人々も怒涛の様に興南埠頭に詰め
かけるが、アメリカの艦隊。「これ以上は何も乗せられない。」非情に
いう司令官に食い下がる、朝鮮人の通訳官。(軍人?)
「我が国の国民を助けてください!!あのままでは、中共軍に皆殺し
にされてしましまいます!!」
押し寄せる人の波。前は海。後ろは中共軍。絶体絶命の状況に
米司令官は武器をすべて捨てて、村人たちを乗せることを決意。
14000人もの命が助かることになったが…。船に上がる途中で
ドクスの手が離れ、はぐれてしまったマクスン。マクスンを探しに
船を降りる父。父は長男であるドクスに「これからは、家長はお前だ。
いつでも家族の事を一番に考えて生きるんだ。」そういう言葉を残し、
船からおりた父。悲鳴とも鳴き声とも怒号とも言えない、
言葉の渦の中。艦隊は埠頭を後にする。

 開始、17分。私はもう、この時にすでに泣いてしましました。
私の知り合いのおばぁさんは、第二次世界大戦で満州事変を経験さ
れた方で、その時の話を時折、言葉少なに語ってくださいましたが
「私は危うく、残留孤児になるか満州で野垂れ死ぬ所だったのよ。」
と、その当時の混乱を極めた時の話をして居ましたが、想像するにま
さにこの映画の冒頭のシーンのようだったのだろうかと思います。
残されたら皆殺しにあってしまうかもしれない、日本人は憎まれてい
るから殺さるだろう。そう思っていたそうです。

命からがら、逃げ延びたドクス一家。
釜山の「国際市場」にある、店を訪ねた。そこは、叔母がやっている店
で輸入雑貨店を営む「コップン家」。一家はそこを頼りに訪ねてきたの
だった。家の一部屋を借りて一家は暮らし始める。残った家族は4人。
母、ドクス、弟、妹。長男であるドクスには父との約束がある。
そして、家族に負い目がある。自分が、うっかり手を放したばっかりに
幼い妹、マクスンを失い、そして大黒柱である父まで失い…。
自分を責めるドクス。ここが、彼の人生の出発点になった。
この思いが、彼の人生を貫いている。
学校に妹を負ぶって連れて行き、その後は靴磨き。学校で生涯の友。
チャン・ダルグと出会う。2人はいつでもつるんでいた。
やがて、戦争は休戦状態になりやっと実質的な平和が訪れる。

余談ですが、2人が靴磨きをしている時の常連に。チョンさんという人
が出てきます。この人はドクスの船長になりたい。という夢を聞き
自分は船を造る。と、言います。前には国産の自動車を造る。と、言っ
てドクスとダルグの二人には可哀そうな大人だ。と、いう風に見えたみ
たいです。その当時は戦争が休戦状態で時代がどうなるかも分からな
い、どん底の不景気にあって、映画の中の言葉を借りれば、自国の
力が無いばかりに他国に土足で踏みにじられるような国に。国産の船
や自動車が作れるようになるなんて。2人にはいや、その当時の大人た
ちでもそういう人が多かったに違いないでしょう。その中にあって
このチョンという人は堂々と自分の夢を語っています。「頑張れよ!!」
そう言って、トラックに乗り込むチョン社長。その車には「現代建設」
と、書かれています。そう。感の良い方ならピンっと、」来たはずです。
そう、このチョン社長こそ現代の韓国の礎を築いた大財閥の1つといっ
ても過言ではない「現代自動車(ヒュンダイ)」の創始者、チョン・ジュヨ
ンさん。細かい演出が効いています。日本でいう、戦後の高度成長期
に至るまでの過程にも似た感覚が、このシーンがある事によって表現
されているのでしょう。戦後の混乱の不景気の真っ只中でも。夢を持ち
実現した人がいるということで数少ない希望になっているのだと
思います。

1963年・秋。成人して人一倍の大男に成長したドクスは、相変わらず
家族のために、進学もせず朝から晩まで汗水たらしながら働いてい
た。でも。ドクスには密かな夢があった。少しづつでもお金を貯めて、
進学し大学で勉強する事。予備校に通うにもお金が必要で弟、妹と
長男であるドクスは朝から晩まで365日、汗水たらして働いていた。
そこへ、幸か不幸か。弟スンギュがソウル大に合格してしまう。
出来のいい弟を持ったはいいが、入学金やら何やら…そんなことを
考えると頭が重いドクス。そこへダルグが身入りの良い話を持ってき
た。「西ドイツで鉱夫を募集している。」と。確かに、お金は半端なくい
い。(当時の月給取りの8倍)
これなら、スンギュの大学の金も家族も少し楽が出来る。…けれど。

sub2_large.jpg

西ドイツに3年。3年の間、異国の地で重労働、かつ危険な仕事であ
る。なにより。自分も大学に行って勉強したい。そんな気持ちが頭を
掠める。渋るドクスだが、弟が大学入学をあきらめる。そんな言葉を
聞いて決心。見事、西ドイツ鉱夫派遣に受かり、西ドイツに渡ったド
クスだった。だが、西ドイツに渡ったことでドクス人生を変える人と巡
り合うことになる。それは、妻。ヨンジャqとの出会いだ。ヨンジャは病院
の看護婦として来ていた。

その当時をググって見ると韓国労働派遣の歴史として1963年から1978
年まで西ドイツの経済特需で不足した労働力を韓国や日本に求め、韓
国では失業者が250万人。募集500人に対して応募は4万6000人が殺
到した。と書いてあります。と、すればドイツに渡れた人はある意味、
エリートであると言えるのかもしれません。

海外での危険な鉱山労働。危険と隣り合わせの毎日で真っ黒になりな
がら働き詰めに働いていたその日、ドクス、ダルグは鉱内の坑道にい
た。奥でガスが充満し、大爆発を起こす。警報、が鳴ったが時すでに遅
し。2人は坑道の落盤事故に巻き込まれてしまう。ヨンジャは病院へと
大量に運ばれてくる負傷者を見て、事故が並大抵なものでない事を知
り、ドクスの安否が気になり、鉱山へと行く。
「中に、ドクスとダルグがいるんだ!!」命からがら逃げた仲間たちが
口々に言うがドイツ人である、現場の指揮官は
「まだ、ガスが充満しているから、どんな理由があっても入坑は許可で
きない。」と、非常に言い放つ。それに対していうヨンジャの言葉が胸を
打つ。「今、閉じ込められているのはあなたたちの為に遥か遠い国から
出稼ぎにきた貧しくて、気の毒な韓国人です!あなたたちが出来ない
なら私たちがやりますから!どうか入ることを許可してください!!」
と、懇願するも「話にならないね。こんな、生きてるかどうかも分からな
いのに。」その言葉に、ヨンジャの怒りは爆発する。
「言葉に気をつけなさいよ!死んでなんかない!たとえ、望みは無くて
も絶対に助ける!!」後ろで聞いていた仲間たちは、その言葉にうな
づき、心を決して。反対されても力づくで坑道に入っていった…。

日本でも。戦後の失業から南米やハワイなどに出稼ぎに行った
歴史があります。今では信じられないほど、豊かな日本でも。
たった、60年、70年前までの日本は貧しかったのです。日本もこうだ
ったのかもしれないという思いで見ていました。遥か祖国を離れ、寄る
辺ない人たちがこうやって祖国の地を踏みことなく、命が散った人もい
るのでしょう。そう思うと、このシーンは涙なしに見られませんでした。
何十年か前に、ペルーに出稼ぎに行ったおじいちゃんと知り合うことが
ありました。(私、年寄に縁があるみたいです)その娘さんと、友達だっ
たのですがそのおじいちゃんに色々な苦労話を聞かせてもらっていた
から余計に胸に迫るものがあったのかもしれません。

 事故を契機にヨンジャとの仲も一気に深まるが、第1時鉱夫派遣は終
了することになり、ドクスはヨンジャに責任を持つから一緒に帰ろうとい
うが…。ヨンジュは首を縦に振らなかった。仕方なく、ドクスは韓国に帰
った。韓国に帰ると、家は大きくなっていた。ドクスの仕送りにおかげで
一家も叔母さんも元気にやっていたようでそのことを喜ぶドクス。
そこへ、一緒に帰らないと言って別れたヨンジュが訪ねてくる。
「赤ちゃんが出来た…。」と。別れの悲しさのあまりに勢いで…❤
かくしてドクスとヨンジャはめでたく結婚!!

main_large.jpg

こちらも余談。ドイツから帰って店を手伝っていた時にダルグが店に
人を連れてきた。何でも、どこにもないセクシーでアブノーマルで
なんちゃらかんちゃらの生地を探している。ち、いうそのナヨッとした感
じのキム・ボンナムと名乗った人物。この人が後のアンドレ・キムその
人。結局、叔母さんの着ていた韓服の袖口の刺繍を見て、閃いた
キム・ボンナム社長は店を後にします。こんな仕掛けが随所に仕掛け
られています。

そして1973年。ドクスは長年の夢だった、大学の入試に受かる。
海洋大学からの合格通知を受け取ったドクスは、船長の夢を
叶えるべく着実に進んでいた。おばの店も順調で、この頃が
順風満帆に見える。ご機嫌でめったに買わない肉を買って家路に急ぐ
と不穏な空気…。末っ子の妹が母親と言い争っている。
結婚したいが、お金がない。持参金やら何やらでお金がかかる。その
ことが出来ない母親をなじる妹。「家を売ればいい。」だの「ちい兄ちゃ
んの時は散々してやったのに。」だの自分の都合を押し付けるばかり
の妹。「あんたは誰のおかげで大学まで行かしてもらったと思ってる
の!!」
「大きい兄さんが死ぬほどの苦労をして買った家をーーー!!!」
そのやり取りを物陰で聞いていたドクス。力なく店に行き軒先でぼーっ
としているところへ不動産屋が現れる。亡くなって間もない叔母。昔か
ら酒と博打しかしない叔父が生活するために店を売りに出したという。
ドクスは思わず言っていた。「俺が買うから。」と。
合格通知・ユン・ドクス。その紙は風にさらわれ、どこへともなく風に流
されていった。自分の進学はあきらめ、叔母の店を守る為、妹の結婚
資金の為、ドクスはまた新たにベトナム行を決意する。
ベトナム戦争は1960年から1975年の間行われた戦争だが、ドクスが
技士として派遣される1973年は戦争も終盤に差し掛かった頃。
韓国ウォンで40万ウォンくれるという。母親は勿論、反対。ヨンジャも
納得がいかない。妹クッスンだけはこれで嫁に行ける。
と、呑気に喜んでいる。私も納得がいかない。(笑)
公園でヨンジャにいう。
「俺は長男で家長だ。家長なら、家族の面倒を見るのは当たり前なん
だ。」と。
「もういいでしょう?今まで背負ってやって来たでしょう?知ってるわ
よ。クッスンと叔母さんの店の為に行くんでしょう!!」
問い詰められて
「俺だって、好きで行くわけじゃないんだ。こういう星の下に生まれた
んだから、しょうがないだろう?女は黙って、男の言うことに従えばい
いんだ!!」
「自分の為に生きたらどうなの!なんで、自分の人生に自分がいな
いの?」そういうヨンジャ。そこへ…国旗への宣誓放送が流れる…。
「誇らしい大極旗の前に、祖国と民族の無窮も栄光の為…身と心を
捧げ忠誠を尽くすことを誓います。」と、いう放送が流れ、人々は立
ち上がり大極旗に向かって右手を胸の上に置きこの言葉を誓う。
このシーンはすごく皮肉です。祖国の為に身も心も捧げても。
この国は何もしてはくれない。働いても働いても。虚しくなるばかり。
そんな国へ宣誓はしたくない。この世の中で必死に生きてる、命を
削って生きてる。それだけで充分じゃないか。これ以上、何を誓えと
いうのか。その迷いがこのシーンによく表れていると思います。

またまた、余談。合格通知が来て喜んで肉屋へと行ったドクス。
肉屋のTVに、ニュースが流れそのニュースの中に
「伝統的な韓服に大胆に刺繍を施したデザインで一世風靡した
アンドレ・キム」の話題と「国内初。そして最大の国産油槽船
(タンカー)の話題が出ていました。
それは言うまでもなく、本編の中に出てくるあの2人も事です。

次のシーンにはもうドクスの姿はベトナムの空の下だった。
とある建物の前。給料を、もらったドクスとダルグ。アメリカ軍のトラッ
クに「ギブ ミ― チョコレート」と駆け寄る子供たち。自分たちもそうだ
ったなと、昔を思い出すドクスとダルグ。一番、小さい子がチョコレート
も奪われて泣いている。ドクスは持っていたチョコレートを子供に渡す。
少しすると子供が何やら手招きをする。その緊迫した様子から、ただ事
ではないと察するドクス。瞬間、建物から離れるが…。爆破に巻き込ま
れて吹っ飛ばされたドクス。テロによって建物が爆破されたのだった。
また、ある時は密林の中の村。若い男たちは敵軍に連れて行かれ、女
子供、老人しか残されていない村で船着き場を作っていたドクスとダル
グ。ベトコンが襲ってくる情報が入り、退却命令が。そこへ、韓国軍の海
兵隊の1団と、出会う。その中に、ユノが出ています。人気歌手、
ナム・ジンとして。またも九死に一生を得て、その場からの脱出を試みよ
うとしていた矢先に村人から懇願される。その船に乗せて欲しいと。余裕
のない船。「駄目だ。」と断るドクス。せめて子供たちだけでも…と懇願さ
れて自分達の時の事を思い出したのだろう。ドクスは村人全員を乗せる
決意をする。その時、幼い兄妹の内、妹が船から落ちる。そこへベトコン
が押し寄せて絶対絶命の中、ドクスは妹を助けるため、船から降り妹を
助け上げたところを左足大腿部を銃で射抜かれてしまう。船に乗りかか
っていた体が崩れて…川に落ちるその手前で、ナム・ジンに助けられる。

そうか。だから、ドクスが韓国一の歌手はナム・ジンだと言い張ったんだ。
ということが分かる。ヨンジャとの会話で強固に言い張り、終いには怒って
しまうドクスに???理解不能でしたが、命の恩人だったから、あんなに
言い張ったわけなんですね。納得。釜山男って口数が少ない。と、良く
言われますが。言葉足りな過ぎですね。

帰国するドクス。左足を怪我し、一生ビッコを引いて歩くことになったドクス

sub1_large.jpg
上の写真は市場の店の前で再開するヨンジャとドクスです。
妹の結婚式も終わり、店も看板を新しくして再出発を図る2人。
涙ぐましいです。

そして舞台は1983年。休戦後30年が経過して、風化していく中で
テレビは大きな役割を果たします。
休戦後30年。政府は「離散家族」の公開放送と、一同に会して
捜索する意味で汝矣島広場での大掛かりな催しを開く。様々な人が
あの混乱期にはぐれ、父、母、を探しています。弟、妹を探しています。
など、思い思いの物を胸に探す姿は本当に胸を打たれる。
本当の家族の再会のVTRが流れています。
「あの日は空が曇っていて…」「床屋に預けて行ったでしょ?」
はぐれたときの状況を言い合って、やっとこの人が 妹だ、兄だ、父だ、
母だ。と、分かった時の人々の表情を今思い出しても泣けてきてしょう
がないです。中でも「オッパ、オッパァー。」と泣き叫ぶ女性の表情が
胸に迫ります。当然、ドクスもマクスン、父とはぐれたドクスもやはりそ
の家族の一人。TVで訴えます。

「興南撤収の時生き別れた妹は耳の後ろに黒い痣があり、手が離れた
とき妹の着ていた服の袖だけが手元に残りました。母は、家族の着物を
仕立てるときに、袖口に蝶の刺繍を施していました。」
じっと、テレビを見る家族たち。そんな中…父親と思しき人からの電話が
入るが、人違いで残念に終わる。再会を果たせる人ばかりではない現実
もある。そうしている中また連絡が入る。今度は米・ロサンジェルスから
だという。訝し気なドクス。また、人違いじゃないのか?
画面に現れた女性は、韓国語も話せない、英語しか話せない。
「名前はマクスンというんですが…」と、いうドクスの問いにも
「幼いころ、米国に養子に出されたから、韓国名は覚えていない。」と。
会場もドクスもがっかりな感じの雰囲気であった。自分の名前すら覚えて
いないなら、手掛かりがないに等しい。その女性は続ける。
「1つだけ覚えているのは、冬の興南埠頭で大きい兄が私を抱いて走るん
ですがその兄によく、叱られた事です。」
それしか、覚えてないの?そんなことはよくある話で手掛かりにならない!
焦るドクス。「だから、故郷はどこなんですか?故郷は。」
「故郷は良くわかりません。興南埠頭で泣いていると、米兵が船に乗せて
くれました。それから釜山に着いて孤児院に預けられてそこから米に養子
に出されました。」
「うちのマクスンには耳に痣があるんですが…」
女性は髪を分けて耳を見せる。
「あぁ、同じだ。痣が同じだ。」と、ドクス。もうすすり泣いている。
「そして、もう一つだけ覚えているのは…」と女性。
「離れ離れになる直前、兄が言った言葉です。」
そして、そこだけはそのまま覚えていたんでしょう。韓国語で
「ここは運動場じゃない。遊びに行くんじゃないんだ。分かったな?
兄ちゃんの手をちゃんと掴んでいるんだぞ。」もう、言葉になりません。
「マクスンだ…妹です。」そして、画面の女性がもう一つ。
片方の袖がない服を広げて
「私はあなたの妹ですか?」そう問いかける。
「マクスンに間違いないです。あぁ、すまない。俺が手をしっかり掴ん
でなかったばっかりに…すまない。マクスン…。」
「お兄ちゃん、なんで私を置いて行ったの?」そう問いかけるマクスンに
「すまない。」と、泣いて詫びるしかないドクスだった…。
「お母さんは?お母さんに会いたい」「母さんは元気に生きてるよ。」
会場も家族も温かな雰囲気に包まれる。

私、もう。この場面は。大号泣でした。嗚咽に近いかもしれません。
本当に韓国映画は分かりやすくて良いです。思いっきり泣けるように
作ってくれているのです。きっと。

法事で集まった、息子、娘、孫に囲まれて幸せな家族。
言葉少ない釜山男のドクスは自室で一人、父親の写真に向かって
いうのだ。「お父さん、約束は守ったでしょう?それなりの暮らしも
出来ています。……でも。…でも、辛くて仕方なかったです…」
男泣きに泣くドクス。そして、父親を夢想する中で父親に言われる
のだ「泣くんじゃないドクス。お前が苦労してきたことは分かってる。
父さんは感謝しているよ。約束を果たしてくれて、父さんの代わりを
務めてくれてありがとう。本当に感謝している。」と。
そして、子供の戻ったドクスは
「父さん…。父さんに会いたいです。」と、小さい体で泣くのだ。
「父さんも、お前に本当に会いたかった。」と。父親の形見の着物を
掻き抱いて、子供様に泣くドクス。どこかで吹っ切れたのだろうか。
それとも、あの夢想の中で父親と会って父さんが最後の別れに来
てくれたとでも思ったのか、皆に言われても絶対に売らない。
と、言ってた店を「売ろうか。」ヨンジャに言うドクス。
「もう、父さんは来ないだろう?年老いてしまったろうから…」
そう。あの興南埠頭で分かれた時、父に言われた
「釜山の国際市場にある「コップン家」という店で会おう。叔母さんが
やってる店だから。」この言葉を。胸に抱いていたのだ。
叔母さんが亡くなり、おじさんが売ろうとしていた店を命がけで
買ったのも。「コップン家」という、流行らない屋号を誰に言われても
変えなかったのも。父親が国際市場のコップン家で会おう。
そう言ったからなのだ。と、すると冒頭に出てくる、白の蝶は。
父親じゃなかったのか。魂となった父親が母親の得意だった刺繍の
蝶に姿を変えて、ドクスにあの言葉を伝えるために舞い現れたのだ
ろうか?そうならば、嬉しいと思う。
父親の代わりを務めるために、一人苦労してきたドクス。
戦後の日本においても、韓国で朝鮮でもアメリカでもドクスのような
人は多かったでしょう。こういう歴史の下に今の平和があるならば
二度と繰り返してはいけないでしょう。本編の中でドクスは言います。
「これが、自分たちの時代で良かった。こんな思いをするのが自分
達の子供じゃなくてよかった」と。「戦争を体験したり、西ドイツの炭
鉱で死ぬような思いして働く事や、ベトナム様な危険な国に出稼ぎ
に行ったり…。それが、子供達の時代でなくて良かった。」と。
これが本当の親心でしょう。
この映画は、一人の男の家族への愛が詰まった映画でるとともに
遠からず、反戦映画の要素もある気がします。
涙もろい方は号泣必死ですので、くれぐれも目が腫れても大丈夫
なひを選んでみることをお薦めします。