「きれいさび」という、つまり古田織部あたりでとっ散らかっちゃったワビサビをもっかい整えましょ、的なお茶文化を創始した小堀遠州さんの、その何代か後の宗家さんの展覧会、らしいです。
ま、そのへんはざっくりと理解して(いや、理解しないで)、出かけていきました。
眼目はただひとつ、天下に聞こえた大井戸茶碗「喜左衛門」です。
名だたる茶碗の数々を修業時代にさんざん観てきましたが、この国宝にははじめてお目にかかります。
目黒区美術館は、わいわいガヤガヤとした目黒駅からちょっと離れた閑静な住宅地の奥の奥、鬱蒼とした林の中に埋もれるように建ってました。
これが「田舎の小さな公民館」的たたずまいで、人影まばらで、かつ出入りも大らかなもの。
「ここに喜左衛門が?」と、まったく拍子抜け。
しかしとにかく飛び込み、ザコ展示には目もくれず(御免、たいした作品だとは思うんだけど)、目的に向かって一直線に突き進みます。
すると、ありました、喜左衛門さま。
たいした工夫もなく陳列された展示品の中で、すぐに目にとまりました。
なぜなら、どういうわけかくすんで古ぼけたいっこの小ドンブリに、後光が射している。
これがもう誇張なしに、光り輝いてるわけ。
シャイニング!
・・・細かい説明は「陶芸みち」に書いたから省きますが、とにかくドギモを抜かれる格でした。
すぐ隣に、かの有名な継ぎはぎ青磁「馬蝗絆」や、オレの(この寸前まで)いちばん好きな井戸「柴田」まで並んでましたが、それがしょぼくれて見えるほどの圧倒的な存在感。
目を奪われる、というのはこういう状況に置かれたときの人間の反応をいうのですね、まさにそれ。
し、視線が、う、動かせない・・・
こんなとき、ナイスな環境だぜ、目黒区美術館。
大きな展示室に、人影はふたつみっつしかなく、それも「どーでもいい展示品」のところでふーん、とか、ほー、とか言ってるすっとぼけたじいさんばかり。
つまり、喜左衛門の周囲5メートルを独り占め。
ためつすがめつ、一時間以上も凝視してしまいましたわ。
修業時代には、この天下一の茶碗の写真を前に、真似してやろうとろくろを回したりしたものでしたが、ホンモノはやっぱし破格でした。
真似しようなんて、失礼ってものです。
ただただうっとりと見つめ、姿を目に焼き付け、脳裏に刻み込んで、合掌して帰ってきました。

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「陶芸みち」

ポスト印象派、のあたりを網羅した展覧会です。
実は、ゴッホやセザンヌの実物は、恥ずかしながら今までほとんど観たことがありませんでした。
ぶっちゃけ今回がはじめてです。
どんなすげーシロモノなんだろ?と、興奮しつつ、展示室に入りました。
ところが、実際観たら、驚くほどピンときませんでした。
これは好みの問題なのかもしれません。
絵をはじめとした芸術作品には「よい」「悪い」という価値観は存在せず、「好き」「嫌い」があるのみですが、ポスト印象派は、ぼくの中では後者・・・なのかも。
劇的な印象派と、その後の構成主義とにはさまれた過渡期の時代ですが、第一に、多くの作品に共通する「筆触分割」という技法が苦手です。
いろんな色の点描の配置によって、遠目には深みのある色に見える、というやつ。
印象派のタッチにはまだその必然性が生きてましたが、この時期にくると奇妙に合理性が入り込み、言えば「科学」が干渉してきて、トリックアートに近いような見苦しさがあります。
目先を変えてみた、という使い方。
作家の感性で勝負してないために、俗臭がします。
いいものもないとは言わないけど、いくらなんでもやりすぎ。
策士、策におぼれる。
ゴッホの一部作品にはハッとさせられましたが。
それでも、期待してた「打ち震える」ほどの劇的な感動は起きませんでした。
セザンヌは・・・これも構成主義の走りとして当時は目新しかったのかもしれませんが、やはり現代にはきつい。
すいどーばたあたりの画学生のほうがもう少し気の利いたものを描いてる気がします。
技術は日進月歩ですな。
ルーシーと同様に「いちばん最初にやったからすごかったのだ」と言いたくなります。
というわけで、「普遍性」なる幻想を求めて美術館に足を運んでみてるわけですが、今回はそれを見いだすことはできませんでした。
あるいは、ぼくのほうがスレてしまってるのかも。
若き日にはあれほど敏感にそよいでた心が、ちっとも動かされません。
困った事態ではあります。
だけどぼくは、自分の感受性を信じきってるので、しかたないのです。
はっきりと「その絵が自分の好みでない」とわかっただけでもよかったのです。
みなさんも、自分の審美眼に自信を持ちましょ。
お値段や世間の評にまどわされちゃダメ。
「自分の心を打つ作品」をさがして、どんどん美術館に足を運びましょう。
そうそう、最終展示室のルソーはすばらしかったです。
それだけでヨシ、うん。

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「ルーシー・リー展」「オルセー美術館展」「小堀宗慶展」と、三つの美術展をハシゴしました。
そのレビューを。

まず「ルーシー」ですが、なんだか趣味陶芸のおばあちゃんの展覧会を観てる気分でした。
いい意味でも悪い意味でも、このひとは素人さんなのです。
成形も、施釉も、表現も、とてもゆるい。
ろくろ成形時にゆがんだり、焼成時にへたったり、釉薬も融けきってなかったり、掻き落としの線もよろめいてたり・・・だけど、これでいいんだもん、と開き直ってるフシがあります。
日本の職人さんから見たら、苦笑いがこぼれそうな出来です。
中にはハッとするような造形や色彩もありますが、大半は「見事!プロフェッショナルの仕事なり、アッパレ~!」とはとてもいきません。
いや、悪口じゃなくて、それがこのひとの魅力なのです。
観る側にも、ほのぼのとそのことを許容する用意があります。
ただ、作意を見せすぎてたり、自己模倣に落ち入ってコマーシャルにつくられてるものはいただけませんでした。
ルーシーの価値は、最初にそのエレガントなスタイルを社会に提示してみせた、という一点にあります。
当時、だれも見たことがなかったであろうその現代性は、センセーショナルかつエポックメイキングでした。
その後の作品を見ると、スタイルの熟成、あるいは更新に悩んだものと推察しますが、生涯一貫して、このひとは陶芸を心から楽しんだのだと思います。
そここそが、陶芸をかじる誰もが「ひとりのこらず」このひとのことを好き、という信じがたい人気を得てる理由にちがいありません。
「ゆがんでる」「失敗した」・・・そういうところにとらわれない達観。
「どう?面白いでしょ?」的楽観。
その心持ちをうらやましいなー、と感じつつ、ぼくもまたほのぼのと展覧会場をめぐりました。
・・・あるいはまさかとは思うけど、本気で、真剣に、血のにじむような思いで精進し、苦しみ抜いて、その結果としてこのゆるい作品群を残したのだとしたら・・・ちょっと困りますが・・・

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いやあ、ワールドカップですねえ、ブ~ブ~。(ブーイングじゃないよ。ブブゼラだよ)
巷では盛り上がってないなどと報道されておりますが、いやしかしやっぱそこは天下のW杯。
直前になって各国代表チーム同士の国際マッチ(親善か?)を観てると、心が浮き立ってきますわ、男の子として。
プラティニやマラドーナの活躍するW杯をザラザラのブラウン管テレビで観てきた世代です。
毎度毎度、大騒ぎで画面にかじりつくのが恒例。
・・・いまだに箱式14型のゴーストテレビでの観戦ですが。
あ~、もっと早く薄型のかっこいいやつを買っておくべきだった・・・
ま、仕方がない。
世間も徐々に盛り上がってね。
この大会はね、面白くないはずがないのです、って知ってた?(日韓大会だけは異様に面白くなかったけど)
強豪同士のプライドを賭けた潰し合いや、世界の超一流選手のあきれるような美技、ミラクルプレイを堪能し、圧倒されようではありませんか。
そして、日本のナショナルチームも温かく見守ってあげてね。
彼らはまだ、世界から見たら小学生の段階なのだから。
さて、個人的予想です。
優勝は、イングランドがいいな、なんとなく。
で、ルーニーは得点王ね。
スペインとかポルトガルとか、派手なところにも勝ち上がってほしい、イニエスタみせてくれ。(あ、ロナウドも)
フランスは今年はむずかしそうだけど、個人的に応援したいチームです、アンリ負けんな。
マラドーナ信仰のぼくとしては、アルゼンチンにもがんばってほしい、ベロンたのむ。
北朝鮮にも注目、ちょん・てせ、一泡ふかしたれ。
アフリカ勢も地の利があるし、あなどれませんね、ドログバ復活して!(オランダ・ロッベンも快癒祈願!)
ブラジルはどうなの?カカ、大丈夫なん?
あ、ニッポンもがんばれ、とにかく一勝しておいしいお酒飲まして。
考えはじめると脳が煮え立ってきますな。
世間は驚くほど静かですが、夜のスポーツニュースで世界のスーパープレイを目にしてみ。
必ずドギモ抜かれて、四年に一度の例の興奮を取り戻すに決まってます。
みなさん、盛り上がっていきましょう。

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ファイブ・コーナーズ・クインテットの、ついにライブ盤です。
待ちに待ってた・・・つか、意外とあっさりと、早めに出てくれました。
やっぱしすごいです、このユニット。
最高、に近い。
北欧特有(?)の構築的な曲調と几帳面な同調性にも驚かされますが、各個人のアドリブパートの走りっぷりもすさまじい。
背反するこの二点をあわせ持つ、えらいひとびとです。
なにしろシベリウス音楽院だかなんだかというすごそうな学校の優等生軍団。
確かな技術とおつむをお持ちであらせられます。
それに加えて、オーディエンスのノリが、彼らのきちんとした演奏に熱を与えるのですよ。
このスリリングな音の動かし様、この厚み、この深さ。
そしてなによりも、音を取り巻くこのグルーヴ感、この興奮・・・
ぜったいにスタジオでは無理な、それはライブの空気感。
やっぱしナマ一発勝負の緊張感というのは、音使いにおいても、また演奏者のマインドにおいても、重要なものなのです。

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完璧な一日、というのを目指してるんだけど、なかなかないね。
どこかでエラーしてるなー・・・
美しい円が閉じるような一日。
そんな日がないものか。
別にゴージャスな内容を求めてるわけじゃなくて。
普通に過ごして、普通の仕事をやりきったなー、という。
一日の最後に思い返すだけで、酒がおいしくなるような。

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朝起きたら、布団の中が大変なことになってました。
夜中、どうも鼻先がくすぐったいな、とは思ってたのです。
空が白みはじめた頃に周囲を見てみると、なんだかキノコの胞子のようなものがたくさん虚空を漂ってます。
なんだこりゃ?と起き上がってみれば、その正体はふわっふわのワタぼこ。
その起き上がった拍子に布団がまくれ上がり、シャレにならん量の羽毛が部屋いっぱいに飛散しました。
いつの間にか布団地が裂け、中の羽毛がこぼれ出てたというわけ。
いっせいに種子を飛ばしたタンポポのよう・・・なんて幻想にひたってる場合じゃない。
掛け値なしのパニックです。
羽毛ってやつはすごいね、万有引力というものを知らない。
ほんのわずかな空気の動きを感知して、いっせいに舞い上がります。
寄宿舎でマクラ投げをしてはしゃぐスクールガールのシーンを知ってるでしょ?
あれ。
すぐさま布団をベランダに出し、掃除機で苦闘しました。
だけど羽毛はいろんなものにまとわりついて(脱ぎたての服やら取り込んだ洗濯物やらで、寝室はごった返してるんで)ラチがあかないんで、むしろ吹き飛ばしてやれ、と思い、扇風機全開。
いよいよお祭り騒ぎになりました。
宙をたゆたう(いい表現使うね、オレも)羽毛に対し、居合い抜きの掃除機さばきで対抗。
おもしろかった・・・いや、えらい目に遭いました。
そして、くしゃみがとまりません。
なんとかして。

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子供のローラー靴でケガ人が続出してるらしいです。
それとは関係ないけど、苦言が。
こないだ、女の子3人で「鬼ごっこ」してるのを見かけたのね。
で、中のひとりだけがローラー靴をはいてたのです。
つかまりそうになっても、彼女だけはやすやすと逃げ延びることができて、あまり気分のいい風景ではない。
余裕しゃくしゃくで、なんつーか、ブルジョアな表情してたなあ。
ローラー靴はいてる子って、そんないやらしさがない?
ゆがんだ格差が子供社会にまで及んでいるとは。
しかし彼女はやがて、他のふたりに愛想を尽かされます。
「こっちにもいるよ~」と呼びかけても、振り向いてもらえなくなっちゃったの。
当然です、アンフェア極まりないこんなルールで鬼ごっこをしたところで、他の子にとって楽しいわけがない。
立ち位置の逆転。
ひとりぼっちのお嬢様、アワレなり。
相手に目線を合わせるべきでしたな。
そこで教訓。
「ガキなら、自分の足で勝負せえや~!」

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ものを捨てることができません、うちのよめはん。
どれくらい捨てられないかというと、例えばチェルシーを食べると、その包み紙を折りたたんで、おみくじ結びにし、ポッケにしまい、何枚かたまると、食卓に並べておき、それを見つけたオレがうやうやしくゴミ箱に運ばねばならぬ、というぐあい。
以前にあちらの実家にいったとき、部屋に膨大にたまった「ロッキン・オン」(音楽誌)の処分を手伝うことになった。
やつはそれを一冊一冊ひもとき、ああなつかしい、だの、すてき、だの、ああこんな時代、だのとため息をついている。
そしてついに「ヨシ」と声を上げたかと思うと、十冊ひとからげにし、捨てる・・・かと思えば、元あった場所に再びせっせと積み上げていく。
これでは、バラバラだったものがただ十冊単位にまとまっただけの話ではないか。
つかオレは、読んでなつかしむお手伝いをさせてもらっただけではないか。
銀行やら支払いやらの明細書なども、大切に大切にしまいこんである。
かと思えば「あの明細を」というと、どこにしまったんだかわからない。
宝くじの番号確認をしたかと思えば、そのまま元の袋に戻し、取っておく。
どれが当たってるのかわからない。
最悪なときなど、このひとは肩こりなので最近、秘密裏に「ピップエレキバン」などというバカバカしいおまじないシールを肩に貼ったりするのだが、風呂に入ったあと、バスタブのへりにはがしたモノがちょこんと置いてある。
これだけはだれが捨ててやるものかボケ、とオレもほっておく。
その後、数日はそこにあったのだが、ある日、見当たらなくなっている。
やっと捨てたか、と思ったが、それと入れかわりに、黒い米粒のようなものがその場に置いてある。
はて、と思って拾ってみると、エレキバンのシールの中に入ってた丸い磁石片なのだ。
「いつか使うかもしれないから」取ってある、とのちにバカが口にすることになるのだが、使うかー!ボケー!
使い方がイメージできんわ、この着想の天才であるオレをもってしても。
しかしこんなひとだから、たいして働きもしないビンボーろくでなし男を捨てきれなかったのであろう。
・・・とか、きれいにまとめたりして。

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