地上波で放映、というので、はじめて「ハウルの動く城」を観ました。
宮崎駿監督のつくる映画にワクワクしないひとなどいないでしょう。
しかしぼくは思うのです。
同様に彼の作品に、がっかりしなかったひともまたいないのではないか?と。
この監督は、世界観をえがき込む達人です。
その点に関しては、掛け値なしの天賦の才を持ってます。
舞台設定の斬新さ、奥行き、その突き詰め様・・・
尋常ならざるイマジネーションとクリエイティビティ。
新しい世界を編みだし、支配するという意味で、このひとはホンモノの創造主=神様です。
ただ、このひとの仕事はなかばそこで終わってしまってるようで、ぼくはいつもその後の仕事に不満を持つのです。
世界観をつくれば、キャラクターは自然に動き、物語を展開してくれるため、あとは熟達した映像表現によってそれを記録していけばいい、と考えてるフシがあります。
宮崎駿監督にフォーカスをあてたドキュメンタリーなんかを観ると、画を動かしながら、同時進行で筋書きを編んでく様子がわかります。
言えば、行き当たりばったり。
最初にプロットを決めないこの手法は、世界観をえがき出すことを主題とする彼の映画づくりに適してるかもしれませんが、しかしどうしてもストーリー展開の甘さと、ツジツマの矛盾を生んでしまいがち。
そしてそれを一気に解決する「魔法と呪文」という、まったく納得できないお手軽なクライマックスへと逃げたくなる誘惑に、彼はあらがいきれないのです。
この悪癖を克服しないかぎり、宮崎駿作品に対する「わくわく」→「がっかり」という毎度毎度の構図はつづくのではないか、と、彼の作品を大好きな全日本国民には申し訳ないけど、ぼくは感じてるのでした。
「ハウル」の最初のシーンで、大きなお城が歩き、ファンタジー(魔法使いの国)とリアリズム(戦争)が混在する世界に、視聴者はたちまち引き込まれます。
しかしその秀逸な舞台設定をびっくり箱で終わらせないためには、綿密なリアリティ(魔法を出すにしても、です)を持ったストーリーテリングと、登場人物の心の機微のえがき込みが必要なのです。
物語の展開部で、雰囲気だけが先行していくため、とりとめのない描写のコラージュ、と映ってしまうのは、ぼくのいじわるな鑑賞の仕方のせいでしょうか?
宮崎駿監督に言いたいのは、ひとつの作品世界を最後までえがききってほしい!ということです。
彼の映画は、本当にひとの心を動かす特別な力を持ってるのですから。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園
この小さな工房も、東京のすみっこにオープンしてからまる5年です。
これもひとえに生徒のみなさまの、おろかな師範を許容してくださる慈愛のおかげ。
これからもなにとぞ、末永く、よろしくお願いします。
そんなわけで、開窯記念日である7月恒例となった大宴会であります。

集結してくださったのは、ごらんの20余名。
飲むのが大好きといったガン首が並んでおります。
やれやれ・・・(←と言いつつ、いちばん飲み好きな男)
さて、撮影をサボってたせいであまり画像がないので、いきなしはじまりました、豪華賞品争奪ジャンケン大会。

今回は5アニバーサリーということで、「5」にちなんだ(あんまりちなんでないけど)商品を用意しました。
しかもW杯シーズンということで、日、伊、英の三種類からチョイスしてもらいます。
最初の勝者は、アラビアンビューティー・笹岡さん。

「英」を選択。
よめはんが会社からパチってきた Afternoon Tea のタオル5枚セットが当たりました。
おめでとう~、パチパチパチ・・・
と、ここでトラブル発生。

ジャンケンに負けたあおい少年が、悔しさのあまり号泣してしまったのです。
どんだけ負けず嫌いやねん・・・
つか、ルールを理解しとんのか?
ほな第二回戦をはじめるで~、と言ったら、ピタリと泣きやむ現金なやつ。

しかし二回戦は、薬剤師・榊原くんが「伊」を選択して、普段欲しくてもなかなか買わない「珍妙なパスタいろいろ5種類セット」をゲット。
さあ、最後の和ものは誰の手に?

おっとー、ご無沙汰登場の cune 取締役・花下女史が勝利。
工房から徒歩2分、焼き鳥「竹串」さんの7000円分の食事券をゲットだ~。

「5000円分のチケットをつくらせてもらっていい?」と大将に伺いをたてにいったら、「じゃ、2000円分サービスしたげるよ」と言ってくださり、5じゃなく7になっちまったぜ、よっ太っ腹!。
竹串さんは、焼き鳥が絶品で、レバ刺しや釜飯も超うまいんだよ、宣伝しとくね、大将。
ところで花下さんからは、自身の会社 cune のTシャツをいただきました。

かわいくてキッチュで気の利いたここのデザインは秀逸だ。
みんなも買えよ~。
というわけで、つつがなく終わったジャンケン大会・・・と思いきや、今回はもういっこ特別賞が用意してあったのです。
みんな渇望の「粘土5kgチケット」だぜ、イエー。
がぜん、宴席は狂乱的盛り上がりの様相。

すでに商品をもらったひともそうでないひとも入り乱れての最後の大勝負。
ここで勝利への執念を見せる母子が!

なんとなんと、最初のジャンケンに敗北し、泣き崩れたあおいくんが、最後に満面の笑顔だ~。
強きは母なり。
これで母子ふたり、じゃんじゃんろくろを回せるね。
こうして、笑いと叫声と愛とに包まれた夜は、終バスが出た後までつづいたのでした。
やれやれ・・・(←いちばんさわいだ男)

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去年の政権交代後の実務能力にあきれ果て、支持率の大下降を突きつけたのち、国民は「怪物を表舞台から排除した」という一点で、今一度、そして最後の支持を政権党に与えたのでしたが、新しく長に就いたひともまるでダメ。
民主党も自民党と変わりなかった、と考えるひとは第三局になびくはずでしたが、こちらの小党も極端な党是をかかげるものが多く、とても推す気にはなれない。
そこでしかたなく、もう一度自民党に・・・というよりは、民主党でないもうひとつのほうに、というのがこの選挙結果なのではないでしょうか?
民主党には、未だとてつもないひとがのさばっており、片や自民党は、超大物が去りゆくばかりで人材払底状態。
「それでも、あのデタラメな党よりマシか」というのは、ここんとこ数回の選挙での有権者の決まり文句。
投票が後ろ向き。
入れたいぜ~、とキヨシローのように叫べる時代はくるのか?
これからこの国は、どこに向かうのでしょうか?

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大天才・シャガール先生の展覧会。
・・・と思ったら、周辺の「アバンギャルド」な人々の作品も交じってました。
ぼくは興味のない作品はすっ飛ばして観ていく上に、説明文なども読まないため、シャガールのタブローだけを直線的に観てまわりました。
それにしてもあの説明文、読んでて面白いのかな?
誰も彼もが必死の形相で読みふけってるんだけど、もっと作品鑑賞のほうに意識を傾注してほしい。
絵画芸術は感受性でもって心に取り込むべきもので、頭で考えて理解する質のものじゃありません。
もっと自分の審美眼と直感を信じなされ。
さて、美術の教科書あたりでシャガールを見て「ただのマンガじゃん」「散らかったイラストじゃん」と思ってた幼き日のぼくでしたが、以前の展覧会で本物を観て以来、曚を啓かされました。
今回のタブロー群も、期待を裏切ることなく、衝撃的。
キュビズムから卒業しようかという時代のひとですが、その作法を取り入れつつ、まったく独自の世界を構築してます。
ファンタジックなのに、肉感の生めかしさもあり、構成の魔法で夢心地にさせたかと思えば、色彩で陰惨な生き死にを連想させたりして、その敏感な感性にはドギモを抜かれます。
「ここにその色かよ~」という、まさかの色使いとマチエールも卓抜。
だけどこのひと、マジにデッサンがドヘタなひとって気がします。
ただ、それを補う圧倒的なイマジネーションで勝負できてるわけ。
不具者に近いくらいの異能の持ち主、って言葉を考えたんだけど、近くない?
とにかく、ぼくは大金持ちになって画を買うならシャガールかベン・シャーンと決めてまして、これをどの部屋にかざろうかな、似合わねーな、そもそもせまい壁におさまらねっか、まいっか、いくらかな?それにしてもすげー、すげー、すげー・・・という俗物的観方をしてまいりました。
そして、さすが芸大、いいセレクションと展示。
みんな、みてね。

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心ときめく選挙の季節がやってきましたね。
参議院選挙、という、いわば二軍の試合ではありますが、みなさん、ちゃんと投票しましょう。
とくに若い世代のひとに言いたいのです。
若年層が政治的に軽んじられてるのは、自身に責任があるのです。
「投票しないひとに政治を語る資格はない」と世間では言いますが、まったくの正論です。
この論には、裏付けがあります。
政治家とは、国民のために政治をするわけではなく、投票してくれるひとのために政治をするものだからです。
だから投票しなかったひとが「どうしてオレの暮らしをよくしてくれないんだ!」と叫んだところで、「おまえの暮らしをよくする必要はないからだ」と政治家にツッコまれるのがオチです。
投票してくれないひとのために、誰が汗をかきますか?という話でしょう。
お金持ちは必ず投票にいくので、いつまでも彼らは政治的に安泰なのです。
若者は投票にいかないので(つまり投票率が最も低いので)、政治家は若者のための政治をためらうのです。
極論すれば、投票にいかない以上、政治に何かしてもらおう、などと考えるべきではないし、ひどい暮らしに甘んじつづける覚悟が必要です。
年金がもらえなくても我慢しなきゃいけません。
大増税にもきちんと応じなきゃいけません。
自分たち以外のところに歳出が片寄っても(それがどんなバカな使い方であれ)文句言っちゃいけません。
つまり、どんな理不尽にも従わなきゃいけません。
だって、白紙委任(どんな決定がなされても従います!宣言)したわけですから。
声を上げない従順な野良犬(飼い犬ですらない)。
それが「投票しない世代」の政治家側からの見方です。
自分たちは、政治に無関心を装ってるつもりなのかもしれませんが、実は、自分たちのほうこそ政治家たちから蚊帳の外に置かれてる事実を認識するべきです。
投票しなかったひとは、国家計画の外へと追いやられるわけ。
リアルな村八分です。
そんなのいやじゃね?
政治に対してもの申す権利を獲得するために、あるいは、かわいそう・・・と他世代から言われないために、投票にだけはいきましょうよ。
そもそも、投票にいかない国民には、この国で胸張って過ごしてもらいたくない、と、マジメに投票してる側は率直に思ってるのです、申し訳ないけどね。

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最近は狂ったように数学と物理学、あと哲学の書籍ばっか読んでまして。
それにしても、このたぐいの本はどれを読んでも、コペルニクス、ケプラー、ガリレオ、ニュートンだけは出演してます。
このへんのくだりが実に面白くて、知れば知るほど興味がわいてきて、興味がわくほどにさらに複雑な数式に足を突っ込みたくなり、複雑な数式を理解するほどにさらなる難解な構造に分け入りたくなります。
へ?なにゆーとんの?とみなさん思ってるかもしれませんが、事はシンプルなのですよ。
知識欲の昇華と展開です。
すなわち、人間の本能ね。
ぼくの興奮を簡単に説明するとね、こんな感じ。
むかし、空の上は神様のおわす場所でした。
そして「天球」と呼ばれるドームだったわけです。
で、昼間は太陽が、頭上に敷かれた「黄道」というレールを横切っていき、夜になると星空が、東から西へいっせいにめぐります。
それを見て人々は、天球が動いとーなあ、神様が働っきょんねんな、一方、地球は泰然として動かんなあ、と信じて疑いませんでした。
ところがここに、星空(天球)を精密に観測してた人物がひとり。
彼は、天上で何個かの星だけが奇妙な動きをしてることに気付きます。
その星は月の中をツキ抜けたり、星々の間を不規則に通過したりと、天球全体の動きから独立して、まったく無秩序に夜空をさまよってるわけです。
それは火星なんだけど、ある日、彼はハタと理解します。
「げげっ、この星って太陽の回りをぐるぐる周回してるんちゃうんけ~!?」
無秩序だったその星の動きに、秩序が与えられたわけです。
そしてさらなる解析で、空はいっせいに動いてるんではなく、一個いっこが時計仕掛けのように組み合わさって、各自に動いてるのだということが導きだされます。
それはドームではなく、無限の空間であるとわかったわけ。
さらに劇的に発想が転換されます。
「ちょっと待てや~。ひょっとしてこの地球も、あの太陽の回りを周回してるんちゃうん~!?」
動きの中心をあちら側に置き、こちらこそが周回してるのだと発想してみると、
「めっちゃ理屈にドンピシャやんけ~!」
あっちとこっち、どっちを主体にしてもかまわんのだけれど、太陽を中心としたモデルの周回に地球を置いたほうが、より体系化が合理的だし、各個の動きを矛盾なく説明できるとわかったわけです。
人類史上はじめてこの人物は、わが地球を宇宙からの俯瞰でながめたのです。
主体でなく客体として、つまり客観的に地球という星を観たの、彼は。
地球を、はじめて宇宙空間の中にザコ星として組み込んだ人物、と言い換えることもできます。
これが当時、どれだけドラマチックなことだったか、理解できます?
それは、神様の視野を手に入れたということなのです。
ドギモを抜かれる視点ではありませんか、神学の時代の世界観においては。
まさにコペルニクス的発想の転換!(彼こそがコペルニクス氏なんだけど)
この一点(宇宙の体系化)が、当時の科学を跳躍させるわけですが、ほんとに一編の物語として面白いのですよ、数学&物理学は。
みなさんも興味を持ったら、こんなふうにムカシビトの立場になってイメージしてみましょうよ。
人間の叡智のただ中に放り込まれたような、不思議な感覚が体験できますよ。
それにしても、オレはこんなものばかり読んで、どこに行こうとしてるんだろう?

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「我々はもっと政治家を手こずらせなければならない」と、レンゾ・ピアノさんという建築家が言ってます。
知性的で、優雅で、しかも的確な、さすがのフレンチレトリック。
ひるがえってわが日本国の、なんと政治家の安穏とした振る舞いっぷり。
彼らを手こずらせるには、国民の声が小さすぎるのです。
彼らに直接にもの申すには、国民には「投票」という手段しかありません。
ぼくらも勉強をし、この国のゆく末を考え、的確に判断しましょう。
棄権なんて、ぜったいダメだかんね。
選挙でぼくら国民が問われるのは、「民意」(意志の方向)ではなく、「民度」(すなわちオツムの程度)なのだと言いたいです。

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水曜=雨スパイラルだね。
天も律儀な7日周期だ。
水曜は野球の日なんだけどな・・・
休日に雨が降ると、眠ってしまうよ。
ひたすらに眠ってしまう。
眠り病なんじゃないだろか・・・
なんでこんなに眠れるのかな?
起きて、酒飲んだら、また眠りたくなる。
雨の音は子守唄だなー・・・
だけどいつまでも寝てられないんで、ひっさしぶりにCDラックの整頓をして、なつかしものの思い出にひたって、いらんもんはまとめてブックオフした。
23枚で1400円程度だった。
今どきはダウンロードらしいね。
オレはやっぱしCDがいいなー。
形あるものが失われてくのはさびしいよ・・・
そんな一日でした。
おしまい。

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選手の顔も知らんし、岡田さんへのシンパシーもないし、強いか弱いか、という以前に、ぜんぜん面白い試合をしてくれないチームだもの。
というわけでぜんぜん盛り上がってなかったW杯ですが。
しかしいっこ勝っちゃうと話が違うようで。
本田ってひとの名前は覚えたし、岡田さんも「勝てば官軍」なのか、大会前の評判はなかったことになってるし、次は世界の強豪らしいオランダ戦だし、だったら盛り上がってみようか。
と、しかしこんな脆弱で希薄なモチベーションで国民のマインドに大波が起きるわけもナシ。
メディア媒体の無理やりに盛り上げようとする意図に、かえって鼻白む視聴者、という図式。
そして目の越えたサッカーファンは、退屈でつまらない試合の数々を観せられ、「こんなはずでは」。
確かに今回のW杯は大失敗に終わりそうな予感。
ディフェンス理論が確立し、しかもそれが先進国指導者によってひろめられて世界のすみずみにまで浸透し、粗くてシンプルで奔放だった第三世界のプレースタイルからも個が奪われ、いかにゴールをこじ開けるかという技術よりも、いかに相手にミスをさせるかの我慢比べに落ち入っている。
弱者はコテコテにゴール前を封鎖し、カウンターであわよくば一点、の戦略を徹底するから、日本の勝利のような、あるいは北朝鮮の善戦のような、そしてスペイン敗戦のような番狂わせが起きる。
戦略がつまらない上に、「軽い」と評判のボールには、見た目にもはっきりと重さが感じられず、皮肉でもなんでもなく、ゴールが軽い。
もっとボールは、ゆったりと質量を感じさせる弾道で伸び伸びと行き交い、重厚にネットを揺らすはずなのだが、それがない。
バレーボールのように軽薄なボールはコントロールが利かないので、異様にスーパーゴールが少ない。
加えて、ブブゼラの音には抑揚がなく、こいつが雰囲気を、空気感を、緊張感をまったくに奪っている。
この一様ぶりは、まさに今大会の高揚感のなさにリンクする。
こんなでいいのか?W杯。
憂うよ~。
誰か、なんとかしてくれ。

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W杯に触発されて、走ってます。
いつものことながら、シンプルな脳内回路です。
しかし二日走っただけで、かかとと外反母趾のところにクツずれ。
弱すぎますね・・・
それにしても笑ったのが、オレと同じようなジョガーが、街中に異常に多かったこと。
みんなW杯を観て、いても立ってもいられなくなったにちがいありませんな。
ご苦労さま。
ところで2こ前のブログを読んでて気付いたんだけど、オレが応援してるサッカー選手って、共通項がありますね。
知らず知らずだったんですが、今日の報道でちょん・てせを見て、はたと。
ルーニー、イニエスタ、アンリ、ベロン、ロッベン、そしてちょん・てせも・・・
これはひょっとして・・・髪型(はえ方)へのシンパシー・・・?

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