
ポスト印象派、のあたりを網羅した展覧会です。
実は、ゴッホやセザンヌの実物は、恥ずかしながら今までほとんど観たことがありませんでした。
ぶっちゃけ今回がはじめてです。
どんなすげーシロモノなんだろ?と、興奮しつつ、展示室に入りました。
ところが、実際観たら、驚くほどピンときませんでした。
これは好みの問題なのかもしれません。
絵をはじめとした芸術作品には「よい」「悪い」という価値観は存在せず、「好き」「嫌い」があるのみですが、ポスト印象派は、ぼくの中では後者・・・なのかも。
劇的な印象派と、その後の構成主義とにはさまれた過渡期の時代ですが、第一に、多くの作品に共通する「筆触分割」という技法が苦手です。
いろんな色の点描の配置によって、遠目には深みのある色に見える、というやつ。
印象派のタッチにはまだその必然性が生きてましたが、この時期にくると奇妙に合理性が入り込み、言えば「科学」が干渉してきて、トリックアートに近いような見苦しさがあります。
目先を変えてみた、という使い方。
作家の感性で勝負してないために、俗臭がします。
いいものもないとは言わないけど、いくらなんでもやりすぎ。
策士、策におぼれる。
ゴッホの一部作品にはハッとさせられましたが。
それでも、期待してた「打ち震える」ほどの劇的な感動は起きませんでした。
セザンヌは・・・これも構成主義の走りとして当時は目新しかったのかもしれませんが、やはり現代にはきつい。
すいどーばたあたりの画学生のほうがもう少し気の利いたものを描いてる気がします。
技術は日進月歩ですな。
ルーシーと同様に「いちばん最初にやったからすごかったのだ」と言いたくなります。
というわけで、「普遍性」なる幻想を求めて美術館に足を運んでみてるわけですが、今回はそれを見いだすことはできませんでした。
あるいは、ぼくのほうがスレてしまってるのかも。
若き日にはあれほど敏感にそよいでた心が、ちっとも動かされません。
困った事態ではあります。
だけどぼくは、自分の感受性を信じきってるので、しかたないのです。
はっきりと「その絵が自分の好みでない」とわかっただけでもよかったのです。
みなさんも、自分の審美眼に自信を持ちましょ。
お値段や世間の評にまどわされちゃダメ。
「自分の心を打つ作品」をさがして、どんどん美術館に足を運びましょう。
そうそう、最終展示室のルソーはすばらしかったです。
それだけでヨシ、うん。
東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園