目指せ!森林インストラクター。 -19ページ目

目指せ!森林インストラクター。

日本の山を元気にしたい!
そんな思いから、森の案内人「森林インストラクター」の資格を取りました。

自然は私達に、たくさんのメッセージを投げかけています。
その声は、あまりにも小さく儚いものです。

そんな「森の囁き」を、お伝えします。

なんの捻りもないタイトルですが…



世は大型連休。気候も良くなり、どこかに出かけるにはうってつけです。





私事ながら4月末に引越しがあり、休みとはいえ新居と手続きに掛かりっきりです。



別に罹災した訳ではなく、私情による引越しですのでご心配なく。





震災の余波は色濃くかげを落としていますが、今年は国際森林年であったりします。



これは国連総会によって決議されたもので、世界中の森林の持続可能な経営保全の重要性に対する認識を高めることを目的にするもので、各国に対し積極的な取組や国内委員会の設置が要請されています。



日本も例外ではなく、連休末には「みどりの感謝祭」が例年通り予定されていました。



今年は中止になりましたが…



他にも、様々な取り組みやイベントが予定されており、林野庁HPのイベントスケジュールよりご覧いただけます。



http://www.rinya.maff.go.jp/j/kaigai/2011iyf.html#content_second





では、なぜ今森林なのでしょうか。



森を大切に、とはよく言われますが、実際よくわからないものです。



それは多分、あまりにも広範囲かつ複雑でおまけに目に見えづらいものだからでしょう。



私自身、知り得ることはまだまだ僅かですし、うまくお伝えできるのかわかりません。



ただ、説明するより、素直に感じ分かち合うことならできるのかもしれません。





森林の効用として、水源涵養や土砂流失防備等の機械的なものは良く知られています。



水源税の導入等も進み、直接的に生活の一部となっている例も見られます。





生物多様性に裏打ちされた自然の法則が人々の暮らしを支える生態系サービスという言葉も、徐々に市民権を得つつあります。



子供ですら二酸化炭素削減を口にする今、何が伝えられるのか。



生活から遠ざかってしまった自然との距離をどう取り戻すのか。





震災にあたり、私達は多くの難題を目の当たりにしています。



考えてみれば、あらゆる生物は与えられた条件の中でありのままに暮らし、そこにあるべき環境をあるがままに作り出しています。





自ずから然るから自然。





それ自体に意思はなく、また意味も持ちません。



不幸にして知恵を得た人間が、あれこれと理屈を捏ねているだけなのかもしれません。





食に関わらぬ殺生をするのも、人間くらいなものでしょう。



報復が報復を生む世界。命の繋がり=循環から離れると、同じ種の中でさえ無為な争いが絶えないのでしょうか。





随分話は大きくなりましたが…



ミクロな自宅の片づけから世界規模の問題まで、これまたどこかで繋がっています。



そう、複雑な網目のように。





いわば、自然のもたらす循環の恵みと、人の作り上げた擬似生態系とが複雑に絡み合う世界に、私達は暮らしているのでしょう。





それでも、人は森と共に生きていけると信じています。





戯言になってしまいました。今日はこの辺で。



久々の更新です。



私情で忙しく、活動が滞る日々です。





先日、森林整備活動に参加しました。



大自然塾鳩ノ巣フィールド



http://hatonosu.blog39.fc2.com/





市民参加の市民の手によるボランティアイベントです。





震災の影響により昨月は中止になりましたが、今月からは通常営業()



最高の天気の下、気持ちの良い汗を流しました。





主な作業は、道作り(補修)と柵作り。



林床を整理して下層植生の回復を図ると共に、柵を千鳥に配置することで表土が動くのを留めるのが狙いです。





必要な材を伐倒し、道に使うものは皮をむきます。



こうすることで、水の切れがよく乾きやすいので、腐りずらくなります。





柵に使うものは皮付きで使用し、作業時間を短縮して多く作ることに専念します。





柵にしろ道にしろ、目で見て成果がわかるのでやりがいがあります。



長い目で見ても、草本が入ってきたりカシ類が出てきたりと、森の遷移を目の当たりにするのはうれしいことです。





山に入る。作業をする。汗をかき、腹が減る。



こんな当たり前のことが、やけに新鮮に感じられました。





同時に、知らぬ間に滅入っていた自分に気付きました。





報道・自粛ムードに停電、いまだ目処を見ない原発―



続く余震に気をもむ日々は、文明のほつれを見せ付けるかのようです。





久々に森林の中で体を動かし、心地の良い疲れの中に生きている実感を得ることができました。



本来一人一人が持っている「生きる力」というようなものを、緑の中で改めて気付かされました。





それは、インタープリターとして伝えたかった思い。



自然と人が、共に生きることの素晴らしさ。





どんなに傷つき、悲しみ、苦しくても、淡々と刻は過ぎていきます。





季節は巡り、また花が咲き新葉が開出する奇跡。





黄緑・浅黄・萌黄・利休・・・



この生命力に満ち溢れた春の息吹を、躍動を、この身に取り込んで。





「山笑う季節」



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むずがゆくほころぶ新芽のいじらしさに、あらゆる命が共鳴するかのようです。





人も自然の一部であること、自分自身が自然そのものであること。





こんな時だからこそ、自然に入り交感することが必要だと、強く感じました。





大型連休が間近に控えております。



ちょっと身近な緑に触れるだけでも、きっと元気をもらえますよ。





応援よろしくお願いします







いまだ続く余震に加え、原発事故による放射性物質漏洩。





気の休まる暇もない状態が続いております。





被災地でも復興の兆しが見られるようになりました。





もちろん、まだライフラインの確立に至らない地域や安否のわからない方々もまだまだいらっしゃいます。



 



ひとときも早く、「暮らし」を取り戻していただければと願うばかりです。









暗いニュースの続く中、桜の便りが届きはじめました。





あまり浮かれるのも何だか気が引けるようですが、こんな時だからこそ、四季の移ろいに耳を澄まし、



春の訪れを喜ぶ気持ちを大事にしたいと思います。





芽生え・開花・誕生・・・体の奥底に眠る命の目覚めに、小躍りしたりしても良いのではないでしょうか。





そう、長い冬が去り、また新しい春がやってきたのですから。









春の目覚めは、寒さの長さに左右されます。



逆に言えば、ある一定の寒さを経験しないと芽吹きのスイッチは入らないのです。





植物とはいえ、妙に人間臭い面すら見られます。





花咲く頃には、その花へ合わせるように虫が訪れます。



また花も、訪れてくれる虫に合わせて、独自の形状へ変化を遂げてきました。





これらの、虫によって受粉を媒介してもらう花を、虫媒花と呼びます。



多くは色彩豊かな華やかさや虫を誘う匂いが特徴です。そして、ご褒美の蜜を用意しています。





一方、蜜を求めて訪れ、結果として受粉を手助けする昆虫を送粉者(ポリネーター)といいます。





どのような花にどんな虫が訪れるのか、またその為に互いにどのような形状進化を遂げたのか。



春の野山を歩くとき、太古のロマンに思いを馳せてみるのも一興です。





自然界の中でも、両者が何がしかの関係にあることはよくあることです。



この虫媒花とポリネーターの関係は、双方に利のある相利関係にあるといえるでしょう。





相利関係にある場合、依存種が少なく特殊であるほど形態に与える影響が大きくなるので、競争に有利な反面、依存種を失ったときのリスクは高くなります。





一つの種の絶滅が引き金となり、次々と滅びの連鎖が起こるのは、こうした理由です。





生殖にまつわるもの以外にも、食う食われる関係や用心棒のようなケース、また植物などに見られる、一体になって栄養を分け合うものなどもあります。







そして、個々の小さな関係が集まることで、さらに大きな括りの中で影響を与え合い、やがて大きなマクロ的環境へと発展していきます。





近頃良く聞く生態系という言葉は、このような自然の摂理を包括的に言い表したもので、その内容はあまりにも深くあまりにも広いものと感じています。





その中で、私達人間はどのような立ち位置で、どのような立場にあるのか。



循環の輪の中からはみ出し、生分解の許容や範疇を許さない物質を生み出してはいないだろうか。







今回の原発事故は、「利便性の代価」について考えさせられるものになるでしょう。







そういう私もまた、文明の恩恵を受けて快適な生活を送るものの一人です。



発展そのものには罪もなく、むしろ賞賛され、歓迎されるべきものであると思います。





必要以上に自重し、萎縮して暮らすこともありません。





日常をしっかりと暮らすことが人の世の流れを良くし、元気な社会には余裕が生まれます。





衣食足りて礼節を知る。



浮世の習いというやつですね。





その上で、やはり自然の一部であることをしっかりと認識して、生態系の・循環の中に生きらるように少しでも貢献できたら。





感謝の気持ちを忘れずに、空の下・大地の上で、しっかりと根を張って生きたい。







そんなことを思う、この頃です。







応援よろしくお願いします

お久しぶりです。



ずいぶんと更新を怠りました。



まずは、この度の未曾有の大震災により被災した方々へ、心よりお見舞い申し上げます。



私は幸いと、計画停電による多少の不便を被る程度で、無事に過ごしております。





むしろ、仕事と私用に忙しく、インストラクターとしての活動から少し離れておりました。



今しばらくは、そんな状況が続くかと思います。





先月は冬の親子観察会への参加、そして新たな分野としてネイチャーゲームリーダーの講習を受講してきました。



自然案内人の心得、また自然に対する畏怖や素直に感動する心を再度確認できたと思います。





中でも、ネイチャーゲームの基本理念である「Sharing Nature」に深く感銘を受けました。



これは、自然の素晴らしさを共に分かち合う精神であり、アクティビティーによって得られた理解や感動を、さらに深めることのできる素晴らしいものです。



分け合うというと、何か一人一人の割り当てが減るような印象があります。



確かに、一つのパイを切り分ければ、ピースの大きさは小さくなっていきます。





ですが、共有と聞くとどうでしょう。



共に同じものを一緒に感じ、むしろお互いに譲り合う・出し合うことでの共利関係を想像できないでしょうか。



そこには、共通の意識・目的に基づき、同じ時間を過ごす仲間がいます。





テレビの取材で、商店街の店の方が、都会の人の物の買い方は、利己的で買占めの向きが強いとのコメントをしておりました。



また、ある商店では、「そんなに必要ですか?」と買占めを牽制する張り紙をしたところ、比較的冷静な買い物をされるようになったとの声も聞きます。





「世界が全体幸福に ならないうちは、個人の幸福はあり得えない。」



私の敬愛する岩手の地人、宮沢賢治の言葉です。









 



 



わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。
 



またわたくしは、はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものが、いちばんすばらしいびろうどや羅紗や、宝石いりのきものに、かわっているのをたびたび見ました。









わたくしは、そういうきれいなたべものやきものをすきです。



(「注文の多い料理店 序」 より)





あまりにも満たされた暮らしの中で、見失ってしまった本当の「豊かさ」。



自然と人とのあり方。



命の尊さ・儚さ。





今、森林インストラクターとして、一人の人間として向き合っていきたい。



そのうえで、日々を平静に生きながらできることを考えたい。





具体的なものは何もありませんが、私の今伝えられる思いです。





応援よろしくお願いします



大寒に向け、厳しい寒さが続きます。



都心でさえ氷点下を記録し、今期一番の寒さを象徴するようです。



各地のセンター試験にも影響があったようで、ニュースでも取り上げられていますね。



受験生の方は大変だったのではないでしょうか。





先日あったFITの新年会では、新年度会員(=今年度合格者)にもお会いしました。



中には、一昨年に全国森林レクリエーション協会が行う森林インストラクター養成講座でご一緒した方もおり、一年越しの悲願()を達成されたようです。





難しくはありますが、必ず合格への道はあるものです。



門外漢の私が受かったのですから、間違いありません。





小正月も過ぎ、ようやく体も平時に戻りつつある中、鳩ノ巣での大自然塾が行われました。



前日には僅かながら降雪もあり、当日も寒風に晒されての作業となりました。





新年初めの作業ということで、全員で山ノ神へ安全を祈願します。



古くは、八百万の神を敬う万物に神性を見出す文化の中で、山作業の安全を祈る「農事」でありました。



やがて神道の普及により、神事としての性格を持つようになって今に至ります。





木の切り株に御幣を立て、錫竹に神酒を捧げます。





木の伐採の後、梢を切って切り株に刺す習俗があります。



これは新たな芽生えを祈るもので、萌芽更新に命の再生を見出したものだと思います。



この梢の代わりが、御幣です。竹に紙を三角に折ったものを挟んだものです。





錫竹は節の中間を二つに切ったもので、皮を残してつながった状態にするそうです。





手前にはこちらから向かって左から、水・米・塩を供えます。頭文字を取って「みこし」と覚えます。



切り株の根元には手道具が立て掛けられ、祝詞に乗せて一年の安全が祈願されました。





参列者にお神酒を分けて一通りの神事が終わり、班毎にフィールドへ入ります。



私の担当は林床整理。一本伐倒して柵の材に使い、散乱した落葉落枝を集めて、地面に光が当たるようにします。





杉の木は、枯れた下枝を自ら落とします。さらに、枯葉は砕けにくく形を保ちます。



ですので、地表が枯れ枝と落ち葉で埋もれてしまうのです。





この状態では、折角枝打ちや間伐によって樹冠を透かしても、効果が薄れます。



土壌中の種子が発芽する為には日光が必要なので、下層植生を元気にする為に地表を綺麗にするのです。





雑木林と呼ばれるかつての農用林では、毎年落ち葉掻きが行われていました。



目的は堆肥を作る為ですが、結果として林床が綺麗になり、植物の生育しやすい環境に整えられていました。





中でも、早春を謳歌する春植物にとっては、樹冠が新葉に閉ざされるまでの、僅かな日照を得られることが必要です。





人の手のはいった森林は、やはり人の手によって環境を維持する必要があるのです。



 



新年初の作業も、事故・怪我無く無事に終えることができました。



これも基本に忠実な作業と、安全管理に拠るものです。





参加者が持参された手道具や手袋といった個人装備の確認も含め、体調管理等の、細やかな気配りが必要です。



自身の安全も含め、周囲に気を配ることも忘れてはなりませんね。







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