いまだ続く余震に加え、原発事故による放射性物質漏洩。
気の休まる暇もない状態が続いております。
被災地でも復興の兆しが見られるようになりました。
もちろん、まだライフラインの確立に至らない地域や安否のわからない方々もまだまだいらっしゃいます。
ひとときも早く、「暮らし」を取り戻していただければと願うばかりです。
暗いニュースの続く中、桜の便りが届きはじめました。
あまり浮かれるのも何だか気が引けるようですが、こんな時だからこそ、四季の移ろいに耳を澄まし、
春の訪れを喜ぶ気持ちを大事にしたいと思います。
芽生え・開花・誕生・・・体の奥底に眠る命の目覚めに、小躍りしたりしても良いのではないでしょうか。
そう、長い冬が去り、また新しい春がやってきたのですから。
春の目覚めは、寒さの長さに左右されます。
逆に言えば、ある一定の寒さを経験しないと芽吹きのスイッチは入らないのです。
植物とはいえ、妙に人間臭い面すら見られます。
花咲く頃には、その花へ合わせるように虫が訪れます。
また花も、訪れてくれる虫に合わせて、独自の形状へ変化を遂げてきました。
これらの、虫によって受粉を媒介してもらう花を、虫媒花と呼びます。
多くは色彩豊かな華やかさや虫を誘う匂いが特徴です。そして、ご褒美の蜜を用意しています。
一方、蜜を求めて訪れ、結果として受粉を手助けする昆虫を送粉者(ポリネーター)といいます。
どのような花にどんな虫が訪れるのか、またその為に互いにどのような形状進化を遂げたのか。
春の野山を歩くとき、太古のロマンに思いを馳せてみるのも一興です。
自然界の中でも、両者が何がしかの関係にあることはよくあることです。
この虫媒花とポリネーターの関係は、双方に利のある相利関係にあるといえるでしょう。
相利関係にある場合、依存種が少なく特殊であるほど形態に与える影響が大きくなるので、競争に有利な反面、依存種を失ったときのリスクは高くなります。
一つの種の絶滅が引き金となり、次々と滅びの連鎖が起こるのは、こうした理由です。
生殖にまつわるもの以外にも、食う食われる関係や用心棒のようなケース、また植物などに見られる、一体になって栄養を分け合うものなどもあります。
そして、個々の小さな関係が集まることで、さらに大きな括りの中で影響を与え合い、やがて大きなマクロ的環境へと発展していきます。
近頃良く聞く生態系という言葉は、このような自然の摂理を包括的に言い表したもので、その内容はあまりにも深くあまりにも広いものと感じています。
その中で、私達人間はどのような立ち位置で、どのような立場にあるのか。
循環の輪の中からはみ出し、生分解の許容や範疇を許さない物質を生み出してはいないだろうか。
今回の原発事故は、「利便性の代価」について考えさせられるものになるでしょう。
そういう私もまた、文明の恩恵を受けて快適な生活を送るものの一人です。
発展そのものには罪もなく、むしろ賞賛され、歓迎されるべきものであると思います。
必要以上に自重し、萎縮して暮らすこともありません。
日常をしっかりと暮らすことが人の世の流れを良くし、元気な社会には余裕が生まれます。
衣食足りて礼節を知る。
浮世の習いというやつですね。
その上で、やはり自然の一部であることをしっかりと認識して、生態系の・循環の中に生きらるように少しでも貢献できたら。
感謝の気持ちを忘れずに、空の下・大地の上で、しっかりと根を張って生きたい。
そんなことを思う、この頃です。
応援よろしくお願いします