人間の記憶って本当に不思議だ。忘れたはずの出来事を、あるきっかけでふいに思い出すことがある。
ドラマ「働きマン」を見ていたら、主人公が何者かに後をつけられ、怖い思いをするという場面があった。彼女は恋人に電話して助けを求めたが、生憎彼は出張中だった。しかし「今から車を飛ばして行こうか?」と言ってくれた。結局主人公は恋人の仕事に支障が出るといけないと考えて遠慮したのだが、その場面を見て私はある事件を思い出した。
5年ほど前、まだ今のマンションではなくアパートに住んでいた頃、我が家は空き巣に遭ったのだ。その日は私は朝から仕事に出かけ、夫は仕事が終わってから会社の慰安旅行に参加することになっていた。何だか一日妙なトラブル続きで、私が自宅に戻ったのは夜11時半過ぎだった。
部屋に入ると、説明しようの無い違和感を感じた。ふと見るとダイニングのサッシが割れており、鍵が開いていた。それを見た瞬間、頭が真っ白になり、何とも言えない悪寒が、背筋を這い上がった。「空き巣だ!」直感的に悟った。
家中の電気を点け、盗られているものがないか確認した。人から預かっていた現金約3万円の入った茶封筒が消えていた。「間違いない・・・」そう思ったら怖くてたまらなくなり、その場にへなへなと座り込んでしまった。お金を盗られたことよりも、この家に誰か見知らぬ人が侵入したという事実が怖かった。
しばらく床にへたり込んでいたが、やや我に返って警察を呼ぶことにした。電話で110番をし、空き巣が入ったと通報した。どんなやりとりをしたか覚えていない。ただ、15分ほどで捜査員がそちらに向かいますと言われたことだけは記憶している。
長い15分だった。警察を待つ間、やたらと心細くてアパートの他の家に空き巣が入ったことを知らせて回ったり、慰安旅行に行っている夫の携帯に電話をかけたりしていた。宴会の最中なのだろうが、夫は全然電話に出なかった。それでも何度かかけ続けていたら、ふと冷蔵庫に貼ってあるメモに目が止まった。
ガラスが割れていました。泥棒だったら警察呼んでおいてね。
私は愕然とした。なんと夫は、空き巣かも知れないと思いながら、何もせず慰安旅行に行ったのだ!どうも仕事を定時で上がって一旦帰宅した時、ガラスに気づいたらしい。しかし呑気にメモを残し、彼は旅行に出かけてしまった・・・。
私は情けなくて涙が出た。夫は、もし本当に泥棒だったとしても、後の処理は全部私に任せるつもりだったらしい。私の帰宅が遅くなることを彼は知っていたはずだ。夜も更けてから何も知らずに帰って来て、空き巣に入られたと気づいた私の恐怖を、彼は想像できなかったのだろうか?
私は、それこそ半狂乱になって電話をかけ続けた。怒りと恐怖で、頭がおかしくなりそうだった。しかし何度かけても、虚しく「留守番電話サービスセンター」のメッセージが流れるだけだ。絶望的な気持ちになった。
そうこうしている内に警察が到着した。「奥さん、大丈夫ですか?」その言葉に私は初めて一人ではなくなったことを実感し、涙を流した。指紋を取られたり、被害状況を申告したり、一連の捜査が終わると、捜査員たちは帰って行った。なんでも、最近空き巣被害が多発していると言う。空き巣と鉢合わせしてしまった人もいるらしい。私や夫も一歩間違えば・・・と思うと、改めて恐怖が襲って来た。
その日は結局、実家に泊めてもらった。鍵の壊された家で眠る気がしなかったからだ。夜中も夫に何度か電話してみたが、やっぱり応答が無かった。心配して、向こうの方からかけて来ても良さそうなものなのに。その夜は不安と興奮状態が続き、一睡もできなかった。
翌日、夫が涼しい顔をして慰安旅行から帰って来た。私から事の顛末を聞くと驚き、電話に出なかったこと、帰って来なかったことを詫びた。しかし私は夫を許す気になれないでいた。旅行先は家から車で30分ほどの料理旅館だったのだ。帰って来ようと思えば帰って来れる距離だし、酒を飲んでしまったのなら、タクシーで帰るという手段もあったはずだ。空き巣に入られた家に私を一人残して、心配にならなかったのだろうか?夫のあまりの極楽とんぼぶりに、本当にあきれ果ててしまった。そして私はそれからしばらく、恐怖感がどうしても消えず、ダイニングのサッシの側に近寄ることができなかった。近寄ると吐き気を催すのだ。PTSDというヤツかも知れない。
・・・ドラマを見ていたらこの事件を思い出してしまった。5年も前の出来事なのに、あの時の衝撃と恐怖が生々しく蘇った。こういうことってあるんだなぁ。これが世に言う「フラッシュバック」か。人間の精神は複雑だ。そして、私は相当に不安定な人間であることが分かった。実は今も落ち込んでいる。突然噴出すマイナスの感情に、どう対処すれば良いのか、皆目分からない。