ある日のテレホン人生相談から。

相談者は39歳男性。3年前に結婚したが、37歳妻との間がしっくり行かず、悩んでいると言う。妻はバツイチで、二人は結婚相談所で知り合った。妻は最初は子供を持ってもいいと言っていたのだが、結婚半年後急に態度が変わり、一転して子供はいらないと言い出した。その頃から夫婦生活も拒みだし、以降セックスレス。あまり会話もなく、何のために一緒にいるのか分からず、最近は離婚も考えていると言う。

男性は離婚して、『より良い結婚』つまり、妻とちゃんとセックスできて子供も持てる結婚をしたいのだそうだ。もう来年40になるからと。しかし今一つ踏ん切りがつかず、相談したいと言う。

パーソナリティーの加藤諦三と回答者大原恵子の共通した意見。『あなた、もう少し真剣に生きたら?』

いい年だからと結婚相談所に相手を見つけてもらい、深い考えもなく結婚。何年か経ってあまり楽しくないし子供もできないから、離婚したい。そして40までに子供を持ち、いわゆる『普通の』家庭を持ちたい…でも相手を一からみつけるのも億劫だし、どうしたらいいか分からない…なるほどこの男性には、はっきりした自分の意志と言うものがない。無気力に流されて生きてきたら、いつのまにかこうなっていた、という感じだ。


 加藤氏と大原氏も指摘していたが、きっと男性の妻は夫のそんな『ダルさ』に嫌気が差したのかも知れない。とはいえ彼女もバツイチでそうそう次の相手が見つかる保証もないし、仕事もしてないしで、ダルい結婚生活でも稼ぎ手がいるだけマシと、100%打算で結婚生活を続けているのだろう。とりあえず3食昼寝付きの生活は確保できるのだから、魅力に乏しい男でも「同居人」と割り切れば我慢できないことはないのかも知れない。女は好きでもない男とセックスはしたくないものだ。


 まぁ、お互いどっちもどっちだと思うのだが。この夫婦の間に流れるなんとも言えないよどんだ空気を想像すると、気が滅入って来る。片方は相手を金づると思い、もう片方は相手をおさんどんだと思っている、結婚と言う体裁だけを取った、お寒い共同生活。愛だとか、お互いを思いやる気持ちだとかは微塵もない。二人ともまだ30代で若いのに、ここまで人生諦めきってていいのか。


 大原恵子氏曰く、「年を取ったらねぇ、『愛』しかないのよ!お互い支えあって生きようなんてのはキレイ事でね、『愛』が無かったら年取った夫婦なんてとてもやっていけないのよ!」これは確かに至言だと思う。60も70も過ぎておじいさんとおばあさんになった時、一緒にいる動機は相手の存在そのものへの愛おしさかも知れない。男は金を稼げなくなる。女は容色衰え、家事もできなくなるかも知れない。それでも一緒に居たいという強い思いがなければ、結婚生活は老人の髪と同じように灰色だろう。


 件の男性への最終アドバイスは・・・「とにかく今夜奥さんと話し合ってみたら?『僕たちちょっとおかしいよね』って。まず二人の関係を見直すんです。全てはそれからですよ」


 男性は妻と話し合ったのだろうか・・・?

 女は案外いくつになってもオンナだ。齢60を過ぎても乙女心は残っていて、異性にときめいたりすることもあるだろう。・・・ペ・ヨンジュンに入れあげている私の母を見ても分かる。


 ヨン様では物足りず、もっと身近な生身の男性を求めてしまう女性もいる。その対象は他所の旦那さんだったり、行きつけのスーパーの店長だったり、自分の娘の夫であることもある。


 近所に住む佐藤さん。年齢ははっきり分からないが多分65は超えている。若い頃は美人だったんだろうな、と思える艶を残して年を重ねた、素敵なおばさまである。明るく快活な人で、ずっと若い私にも気さくに話しかけてくれる。その佐藤さんと話をしている時に、娘さんの旦那さんがどういう人かという話題になった。


 お婿さんは39歳で、佐藤さんの娘さんとは6歳離れており、見合いで結婚した。佐藤さんの娘さんは21で今の旦那さんとお見合いし、そのまま結婚してしまったと言う。21なんてまだ本当の恋愛もしていないかも知れないような若さである。なんでも佐藤さんの長男を早く結婚させたくて、妹を早めに片付けてしまいたかったのだそうだ。妹が家にいるとお嫁さんが来ないと思ったらしい。それだけの理由で見合いさせられてしまった娘さんに同情する。しかも兄である長男は、結局未だに独身なのだそうだ。


 ほとんど無理やりまとめてしまった理由は、佐藤さん自身がお婿さんになる人を気に入ったからだ。「うちの娘もイヤじゃなさそうだったし、先方も意外と乗り気だったから。両家の親が一緒になってさっさと結婚させちゃったのよ~。結婚してからイロイロあったみたいだけどね、二人の子供にも恵まれたし、結果オーライでしょ。ホントにいい婿さんでね~・・・良かったわ。次男だし、あちらのお母さんとあまり折り合いが良くないのもいいわね。こっちに引き込めるから!もうね、ウチが養子に貰っちゃったようなもんよ~可愛い息子!」


 そう言いながら佐藤さんは目を細める。「うちにしょっちゅうご飯を食べにくるんだけど、私の作る料理を美味しい美味しいって、みんな平らげてくれるのよ!優しい子でね~私をよく気遣ってくれるの。お父さんとはホント大違い!あの人ったらまるで明治生まれみたいにガンコ一徹なんだから・・・」 若い婿の側で目を細めて、幸せそうにしている佐藤さんの姿が目に浮かぶ。それはもう、ほとんど恋だろう。


 しかし、「あの子、痩せてるのに筋肉質でね。背は185あって・・・本当、惚れ惚れしちゃうような体つき・・・」このセリフは少々生々しいなぁ。一体何を妄想しているんだか。60過ぎてもまだまだオンナなんだなぁ。ちょっぴり哀しくなってしまった。何故だか分からないが。


 


 私の仕事は忙しさに波があり、プライベートな時間が殆ど無いほど忙しい時もあれば、一ヶ月まるまる仕事がない時もある。毎年だいたい、4月からGW明けまでは一番暇な時期だ。今年は4月一ヶ月、全く仕事が無かった。いわゆる開店休業状態で、仕方がないので家にいて専業主婦をしていた。


 改めて思ったのだが、私ってつくづく専業主婦に向いていない。仕事もせずに一日家にいると、暇を持て余してしまうのだ。せっせと家事をすればいいのだが(探せばやることはいくらでもある)、ついついぼーっとしたり、ネットをやったり、本を読んだり、だらだらと過ごしてしまう。結婚していなかったらただのひきこもりである。


 一応、掃除やら洗濯やら料理やら、必要最小限のことはやるのだが、それらは働いていてもやっているので、その出来具合に何ら差はない。時間があるのだから、もっと掃除をしっかりやるとか、普段作らないような手の込んだ料理を作るとか、アイロンがけを一気にやるとか、合理的に時間を使えばいいのだが、普段と同じようなことしかやらないので、仕事をしていないと時間が余ってしょうがない。


 要するに私は「家事があまり好きではない」のだろう。仕事をしているのも、家事をサボる理由になるから、というのが少なからずある。幸い夫はチェックの厳しい人ではないので、少々家の中が汚かろうと、洗濯物がたまっていようと何も言わない・・・料理さえきちんと作れば満足らしい。そういう意味では非常に楽である。料理を作ることはストレスでは無いからだ。


 これが不思議なことに、仕事が始まってある程度忙しくなると、家事もがんばってやるようになるのである。家事が、一種の息抜きになるからだ。仕事へ行く前の少しの合間を縫って、掃除をしたりアイロンをかけたり、夕食の下ごしらえなどをする。所要時間は、専業でやってる時とさして変わらない。不思議なものだ。


 ムラ気のあり過ぎる私には恒常的な専業主婦、つまりフルタイムの専業主婦は絶対に務まらないだろう。年に一ヶ月程度の専業主婦がせいぜいだ。それ以上期間が長くなると色んなところに支障をきたしそうだ。

 GW中の最も大きな出来事・・・それは冷蔵庫が壊れたこと。


 4月の28日辺りから、突然ブレーカーが落ち、家中停電するという事態が頻発するようになった。夫が確認してみると、漏電ブレーカーに「異常」の表示が出ている。しかし、どこが漏電しているのか皆目見当がつかず、とりあえず復帰させて様子を見るしかなかった。


 ところがだんだん停電の感覚が狭くなり始め、ついには20分おきに停電するようになった。こうなったらもう普通に生活できない。たまらず、マンションの管理会社に電話してみた。連休中にも関わらず快く対応してくれ、中部電力の訪問検査の手配までしてくれた。


 5月1日の午後、中電の人がやって来て、どこが漏電しているのかを確認してくれたところ、どうも冷蔵庫のようだと言う。何年ぐらい使ってる?と聞かれて、14年と答えると、それじゃ寿命だねぇとのこと。買い換えるしかなさそうだ。


 中電が帰ってすぐ、私は近所の量販店へ行き、冷蔵庫を物色した。他の家電と違い、冷蔵庫はたった一日無くても生活に支障をきたすので、一刻も早く次のが必要だった。本来こんな大型家電を買う時は、何日もかけて色々なメーカーのものを比較検討するのだが、今回は時間が無かった。またこんな時に限って冷凍食品やら最近貴重なバターやらを色々買い置きしていたのだ。涙を呑んで全部処分した。


 結局3軒の量販店を回り、2軒目で見つけた東芝製の400L入る型でまぁまぁのがあったので、それに決めた。都合2時間以内での即決である。ほとんど衝動買いだ。古い冷蔵庫が270L型だったので、内容量は大幅増になる。冷凍室も広く、2箇所あり、、水をタンクに入れておくだけで勝手に氷が出来上がるシステムも付いている。(今時は標準装備らしいが)おまけにノンフロンだ。これで我が家もようやく地球に優しくなれる。


 5日の午後に新しい冷蔵庫が届いた。真新しい家電というのはやっぱりいい。嬉しがって説明書を読みまくり、あれこれの機能を試したりしてみた。まだ食品がほとんど入っていないのでがらんとしている。しかし一ヶ月もすれば、庫内はいろんな食品でいっぱいになるだろう。


 しめて13万5455円。(リサイクル料込み)

末の弟が脳腫瘍にかかった。良性か悪性かは、開いてみなければ分からないらしい。今は手術を待っている状態だ。

病の重大にも増して不憫なのは、彼がまだ33の若さで、昨年結婚したばかりの新婚だと言うことだ。何もかもこれからと言う時に脳腫瘍なんかになってしまうとは。運命の理不尽さに腹が立つ。

それにしても、何故弟なのか。百歩譲って病にかかるのは仕方ないとしても、何故脳腫瘍なのか。他に病気などいくらでもあるのに。弟は今まで、ワーカホリックと言っていいほど、働き続けてきた。そろそろ休むようにという神様のお達しならば、何故もっと軽い病気にしてくれなかったのか。

小さい頃の弟の姿ばかりが頭に浮かぶ。弟と私は6歳離れているから、彼が生まれた時から知っている。物心ついてから生まれた弟と言うのは本当に可愛い。私がお嫁に行った時、彼はまだ二十歳前だった。だから奇妙なことだが、私のイメージの中の弟は未だに子供子供していて、結婚して所帯を持つ年になったことが信じられない。

多分本人が一番辛いだろうから、周りが嘆いても仕方がないと思う。むしろできるだけ明るくして、励ましつつ一緒に戦ってやるべきなのかも知れない。しかし、私はまだ気持ちの切り替えができないでいる…このことを知ったのは昨日なのだ。未だに混乱し、うろたえ、いっそ夢であって欲しいと思う。こうしてブログに書くことによって、気持ちの整理をつけようとしている。私は本当に弱くてずるい人間だ。

今日の記事はおそらく『雑想三昧。』始まって以来の重い記事になったと思う。すみませんでした。


 そのメールにはタイトルも本文も無く、ただ写真だけが添付されていた。


 恐る恐る開いてみる。7人の娘たちが全員、笑顔で写っていた。これが、結婚以来初めて峰子が送って来たメールであった。今まで一度も、電話もメールも峰子から来たことはない。初めてのメールが子供たちの写真とは・・・しかもこのタイミングに。耕治は、峰子の真意を測りかねた。


 夫の浮気が心配なら、まず携帯に電話をかけるだろう。もしくはメールで、「今どこにいるの?」とか「早く帰って来て」とか言って来るはずだ。いきなり子供の写真とは、一体どういう意味なのか。意図がまったく分からず、ただただ不気味だった。


 「どうしたの?」手洗いから戻ってきた綾子が、心配そうな顔で尋ねた。難しい顔をしている耕治を、訝しく思ったのだろう。「いや、なんでもない。・・・シャワーを浴びて来るよ」耕治は携帯をすばやく背広の内ポケットにしまい、バスルームへ向かった。


 シャワーを浴びながら、峰子への怒りがふつふつと湧いてきた。どこまで心の読めない女なのか。こんな女に今まで気を遣ってきた自分が情けない。こんな妻より、心の通い合う女と一緒にいたいと思うのは、自然な感情ではないのか。自分をこんな気持ちにさせるのは、全て峰子に原因がある。そうだ、あの女さえもう少し魅力的なら、こんな事態にならなかったはずだ・・・自分の怒りがやや身勝手であることは重々承知しながらも、沸き上がって来る感情を抑えることはできなかった。


 バスルームから、腰にタオルを巻いただけの姿で出て来た耕治は、無言で綾子に挑みかかった。「待って、シャワーを浴びて来るから」「かまわない、このままで」耕治は有無を言わせず綾子の唇をふさいだ。綾子はわずかに抵抗してみせたが、すぐに大人しくなり、耕治の舌に自分の舌をからめて来た。


 最初の時よりも狂おしく、綾子の体を貪った。緊張がほぐれたのか、綾子も前回より積極的だった。2回、交わった。結局その夜は綾子のアパートで一夜を過ごした。


 翌朝早く、耕治は綾子のアパートを後にし、そのまま職場へ向かった。定時で仕事を終え、帰宅した。玄関に娘たちが迎えに来る。「パパ、おかえりなさ~い!」無邪気な声に癒される。峰子はと言えば、台所から投げやりに「お帰り」と声をかけただけだった。


 昨日の外泊を追及されるかと思ったがそんなことはなく、いつもどおり耕治以外の家族は夕食を済ませ、耕治の分はラップしてあった。レンジでそれを温めつつ、ソファに座ってテレビを見ている峰子のどっしりした後姿を見た。相変わらず、何の感情も伝わって来ない。夫が外泊したと言うのに、動揺も無ければ猜疑心も浮かばない、こんな妻は夫への愛情は皆無と言っていいのではないか。耕治は、昨夜の自分の行動が間違っていなかったと確信した。そして、綾子とこれからも付き合い続けて行こうと思った。綾子と会っている時の方が遥かに自分らしく、幸せでいられる・・・耕治は覚悟を決めた。これからは、どんどん外泊してやる・・・。


 3日後、綾子から「話がある」と電話があった。耕治が綾子のアパートに今夜行くからと告げると、「外で会いたい」と言う。それもいいかと思い、仕事が終わってから綾子の職場の近くの店で待ち合わせることにした。約束の午後7時にちょっと遅れて、綾子はやって来た。


 「お待たせ。ごめんね突然」「いいよ、君からの誘いだったらいつでも大歓迎だ」心なしか、綾子の表情がちょっと暗い。「どうしたの?顔色が悪いみたいだけど」「大丈夫よ。最近忙しかっただけ」「そうか。ところで話って?」

「私たち、別れましょう」


 ・・・晴天の霹靂だった。一瞬、どう言葉を接いでいいか分からず、「冗談でしょ?」と言うのが精一杯だった。綾子は尚も続ける。「ううん、冗談じゃないのよ。あれから私考えたの。私たちみたいな関係、やっぱり良くない」「そんな・・・今更それはないだろ。2回も部屋に上げといて」「ごめん。でもね、あれは『過ち』だったってことにして」「俺のこと嫌いになったのか?・・・いや、最初から好きでもなんでもなかったんだな!」「ううん、コージ先輩のことは大好きだよ。でもね、あんな可愛い娘さんが7人もいる人と、こんなことしてちゃいけないって」


 綾子の暗い顔の理由が分かった。「・・・見たのか」「ごめんね。コージ先輩がシャワー浴びてる間に・・・どうしても気になって。やっちゃいけないことだってのは分かってたんだけど」返す言葉が無かった。綾子は子供のいる耕治のことを考えて、自ら身を引こうとしているのだ。そんな綾子がますますいじらしく、愛おしかった。「俺には女房もいるし、子供もいる。でも綾子のことは真剣に好きだよ。この気持ちは誰にも負けないつもりだ」「分かってる。先輩の気持ちはすごく嬉しいよ。でも・・・やっぱり責任てものが、あるでしょう」


 責任か。それを言われてしまうと、耕治にはもうどうしようもなかった。「ありがとう。短い間だけど楽しかった。忘れないわ。さよなら」綾子はそう言うとうつむいたまま席を立ち、店の外に出た。最後の「さよなら」という言葉が、いつまでもこだましていた。耕治はショックのあまり立ち上がれず、しばらく席で呆然としていた。すぐに綾子を追いかけるべきだったのかも知れない。だが耕治には、それができなかった。逃げる女を追うような、未練がましい真似はしたくなかったのか。いや、それよりも妻と7人の娘という足枷が、耕治にしっかりとしがみついていたからか。


 それからどうやって帰宅したのか覚えていない。峰子はいつもどおり無愛想で、娘たちは騒々しかった。いつもなら少々煩く思うこの喧騒が、今の耕治には心地良かった。綾子と別れた精神的ショックを、わずかながら和らげてくれたからだ。騒ぎまわる娘たちを見ながら、耕治は考えた。俺がこの子たちを愛しているのは確実だ。綾子に向ける愛とは違うが、それでもかけがえの無い存在だ。峰子だって、外で遊び回るでも、派手な格好をするでも、家計を浪費するでもなく、色々なことをそつなくやっている。主婦としてはまぁ及第点と言えるだろう。女としての魅力は無くても、7児の母なのだから、自分の身に構っていられないのは当然だろう。母として、しっかりやってくれればそれでいいではないか。峰子が家庭をしっかり守ってくれているから、自分は仕事をバリバリやれるのだ。考えれば、申し分のない妻ではないか。自分は幸せ者だ。自分は、幸せな結婚をした男だ・・・耕治は無理やりそう思おうとした。


 綾子は、自分の決断が間違っていなかったことを確信していた。やはり耕治とは、別れて正解だったのだ。女心をちっとも理解していない。別れを切り出した時、綾子は、もしかしたら耕治が引き止めてくれるのではないか、『妻と別れるから』と言ってくれるのではと、薄く期待した。しかし耕治からその類の言葉は一切聞かれなかった。いい人だが、強い男ではないのだ、コージ先輩は。


 あの奥さんは、侮れない。綾子は、あのメールを耕治の妻からの無言の脅迫と受け取っていた。『子供が7人』という高いハードルを敢えて見せることによって、綾子を牽制したのだ。男の携帯をついチェックしてしまう女の心理を理解していなければ、できない芸当だと思う。本当に恐ろしい女性だ。そしてコージ先輩は、その奥さんに首根っこを掴まれてしまっている・・・どんなにあがいたところでしっかりホールドされていて、絶対に抜け出すことはできない。しかも当の先輩はそのことに全く気づいていない。あの図太い妻と7人の子供を振り切って自分の所へ来るなど、到底考えられないことだ・・・綾子は3日間でそう結論づけて、耕治との別れを決意したのだった。


 「一人や二人なら奪える自信あったけど・・・7人じゃねぇ。エネルギーの無駄遣いに終わる可能性が高いわ」散々引っ張って「やっぱり妻子を取る」と言いそうな男にこだわるよりは、もっと度量の広い、いい男を探そうと、綾子は思った。男の魅力は結局度量の広さと胆力にある・・・耕治にはそのどちらも、欠けていた。


(了)

 ふと思った。「愛される」ってどういうことだろう?


 自分は「愛されている」と実感できる時って、実はものすごく少ないのではないだろうか。「愛している」自覚は簡単だけど、自分のことだから。


 例えば誰か異性を好きになったとする。その人に気持ちを伝えて、その人がそれを受け入れてくれたとしても、

「愛された」と思い込むのは早計だ。


 その人は愛を告白されて嬉しかっただけかも知れない。単なる気まぐれかも知れない。友達として付き合うだけのつもりかも知れない。(友達の定義は人それぞれだ)


 よしんばその人と肉体的に愛し合うようになり、その行為がすごく心地よかったとしても、単に体の相性が合うだけかも知れない。突き詰めれば、「自分がその人を愛している」という事実以外に確かなことは、何もないのだ。


 夫婦でも恋人同士でも同じこと。「愛し合っていること」は、どちらかの幻想かも知れない。相手の気持ちを確かめる術なんて無いのだから。


 「愛している」その言葉の裏に嘘があるかも知れない。


 「愛していない」その言葉の裏にも嘘があるかも知れない。


 愛するのは楽しいが、愛されるのは難しい。自分以外の人に、自分が抱いている以上の愛を期待するのは間違いなのかも知れない。


 いや、時として「愛している」ことも分からなくなるのではないだろうか?人間は弱いから。


 せめて「愛する」ことは忘れないでいたい。死ぬ間際まで、誰かを愛していたい。


 確実なのは「愛すること」だけだから。

今日4月11日は、「雑想三昧。」の2歳の誕生日である。


 いや~2年もよく続いたものだ。(^~^) 私にしたら快挙だ。


 これも一重に、読者の皆様のお陰である。(^人^) 感謝感謝!


 思えば私と「ブログ」との出会いは、2005年7月。「にっけいしんぶん新聞」の「今日の愛ルケ」だった。


 そこで初めて「ブログ」というものを知り、ネット世界に足を踏み入れるきっかけになったのだった。


 そして1年後の4月、まさか私もブログを開設することになろうとは・・・。


 にっけいさんには本当に感謝している。「にっけいしんぶん新聞」が無かったら、今の私は無い。


 あの時喫茶店で「AERA」を読まなかったら・・・


 その「AERA」が渡辺淳一の特集を組んでなかったら・・・


 そしてその記事に「にっけいしんぶん新聞」についての記述がなかったら・・・

 

 この3つの偶然が1つでも欠けたら、私は今ここにいなかっただろう。


 「人との出会いは偶然でなく必然。全ての出会いには意味がある」誰の言葉か忘れたが、本当にそうだと思う。


 あ、そうそう。2周年で特筆すべき出来事が!


 何と、にっけいさんからコメレスを頂いたのだ!

 ↓

http://ameblo.jp/nikkeiyokyom/entry-10085432151.html


 「雑想三昧。」始まって以来の快挙である。(#⌒∇⌒#)ゞ


 それからニュースがもう一つ。


 夫にブログやってることをカミングアウトした。


 夫の反応は一言「ふーん」


 ・・・って、それだけかいっ!( ̄Д ̄;;


 特に興味も示さなかったが詮索もして来なかったので、ブログ名とHNは教えずにおいた。


 私がブログをやることに反対はしないらしい。やりたいならやれば?って感じだ。


 ちょっと安心した。( ̄▽ ̄)=3 これで夫に関する記事を消さないで済む。


 「でも夏ばこのことだから、きっと理屈っぽい記事書いてるんだろうな!」


 ドキッ!見抜かれてる!( ̄□ ̄;)!!


 夫め、なかなか侮れないヤツ・・・(=◇=;)


 という訳で、これからも夏ばこと「雑想三昧。」をよろしくお願いします。(*^ー^)ノ


 わたしゃ、やめませんよ~!:*:・( ̄∀ ̄)・:*:


 

男はずるい。

面倒なことは全部女に押し付けて自分はほっかむりをする。

女を便利に使って自分だけいい目をみようとする

女に心なんか無いと思っている傷ついても全て女の自業自得だと決めつける。

自惚れが強くて身近な女は全員自分に惚れていると思っている。

自分に惚れている女はどう扱っても構わないと思っている。

自分からは決して女に惚れないつもりでいる単に甘えたいだけなのに、理屈をこねて虚勢を張っている。

何の根拠もなく自分は女より偉いと思っている。

関係をさっぱり終わらせることができない。ずるずる腐れ縁を続けるか、ぼろきれのように捨てるかどちらか。
逃げ足だけは速い。

ほんと、バッカじゃないの?

 例えば不倫している男女がいるとする。二人のやっていることはもちろん不法行為だが、二人ともお互いを真剣に思い合っている。配偶者と別れて一緒になろうか、お互いの将来を考えて別れようか、それとも友人として一線を引いて付き合おうか、二人の心は揺れに揺れ、なかなか答えが出ない。分かっているのはお互い本気で愛し合っているということ、かけがえの無い存在だということ。でも二人が愛を貫き通せば、多くの人を苦しめてしまう・・・。


 正に八方塞の状況にある人が、少しでも心を軽くしたくてブログにその心情を吐露したとする。「私は既婚者ですが好きな人がいます。その人のことを本気で愛していますが家庭も捨てられません云々・・・」こういった趣旨のことを表現は色々だろうが、ブログに書くとする。第三者の意見を聞きたいのでコメント欄はオープンにしておく。世の中には色んな考え、立場の人がいるから、きっと様々な意見がある・・・。


 ここで、「不倫なんてやめなさい」とか、「家族の心を傷つけてまで恋愛するなんて理解できない」とか、「頑張って。私も同じ状況です」とか「一線を引いて友達になった方がいいんじゃないですか?」とか、肯定否定あらゆる意見がコメント欄に並ぶのは、極めて正常な状態と言える。ブログ主もそれらのコメントに対して、レスをするのも自由、しないのも自由だと思う。


 しかし・・・「淫乱女」「家庭破壊者」「自己中。死ね」「家族にばらしてやろーか」「地獄に落ちるぞ」などの、暴言としか思えないコメントは、明らかにNGだろう。しかしその手のコメントをする輩は、一見「正義」の仮面を被っているからタチが悪い。散々乱暴な言葉で煽っておいて、ブログ主がそれに対して抗議したり黙殺したりすると、逆ギレして一層の暴言を吐く。だんだん攻撃はエスカレートしてきて、しまいには「殺す」だの「2ちゃんねるに曝す」だの、脅迫まがいの行動に出る。客観的に見てどう考えても単なるヒステリーなのだが、本人は不倫と言う違法行為をする不届きな人物に向かって、正義の鉄槌を下している気でいるのだから、まったく度し難い。


 不倫は確かに不法行為なので、それを分かっててやる人間はある意味「マトモ」ではないかも知れない。しかし、「我こそは正義」という旗印のもと、「マトモ」でない人々を汚い言葉や脅迫行為を使ってでもとことん糾弾してやろうという異常な正義感は、もはやマトモではない。


 むしろ秘めたる関係を密やかに進行させようとしている人たちの方が、よほどマトモに見える。誰かを愛する行為は美しい。たとえそれが世間に許されざる愛だったとしても、人を思う心自体は基本的に美しいものだと思う。不倫する自分たちをどこでもいつでも礼賛し、肯定してくれなければイヤだと言う不遜な気持ちさえ持たなければ、一定の理解は示されて然るべきものだと、私は思う。


 物事には何でも加減がある。100パーセント正しい、100パーセント間違っている事なんて、世の中に存在しないのではあるまいか。正しいと思っている人が多いか少ないかの違いだけで。


 「常識」なんてものはある時簡単に覆る。いわんや、「正義」をやだ。