昨年11月12日、訪れた際は休館日だった神長官守矢(じんちょうかんもりや)資料館へ、インフルエンザを発症した今月の14日に行ってきました
↑神長官守矢資料館の入口
↑ピンボケです
「御頭祭」をモチーフしたもの。全部レプリカです。諏訪大社上社前宮の十間廊に鹿の首75を供えて神事が行なわれていたそうです。
↑生贄をなった鹿の中には必ず耳が裂けた鹿がいたというエピソードに基づいたレプリカ
ここからふっき~の超個人的なまとめ・・・・
① 出雲地方の勢力(タケミナカタ)がヤマト政権に追われ諏訪地域へ。
② タケミナカタ率いる勢力と洩矢(もれや・もりや)率いる諏訪地域土着の勢力が衝突
③ タケミナカタ率いる勢力が勝利
④ タケミナカタが諏訪地域の「政」事を担当、洩矢が「祭」事を担当
⑤ 狩猟・採集中心の縄文時代から続く土着の信仰を洩矢(のちの守矢氏)継承。
おそらくは5世紀の頃の出来事でしょう(諏訪湖周辺の古墳で一番古いのが5世紀築造)
※反論は受け付けません(笑)個人的妄想です
↑神長官守矢資料館に展示されている「サナギ鈴」
当日案内して下さった方に布をまくってもらいました。ありがとうございます。(インフルエンザを感染させてないか・・本当に心配です)
この「サナギ鈴」、鉄鐸と呼ばれるものです。
↑銅鐸(写真は島根県古代出雲歴史博物館から拝借)
銅鐸は弥生時代、紀元前2世紀から紀元後の2世紀まで使われていたのに、忽然と使用されなくなります。
この銅鐸と勾玉、なぜか突然、世の中から消えるんですよね
あっ、勾玉まで取り上げていたら、話が混乱するので・・
ここで、またもやふっき~の個人的考え・・・・
〇 各地で使われていた「銅鐸」
↓
〇 「鏡」を使用するヤマト政権が全国支配へ
↓
〇 明治の廃仏毀釈のように「銅鐸」が打ち捨てられた?
※反論は受け付けません(笑)
↑三角縁神獣鏡のレプリカ(埼玉県東松山市埋蔵文化財センター)
縄文時代から続く土着の信仰、もちろん弥生時代に広まった文化も継承した洩矢(のちの守矢氏)、全国的には銅鐸が消滅したあとも鉄鐸として姿を変えつつ残ったのかもしれませんね
歴史学者でもなく、考古学者でもなく、授業でもないので、自分勝手な説を述べることができますブログって最高かも
オマケ・・・・
熱が上がりはじめ、体調悪化中に寄った諏訪湖サービスエリア
↑最高の眺めでしたよ 諏訪湖・山・空、とてもキレイでした
↑諏訪湖サービスエリアで食べた「信州サーモン丼」
熱が出てきているためか、味覚がおかしくなっており、なんだかイマイチでした絶対美味しいはず