愛知県名古屋市熱田区 断夫山古墳 | 古墳探訪記

古墳探訪記

関東中心に古墳を巡っています。現存している古墳、削平してしまった古墳を含め、すべて写真で記録していきます。時々、神社や地形についても触れていきます。1000年以上も続いた古墳のある風景、後世に残していきたいものです。

12月28日からの一人旅(2泊3日)、最初に訪れたのは断夫山(だんぷやま)古墳でしたおねがい

 

↑断夫山古墳、東側よりカメラ

 

 

 

↑「後円」部裾にある解説板

墳長151メートル、前方部幅116メートル、後円部径80メートル、前方部高さ16.2メートル、後円部高さ13メートル、6世紀初頃築造の前方後円墳。「前方」部がかなり発達した形状ということです。

 

 

 

↑墳丘東側の様子。手前が「前方」部の裾、奥が「後円」部側となります。大きすぎて全体像がわかりませんねあせる

濠は後世のもの。本来の周濠はもっと外側にあったようですキョロキョロ

 

 

 

↑墳丘西側の様子

立入禁止のため墳丘に登ることはできませんが、埴輪の破片がたくさんありそう(笑)

 

 

 

↑墳丘西側の様子。手前が「後円」部、奥が「前方」部。

 

 

 

↑「後円」部側の様子

ヤマトタケルと結婚の約束を交わしていたミヤズヒメの墳墓との伝承があります。先に亡くなってしまったヤマトタケルへの思い抱いて死んでしまった・・・・そんなことから「断夫」という名称になったとかえーん

 

 

 

↑以前も載せましたが、断夫山古墳のミニチュア。左手が「後円」部、右手が「前方」部。

ヤマトタケルとミヤズヒメ・・・・なんだか、しんみりする話しですが、6世紀初頃の築造となるとヤマトタケルの時代ではなく、のちの時代の豪族尾張氏の墳墓と考えるのが妥当でしょう。ただ、尾張氏の中の女性が葬られた墳墓であったため、のちにミヤズヒメの伝承が生まれたのかもしれません。(←またまた個人的な考えですよあせる

 

 

 

 

オマケ・・・・

 

インフルエンザが原因で本日も出勤できません。(土日は仕事に行きます)

熱が下がっているため、昨日はひたすら動画で10年ちょっと前の大河ドラマ「風林火山」を見ていましたてへぺろ

 

戦国時代や幕末を扱った大河ドラマって、見ているはずなのに、なぜか「風林火山」は見てなかったんですよねびっくり

 

今日もひたすら「風林火山」でしょう(笑)

 

 

ちなみに、先月、家にいる時に見ていた動画は「宇宙戦艦ヤマト2199」と「宇宙戦艦ヤマト2202」でした(笑)