12月28日、断夫山古墳を訪れたあと、向かったのは白鳥古墳です。
↑白鳥古墳、南西側より こちら側(墳丘南側、前方部が大きく削られていることがわかります)
↑西側 こんな路地から近寄れます
↑白鳥古墳、西側の様子。左側が「後円」部、右側が「前方」部。
見た目は「宮内庁指定の陵墓」のような印象ですが、史跡として指定は受けていません(名古屋市は管理のみ)
↑解説板
墳長70メートル、後円部径45メートル、後円部高さ6.5メートル、前方部幅55メートル、前方部長さ30メートル、前方部高さ7メートル、6世紀初頃築造の前方後円墳。
↑北側より 「後円」部の様子
能褒野墓(のぼののはか、現在の三重県亀山市)から白鳥となって飛び立ったヤマトタケルが、愛するミヤズヒメがいる尾張の地にやって来て、松の木にとまった・・・・その場所が白鳥御陵となったとの伝承があります
↑法持寺
江戸時代まで、白鳥古墳は法持寺が管理。「御陵」を持つ寺ということで、はるか以前は宝持寺と表記されていたようです。
↑法持寺境内の弘法堂、建っている場所が白鳥古墳の墳丘上ということになります(墳丘の東側)
↑法持寺境内からの白鳥古墳 左手前が「前方」部、右奥が「後円」部
↑白鳥古墳、南東側より
↑近くの熱田神宮にももちろん寄って参拝してきましたよ