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foo-d 風土

自然や芸術 食など美を 遊び心で真剣に

 

 よろづよに

  かはらぬものは

    五月雨の

   雫に薫る

    あやめなりけり

        源経信

 

【現代訳】

いつの時代にも変わらないものは、五月雨のしずくに薫る紫色の菖蒲(あやめ)の花のすばらしさであるなあ。

 

 

皐月の生花

 何れ菖蒲(あやめ)か杜若(かきつばた)

 昨日花菖蒲(ハナショウブ)と杜若(燕子花かきつばた)をいただいたので、1階玄関に燕子花、2階玄関に花菖蒲を活けました。

今回は2階玄関の花菖蒲を投稿しました。

〈花材〉

花菖蒲

千鳥草(ラークスパー)

スプレー菊

八手

 まだ花菖蒲は蕾で若干地味ですが、数日後満開の花となれば全体もうまく収まるでしょう。

 器は 両翼花器  「飛翔」

   2017年11月作

 黄瀬戸地に織部釉垂れ流し  サビ+朱赤を飛ばす 焼きは酸化

  横幅60cm もあります。

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 こどもの日に向けて生花店で花菖蒲が流通する4月末~5月5日のものは開花調整を施されたもので、その頃には自然には咲いていません。

自然本来の花菖蒲(ハナショウブ)や杜若(カキツバタ)は、5月下旬から6月下旬ごろまでが見頃となっています。

 皐月の生花

 

 何れ菖蒲(あやめ)か杜若(かきつばた)

 昨日花菖蒲(ハナショウブ)と杜若(燕子花かきつばた)をいただいたので、1階玄関に燕子花、2階玄関に花菖蒲を活けました。

 

 

今回は1階玄関の杜若(燕子花)を。

 

燕子花だけ適当に盛花です。

 器は 鎬(しのぎ)花器

  酸化志野 灰立乳白釉

   2023年10月 恵那市文化祭入選

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 こどもの日に向けて生花店で花菖蒲が流通する4月末~5月5日のものは開花調整を施されたもので、その頃には自然には咲いていません。

自然本来の花菖蒲(ハナショウブ)や杜若(カキツバタ)は、5月下旬から6月下旬ごろまでが見頃となっています。

 「いずれあやめかかきつばた」という慣用句、これは甲乙つけがたい二人の美女を表現するものですが、其の出典(初出)先が見つけられません。しかし「いずれかあやめ」については、『太平記』巻21と『源平盛衰記』巻16で、

 御所に毎夜のように現れ惑わせる鵺(ぬえ)を退治した源三位頼政に対して、鳥羽院は菖蒲御前とほか2人の美女に同じ着物を着せて、頼政に「この中から本物の菖蒲御前を選んでみよ」と命じられた時に困った頼政は、和歌を読みます。

 五月雨に

  沼の石垣

水こえて

何かあやめ

  引きぞわづらふ

(五月雨で沼の水が石垣を越えて溢れていますので(わたしの胸の思いが溢れていますので)どれがあやめなのか引き抜くのをためらって病んでしまいます)」

 「あやめ」と「かきつばた」はとてもよく似ていて二者の区別ないしは二者択一が難しい、「いずれ菖蒲」の形では複数から一つを選ぶのが難しいという意味合いが強くなります。

嬉しい悩みですね、

五月雨とは5月の雨ですが、旧の暦ですから、実際は6月。梅雨の雨のことで、

  五月雨を 集めて早し 最上川

 芭蕉の句にあるように 川や池に一年で一番水がたくさんあり、日本の豊富な水が実感できる時期ですね。

沖縄が梅雨に入りましたから、あと2週間もするとこの地方も梅雨入りかもしれません。

 

雨降れば

稲がどんどん大きくなりますね、

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何れ菖蒲(あやめ)か杜若(かきつばた)

さあどの花が そうでしょうか

 

 

 

 

杜若 燕子花(カキツバタ)

尾形光琳による金屏風の「燕子花図」がとても有名ですね。優美な花姿と、美しく広い葉が古くからから愛され、いけばなでも伝統花材として各流派で重宝されてきました。

 

 

菖蒲・文目(アヤメ)

 アヤメという名前は、花びらの根元の網目模様を「綾織り(あやおり)」の模様にたとえて名付けられたと言います。

「アヤメ属」と言うように名称の知名度は高いですが、杜若(カキツバタ)や花菖蒲(ハナショウブ)と比べると、伝統的にいけばなで使われることが少ないため、花材としての流通は少ない花です。

 

「菖蒲(ショウブ)」という漢字を当てて、「アヤメ」と読ませることからも、かつてから日本人が菖蒲(アヤメ)と花菖蒲(ハナショウブ)の判別に困ってきた歴史がわかりますね。

 

 

その中でも一番特定しやすいのが菖蒲(アヤメ)です。見た目としては、花の根元の網目模様が特徴的な点で杜若(カキツバタ)や花菖蒲(ハナショウブ)と判別可能です。湿地ではなく山や草原に花を咲かせる点でも違いは一目瞭然で、菖蒲園などで水辺に植えられているものが菖蒲(アヤメ)であることはありません。

 

同じく水辺に生えている花菖蒲(ハナショウブ)と杜若(カキツバタ)は本当に見分けが難しいとは思いますが、開花した花で判別できるなら、花びらの根元が黄色い線なら花菖蒲(ハナショウブ)、白い線なら杜若(カキツバタ)です。花が咲いていない時には、葉のスジや太さで見分けることもできます。

 (青山花茂HPより参照)

 

写真の 上:花菖蒲(ハナショウブ)、中央:杜若(カキツバタ)、下:菖蒲(アヤメ)

流れゆく
  桜のゆらぎ
   青海波

  波の織りなす
   春の打ち掛け

 花にあそぶ 水の織物
   2025/04/19

      周之介
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風がささやくと 桜の花びらが粉雪となって舞い 水面に集まって来ます
 桜の錦を織り進めなさいと風がささやき
  粉雪桜が水面へ増えていきます

 流れの波で
  水面(みなも)は揺れゆれ
    桜が揺蕩う(たゆたう)
   まるで織り上げた着物の打ち掛けが歩くたびに揺れる様に
    

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 「青海波」は皆様ご存知の様に「せいがいは」と読み、
着物などの染物柄の一種で、穏やかな波がどこまでも続いている様子を表現した模様を意味します。「未来永劫に」「平穏な生活が続いていくように」という意味が込められた縁起のよい柄とされています。また、災厄を水に流して清める模様ともいわれ、厄除けの意味が込められることもあります。

岐阜県現代陶芸美術館

「卒寿記念 人間国宝 鈴木藏の志野展」

2025年 3月29日(土)~ 6月1日(日)

 

案内より

日本の、そして現代美濃陶芸を代表する陶芸家、鈴木藏(おさむ)氏(1934年生)は、荒川豊蔵(1894-1985)に続き、二人目の「志野」における重要無形文化財保持者(人間国宝)です。令和6年度、文化功労者に顕彰されました。  

 鈴木藏は岐阜県土岐市に生まれ、多治見市市之倉の丸幸陶苑に勤務する父の助手として働き1966年に31歳で独立。薪窯でしか焼けないとされていた「志野」にガス窯で挑戦し、自然への畏敬の念を重んじ、伝統を大切にした中から独自の作陶スタイルを確立していきます。 

 「志野には日本人の美意識の独特さと素晴らしさがある」と語る鈴木藏。作品を作るなら「新しくて、力強いもの」という姿勢を崩さず今日まで取り組んできました。 本展では2024 年12月に卒寿を迎えた鈴木藏の初期から最新作までを一堂に展示します。

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 日本一の陶磁器産地である東濃には幾多の人間国宝の方がおられますが、その中でも鈴木藏氏は荒川豊蔵に次いで私が好きな作家で、

今回は鈴木藏の様々な志野がじっくりとみられますし、志野がこれでもかという位陳列されていて、金剛これだけ沢山の志野をまとめて見る機会も無いと思いますので、好みのものからその他まで皆様もこの機会にどうぞお楽しみください。

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 美濃焼とは、

岐阜県の東濃地方=東美濃地方(多治見、土岐、可児、瑞浪、笠原など)で作られる陶器で、歴史的には、安土桃山時代に黄瀬戸、瀬戸黒、志野、織部などの基本の焼物がこの地で生まれ、茶道で使われる陶器「茶陶」としても素晴らしい品が多く生まれています。

 現代では陶器のみならず炻器、磁器まで含め、ピンからキリまでありとあらゆる焼物が作られて日本一の陶磁器生産量になっていますが、そのことにより、これだという特徴がないのが美濃焼の特徴ともなって美濃で焼かれたものはなんでも美濃焼という状況になっています。

 今後は、削ぎとるもの、発展させるもの新しく生まれるもので、「美濃焼とはこういうものだ」と誰にでもわかり誇れる世界を確立してほしいと望んでいます。)

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志野

安土桃山時代に日本人が作った初めての白い焼き物といわれています。

室町時代の茶人・志野宗信が美濃の陶工に命じて作らせたのが始まりとされ、可児市久々利から土岐市泉町久尻にかけて産出する五斗蒔粘土やもぐさ土という鉄分の少ないやや紫色やピンク色がかった白土を使った素地に、志野釉(長石釉)と呼ばれる長石を砕いて精製した白釉を厚めにかけ焼かれる。通常、釉肌には肌理(きめ)の細かい貫入や柚肌(ゆずはだ)、また小さな孔が多くあり、釉のかかりの少ない釉際や口縁には、緋色の火色と呼ばれる赤みのある景色が出て優しい白色にうっすらとした緋色が入っています。

 絵などの柄が付けられていない「無地志野」を基本に、絵志野、鼠志野、紅志野、練込志野などの種類があり、国産の茶碗では2つしかない国宝に志野茶碗「卯花墻(うのはながき)」が指定されています。(他の一つは本阿弥光悦の楽焼白片身変茶碗で銘不二山)

志野は安土桃山時代はずいぶんもてはやされたようですが、江戸時代になり、徐々に技術が失われていき幻となっていましたが、荒川豊蔵が魯山人の星ヶ丘茶寮にいた頃、岐阜県可児市大萱の山の中の古窯跡を調査して破片を発見し、志野を再現しました。

(荒川豊蔵はその後志野と瀬戸黒の人間国宝になっています)

黄瀬戸

「瀬戸」の名が付きますが、瀬戸黒と同様に美濃で焼かれたもので、中国華南で生産された三彩陶器の交趾(こうち)焼の影響を受けて安土桃山時代生まれたとされ、食器が中心です。

あたたかみのある柔らかな黄色に、所々緑色の織部釉で植物の文様が描かれているのが特徴の焼き物です。

瀬戸黒

安土桃山時代にうまれたもので鉄釉を施し、釉薬が溶けている途中で窯内から引き出し、急冷させて黒色釉としたもので高台が低い半筒の形で作られる独特の黒色の茶碗が特徴です。

黒茶碗も結構好きで、長次郎の黒楽茶碗は好きですが、瀬戸黒は肌の黒がマットで深みがないものが多くて、今までで良いと思ったのは1、2点しかなくて、あまり好みのものに出会っていません。

織部

安土桃山時代に、茶人の古田織部が、自分の好みに合わせてつくらせた焼き物で、千利休は渋みのあるシンプルな「詫び寂び」な器を好んでいましたが、その弟子である古田織部は利休の好みとは正反対といえる「織部好み」で作られた織部焼は、ゆがみも味わいとみるだいたんなフォルム、鮮やかな緑、鉄を含んだ顔料で描かれる文様や絵は、ほかの焼物にはない自由で豪快なフォルムや奇抜な文様が特徴となっています。 織部黒、青織部、志野織部など形や模様もたくさんのものがあります。

 

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 今回の展覧会とは関係ありませんが、現代の志野茶碗を見てきましたので、最後に江戸時代の志野も1点。

江戸時代 絵志野 檜垣 山文 茶碗

数百年の時代の乗った私のお気に入りで、自宅でたっぷりとお茶を点てて飲んでいる志野茶碗です。

 

余談ですが、

 鈴木藏氏の「力強いもの」という言葉からも想定するように、日本各地の現代作家のお抹茶茶碗はどっしりとした大ぶりのものが増えていて、使うより飾ることに主眼が置かれているように感じてしまいます。 立派に見えて陳列映えには良いのですが、実際にお抹茶を点てて飲む時には、ちょっと大きく重く、大きすぎて掌に収まりにくく、口縁も分厚いものが多く飲みづらく、大きな男性には良いですが、女性や非力な方にはちょっとね。っと思うものが増えています。もっと繊細で使い易き飲みやすい美しい碗もほしいですね。

五月晴れ
 萌え もえ出ずる
   新緑の
  山微笑みて
    鶯の鳴く
 
 薄紅の
  花散る後は
   しだれ花
 
   むらさき香り
    ゆるりとゆれる

 

 

恵那の山々も山桜去り 
 新緑の山には山藤が満開です。
 
 紫色は冠位十二階の最高位の色ですが、今回撮影した藤は江戸紫よりも赤系の京紫より更に赤味ですね。
 
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 冠位十二階は、わが国最初に明文化された服制で、日本書紀によれば推古天皇の時代に聖徳太子・蘇我馬子らが制定(603年)し、帽子(冠)で地位あるいは身分の序列を分かるようにしました。
 
 冠名は儒教の徳目(徳・仁・礼・信・義・智)の六とし、各冠は色(徳=紫・仁=青・礼=赤・信=黄・義=白・智=黒)で、その濃淡で各々を大・小に分け、濃い紫、薄い紫、濃い青、薄い青というように計十二階にしました。
その後、養老律令(718年)では冠だけでなく、位階の表示はもっぱら服の色によることとなり衣服令として詳細な規定が創られています。
 
 紫衣は、江戸時代に朝廷が沢庵和尚に紫の衣を贈った所 徳川幕府が勝手に贈ったと中止させたという紫衣事件も起こっていますが、それ程高貴な色だったのですね。

麦の穂の

   実る黄金の

     豊穣を

    想いて今朝は

      花生ける

  麦秋の

   野に雲雀鳴き

   初夏に入る

    周之介

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  〈花材〉

 麦

 イボタの木

 黄百合

 千鳥草(ラークスパー)

 八手

 野にあるようにと思いながら投げ入れしましたが、百合が自己主張しすぎて馬鹿みたいですね。もう少し遠慮して可愛く咲いてほしいな。

花びらの大きさがせめて半分以下ならよかってのですが。

  〈花器〉

 無名ですが、名を付ければ、刷毛目流し 丸壺とでも言おうか。

 窯印もなく、年代作者不詳だが、糸底を見ると、陶土は赤土で丹波土に似ている。 

そして、畳付きに貝殻の目跡(めあと)が三箇所きれいに置いた跡があり、丁寧に作られている。

いつ頃のものかは不明だが、100年以上いや、もっと前に丹波で焼かれたものだろうとも思えるが、その古さの割に畳付きが擦れていないが、使わずに飾られていたのか不思議な壺です。

 この丸壺の写真の後ろに掛かっている、江戸時代と思えるとても古い古色の出た能衣裳の腰帯がとてもお似合いで いい色合いをしています。

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 糸底とは、陶器やお皿の底部分であり、その一番下の

畳付きに貝殻の目跡(めあと)が三箇所ある。

  目跡(めあと)とは陶磁器が焼いているうちに地面にくっつかないよう、陶磁器と地面の間にかませた粘土や貝の痕跡です。焼いている時に釉薬が熔けても、かませた粘土のおかげで作品が熔着するのを防いでくれます。

イボタの木は樹高1.5~2m位の低木で、花期は初夏(5 - 6月)で、このまま置いておくと、枝の先に長さ2 - 4 cmのギンモクセイに似た芳香ある白い小さな花を密集して咲かせるかもしれません。

 そうすると全体のバランスも良くなるでしょうね。

花にあそぶ 乱れ舞い  2025/04/19

 


 細雪(ささめゆき) 

  風のまにまに

   乱れ散る

  薄紅桜

   饗演の舞

 


 




 楚々として

  嫋やかに咲く

   花なれば

  終焉にこそ

   吹雪となりて

          周之介

    駒ヶ根市 馬見塚公園

 


 隠れた桜の見所で花見客が極端に少なくてありがたい貴重な所です。更に 2m以上はあるツツジもとても素晴らしく、桜とツツジが競演する貴重な場所です。

 

 



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ここで躑躅の和歌を一首

思ひいづる

 常磐の山の

    岩つつじ

  いはねばこそあれ

     恋しきものを

          平貞文

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 あなたのことを思う時

常盤の山の岩躑躅のように、無言で何も言えないから思いが伝わらないのが苦しく切なく、あなたが好きと言いたいのですが、断られるのが怖くて いえないからこそ更に恋しくてたまらない

 …………………………

平貞文(たいらのさだふみ871~923)

桓武平氏、官位は従五位上・左兵衛佐。

平貞文は平中(へいちゅう)と呼ばれ、在原業平の在中と並び称されるほどの恋多き歌人で、26首が勅撰和歌集に入集されています。

馬見塚公園

駒ヶ根市赤穂福岡14−5

 

花にあそぶ

 

 散り初めし

  淡きさくらの

    ひとひらを

 

   食の伴侶(おとも)に

     春の懐石

 

 

 桜と愛でる

   豆腐懐石

 

 

 桜の咲く山の方へと車を走らせ 所々咲く 薄紅に染まる山々を車窓に眺めながら

大きな滝の前で車を置き

 すぐ横の瀑布を観ながら

  今月も美味しい豆腐三昧の了息庵へ

 

 

 

 

 

 

 今回は桜の膳

  ゆったりと 美味しく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

繊細で滋味豊かなお豆腐料理全九品を三時間ゆっくり堪能いたしました。

いつも大人気で数ヶ月後まで満席のお店ですが、今年はもう9月以降も年内は予約でほぼ満席です。

 ここの豆腐はきめ細かくて上品で一口口に入れただけで 「ああ美味しい」と口に出てしまう。

 あまりにも美味しくて、5月以降も美食の会を含めて年内に7回ほど予約を入れさせていただいています。