「懐かしいでしょ」っと本を
妻から 誕生日プレゼント
『yosie inaba』 稲葉賀惠著
かつて私と妻はお互いを知る前からレディスファッションの仕事をしており、私は既製服、妻はクチュール(オーダーメイドの一点ものを仕立てる)デザイナーでした。全く貯金もないのに一緒になって、町外れの小さな安アパートで暮らし始め、真ん中の部屋の灯りもしばらく買えなかった。
それでも、生活費の残金はいつもお互いファッション関連の本や雑誌を沢山を買ってきては、夜、家に帰り時間ができるとファッション雑誌を部屋中に広げて、デザイナーやファッション傾向やコーディネートなどや自分の企画について、ああでもないこうでもないと2人で夜遅くまで話をしていました。
稲葉賀惠もそんな時に出てくるデザイナーの一人でした。
(SPA=製造小売業=ファッション商品の企画から生産、販売までを垂直投合したショップで1986年にアメリカのGAPの会長がSPAと命名し、今後はこれで生きると発表して世界に広まった業態です。)
まだ、このSPAという言葉もなく、GAPも誰もやっていない頃に、私は天然素材100%にこだわりシンプルなデザインのレディスウエアを企画から生産、販売までを垂直投合したショップを独自に始めていました。
垂直投合して全てを自分で企画販売することで、間接経費を全て取り去り、高級素材でも普通の人が買える値段で長年愛着を持って着られる「オシャレな普段着」を着てくださる方のことを思いながら造っていました。だからでしょう、よく売れました。
例えば、定番商品企画では、コムデギャルソンの定番ベーシックシャツ19800円を3着購入して1枚は縫い糸を解いて全てをバラしパターンを調べ全く同じ寸法で、同レベルの縫える縫製工場を探し、縫い方 運針数もボタンも同じにして、生地は100双ブロードであったが、生地が緻密で薄過ぎてシワになりやすく家庭ではアイロンもちょっと大変なので、これだけは少しシワになりにくい80双糸に変えて、何度もサンプルアップして作り上げてなんとか無理して5900円で販売。その他コフィンテックスキャロル等の専門店で23000円のウール100%プレーンな定番Vカーディガンも編み地、パターンを調べ尽くし同じレベルのものをイタリアの高級糸で編み6900円で作る等、どれも一級素材で手頃値段で定番で販売していました。
こういう商品の企画には一流デザイナーやパタンナーのノウハウを少しでも身につけなければとてもできません。
寝る時間も惜しみファッションに明け暮れ、ものすごく忙しい人生の時代でしたが、楽しい時代でした。
稲葉賀惠はモガやyosie inabaのデザイナーで、彼女のデザインは多くのデザイナーと比べるとシンプルで上品な素材とシックなメンズライクなファッションで、どちらかというとディオールのメンズっぽい感じに似たデザイン。結構お気に入りでした。
『yosie inaba』 稲葉賀惠著は、そんな時代を思い出させる懐かしい本
とても嬉しかったです。
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稲葉賀惠さんは、元菊池武雄の奥様でBIGIのチーフデザイナー MOGA、yosie inabaのオーナーデザイナーであり、
そして長年雑誌「ミセス」のモデルでした。
原のぶ子の元で洋裁を習っていた23歳頃、急にピンチヒッターでモデルをやり、それから雑誌「ミセス」のモデルにスカウトされ、条件で言ったのは夫の菊池武雄の服で。表紙にも起用される様になり、1963年 23歳から~50歳までデザイナー兼専属モデルでもありました。
長年続いた 『yosie inaba』は、2025年2月 今月でブランドをクローズ。
またファッションの灯が一つ消えます、寂しいです。
この本のカバーには、
1970年「BIGI」立ち上げから、2025年2月「yoshie inaba」ブランドクローズまでー。
ものづくりの原点、雑誌『ミセス』との出合い、こだわり抜いた素材やデザインへの思いを、貴重なコレクション写真や資料とともに語る、半世紀を超えるデザイナー人生、集大成の一冊!
「着る人の顔がわかる服が好き 「いつも同じでごめんなさいね」 yoshie inabaのショーに足を運んでくださる皆さんに、よくそんなふうに言っていたものです。それくらい、私がつくる服はデザインがあまり変わらない。基本の服をしつこくつくり続けてきました。(中略)どれもが自分の分身のようにいとおしい。でも、それらは決して過去のものではなく、今も折に触れて袖を通す現役。そしてこれからもずっと着続けるであろう服たちです。」
(写真は全てこの本から拝借しました)








