日本では友人同士や同僚同士でみんなでご飯を食べに行くときに割り勘というのが一般的ですが、中国では割り勘というのはほとんどありません。


一番目上とかポジションが上の人がいればその人が払いますし、友人や同僚同士の場合でも、持ち回りで負担するのが一般的です。


ご飯を誘うときにも「一緒にご飯食べに行かない?私が奢るから」というのがよく聞く台詞で、ご飯を誘った人が勘定を受け持つ、というのが暗黙のルールになっているようです。


みんなでご飯を食べに行くときは誰かがご馳走するもの、という習慣があるのだと思いますが、その背景には料理形態にも要因があるように思います。


日本では定食にせよランチにせよ、一人一人が自分の食べたい料理を頼むので自分の分が明確ですが、中華料理の場合は大皿で出てきた料理を皆でつまむ形なので、自分の分が明確にはならないのです。


日本でも飲み会などで、自分はほとんど食べたり飲んだりしていないのに、頭割りで割り勘になるので損だ、という人がいますが、それと似ている感じでしょうか・・・。


余談ですが、通常中国では料理を完食することはしません。
料理を食べつくすことは、まだお腹がいっぱいになっていないという意思表示に取られるらしく、ほどよく残すのがマナーとされています。
もっとも、最近は完食しているのを見ることもありますし、残った料理を持ち帰る光景もよく目にします。


日本では恋人同士でも割り勘にすることがありますが、中国の女性に聞くと「考えられない」と言われたりします。


もっとも、中国でも割り勘の概念が全くないわけではなく、「AA制」と呼びます。
どうしてAA制というのかは私も謎なのですが、中国人にAA制のことを聞いても分からない人もいるので、それだけ一般的ではないのでしょう。


最近は豚肉を中心として食料品の物価が上昇しており、少しでも節約したいというニーズからサラリーマンの間でも皆で食事をして割り勘にするケースも出てきているとか・・・。


それにしても、割り勘がないために、気軽にご飯を誘えないというのはコミュニケーションを取る上で障害になるかも知れませんね。

最近「マネーはこう動く」という本を読みました。
著者である藤巻氏の評価は色々あるようですが、初心者にも分かりやすく経済やお金の仕組みを説明していてとても勉強になりました。


「金融政策とはなんぞや?」とか「量的緩和を解除するとどうなる?」とか、普段は何気に聞き過ごしていることを基礎から説明してあります。


藤巻氏の自論は、「今は固定金利で借金をして株、不動産、外貨建て資産を買い、債権を売れ」というもの。
これは「今後日本の金利は上がり、インフレになり、円安になる」という想定のものです。


その背景として「日銀がここ10年間で2倍の紙幣を刷って2倍の国債を買ってきた」ことを挙げ、この異常な状況を打開するためには借金(国債)の価値を下げるために政府はインフレに誘導するしかないだろうとしています。


確かにここ数年は異常な低金利になっています。
私が小さいころにトイレットペーパーの買占め事件がありましたが、その時には未曾有の低金利と言われたものの、まだ4%を超えていましたし、私がミサワホームで住宅の営業をしていたときにも超低金利と言われていましたが、3%を超えていたのです。


それが今や0.75%、歴史を冷静に振り返ってみても異常です。
今は長期固定でできるだけ借金をした方が良いという話をたまに耳にしますが、それはあながち外れてはいないでしょう。


藤巻氏は著書の中でまた、景気対策のために円安にするべきだとも述べています。
円安になれば生産業者に有利になるので雇用も促進され景気は良くなる、というもの。
これも一理あると思います。


それよりこの本を読んであらためて実感したのは国の財政状態。

国債を830兆円発行しているというのは知っていましたが、2007年度の予算で収入が58兆円で歳出が83兆円なので、サラリーマンの家計に例えると年収580万円の人が年間830万円も使って、毎年借金で穴埋めしていたら借金が8300万円になっていた、というものです。


こうなるとやはり消費税アップは避けられないのでしょうか・・・。
いずれにせよ、何とか早めに手を打ってもらいたいものです。

私は日常発生した小銭を使うのも、残った小銭の処理も得意ではないので、小銭があちこちにいつも散乱しています。


以前小銭について触れた 際に貯金箱を設置したと書いていましたが、それもあっという間に満タンになってしまったためです。


先日「今は貯金箱が流行っていて、ゲーム感覚で貯めれるものもある」という情報を聞きつけた私は、早速噂の秋葉原のヨドバシカメラに足を運んでみました。


ゲーム・おもちゃ売り場に行くと、しばらくあまりの商品量と人ごみに唖然としていたのですが、やっと貯金箱コーナーへ辿り着きました。


始めに巷で噂になっているという「人生銀行」をチェックしてみました。
この「人生銀行」は、タカラトミーが販売している液晶ディスプレイを搭載した500円玉専用貯金箱で、お金を貯めるほど貯金箱の住人の生活が変わり、物語が展開するというもの。

硬貨は500円に限定されているようですので、硬貨金額ではなく、貯金頻度やいつまでにいくら貯めたいかなどの設定内容によってストーリーが変わるようです。


この人生銀行、大変興味はあったのですが、なにせ大きさがそれほど大きくなく、500円玉しか入れれないというのは「小銭」をストックするというよりも「貯金」が目的になっているため、今回の私の目的である「小銭」をできるだけ「たくさん」入れれるもの、からは外れたので購入は断念しました。


貯金箱はやはりシンプルなものにしようか、と「100万円貯めれる貯金箱」というものを手に取った瞬間、その下に何やら怪しい貯金箱が・・・。


形状はレジのような、金庫のような、少し仰々しい感じです。
良く見てみると、セキュリティカードと暗証番号で機能する貯金箱でした。
しかも、硬貨を認識して、現在いくら貯まっているかが液晶画面で表示される、というもの。


これは優れものかも知れない、と深く考えずに速攻で購入して帰宅しました。


家で実際にその辺に溜まった小銭を入れてみると・・・。
まず小銭の大きさで何円硬貨が判断しているだけのようで、しかも接触材が反応するだけのため、硬貨判定精度がそれほど高いわけでも、実際に投入されたかどうかをはかる手段も無いことに気づきました。


しかも、入れていたら詰まってしまったので、中を空けて見てみると、3層に分かれていて、小銭層と紙幣層とがあり、その貯金箱の大きさ分の小銭を入れれるわけではないことも判明しました。
上記認識システムのため、紙幣はもちろん認識できないので、紙幣を貯金する場合には、手入力することになります。


とりあえず、小銭を全部入れたら10,000円を超えていました。


いくら貯まっているかが分かる貯金箱、というのはかなり画期的だと思うのですが、正直やはりこの程度なのかな・・・と思ってしまいました。

ニューヨークの富豪が遺言で愛犬に14億もの遺産を残したというニュースがありました。


しかも、この方には4人の孫がいたようなのですが、そのうち2人には一切遺産を配分しなかったとか。

この遺産を残されなかった孫達は、その犬に対してどういう感情を抱くのでしょうか。

もっとも、亡くなった方の孫に対する最後の厳しいメッセージだったようで、「残さなかった理由は自分が一番良く分かっているはず」と遺言で述べているそうです。


それはそれとして、最近ペットはますます人格化されてきているように思います。

ペットホテル、ペット学校、ペット美容、ペットファッション、ペットマッサージなどなど、ペットは家族の一部として見られてきています。
ペットフードも人間が食べれるものや、人間の食事よりも高級なものまであります。


ネーミングも以前のピーとかコロのような動物らしいものではなく、人間の名前と同じ命名をしているものも少なくありません。
ペットを飼っている人達の間では、通常の会話の中で子供の話のようにペットの話題が出てくるので、話だけ聞いていると人間のことかペットのことか分からないことがあります。


特に少子化の流れの中で、子供を持たずにペットをかわいがる人も増えていると思います。
ストレス社会の中における「癒し」の要素もあるかも知れません。


実際、マンションなどでも、高所得者向けのハイグレードなものほど、ペット可にしてるケースが増えてきているように思います。


そういえば、いまやペットビジネスは更に発展して、ペット保険やペットのお墓なるものもお目見えしています。
ペットのお墓には、更に自分が亡くなったときにペットと同じお墓に入れるというものまであります。


今にペットを戸籍に入れる・・・なんてこともあり得るかも知れません。

最近マスコミなどで取り上げれている「ネットカフェ難民」とは、定住する住居を所有せずインターネットカフェで寝泊りする人達を指した造語。


確かに、最近はシャワールームを装備しているネットカフェがほとんどです。


ネットカフェ難民という言葉を初めて聞いたときには、経済的にメリットあるのかな、と思ったのですが、よく考えてみるとネットカフェであれば、深夜の割引料金を利用すれば、1泊1000円ぐらいでは泊まれるため1ヶ月丸々泊まったとしても30,000円で済む計算になります。


ネットカフェは交通の便が良い駅近がほとんど。
ワンルームとはいえ、いまどき都内で30,000円で借りれるアパートはほとんど無いでしょうから、水道光熱費など付随してかかる費用を考えると、ネットカフェに住む方が安く上がることになります。


しかも、飲み物飲み放題、雑誌や漫画読み放題、TVやDVD見放題、となるとカプセルホテルなんかに泊まるよりは全然良いかも知れません。


唯一の難点はベッドではなくチェアーだということでしょうか。それでもリクライニングチェアなら十分寝れますし、簡易版ベッドのようなフラットシートというのもあるので、若い人達には何ら苦にならないかも知れません。


今や電子メールや携帯メールで、仕事の紹介や仕事先との連絡を取る時代、FIXした住居が無くとも仕事でも困らないのかも知れません。
もっとも、履歴書は未だに有効でしょうから、そういう方々は履歴書の住所のところにどういう記載をしているのかは興味があります(笑)。


ところで「ネットカフェ難民」という言葉に対して「ネットカフェ」の業界団体が差別用語として反対声明を出しました。
実際に7月は女性の客足が遠のいて利用者が減少したそうです。

最近のネットカフェは、ネイルサロンを設置するなど女性客の勧誘に色々工夫をしていただけに、怒る気持ちは分からなくはありません。


ネットカフェ愛用者の私としても、ネットカフェ難民という用語はあまり好きではありません。
しかも、この影響か、最近身分証明証の提示を求められることが多く、私のように一時的に色んな場所で利用する側としてはかなり煩雑になります。


今に「女性専用ネットカフェ」とか「エグゼクティブ専用ネットカフェ」とかできるかも知れませんね。

こないだ引越しをした際に、AVの配線のために専門業者が来てセッティングをしてくれました。

確かに私の家には、TV、DVD、ビデオ、CD、ケーブルチューナーなどがあり、ケーブルを一旦外すと一人では元に戻せないほどです。
というか、コードが絡まってしまって大変です・・・。


その光景を見ながら、今はワイヤレスLANにせよ、ワイヤレスマウスにせよ、何かとワイヤレスの時代なのに、ケーブルとか配線とか無くならないのだろうか、と思いました。


もっとも機器同士の接続であれば、ブルートゥースなどの技術を用いて、一部はワイヤレスにできるのだとは思うのですが、まだ一般的では無いですし、そのような機器は高額だと聞いています。


今日も秋葉原のマックに入ったら、カウンター席全てにPC用コンセントがついていて感心したものの、またコンセントって無くならないものなのだろうか、と素朴に疑問になりました。


そういえば、機器同士のワイヤレス化はよく耳にしますが、どうして電源はワイヤレスにならないのでしょうか?

私が知らないだけかと思い、少しネットで検索をかけてみたら、もう100年もの間世界中でその分野の研究がなされているのだが、まだ実現されていないようです・・・


ただ、先日米国のMIT(マサチューセッツ工科大学)の研究グループが、ワイヤレスによる電力供給実験に成功したようで、2008年にも対応機器が登場する予定だとか・・・。

デフォルトの規格をつくった企業は相当儲かりそうですね。


技術的な仕組みはよく分かりませんが、携帯のアンテナ基地局のように、バッテリー基地局のようなものができて、そこからバッテリーを供給できるようになれば便利なのに、と思います。

例えば喫茶店などにその基地局があれば、電池が無くなった携帯電話もパソコンも無線で使えるようになります。

自宅に太陽光の蓄電機などをおいていれば、昼間に蓄電して家の中で電化製品がすべてワイヤレスで使える、とかになるとかなり便利ですよね。


今は、建物のプラン作成においてもコンセントの位置とか決めるの結構面倒ですし、マンションとかでコンセントやTVケーブルの位置が決まってしまっていると、家具の置く位置がそれに制約されてしまうので。


電源ケーブルやコンセントの無くなる日・・・、それはいつ来るのでしょうか。

今日は会社をお休みさせていただいていたのですが、2001年1月以来、6年7ヶ月ぶりに皆既月食があるということで、ひと目見てみようと思っていました。


せっかくなので、その時間に外でイベントをしている場所がないか・・・と思い、インターネットで検索をかけたところ、「田端銀座」(JR山手線駒込駅近く)で盆踊りがあるとのこと。


早速車を走らせ、18時頃田端銀座へ到着しました。
提灯が並ぶ商店街と思われるところに車を停め、商店街を歩いてみたのですが、店が閉まっているところもあり、あまり人通りがありません。

なんとなく、田端銀座と聞いて、柴又のような下町でおいしい老舗のお店が並んでいるイメージだったのですが、田舎のさびれた商店街(すいません)という雰囲気でした。


でもせっかく来たからと思い、19時のお祭り開始時刻まで喫茶店(商店街には一つも無く、ようやく駅近くに一軒発見)で時間を潰していると、こういうときに限ってなぜか30分足らずの間に4件も仕事の電話が入り、街の雰囲気とあいまって、お祭りムードがだいぶクールダウンしてしまいました(笑)。


しかしながら、19時に盆踊りが始まると、急に賑やかに。
どこから集まったのかたくさんの人達が踊っています。中には仮装をしている人達も・・・。
出店がほとんどなく、道路を占領して行う盆踊りはなんとなく風変わりで味がありました。
昔の盆踊りってこうだったのかな~という感じと言ったら分かりやすいでしょうか?





さて、肝心の月食ですが、盆踊りが始まった頃から、夜空の雲行きが怪しく、雷が鳴り始め、最後には雷雨となってしまい、月食どころではありませんでした。


帰宅してニュースを見ていたら、東北や九州などでは綺麗に見れたようですね。
そして8月28日というのを聞いて、今日は妹の誕生日であったことを思い出しました(笑)。


次回は2010年12月、3年4ヶ月後にあるそうです。
今度は是非生で見てみたいものです。

安倍改造内閣の顔ぶれが決まりました。


「失われた信頼を取り戻す」をスローガンに、できるだけ身内を避け、安定感のあるベテランを選んだという感想です。
事実、大臣経験者が多く平均当選回数も6.8回とか。


また、自民党内の3派閥の会長を閣僚入りさせており、野党からの突き上げが厳しい中、自民党内での分裂は避けたいという意図が見え隠れしているように思います。


今回の人選で着目すべきは2点。
1点は厚労相に舛添要一氏を起用したこと。

舛添氏はもともと安倍首相の政治手法に批判的だったわけですが、今後安倍内閣の今後の対応が注目されている、懸案の年金記録漏れ問題を同氏に任せるという人事には少し驚きました。


舛添氏は、私が学生の頃流行っていた「朝まで生テレビ」という議論番組のレギュラーで、いつもストレートな物言いをしていましたが、舛添氏は元々学者なので、「口では良いこと言っているけど、この人は実行できるのかな・・・」と思いながら見ていただけに、どういう手腕を発揮してくれるのか個人的にも興味があります。


もう1点は、官房長官にベテランの与謝野馨氏を選んだこと。

与謝野氏は、経済財政担当相だった時代に、量的緩和解除やゼロ金利解除の道筋をつくった方とのことで、新しく任命される金融担当相の渡辺喜美氏と並んで、どんな経済対策を打ってくれるのか、関心があります。

この人選は、経済や市場の活性化を睨んだ布陣とも思われます。


自民党三役では、以前からマスコミなどで言われていたとおり、幹事長には麻生太郎氏が就任しました。


布陣はいいとして、実際今後どうしていくのか、が大事なので、政治と経済が良くなることを願いたいと思います。

いくつかの候補の中から一つのものを選択するとき、皆さんは最初に目的が達成される候補に当たった時点でそれに決めるタイプですか? それとも候補はすべて見てから決める方ですか?


最初から第一志望が明確に決まっているようなケースを除いて、冒頭の選択は人により個人差があると感じます。


選択には、人生に大きな影響を与えるものから、日々の些細なことまでピンキリなわけですが、即決するタイプの人と慎重に見極める人は、事の重大さとは関係なく性格的なところで分かれるようです。


例えば人生に大きな影響を与えるものとしては、転職や結婚紹介。
「意気投合した時点で決める人」と「まだ他に良い会社や人がいるかも知れないと候補は全てあたってから返事をする人」がいます。


日常的なものとしては、購買活動でしょうか。
ワンピースを買おうとして幾つかお店を回っていて「良さげなのがあっても取り置きをしてもらって納得がいくまで見て回ってから買う人」と「合格点のものが見つかった時点で購入する人」がいます。


これらをここでは即決派と慎重派と呼んで分けるとすると、即決派は比較的現実主義で妥協ができるタイプ、慎重派は比較的理想主義で妥協ができないタイプと言えるかも知れません。


「人」に限らず、浮気性はどっちでしょうか?
慎重派の方が、どんな候補があっても他にもっと上があるかも知れない、と思うので浮気性のように思われますが、即決派の中でも後で「こっちの方が良かった」と後悔するようなタイプは逆に浮気性かも知れません・・・。


選択のシーンにおいて、取り置きやキープができるケースは良いのですが、そうでないケースには、高望みをしていると、最初に合格点かなと思った候補を逃してしまうリスクがあるものです。


私はどちらかというと慎重派というか高望みをする方なので、それで逃してしまうこともたまにあります。
「妥協しない」と言えば聞こえがいいですが、多少「高望み過ぎ」なところがあるのかも知れません。


例えば『fonfun』の人材採用において、広報担当者も経営管理部長も相当な数の方との面接を経てやっと採用を決めています。


ただ、現在経理スタッフは高望み過ぎなのか、何人かを逃してなかなか決まっていません・・・。


私自身「人」には妥協したくない、という基本ポリシーがあるのですが、基準や理想が高すぎると誰も採用できずに、結局物事が進まない、ということもあるのかなと思います。

以前の『hirog』 で触れた取材の掲載雑誌が発売されました。


「GQ JAPAN」というこの雑誌は、世界9ヶ国で出版されている「GQ」ブランドの日本版です。
GQはジャンルは「ファッション総合」となっていますが、政治経済、IT、クルマ、グルメ、などビジネスマン(エグゼクティブ!?)に幅広い情報を提供しています。


何気に雑誌をめくっていたら、広告のキャッチに「ほんとうの贅沢とは、夢を確実にかなえる術を持つことだと思う。」というのがありました。


なるほど・・・と思う反面、「夢」は本来「現実的そうで現実的でない」とか「届きそうで届かない」から目標になって、その夢に向かって頑張ろうというモチベーションが湧くような気がするので、夢を確実にかなえる術を持った人ってつまらなくないのだろうか? と余計なことを考えてしまいました。


いわゆる、億万長者と言われる人達は、一般人からみて「贅沢」に見えているものが彼らにとっては「贅沢」ではないのだと思います。

叶姉妹が身に着けているアクセサリーや洋服を「贅沢」とみるかどうかも人によって異なりますよね。
そういう意味で、贅沢とは価値観によって変わるものだと思います。


ここで「贅沢」という言葉を辞書で引いてみると、「必要な程度を超えて物事に金銭や物などを使うこと」とか「限度やふさわしい程度を超えること」とあり、もともとはマイナスイメージがある言葉だということが分かります。


最近では、「贅沢日和」なんていうビールが販売されたりしているように、「ちょっとした贅沢」が新商品・サービスのマーケティングのキーワードになっていることが多く、どちらかというと「ご褒美」に近い意味を持ってきていると思います。


「贅沢」感を味わうものとして、旅行のときに高級ホテルに宿泊したり、飛行機にビジネスクラスを利用したり、というのは分かりやすいですが、例えば吉野家へ行って「今日はお味噌汁を豚汁にしちゃおう」とか「大盛りではなく特盛にしよう」なんてのもちょっとした贅沢かも知れません。


自分の場合、最近贅沢と思ったことは何かな・・・と考えると、中国の上海蟹の本場である陽澄湖で、たらふく上海蟹を食べたことでしょうか(笑)。
といっても半年以上前の話なので、もう少し贅沢(というか自分へのご褒美)の機会を増やした方がいいかな、と思いました。


いずれにせよ、贅沢はたまにあるからいいのであって、贅沢三昧になるのは贅沢の価値が無くなりそうで怖いです・・・。