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前回から、空いてしまいましたが、

 

 

職場を「通勤電車」に例えると、

 

職場の人間関係がどう捉えられるか?

 

を前回のブログに書きましたが、

https://ameblo.jp/fmk110/entry-12396101308.html

 

 

 

今日は、それを考えていたら

 

ふと浮かんだ仮設のようなものです。

 

 

 

「職場は『通勤電車』のようなもの」

 

としたら、

 

 

 

一体『仕事』はどうなのか…?

 


 

就職すること自体が、

 

「電車に乗ること」

 

ではないのか?

 

 

 

そんな思いがふと浮かんできたのです。

 

 

 

それぞれが、それぞれの目的に従って

 

その目的地行きの電車に乗る

 

 

 

新卒で乗った電車は、

 

始発からの出発電車

 

 

 

途中駅で乗車するのは、

 

中途採用という乗客

 

 

 

そして、途中で行きたい目的地が

 

変わったら、

 

途中下車して、違う目的地行きの

 

電車に乗る

 

 

 

始発から乗ったまま終点まで行く

 

乗客もいれば

 

 

 

途中から違う場所へ行きたくなる

 

乗客もおり

 

 

 

実は「仕事」という電車に

 

そうやって乗っているのではないか?

 

 

 

と、思えてきたのです。

 

 

 

新卒で、「電車に乗り遅れた」と次の電車に乗ったら、

 

その電車が実は特急で、先の電車を追い抜いていくかもしれません

 

 

 

新卒で必ず就職しないと!とか

 

正社員のまま辞めないで続けないと!とか

 

色々世の中には不安を掻き立てる声がしますが

 

 

 

実は仕事に就く・転職をするということは、実はこんなことなのかもしれません

 


 

私も、この9月末で26年6ヶ月

 
勤務した仕事を辞め、
 
新たな目的地行きの電車に
 
乗ることとしました。
 
 
 
次の目的地はどこへ行くのでしょう?
 
 
 

 

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春から異動になった職場で、
 

実は同僚にピリピリと当たられ、挨拶をしてもスルーされる
 

という経験をしていて、そこからふと閃いたこと。

 

今日はそのお話です。
 


 

異動直後から理由も分からず挨拶しても何故かスルーされ、
 

私なりに相手の事情

 

(公私ともに多忙で疲れてるんだろうなぁ、とか)

 

を理解しようと努めてきましたが、
 

 

 

キレ気味にものを言われたりする日が続いたので、


一旦、

 

「同僚は仕事仲間」

 

という前提を横に置いて



「職場は赤の他人の集合体」



との前提を置いてみる事にしました。




すると、

職場がまるで「通勤電車」のように思えてきたのです。
 

 


 

通勤電車は、赤の他人がたまたま乗り合わせていて、
 

 

 

良い親切な人もいれば、
 

避けたくなる姿や振る舞いの人、
 

嫌〜な感じの人

 

特に何とも思わない人
 

 

 

など、多種多様な人が乗り合わせているけど、
 

その時その場限りだから、嫌な人がいても関わらずやり過ごす。



そう思えば、
 

「職場も通勤電車とほぼ同じようなものではないか!?」
 

と思えたのです。

 

 


そう思うと、職場での出来事もどこか他人事に捉えられる感じになってきました。

 

 

 

職場や学校、組織での人間関係に苦労されている方

 

試してみてはいかがでしょうか?

 

 


 

この気づきが、さらに大きな気づきに発展するのでした。

 

 

 

次の記事 https://blog.ameba.jp/ucs/entry/srventryupdateinput.do?id=12409161571

 

 

 

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怒涛の年度末・年度初めに、転居を伴う転勤があったので、

 

すっかりブログの投稿が空いてしまいました。

 

 

前回の「『想いを出す』ことが、執着を手放すことにつながりました」

https://ameblo.jp/fmk110/entry-12359489978.html?frm_id=v.mypage-checklist--article--blog----fmk110_12359489978

 

の、「執着という名の隕石が無くなった」その後の気づきのお話です。

 


 

2月に3年に渡る執着を手放した後、転勤が決まり怒涛の年度末を迎えました。

 

 

 

年度末、鳥取の最終出勤日に、一昨年度一緒に仕事をした

 

元上司がわざわざ自席まで(フロアも違うのに)ご挨拶に

 

来てくださったり!

 

 

 

直属の上司ではない(転勤族ではない)地元の課長さん達や

 

管理職の何人かの方からご丁寧にご挨拶いただいたり!と、

 

思いもよらぬことがありました。

 

 

 

この鳥取での3年間、自分にとっては「修行の場」みたいな辛い時期でありましたが

 

(色々とあったので、その当時の総務課の管理者の方は色々ご存知だったのですが)

 

 

 

でも、言葉に出さなくても陰ながら心配したり、

 

気にかけてくださっていた方が居たんだ!

 

 

 

というのを、最後の最後に気づかされた感じでした。

 

 

 

私が執着という隕石に意識が向かい続けていた間は気付けなかった、

 

「愛情や人への想い」がそこにはありました。

 

 

 

最後の日に気づかされるとは、人生皮肉なもんです(涙)。

 

 

 

そして、

 

愛情も受け取る余裕が無いと、受け取れないもんだなぁ

 

とも、改めて気づかされた出来事でした。

 

 

 

修行の場が、最後に恨み節で出て行くことにならなくて良かったです。

 

 

私にとって、とても大きな気づきでしたので、新たな場所で

 

多忙さにかまけて忘れ去らないうちに、書き残してみました。

 


 

さて、愛情に気づかせてもらった私は、これからどう生きて行くのでしょうか?

 

 

 

人生、気づきと経験の旅ですね、きっと。

 

 

 

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前回のブログ

「実は『人生で○○を経験してた』だけなんだ!」

https://ameblo.jp/fmk110/entry-12350407313.html

 

の続きです。

 

 

人生で「経験しているだけなんだ」と思うと、

 

人生を俯瞰してみるようで、ふっと心が軽くなることができた!

 

と書きましたが、それでもどうしても残る想いがありました。

 

 

 

それを、ようやく先月の平昌五輪中に出すことができた、

 

その経験です。

 

 


 

それは、やはり仕事での報われない想いや憤りでした。

 

 

 

実は、3年前の異動(転勤)の際、騙し討ちのような目に合いました。

 

 

 

私自身の希望ではなく、(今の職場で)ポストが空くからその穴埋めでの異動だったのですが、

 

私自身はこの異動は何らメリットがなく、

 

友人も知人も多い関西にいることがあらゆる面で良かったのですが、

 

 

 

管理職である上司からは散々と

 

「異動すると上に上がるから」

 

「自分の都合で異動を断ると、次チャンスはしばらくない。あなたの年次は沢山いるから上がれない」

 

と言われ、最後には業務命令だとまで言われ、泣く泣く異動を受け入れました。

 

 

 

すると、内示の日

 

 「同じ役職のまま」異動!! と判明。

 

 

 

異動を散々説得し続けた上司がバツが悪そうな表情を浮かべていたのを今でも覚えています。

 

 

 

そして新年度、全国の異動情報が公開されると、同期や下の期の人は、転勤も無く昇進していたことが判明!

 

 

 

確かに上がりました。「仕事の内容」は!(笑)

 

昇進せず役職は同じまま、上席の仕事をすることになりました。

 

 

 

そして、昨年度から組織改編となり、仕事もポストも下がりました。

 

 

 

ちなみに3年前転勤せず昇格した人達は、そのまま「課長(室長)補佐」に鞍替えってます。

 

 

 

そのことを、ず〜っと、悶々と抱えて過ごしてきました。

 

 

昨年の12月に全国から職員が集められた集合研修があり、

 

その時同期から、

 

「あなたの人事はおかしいと思う。組合に訴えられるレベルだと思う」

 

と言われ、

 

「第三者が見てもおかしいと思う人事だったのか」と思い、

 

この納得がいかない想いを、自分の中から出してみようと思ったのです。

 


 

組合は「人事は非介入」というところなので、

 

職員の大元の相談機関である人○院に相談文書を出すことにしました。

 

 

 

でも、日々の仕事で疲れてしまったり、新年から落ち込んで精神的に動けなくなったりで、

 

文書を書き始めることができませんでした。

 

 

 

そうこうしているうちに、平昌オリンピックが開幕。

 

 

 

無理矢理、この人の力を勝手に借りることに!

 

 

 

羽生結弦選手です。

 

 

 

在り方や考え方など、羽生選手に惹かれていたのですが、

 

羽生選手は大怪我後の復帰戦がいきなりオリンピック!

 

 

 

「羽生選手のショートプログラムを全力で応援するには、このモヤモヤした想いを出しておかないと!」と思い込むことにし(笑)

 

まさに、ショートプログラム前日夜に文書を書き上げました。

 

 

 

書き終えた段階で、かなりスッキリしているのが自分でも良く分かりました!

 

 

 

スッキリしたけど、それで「実際これを送付するのか?」と自分に問うてみたら、

 

やはり 「この人事を無かったことにされたくない」との思いがあったので、翌日郵便で発送しました。

 

 

 

ただ、その段階では、もうその人事をした者をどうにかしてやりたいというような感情は消えていました。

 

 

 

例えるなら、自宅の庭に落ちてきた隕石がずっとあって、

 

時折外に花が咲いたり鳥が来たりで、隕石から意識が外れたりはするものの、

 

やはり目の前の隕石に意識が向いてしまう。

 

 

 

それを、ようやく人の手も借りながらも、庭から隕石を運び出した。

 

 

 

そして、隕石が無くなって、ようやく意識が隕石に向かなくなった。

 

 

 

そんな感じなんです!

 

 

「執着を手放す」とは、そんな感じかもしれません。

 

 

 

やはり、報われない想いや、心の底に押し込めた想いは時間が経ったとしても、消えてなくなるものではなく、

 

何らかの形で外に出してやらないと、そこに意識が引っかかり続けたり、恨みになったり、前に進むことができなくなってしまいます。

 

 

 

セクハラで世界中に「#Me Too」が拡散したのも、

 

ずっと心の奥底に押し込まれていたセクハラの被害者の想いは消えていなかった ということかもしれません。

 

 


 

私は、庭の隕石が無くなって、今まで意識の視界が遮着られて見えなかったものが、

 

これから何が見えてくるのか(何に意識が向いていくのか)、楽しみなところです。

 

 

 

まるで、砂袋が切り落とされた熱気球のように、軽くなりました。

 

 

 

心の中で残っている想いは、直接ぶつけるでも、

 

また(出さなくても)手紙など文書で書いてみる、

 

本人外の人に話す 

 

など間接的でも、心の外に出してみてはいかがでしょうか?

 

 

 

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前回のブログ「長きにわたり頑張ってきたエゴ(プログラム)の供養をしました」

https://ameblo.jp/fmk110/entry-12342932633.html

 

から、また新たな気づきがありました。

 


 

それは、この3年ほど特に強烈に嫌という程味わってきた

 

仕事で報われない思いや憤り。

 

 

 

それが、前回のブログでも書いた通り、エゴの供養も終えたこともあったのか…。

 

 

 

ある日 ふと、

 

実は、

「人生で25年間○○という経験をしていただけなんだ!」

 

 

※○○には職業や仕事内容を入れてください

 

(例えば、「人生で会社員という経験をしていたんだ」とか)

 

 

という、とてもシンプルな、気づきのようなことが思い浮かびました。

 

 

 

と同時に、就職する時や、自己紹介でも、

 

例えば 「教師になる」「医者になる」とか、「サラリーマンです」「公務員です」という言い方をよくしますが、

 

 

 

本当は、

 

「○○になった(○○と同一化した)ではない!」

 

 

 

ということにも気づいたのです!

 

 

 

あくまでも「人生で○○の経験をしている時期なんだ」ということ!

 

 

 

なのに、まるで 「その人=その職業」 になったかのように捉えている!

 

 

 

本来、別物(別もん)だったんですよね。

 

 

 

そう考えてみると、今までのモヤモヤした思いが、ふっと軽くなり、ニュートラルで捉えられる気がしました。

 

 

 

まるで自分の人生を俯瞰しているような視点に立って、自分の人生を眺めている

 

 

 

そんな新たな視点で人生を捉えられるようになると、

 

それまでぐるぐるとはまっていた、モヤモヤした思いから抜け出せることもあるようです。

 

 

 

例えると

 

自分の人生を、まるで「ナスカの地上絵」のように見ている

 

 

視点かもしれません。

 

 

 

時には、

 

「単に人生の中の一部で経験していることなんだ」

 

と、捉えてみてください。

 

 

 

それでも想いが残る場合、

 

それは「想いを出す」必要があるかもしれませんね。

 

それは次回にまた。

 

 

次の記事 https://blog.ameba.jp/ucs/entry/srventryupdateinput.do?id=12359489978

 


 

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