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(前回のブログ)  https://blog.ameba.jp/ucs/entry/srventryupdateinput.do?id=12420812389

 

 

公務員でこんな経験してる人(特に女性で)

 

そうそういないと思うので、

 

書き残してみました。

 


 

ある時、セクハラの被害者から、調停申請がありました。

 

 

※調停とは、労使間の紛争を解決援助する行政サービスで、

弁護士などから構成する調停委員による調停会議により、

 

労使それぞれから主張を聞き、調停会議で調停案を出して

解決するものです。

 

(セクハラの場合、男女雇用機会均等法にあります)。

要望として金銭解決を求めたりすることが多いです。

 

 

 

事業主は、開業医。

 

 

 

医師から複数の女性がセクハラの被害にあったとのことで、

調停開始のため、日程調整の連絡しても、

 

最初は電話が通じたのが、途中から着信拒否。

(役所からの電話なのに)

 

 

 

申請者曰く、同僚から

「医師が、役所の市外局番の電話には出るなと指示されている」とのこと。

 

 

 

のっけから対応する気がなさそうです。

 

 

 

日程調整する間もなく

(とりあえず病院の休診日にはしたと思います)、

 

調停開始。

 

 

 

その医師は欠席の連絡もなく、指定した日に現れず、

調停は打ち切りに。

 

 

 

調停は打ち切りとなっても、法違反が疑われる場合

(この場合、セクハラ防止対策未実施)、

行政指導の対象になります。

 

 

 

そんなめんどくさい事業主でも、その当時の女性管理職は

「乗り込むわよ~!」

とやる気満々。

 

 

 

私はそれまでの非協力的な態度にうんざりしていたので、

「え~マジですか~、行くんですか~」な気分。

 

 

 

でもこの上司は、人にやらせて知らんぷり ではなく、

自らも行く!という人で良かったです。

 

 

 

で、医師宛に「この日に行くぞ」な文書を送って、

12月上旬のある日、上司と共にその病院に乗り込みました。

 

 

 

受付で文書の写しを見せ、待合室で待たせてもらうといい、

待合室で診察が終わるのを待っていると

 

 

 

「患者の邪魔になるから外に出ろ」 と医者からの伝言を

伝えに来た看護師から、外に追い出されました。

 

(患者は多くなく、空席もあったので座っていたのですが)

 

 

 

そこで負けない宮崎出身の上司! 九州の女性は強い!?

 

 

 

「駐車場で待つわよ!」と、駐車場で建物を睨みながら

一緒に待つことに。

 

 

 

小春日和とはいえ12月の冬空の下待つこと、3時間。

 

 

 

お昼になり、患者もいなくなった頃、

上司が看護師に「寒いから中に入れろ」と直談判。

 

 

 

すると、医院の玄関口で丸椅子に座って待てることに

なったのですが、

 

まさかの、玄関扉と診察室の扉を施錠!!

 

 

 

「火事や地震が起きたらここで死ぬのか~」

と思ったりしていました。

 

 

 

そこでもしばらく待っていると、15時頃だったか、

看護師が現れ

 

 

 

「医師が急に体調が悪くなり、調査には応じられませんので

帰ってください」

 

 

 

こちらがいつまでも粘るから、今度は仮病です。

 

 

 

上司が「次は必ず対応するように」と言い、

戻ることにしました。

 

 

 

帰りの駅でその土地の名物おでんを

上司にごちそうになったのは忘れられません。

 

(15時すぎまで、トイレも食事もなしでした)

 

 

 

ちなみに、その後も訪問しても同じことになりかねないので、

再調査はハローワークの会議室を借りて、

呼び出してもやはり応じないため、

 

 

 

本省(厚生労働省)と協議し、男女雇用機会均等法で

 

「報告徴収(調査)に応じない場合は過料(最大20万円)とする」

 

とされているので、全国初の過料としました。

 

(過料は地裁が決定するのですが、地裁から

「相場いくらですか?」などと聞かれたりしましたが(笑)、

こちらも「全国初なので分かりません」と答えてました)

 

 

 

結局事業主は過料を支払い、再々調査となり、

行政指導となった訳です。

 


 

なかなか、閉じ込められた経験をした職員は

いないと思いますが、行政も時にはこんな目にあったりも

するんですよ。

 

 

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1998年から男女雇用機会均等法に

「セクシュアルハラスメント防止措置」が入りました。

 

 

 

「セクハラ」は平成4年に流行語大賞でノミネートされ、

一躍その言葉が広まりましたが、

 

職場でセクシュアルハラスメント(いわゆる「セクハラ」)

に悩む方がいて、

 

仕事を辞めざるを得なくなる方もいるので、

法で一定の防止措置が義務付けられたのです。

 

 

 

(ちなみに、まだ「パワーハラスメント(パワハラ)」は

法で禁止とはなっていません。

防止措置の義務化の検討が始まったようですね。)

 

 

 

そこから、セクハラの被害者である女性から、

相談がたくさん寄せられるようになりました。

 

 

 

当時は、体を触られるといった他に、

「上司や社長に強姦されました」

といった性犯罪のような内容の相談もありました。

 

 

 

職場外や電車内でやったら間違いなく逮捕されることが、

なぜ職場で許されると思うのでしょうか?!

 

 

 

職場は治外法権ではありません!

 


 

ある日、一人の女性が相談に来られました。

 

 

 

出張先で無理やり関係を持たされた という内容です。

 

 

 

普通、セクハラの相談者は泣いたり、憤ったりと

感情があらわになる方がほとんどです。

 

 

 

なのに、その酷い被害をまるで他人事のように話している。

 

 

 

ものすごい違和感がありました。

 

 

 

気になったので、その当時外部依頼していた

臨床心理士の先生が来られた際、

相談内容とその女性の状態を説明して尋ねてみました。

 

 

 

すると、臨床心理士の先生は、

 

「人間、あまりにも精神的に大きなダメージを受けると、

精神的に破たんしてしまうので、自分が自分を守るため、

その感情に蓋をするような機能がある。

 

今はその蓋をして守っている状態だけど、

その蓋が外れた時には、そのことが認められず、

 

自分で自分の存在を無くそうとするかもしれないから、

早く精神科や心療内科を受診させてください」

 

と言われました。

 

 

 

人間には、そんな機能もあるのです。

 

 

 

時々、「酷いセクハラにあった被害者が、

なぜすぐに言わない(訴えない)のか!?」

と言われますが、こういうこともあるのです。

 

(実際、別件でのセクハラの労災認定の際にも

担当者から同様のことを言われましたが、

すぐ訴えないのにはこういう理由がある と

伝えたこともあります。)

 

 

 

しかし、自殺されたら大変なので、

大慌てで病院に行くよう説得です。

 

 

 

無事、蓋が外れる前に医療機関に受診してくれて

やれやれでした。

 

 

 

その後も、治療を受けながら、セクハラの事後の対応について

会社とのやりとりがあります。

 

 

 

私も行政の担当者として、

会社に対応すべきことは指導したりしていましたが、

 

彼女の被害の第一報を受けた労働組合の女性の方も、

とても親身に継続して相談に乗られ、

 

被害が忘れられるような没頭できることをしなさいと、

はげまし続けられておられました。

 

 

 

初めは、生気がなく無機質な印象でしたが、

会社のやりとりでこうだった と来局して

報告を聞いたり、話を聞いたりすることが続いていました。

 

 

 

かなり時間がたった頃、ある日来局した彼女のファッションが、

色味が加わってきたのに気づきました。

 

素人がみてもセンスが良いと感じるような色使いです。

 

(実は、本業以外にアートの作品つくりをなさっていると知りました)

 

 

 

そして、何とか役所でできるサポートが

終わりそうになった頃には、

 

「病院や組合の方にも励まし続けてもらい、

前に向かっていこうと思います」と言ってくださり、

 

表情も、初対面で会った時とは別人のように生気が

戻った表情になっていました。

 

 

 

その経験を通じて、

 

「人は信じられないような大きな

精神的ダメージを受けても、

こんな風に再生していく力を持った

存在なのだ」

 

ということを、彼女から学ばせていただきました。

 

 

 

その後も、やはり同様の被害にあわれて、

ご家族が「薬が効いていると眠っているけど、

薬が切れたら目を離すと、すぐベランダに出て

飛び降りようとする」

 

と役所に電話してこられるような、

本人だけでなくご家族も苦しまれたような事案もあり、

 

それも会社の対応が悪く

(指導してもなかなか対応しようとしなかったため)

 

長期に時間はかかったけど、一定の対応は終わり

「役所でお手伝いできることはここまでです」となった時、

 

「後(民事)は裁判でやります。お世話になりました」と

遠方から、親御さんと元気になられたご本人とで、

 

菓子折り持参でご挨拶に見えられたこともありました

(菓子折りは受け取れないのでお気持ちだけいただきましたが)。

 

 

 

セクハラは、時には人の人生も変えてしまいます。

 

最近は、このような酷い相談はなくなりましたが、

それでも被害者の心は傷つきます。

 

私も何度も、精神的に不安定な相談者には

 

「とにかく心療内科を受診して。

休養が必要ならお医者さんは診断書書いてくれるから。

会社と戦うのは元気になってから、いくらでもできるから」

 

と話したことは何度もありました。

 


 

職場の上司や偉い人だから!といって、

セクハラまで受ける必要はありません

(それは給料には入っていません!)

 

 

 

セクハラにあいそうになったら、逃げていいし、

会社の相談窓口や友達や役所や組合や法律相談、

あちこち相談先はあります!

 

 

 

一人で抱え込まずに相談しましょう!

 

 

 

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「妊娠したら辞めさせられる」

 

「出産後や育休とったらパートへなれと言われる」

 

という事業主からの不利益取り扱いは、

かつてから、男女雇用機会均等法で禁止されていたのですが、

 

 

 

事業主や人事責任者が不利益取り扱いをするだけでなく、

 

2年前から上司や同僚が「妊婦は迷惑だ」とか

「自分は妊娠中も辛くても働いたわよ」みたいな

嫌がらせをすること、

 

いわゆる「マタハラ」も禁止になりました。

 

 

 

当然、妊娠で具合が悪くなることもあるし、

育児休業を取りたいと言うのは当然です。

 

 

 

でもそこに、「フォローする側の気持ちや状況」も

ちょっと考えてみてほしいのです。

 


 

私が20代の時、ちょうど10年上の先輩と、

1年下の後輩がほぼ育児休業を同時にとりました。

 

 

 

正職員が6名ですから、残りは4名。

 

管理職・補佐(中学生の子あり)・10年上の先輩

(小学生の子有り)と私です。

 

 

 

何せ「育児休業を取りましょう」と言っている役所ですから、

育休取って当たり前です。

 

 

 

そして、代替要員として非常勤職員も採用されました。

 

 

 

ただし、代替要員の方はとても優秀でしたが、

「任せられる仕事には限度がある」のです。

 

 

 

「これは職員がやらないと」と上から言われたら、

やらざるを得ません。

 

 

 

「それは誰がやるの?」

 

 

 

通常業務にそれは加わるのです。

 

 

 

当時の体制からしても、10年上の先輩も、

子どもを自宅近くに預かってくれる方を確保し、

 

出張が入りそうなときは夫に電話して

「子ども一人にならないか?」の確認もして

 

なるべく仕事ができるよう考えておられる方でしたが、

 

 

 

日々毎日残業となると、やはりそれをするのは

無理の効く「独身者」にかかってきます。

 

 

 

当然、通常業務+αですから、残業が前提の働き方 

となります。

 

 

 

残業も20時過ぎて退庁する際には、

守衛室の窓口で名前と時間を書かなければならなかったのですが、

 

守衛さんから「若い女性が遅くまで残ってたらだめだよ」と

心配してくださってました。(心配するのは守衛さんだけ?)

 

 

 

帰りの電車も、寝不足で

「吊革につかまったまま、ガクッと膝が抜ける」ことが

度々あり、

 

今もそんな状態になっているおじさんを見かけると、当時の自分を思い出してとても笑えません。

 

 

 

そして、育休から復帰しても、今度は保育園のお迎えと

突然の子ども病気でお休みが発生します。

 

 

 

通常業務に戻っても、結局「子どもが病気で」とお休みになると(何故か妻が必ず休む!)

 

朝突然「(その人が行く予定だった日帰りの)出張に行くように」とか、

 

「本日中が締切の業務をするように」と

 

これまた予定外の業務が降ってきます。

 

 

 

こちらのスケジュールは狂いっぱなしです。

 

友人の約束を反故にする、行きたかったコンサートのチケットを破る…

 

おかげで当時知り合いになった人とも連絡が取りにくくなり

(今のようにメールもラインもなく、電話か手紙の時代です)、

 

疎遠になってしまった方もいました。

 

 

 

突発的に入ってきた業務ができなくて間に合わない 

ならまだしも、

 

ルーティーンの毎月報告のようなものもギリギリまで放置し、

やっつけ仕事で他の人にその後始末を任せる…

 

 

 

若いなりにも「それは違うのでは!?」と感じました。

 

 

 

「やらなきゃならないのが分かっているのなら、ちゃんとやっといてよ!」という気持ちです。

 

 

 

そして上司も、「子育てが大変だから仕方ない」とのスタンスで通常業務も指導しないとなると、

 

余計鬱憤はたまります。

 

そんなことが積み重なると、育休やその後復帰した人に対する不満や恨みが募っていくんです。

 

 

 

それが、大きくなると「マタハラ」につながっていくのではないでしょうか?

 

 

 

上司も「育児中であっても、任された仕事はお給料分である訳だから、責任を持って果たさないといけないよ!」との指導は必要でしょう。

 

 

 

「できない事情があるなら早めに言ってくださいよ」という声掛けもあるのかもしれません。

 

 

 

また、時短勤務中でお喋りに花が咲いているのも、

他の人からしたらどう見えるでしょう?

 

サポートしたいと思えるでしょうか?

 

 

 

平成29年の男女雇用機会均等法の改正で、

マタハラが加わったとき、

一方的にマタハラを防止する だけでなく、

 

制度の利用者も自分の状態を周囲に伝えたり、

できることはやる といったことも必要である 

ということも指針に盛り込まれました。

 

 

 

最近の企業では、育休や子育て中の人に対する支援だけでなく、

 

そのような人と一緒に働いてフォローしている社員に対して手当を支給する 

 

と影のサポーターに報いる企業も出てきました。

 

 

 

お互い、それぞれに想いが寄せられる働き方ができたら良いなぁと思います。
 


 

ちなみに保育士をしていた叔母は、

当然叔母の時代は育休もなく苦労して継続勤務したのでしょう、

 

「育休は権利だ」と主張する若い女性に、

 

「権利権利というが、自分達の時には産休すらなく、

市役所に座り込みをして勝ち取ってきたんだ。

 

そんなに言うならその権利返還してあげるから、

自力でその権利勝ち取ってきなさい」と怒ったそうな。

 

 

 

私の祖母も、私が仕事をするのを見て「自分も今の時代なら働きたかった」と言っていました。

 

 

 

選挙権だって、育休だって、それが与えられない時代があり、

その時に頑張って権利を勝ち取ってきてくださった方がおり、

 

またそれまでは、その恩恵を受けられなかった方もいます。

 

 

 

今は当たり前となっていることも、その当たり前に思いをはせる気持ちも時には必要かもしれません。

 

 

 

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兵庫(神戸)へ異動したその年、阪神淡路大震災にあいました。

 


 

3連休あけの早朝、眠っていると凄まじい揺れが。

 

その当時ボロイ公務員宿舎に住んでいた私は、

寝ぼけて「ゴジラが宿舎を振り回している」と思い、

 

揺れが収まってからちょうど給料日だったので

通帳を入れていた仕事鞄とコートをつかみ、

スリッパをはいて外に逃げ出しました。

 

 

 

外の駐車場で、「車に入りなさい」と

声をかけてくださった方の車の中で

余震が収まるのを待ち、

数時間後ようやく自宅に入りました。

 

 

 

電気は通じていたので、テレビをつけると

交通機関が遮断されているのがわかり、出勤不可。

 

たまにしか通じない電話で家族と、上司に連絡をしたのち、

 

「まさかなー」と思いながら、やかんや鍋に水をため、

数回分のコメをといでました。

(後ほどその直感が正しかったことが起きました。断水です)

 

 

 

その後近くのスーパーに出かけましたが、時すでに遅し。

 

水やお茶のペットボトルはなく、食品売り場も強奪に

あったかのように品物が無くなっていました。

 

 

 

電子レンジで加熱して食べられる切り餅と、

包丁だけあれば食べられるチーズ、

お菓子やジュースを買って帰ったのを覚えています。

 

 

 

幸いなことにテレビも見られたのですが、

夜になるとあの大火災の映像が流れました。

 

 

 

知っている神戸の街が火に包まれている。

 

そして消火ができないという報道に、

何もできない非力な自分の情けなさ、

地団駄を踏みたくなるくらい悔しい思いを感じていました。

 

 

 

スーパーは物がなく、断水し、職場へは出勤できないため、

西への交通が再開し始めた時に我が身を守るため

一旦実家へ避難し、1週間後復職命令が出、戻りました。

 

 

 

当然神戸の真ん中に行く交通手段がないため、

姫路の労働基準監督署の会議室へ出勤を数日し

(業務らしい業務は何もしていなかったと思います。

今となっては記憶がないですね)、

 

 

 

その後「明石港から大阪港とハーバーランド(神戸市中央区)行きの船が出る」との情報が入り、

 

本州なのにまさかの船通勤!

 

そこでようやく職場へ出勤することができるようになりました。

 

 

 

職場は、入口付近にあった書棚が倒れて塞いでいたため、

横の会議室から入り書棚を起こして入り口を開けたと聞きました。

 

 

 

壁際に並べられていたキャビネットは全て倒れ、

もし勤務中だったら前のデスクに座っていた人は死んでいたでしょう。

 

 

 

室長室も2段重ねのキャビネットが上司のデスクに倒れ

ガラス扉が割れてガラスの破片だらけ。

 

これを機に私もガラス扉の家具は怖くて買わなくなりました。

 

コピー機も数メートル移動しデスクに激突、

デスクトップのPCはモニター落下し壊れていました。

 

立っているもの全てが倒れている そんな状態でした。

 

そして中身は全て散乱しており、それを元に戻すのが仕事でした。

幸いなことに職員も非常勤職員も全員(ご家族も!)が無事でした。

 

 

 

通勤も、ようやく西は神戸駅までJRが復旧したので、

神戸駅まで電車通勤となりました。

 

復旧後初めて電車で通勤した時新長田駅近くにさしかかったら、まるで空襲後のような焼け野原の光景が現れ、

車内は沈黙に包まれました。

 

あの場でどれだけの方が無念に亡くなられたのか…一生忘れられません。

 

 

 

復旧後は、神戸駅から元町商店街のアーケードを

端まで(元町まで)歩き、その後役所まで歩いて出勤しました。

 

足元が悪いのでパンプスは履けずアウトドアブーツに、

そこら中で建物の解体作業をしているためマスク着用、

アーケード街を歩いて行く人は皆リュックを背負い、

 

エレベーターも動かないので階段を歩き

(まだ4階で良かったです)、

 

建物の水道・下水管にガスもダメになったので

水は出ず、トイレは近隣のビルに借りに行き、

 

職場も暖房が使えないため、スーツではなく

セーターにウールのパンツ姿で、

とにかく「貼るカイロ」をあちこちベタベタ貼って寒さを凌ぎ、

 

お昼は救援物資のカップ麺にカロリーメイトやら餅など

(一生分のカップ麺とカロリーメイトを食べたと思います!)

を皆で食べていました。

 

 

 

地震直後はまず命や安全と生活の確保で、

仕事に対するニーズは少ないのですが、

それらが落ち着くと「仕事」に対するニーズが高まります。

 

 

 

失業された方は雇用保険の給付の手続きで

ハローワークには全国から応援が来ていましたし、

 

私の部署でもパート関係の業務をしていたので、

パートの大量解雇の情報が流れると企業に対して

調査を行ったり、色んな問い合わせに対応し、

情報提供などをしていました。

 

 

 

電話対応中に余震がきて、お互いに叫んだ後「大丈夫でしたか?」などと心配し合う、そんなこともありました。

 

街を歩けば、私よりも大変な目に合われている方が、

軒先でお茶を振る舞われていたり、

 

建設業の方々が炊き出しに来られていて

「食べて行って~」と声かけられたり、

そんな人の温かさを感じた時もありました。

 

 

 

そんな日々を過ごしながら、鉄道も徐々に復旧し、

ようやく4月にはJRが繋がり、

 

アウトドアブーツで通勤することもなくなりましたが、

企業への訪問調査は被災の大きいエリアは避けていました。

 

 

 

また、仕事ではないですが、地震1か月後程度に

新神戸で映画上映会があり、友人が誘ってくれて

観に行きました。

 

その時の映画が「クール・ランニング」

 

南国ジャマイカ人が「ボブスレーでオリンピクに出場して

メダルを獲ろう」というスポーツコメディー。

 

雪を知らないのに四苦八苦しながらボブスレー

にチャレンジするという話に可笑しくて大笑いをしながら、

 

「そういえばこの1か月笑ったことが無かったなぁ」と気づき、笑うことで気分が晴れていったのを覚えています。

 

 

 

また、やたらと「頑張って」と言われることに、

勿論言われる方は悪気は無いのは分かるのですが、

 

「今でも頑張っているのに、まだ頑張らないといけないのか」

 

という気分になり、辛くなった時もありました。

 

個人的には「負けるな」の方がより励まされて負担にならないかもと感じました。

 

 


 

その年の12月には、ルミナリエがあり、「こんなきれいなものがみられるようになったのか!」としみじみ嬉しく見上げていたのを思い出します。

 

 

 

 

 

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かつて働いていた役所では、

第二次安倍政権が「女性活躍」を言い、

 

「女性活躍推進法」までできるといった天変地異のような

時代になるかなり以前から、

 

 

女性が就労できる職種を広げていったり、

 

妊娠・出産で退職しなくて済むような制度を企業に導入するようにしたり、

 

セクハラやマタハラ防止の取組を進め、

 

企業へ調査へ行って法違反の指導や、

 

女性活躍ができるような取組

(最近は男性の育休取得促進も!)のアドバイスをしたり、

 

労働者から相談があれば対応し、法違反企業には指導したり、

 

労使間の紛争になれば行政サービスとして紛争解決援助などしてきました。

 

 

 

男女雇用機会均等法や、育児・介護休業法 といった法律を元に

 

女性が働きやすい(後に均等法も男性も対象となりました)世の中にしていく 

 

といった業務をする役所でした。

 


 

私が就職したころ(平成初期)は、まだ民間企業は

女性は結婚や出産したら退職する(いわゆる「寿退職」)が

当たり前 とされる時期で、

 

企業も女性の採用はそれが前提な訳で、

 

女性は寿退職までの期間働くものだから、

幹部や役職者候補の対象外、

業務もメインではなく補助的な業務 という風潮でした。

 

 

 

なにせ、女性を「クリスマスケーキ」に例え、

(要はクリスマスが24日か25日だから)

 

24歳か25歳までに結婚しないと売れ残り!

と例えられるような言葉もありました。

 

 

 

今では考えられませんね。今や女子アナも女優さんも、

30歳過ぎて独身の方はたくさんおられますから、

常識なんて時代で変わるということです。

 

 

 

その当時していた仕事は、企業への訪問調査で、

まず求人票の確認。

 

当時の求人票は、一番上に 「男・女・不問」と性別の欄があったのです。

 

 

 

これをみて、営業や製造はたいがい「男」に丸がついているので、

 

「どうして女性にはできないのか?」と理由を聞き、

労働基準法の適用除外業務でなければ、

 

「『不問』に○をするよう指導する」

 

のが仕事でした。

 

 

 

大概、

 

「女はすぐ辞めるから」

「女の人には大変すぎる」

「女性は事務のほうが向いている」

「女性に転勤はさせられない」

 

などなど、「女性を一括りにした」反論で、

 

 

 

そこを

 

「女性でも外回りが向いている人もいる」

「女性も工業高校へ進学する人もおり、製造への適した人もいる」

「私も転勤して親元を離れています」

 

などなど説得して回る そんなことをしていました。

 

 

 

ちなみに私の20年上の方は若いころ、

寡婦(今でいうシングルマザー)の収入確保のために、

寡婦の方がヒヨコを育てて収入を得られるような・・・

という謎の業務があったそうです(隔世の感がありますね)

 

 

 

そして、就職した年に「育児休業法」がスタートしました。

 

今でこそ、「女性が出産したら育休取るのは当たり前」の感はありますが、

 

それ以前は「産休終わったら職場復帰する」ため、

赤ちゃんを保育園に預けて仕事をするにも、

子どもが熱を出した、病気をした としょっちゅう休むため

仕事を続けられなくなり退職する人が多く、

 

 

 

「それならば子が1歳になるまで休める制度にして、

女性が継続勤務を図れるようにしよう」という目的で

「育児休業」と「育児短時間勤務等の措置」(いわゆる時短)

ができたのです。

 

 

 

ちなみに、この育児休業が斬新だったのは

「男性も取れる」こと!!

 

(配偶者が専業主婦だとダメだという縛りが当時はありましたが。現在はその縛りもありません)

 

 

 

女性が育休で休めるようになるのも初めてだったのに、

最初から「男性も取れます」としていたこと。

 

 

 

そこには、

女性だけが仕事も育児も担うものではない 

というメッセージが込められていたと思うのです。

 

 

 

就職した4月と同時にその育児休業がスタートしたので、

いきなり電話の問いあわせが殺到。

 

小所帯なので「私は分かりません~」などとぬかしてられません。

 

いきなり実戦配備です。

 

 

 

電話にでると、

 

「育児休業なんか作りやがって。従業員1歳まで会社休ませたら、会社潰れるわ」

 

と事業主から怒鳴られました!

 

 

 

しょうがないので、

「役所が法律作ったのではありません!

あなたが一票を入れた国会議員の先生がお決めになられたんです!!」

などと言い返してました。

(それを聞いてた上司は「上手い」と受けていましたが、助けてくれ〜という気持ちでしたわ。)

 

 

 

その後も、おかげで「育休1年取らせたら会社が潰れた」というニュースも話も聞いたことがありません(笑)。

 

 


 

こんなことを日々積み重ねながら、女性活躍も育児休業も

少しずつ世の中に広げていったのだと思います。

 

 

 

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