夢インタビュアーのファニーです。
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(前回の記事)https://blog.ameba.jp/ucs/entry/srventryupdateinput.do?id=12420079997
兵庫(神戸)へ異動したその年、阪神淡路大震災にあいました。
3連休あけの早朝、眠っていると凄まじい揺れが。
その当時ボロイ公務員宿舎に住んでいた私は、
寝ぼけて「ゴジラが宿舎を振り回している」と思い、
揺れが収まってからちょうど給料日だったので
通帳を入れていた仕事鞄とコートをつかみ、
スリッパをはいて外に逃げ出しました。
外の駐車場で、「車に入りなさい」と
声をかけてくださった方の車の中で
余震が収まるのを待ち、
数時間後ようやく自宅に入りました。
電気は通じていたので、テレビをつけると
交通機関が遮断されているのがわかり、出勤不可。
たまにしか通じない電話で家族と、上司に連絡をしたのち、
「まさかなー」と思いながら、やかんや鍋に水をため、
数回分のコメをといでました。
(後ほどその直感が正しかったことが起きました。断水です)
その後近くのスーパーに出かけましたが、時すでに遅し。
水やお茶のペットボトルはなく、食品売り場も強奪に
あったかのように品物が無くなっていました。
電子レンジで加熱して食べられる切り餅と、
包丁だけあれば食べられるチーズ、
お菓子やジュースを買って帰ったのを覚えています。
幸いなことにテレビも見られたのですが、
夜になるとあの大火災の映像が流れました。
知っている神戸の街が火に包まれている。
そして消火ができないという報道に、
何もできない非力な自分の情けなさ、
地団駄を踏みたくなるくらい悔しい思いを感じていました。
スーパーは物がなく、断水し、職場へは出勤できないため、
西への交通が再開し始めた時に我が身を守るため
一旦実家へ避難し、1週間後復職命令が出、戻りました。
当然神戸の真ん中に行く交通手段がないため、
姫路の労働基準監督署の会議室へ出勤を数日し
(業務らしい業務は何もしていなかったと思います。
今となっては記憶がないですね)、
その後「明石港から大阪港とハーバーランド(神戸市中央区)行きの船が出る」との情報が入り、
本州なのにまさかの船通勤!
そこでようやく職場へ出勤することができるようになりました。
職場は、入口付近にあった書棚が倒れて塞いでいたため、
横の会議室から入り書棚を起こして入り口を開けたと聞きました。
壁際に並べられていたキャビネットは全て倒れ、
もし勤務中だったら前のデスクに座っていた人は死んでいたでしょう。
室長室も2段重ねのキャビネットが上司のデスクに倒れ
ガラス扉が割れてガラスの破片だらけ。
これを機に私もガラス扉の家具は怖くて買わなくなりました。
コピー機も数メートル移動しデスクに激突、
デスクトップのPCはモニター落下し壊れていました。
立っているもの全てが倒れている そんな状態でした。
そして中身は全て散乱しており、それを元に戻すのが仕事でした。
幸いなことに職員も非常勤職員も全員(ご家族も!)が無事でした。
通勤も、ようやく西は神戸駅までJRが復旧したので、
神戸駅まで電車通勤となりました。
復旧後初めて電車で通勤した時新長田駅近くにさしかかったら、まるで空襲後のような焼け野原の光景が現れ、
車内は沈黙に包まれました。
あの場でどれだけの方が無念に亡くなられたのか…一生忘れられません。
復旧後は、神戸駅から元町商店街のアーケードを
端まで(元町まで)歩き、その後役所まで歩いて出勤しました。
足元が悪いのでパンプスは履けずアウトドアブーツに、
そこら中で建物の解体作業をしているためマスク着用、
アーケード街を歩いて行く人は皆リュックを背負い、
エレベーターも動かないので階段を歩き
(まだ4階で良かったです)、
建物の水道・下水管にガスもダメになったので
水は出ず、トイレは近隣のビルに借りに行き、
職場も暖房が使えないため、スーツではなく
セーターにウールのパンツ姿で、
とにかく「貼るカイロ」をあちこちベタベタ貼って寒さを凌ぎ、
お昼は救援物資のカップ麺にカロリーメイトやら餅など
(一生分のカップ麺とカロリーメイトを食べたと思います!)
を皆で食べていました。
地震直後はまず命や安全と生活の確保で、
仕事に対するニーズは少ないのですが、
それらが落ち着くと「仕事」に対するニーズが高まります。
失業された方は雇用保険の給付の手続きで
ハローワークには全国から応援が来ていましたし、
私の部署でもパート関係の業務をしていたので、
パートの大量解雇の情報が流れると企業に対して
調査を行ったり、色んな問い合わせに対応し、
情報提供などをしていました。
電話対応中に余震がきて、お互いに叫んだ後「大丈夫でしたか?」などと心配し合う、そんなこともありました。
街を歩けば、私よりも大変な目に合われている方が、
軒先でお茶を振る舞われていたり、
建設業の方々が炊き出しに来られていて
「食べて行って~」と声かけられたり、
そんな人の温かさを感じた時もありました。
そんな日々を過ごしながら、鉄道も徐々に復旧し、
ようやく4月にはJRが繋がり、
アウトドアブーツで通勤することもなくなりましたが、
企業への訪問調査は被災の大きいエリアは避けていました。
また、仕事ではないですが、地震1か月後程度に
新神戸で映画上映会があり、友人が誘ってくれて
観に行きました。
その時の映画が「クール・ランニング」
南国ジャマイカ人が「ボブスレーでオリンピクに出場して
メダルを獲ろう」というスポーツコメディー。
雪を知らないのに四苦八苦しながらボブスレー
にチャレンジするという話に可笑しくて大笑いをしながら、
「そういえばこの1か月笑ったことが無かったなぁ」と気づき、笑うことで気分が晴れていったのを覚えています。
また、やたらと「頑張って」と言われることに、
勿論言われる方は悪気は無いのは分かるのですが、
「今でも頑張っているのに、まだ頑張らないといけないのか」
という気分になり、辛くなった時もありました。
個人的には「負けるな」の方がより励まされて負担にならないかもと感じました。
その年の12月には、ルミナリエがあり、「こんなきれいなものがみられるようになったのか!」としみじみ嬉しく見上げていたのを思い出します。
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