随分前に読んだ本を読み返した。

ホーキンズ博士は、人間の意識のレベル(感情、意識状態)を1から1000までのスケールで表した。

以前の私は、50から150を行き来していたが最近は調子がよくて200位になる時もある。

350ぐらいまで上がれば人生が楽しそう。

死ぬまでに500、540ぐらいになりたいな。

 

★★★★★

低い意識レベル(ネガティブ)

  • 20:恥(Shame) – 自己嫌悪、抑うつ
  • 30:罪悪感(Guilt) – 自己非難、自己破壊
  • 50:無気力(Apathy) – 絶望、無力感
  • 75:悲しみ(Grief) – 後悔、喪失感
  • 100:恐れ(Fear) – 不安、心配
  • 125:欲望(Desire) – 欲求、執着
  • 150:怒り(Anger) – 憎しみ、恨み
  • 175:プライド(Pride) – 傲慢、自己中心的

意識の転換点(ポジティブへ)

  • 200:勇気(Courage) – 成長、自己肯定
    • 200以上が「パワーのある意識」レベルとされる

高い意識レベル(ポジティブ)

  • 250:中立(Neutrality) – 受容、落ち着き
  • 310:意欲(Willingness) – 前向き、積極性
  • 350:受容(Acceptance) – 人生の流れを受け入れる
  • 400:理性(Reason) – 論理的思考、科学的理解

スピリチュアルな意識レベル

  • 500:愛(Love) – 無条件の愛、慈愛
  • 540:喜び(Joy) – 深い幸福、平和
  • 600:平和(Peace) – 内的な静けさ、悟り
  • 700~1000:悟り(Enlightenment) – 仏陀やキリストのような最高意識
 
 

「神さまとのおしゃべり」から。

 

1 あなたの信じたことは、全てが現実となる

2 あなたの目の前の現実は、実は自分が信じた事が反映されている

  (見たくない現実があるなら、あなたが信じている事を変えるといい)

3 あなたは無意識に観念を使い、それを強力に勝手に信じ込んでいる

      (これが自分の固定観念)

4 自分の固定観念を確認するために、現実が鏡の様に現れる

  (現実は鏡のようにあなたの固定観念を映し出す)

5 感情が湧き上がる出来事は、いつでもチャンスだ。

  怒り、悲しみ、喜びなど感情で、自分の固定観念に気付くことができる

6 固定観念を変えたければ、信じている事と反対の事を信じればいい

     (そうすれば固定観念が自然と消える)

7 信じていることを変えれば、現実は簡単に変わる

8 叶えたい願いがあるなら現実にとらわれず、全く関係ないことを自由に想像する

  (想像こそ人間の奇跡の能力で、宇宙への願いのツール)

9 嫌な事でなく、好きな事をだけを想像する

10 嫌な現実を思ったら「それならどうしたいの」と自分に説いてみる

      (その答えが嫌なことの対極にある本当の願い)

11 〇〇になりたいは、あなたが〇〇ではないと自分で信じているからだ。

  (なりたいの裏に隠れた本音がわかる)

     (幸せになりたいは、自分が幸せでないと信じているから)

12 11を回避するには、幸せになりたいと思わず、すでにある身近な幸せを探す。

  無いものを探して苦しまず、近くにすでにある物を探す

13 探せば、ある物も、無い物も沢山見つかる

14 不足は必要だ。しかし、欲しいと更に願うと欠乏が続くことになる

15 欲しいもの(不足)を見たら、すぐに反対側にある充足感に目をむける。

       そうすれば悩みはすぐに消える。 悩みは選択肢の問題で、

        どちらを選んでも良いので悩んでいる。どっちを選んでもOK。

        悩む事をやめれば苦しまずに済む。

16 悩みは全て幻。悩む事をやめる。後悔も全て幻に過ぎない。

17 あなたはいつでも最善の選択をしている。

        たとえ悪い出来事があっても未来の大きな幸せへの布石。全ての道は未来の良い事に繋がっている。

  起こる事の全てが必要だと信じる。「シメシメ、これはうまくいく」と唱える。

       目の前の出来事を悪い事だと判断しない癖をつける

18 そうすることで、幸せの未来をたぐり寄せられる

 

★★★★★★

この半年ほど、アマゾンのオーディオブックをサブスクしていて、本をほとんど読まなくなってしまった。オーディオブックにすると家事をしながら聞けるからいいのだが、聞き流していると、あまり心に残らないというか、内容をすぐに忘れてしまう。(でもこの本は3回聞いた)そろそろオーディオブックはやめようかなと思っている。

 

「現実は自分が想像したことが映し出されている」というのは、なんとなく理解していたが、

この本では、それに加えて信念、固定観念について書かれている。

固定観念にとらわれると、物事を見る柔軟性に欠けて、先入観をもち誤解を招く。

私は自身、「この人苦手」「週末は人が多いので買い物は行かない」とか色々ルールを作っている事に改めて気がついた。そして、今のどっちつかずの自分の現状が、まさにこの固定観念の表れなのか・・。

 

今年は、何事も良い、悪いと判断をせずに、自分が持っているものに目を向けて、悩まず過ごすことにした。

 

 

Youtubeで、この動画を見た時に、私は自分を虐待していたんだと気が付いた。ちょっと長くなるが、自分で短くまとめてみた。実際の動画を貼るので、興味がある人は見て欲しい。

 

★★★

 

私たちは、自分を虐待したり、いじめたりしていることに気づいていないものだ。多くの場合、それは無意識に行われており、自覚することが難しい。では、どのようにして自分の虐待に気づけるのか?

 

目の前の出来事や人間関係は、実は自分の心の中(内側)、特に無意識を映し出す鏡だ。例えば、無理をしている人、疲れていても休まない人、自分の感情を抑えている人や周りの受けを狙って自虐的な発言をする人などを目にすることがある。これらは、ネットやテレビ、または身近な人々を通して私たちに映し出されるものだが、それらを見せられているのは偶然でなく、背景には意味があるのだ。なぜなら、それらの行動や姿勢は、実は自分が心の中(内側)で行っていることを反映しているからだ。

 

理想の自分からかけ離れていると、無意識のうちに「自分はダメだ」「自分には価値がない」と感じ、そうした自責の念が日常の中で自分を攻撃するようになる。例えば、自分が努力しないと幸せを得てはいけない、好きなことを我慢し、苦労しなければ認められないと思い込む。この状態が続くと、自分を罪人のように扱い、心の中で自分を責め続けるようになる。

 

このような心の中は、自分を価値がないと感じている。例えば素敵な彼ができても、「自分は簡単にいい思いをしてはいけない人間」と不安を感じ、苦労なく幸せを手に入れるとソワソワし恋人に嫌われるような事をわざとし、その恋愛を自らつぶすような事をする。そして自分を不幸にすることでホッとする。
自己肯定感が低い人は、自分がタダで幸せになる、自分が無条件で好きな事をやる、そのような事に対し、大変抵抗を感じる。

 

では、どうすれば自然体の自分に戻れるのか?

自分の身近に自分を責めている人を見せられたら、「自分も自分を責めている、いじめているんだ、自分を虐待している」と気づけばいい。そして、「自分を責めてはいけない」「いじめてはいけない」と思わない事。それは「自分はちゃんとできていない」と自分を攻撃してしまうからだ。

 

だから、ただ気づけばいい。

 

ただ、淡々と「自分を無理させているな」「自虐的になっているな」と気づくだけで十分だ。自分を良い悪いと評価するのではなく、まるで他人事のように、冷静に自分の様子を観察するような気持ちでいる。

 

また、感情を表現せず抑えこむ事も自分への攻撃、虐待の一つだ。喜びや悲しみ、悔しさの感情を「もう大人だから」と、押し殺すと、人間として生まれた意味から遠ざかる。今までは自分の事を守るために感情を抑えていたのかもしれないが、これからはうれしい、悔しい、悲しい、虚しいなどを相手に表現できるなら思いっ切りする。もし、その感情を伝えることが難しいなら相手のいない所で思う存分表現するのを勧める。悲しい、寂しい、辛いとか自然と湧いて来る感情に対して、自分が共感してあげる。しっかり自分にその感情を味合わせるとその感情は確実に消え去る。

 

逆に自分の感情を押し殺すのは虐待になる。その人が自分の感情を解放するまで、もっと悲しい出来事などが人生の中で次々と用意される事となる。
 

このように、まず自分の感情を抑えていると気づき、自分に感情を思いっきり味合わせてあげるのが自分の事を知る第一歩で同時に人生が確実に好転していく第一歩となる。

 

 

 


母親の病気が一日でも早く治るように祈る場合、ただ一つの方法は、

 

「母の名前を呼び、平和と調和、美しく、輝くような生命感に満たされた、完璧な母親の姿をイメージすることだ。

 

そのうえで、更に、医者や看護師など、母親を世話する人々が英知に溢れていると確信する事が大切だ。

 

母親だけでなく、母親の世話をしてくれる人々全てを、愛や真理、美で満たすのだ。

 

心がゆったりとくつろぎ、安心するまで母親に対する思いを願い続ける。

 

重要なのはその願いが必ず届けられると確信する事だ。

 

★★★

私は幼い頃から長い間、母のことが大嫌いだった。

結婚してから距離ができ、少しずつ普通に話せるようになったものの、私が感じていた激しい怒りや執着は、すべて母が原因だと思っていた。

母は私と考えが真逆で、飄々として掴みどころがなく、いつも私をイライラさせる存在だった。

 

母は長い間病気を患っており、この夏、私は2か月間仕事の都合をつけ、母の最期を実家で看取った。旅だった母の顔は、とても穏やかだった。

看病は、精神的にも肉体的にも全く負担ではなかった。

 

こんなに長い間、二人きりで過ごしたのはいつ以来だろうか。

ある時、ふと「やっと母が私だけの存在になった」と感じ、涙がこぼれた。

私はずっと、母を独り占めしたかったのだと、その瞬間に気づいた。

 

無償の愛とは、自らが満たされたことによって自然に溢れるものだ。

 

まず自分を大切にし、自分にもっと愛を注ぐ事から始め、それで愛を知る。

 

人生で触れ合う全ての人に、無償の愛を配る。

 

★★★

さっとメモを取ったのですが、誰の言葉かが書いてないのでわかりません。

でも、人生で会う人すべてに、無償の愛を配れる人になろうと思う。