2025年の年末。南カリフォルニアの砂漠地帯にある瞑想センター「ダンマ・ヴァッダナ(Dhamma Vaddhana)」の体験記。

 

10日目の朝、ヴィッパサーナ瞑想に続いて行われたのが「メッタ(慈悲)の瞑想。
自分自身や他者に対して「幸せでありますように」「健康でありますように」と慈しみの言葉を唱え、無条件の愛を育む2500年続く伝統的な技法。現代では、不安の軽減や共感力の向上といった効果が科学的にも認められている。

 

他の参加者のブログを読んで楽しみにしていたこの瞑想。実際に体験してみると、私は大好きになった。
ヴィパッサナーの最中はイメージを持つことが厳禁だが、メッタの時間は別。愛に溢れるイメージを心に描きながら瞑想すると、驚くほど心がすっきりとする。自宅でも続けており、平和を願う気持ちが自然と湧いてくる、すべての人におすすめしたい素晴らしい習慣だ。

 

この合宿は10日間になっているが、実際には10泊11日の行程だ。10日目の朝に「聖なる沈黙」は解かれるが、瞑想は11日目の朝まで続く。

 

初日の数時間を除き、丸10日間。私たちは一切の会話を断ってきた。
すれ違う時にドアを開けてもらい、つい癖で目を合わせてスマイルしてしまう他は、お互いに無反応を貫く日々。食事中、外のテーブルに座る全員がバラバラの方向を見つめて黙々と食べる姿は、事情を知らない人が見たら、全員めちゃくちゃ仲が悪くて無視し合っているように見えるだろう。

 

だから、いざ沈黙を破る瞬間は、少し照れくさいような気分がした。
朝の瞑想が終わり、おそるおそる外に出ると、そこにはすでに輪になって楽しそうに喋りだす人々の姿が。私もその輪に混じり、皆の話に耳を傾けた。

 

食事が始まると、堰を切ったようにおしゃべりが止まらない。
「何日目が一番辛かった?」「私、眠くてフラフラしてたでしょ?」なんて、たわいもない会話が弾ずむ。みんなの顔が、キラキラと輝いている。その場には明るく、心地よい空気が流れていた。厳しい修行をしてきた仲間で、話はしてないけどどこかで繋がっていたって感じがした。

 

(続く)

2025年の年末。南カリフォルニアの砂漠地帯にある瞑想センター「ダンマ・ヴァッダナ(Dhamma Vaddhana)」の体験記。

 

合宿4日目の午後から、ついに本番である「ヴィパッサナー瞑想」が始まる。
これは約2500年前にブッダが広めたとされる、「あるがままの自分」を観察して苦しみを取り除く技法。気づきの瞑想とも呼ばれ、瞑想を通し、身体の感覚や思考を客観的に観察することで、無常を体で理解し、それが心の汚れを浄化し、真理を洞察していく。

 

これまでのアーナパーナが鼻周りの呼吸に集中するのに対し、ヴィパッサナーは頭の頂上から足の先まで、全身の感覚(熱さ、痛み、痺れなど)を順番にスキャンするように観察する。動きがあるおかげで、これまでの猛烈な眠気がかなり解消された。

 

頭の頂点から少しずつ、髪の毛が触れる感覚、エアコンの風、衣服が皮膚に当たる感触などを丁寧に辿っていく。生真面目な私は、初日、4〜5cm刻みで全身を感じ取ろうとして「これじゃ1時間の瞑想じゃ終わらない!」と焦った。後に先生に相談すると、「そんなに細かくしなくて大丈夫ですよ」と笑われた。

 

そんな初日の夜、不思議なことが起きた。
ゴエンカ氏の講話ビデオの後、全員で瞑想をしていた時、突然、座っていたはずの柔らかい座布団が、ゴツゴツした硬い岩のような感触に変わり、お尻が痛くて座っていられなくなった。

 

翌日、その体験を先生に話すと、なぜか「あら、できているじゃない」と笑顔で返された。あの岩のような感覚は間違いではなかったようだ。不思議なことに、その感覚はその一度きりだった。

 

5日目頃から「アディッターナ(強い決意の瞑想)」が始まった。
アディッターナとは、1時間、目を開けず、手足も動かさず、一切姿勢を変えないで行う瞑想。最初は苦痛だったが、数回たつと動かずに1時間をやり遂げることができるようになった。

 

瞑想の終わりにはいつも、ゴエンカ氏のチャンティング(歌のような読経)がはじまる。
初めて聞いた時は少し奇妙な感じだったが、毎日聴くうちに、例の「脳内のおしゃべりな奴」が歌を覚えてしまい、一人で静かに瞑想すると、頭の中でその歌が流れ始める。

 

ヴィパッサナーで身体の表面を感じる方法は、時にとても心地よい。皮膚の上を電気や風が流れるような感覚が起き、普段意識しない足の裏の隅々にまで、血液が巡るのを感じる。

しかし瞑想をしている時に感じる、気持ちよさ、痛さ、不快な感覚をとらわれない事が、大切だとゴエンカ氏は言っている。

それについては、後で書いてみる。

 

続く

 

 

 

2025年の年末。南カリフォルニアの砂漠地帯にある瞑想センター「ダンマ・ヴァッダナ(Dhamma Vaddhana)」の体験記。


私は数年前から毎日20〜30分の瞑想を習慣にしていたが、この合宿に向けて、毎日1時間の瞑想をした。1時間は確かに長いが、瞑想音楽を聴きながら続けていた。

 

他の参加者のブログを読むと「一度も瞑想したことがない」なんて人もいて、「なんて無謀なの! それに比べたら私は上級者よ!」と、自信を持って参加したのだが。ところが、いざ始まってみると現実は甘くない。


前にも書いた通り、頭の中の「おしゃべり」が猛烈な勢いで始まり、瞑想どころではない。30分も経つと座っているのが嫌になり、多動症の方の気持ちが痛いほどよく分かるほど。おまけに不眠と睡魔が重なり、つい目を開けては「みんなはどうしてるの?」とキョロキョロ周囲を伺う始末だった。

 

ヴィパッサナーの10日間コースでは、最初の3日半は「アーナパーナ(Anapana)」という準備段階の修行する。鼻の穴の入り口や鼻の下の小さな三角形のエリアに意識を集中させ、空気が通る感覚(温度や触感)をただ観察する手法だ。

 

これまでの私の瞑想は、意識的に「吸って、吐いて」と深呼吸をするスタイルだった。しかし、このアーナパーナで求められるのは「普段のままの呼吸」を見つめること。改めて観察してみると、私の呼吸は驚くほど浅く、「これで酸素足りてるの?」と心配になるほど微量だった。そして、この「静かな呼吸の観察」が、とにかく猛烈に眠いのだ。


夜は脳内ラジオのせいで眠れず、瞑想中は単調な呼吸の観察で意識が飛ぶ。まさに拷問。この最初の3日間で脱落者が多いというのも、心から納得できる。

 

私自身は一度も辞めたいとは思わなかったが、朝4時のドラの音を聞くたびに、もっと寝かせてくれ〜と心から思ってた。
(実は、4時半から5時半までホールで瞑想した後、部屋のベッドへ直行し、朝食の時間まで二度寝をしていたが)

 

ただ座り続けるだけなのに、不思議とストレスと疲労は溜まっていく。運動は禁止されているため、1周10分ほどの敷地内を日に何度も散歩した。体を動かしていないはずなのに、心はぐったり。最初の5、6日は、ただただ疲労困憊の状態が続いた。

 

そんな疲労困憊の日々の中で、唯一の癒やしが、センターを取り囲む圧倒的な大自然だ。敷地内からは360度、どこを見渡しても遮るもののない絶景が広がる。
刻一刻と表情を変える朝焼け、空を真っ赤に染め上げる夕日、そして夜になれば、空からこぼれ落ちそうな無数の星。その美しさは、言葉を失うほど見応えがある。

「もう一度、あの景色を見たい」砂漠の美しさ、自然の大きなエネルギー、不思議と安らぎを感じた。

 

(続く)

 

 

 

2025年の年末。南カリフォルニアの砂漠地帯にある瞑想センター「ダンマ・ヴァッダナ(Dhamma Vaddhana)」の体験記。


瞑想の辛さは、合宿に来る前は、座り続ける事の痛み、じっとしている辛さ、かと思ったが、実際に始まってみると、それらは些細なことに過ぎない。本当の試練は、全く別のところにある。


瞑想ホールには色々な種類や形のクッションが用意されていて、自分に合うものを選べる。そのおかげか、座り続ける事に私自身は思っていたほどの苦痛は感じなかった。ただ、体質や慣れもあるようで、隣の席にいた子は足首を痛めて、とても辛そうにしていた。

 

ここでは「何時間もぶっ通しで座り続ける」というストイックなイメージだが、全員でホールに集まる必修の瞑想は、1時間ごとに必ず休憩がある。逆に、もっと長時間座りたい人には、少し物足りないだろう。

 

そんな風に、体の方の準備は万端だったが、私の本当の戦いは「頭の中」で起きていた。

 

普段の私はすこぶる快眠なのだが、この合宿に参加する直前から、なぜか急に寝つきが悪くなった。一晩に3、4時間ほどしか眠れない日が続き、「合宿を前に緊張しているのかな?」と思った。

ところが、合宿が始まってからも一向に眠れない。念のために持参した睡眠導入剤を飲んでも、夜中に目覚めてしまう。


何しろ、頭の中で誰かが永遠に私に話しかけてくる。まるで自分専用のラジオ番組が、一日中ノンストップで流れているかのようだ。朝起きた瞬間から、瞑想中、食事中、そしてベッドで目を閉じている時まで、そのおしゃべりは続く。かなり苦痛だ。

 

瞑想中は「無視、無視」と自分に言い聞かせているので、脳内の「ヤツ」も必死だ。私の気を引こうと、次から次へと興味のありそうな話題を繰り出す。その巧妙な罠にハマり、ふっと意識が持っていかれる、その繰り返し。
嫌な記憶を掘り返されたり、愛犬のことを話題に出して不安にさせられたり。最初の3日間は本当にひどい状態で、「お願いだから消えてくれ!」と祈るばかりだった。

 

ふと周りを見渡すと、他の参加者も険しい顔をしていた。きっと、皆の頭の中でも同じような事が起きているんだろう。

5、6日が過ぎる頃、ようやく心が落ち着きを取り戻し、眠れる時間も少しずつ増えてきた。

 

頭のおしゃべりの次に辛かったのが「睡魔」との戦いだ。とにかく、眠い。
私の前に座っていた人は、最初の数日間、眠りこけて体が激しく揺れていた。いつかこちらに倒れてくるのでは?とドキドキしたが、実は私自身も、かなりの確率で船を漕いでいた。

 

あまりの眠さに、先生との個人面談で「ものすごく眠いのですが」と相談したところ、先生は即答で「みんな眠いんです」。

 

そんな極限状態の瞑想中、なぜか頭の中でずっと流れていた曲があった。
サザンオールスターズの『勝手にシンドバッド』だ。

なぜこの曲なのか? 途中でその理由に気づき、一人で笑ってしまった。
サビの歌詞、「今何時? そうねだいたいね」「今何時? ちょっと待ってて」「今何時? まだ早い」
長い瞑想の最中、私の心は常に「あと何分? まだ終わらないの?」と思い続けていたから。

自分の脳が繰り出した絶妙な選曲に、👍を押してしまった。

 

(続く)

 

 

 

2025年の年末。南カリフォルニアの砂漠地帯にある瞑想センター「ダンマ・ヴァッダナ(Dhamma Vaddhana)」の門をくっぐた。

 

初日はセンターに午後3時ごろに到着。まずは受付を済ませ、割り当てられた部屋へと向う。この時はまだ、他の参加者数名と会話を交わして、お互いに緊張をほぐし合っていた。

 

私の部屋は、ハンディキャップ対応の一人部屋。シャワーとトイレを隣の部屋の方とシェアするタイプ。(センターは男女が完全に分けられており、女性用は一人部屋が30室、二人部屋が7室ほど用意されている)

部屋自体は簡易な造りだが、清潔で冷暖房完備。シングルベッドの横には2段の引き出しのついたサイドテーブルがあり、衣類をかける棚やハンガーも備わっていて、意外と快適。ただ一つ耐えられなかったのは、シャワーの水圧が非常に弱かったこと。ここはカリフォルニアの砂漠の真ん中。貴重な水を使わせてもらっているのだから、こればかりは仕方ない。

 

申し込み時に「椅子や背もたれが必要か」という確認があり、当時は「いらない」と強気に答えたが・・・後になって、せめて背もたれだけでもお願いしておけばよかったと、後悔することになる。

 

軽い夕食を済ませると、ホールに集まりいよいよ男女合わせて約90名の参加者による、長い瞑想の時間が始まりました。

 

毎日の流れは、このような感じ。

  • 04:00 起床
  • 04:30-06:30 各自またはホールで瞑想(自由参加)
  • 06:30-08:00 朝食
  • 08:00-09:00 ホールで全員瞑想(必修)
  • 09:00-11:00 各自またはホールで瞑想(自由参加)
  • 11:00-13:00 昼食
  • 13:00-14:30 各自またはホールで瞑想(自由参加)
  • 14:30-15:30 ホールで全員瞑想(必修)
  • 15:30-17:00 各自またはホールで瞑想(自由参加)
  • 17:00-18:00 ティータイム
  • 18:00-19:00 ホールで全員瞑想(必修)
  • 19:00-20:15 講話(ビデオ)
  • 20:15-21:00 ホールで全員瞑想(必修)
  • 21:00-21:30 先生への質問時間
  • 22:00 就寝

ネットの体験記には「1日10時間瞑想」と書いているが、必修なのは赤字の部分で5時間ほど。残りの時間は、本当に熱心な人だけが瞑想しているのか、あるいは皆、自室で黙々と座っているのか……?

 

私は毎朝4時に起きた。まだ夜空が残っていて、綺麗な星をみるのも楽しみだった。4時半からの瞑想の参加者は半分弱。

ダラダラしがちな性格の私は、「自由参加の時間も、せめて半分の時間はホールへ行く」と自分に決めていた。残りの半分は、部屋で瞑想しながら寝入ってしまったり(笑)、それでも最低1日6、7時間は瞑想をしていた。

 

長時間の瞑想の何が大変か?
体験前は、座り続ける事の痛み、じっとしている辛さ、かと思ったが、実際に始まってみると、それらは些細なことに過ぎない。

 

本当の試練は、全く別のところにある。

 

(続く)