Youtubeで、この動画を見た時に、私は自分を虐待していたんだと気が付いた。ちょっと長くなるが、自分で短くまとめてみた。実際の動画を貼るので、興味がある人は見て欲しい。
★★★
私たちは、自分を虐待したり、いじめたりしていることに気づいていないものだ。多くの場合、それは無意識に行われており、自覚することが難しい。では、どのようにして自分の虐待に気づけるのか?
目の前の出来事や人間関係は、実は自分の心の中(内側)、特に無意識を映し出す鏡だ。例えば、無理をしている人、疲れていても休まない人、自分の感情を抑えている人や周りの受けを狙って自虐的な発言をする人などを目にすることがある。これらは、ネットやテレビ、または身近な人々を通して私たちに映し出されるものだが、それらを見せられているのは偶然でなく、背景には意味があるのだ。なぜなら、それらの行動や姿勢は、実は自分が心の中(内側)で行っていることを反映しているからだ。
理想の自分からかけ離れていると、無意識のうちに「自分はダメだ」「自分には価値がない」と感じ、そうした自責の念が日常の中で自分を攻撃するようになる。例えば、自分が努力しないと幸せを得てはいけない、好きなことを我慢し、苦労しなければ認められないと思い込む。この状態が続くと、自分を罪人のように扱い、心の中で自分を責め続けるようになる。
このような心の中は、自分を価値がないと感じている。例えば素敵な彼ができても、「自分は簡単にいい思いをしてはいけない人間」と不安を感じ、苦労なく幸せを手に入れるとソワソワし恋人に嫌われるような事をわざとし、その恋愛を自らつぶすような事をする。そして自分を不幸にすることでホッとする。
自己肯定感が低い人は、自分がタダで幸せになる、自分が無条件で好きな事をやる、そのような事に対し、大変抵抗を感じる。
では、どうすれば自然体の自分に戻れるのか?
自分の身近に自分を責めている人を見せられたら、「自分も自分を責めている、いじめているんだ、自分を虐待している」と気づけばいい。そして、「自分を責めてはいけない」「いじめてはいけない」と思わない事。それは「自分はちゃんとできていない」と自分を攻撃してしまうからだ。
だから、ただ気づけばいい。
ただ、淡々と「自分を無理させているな」「自虐的になっているな」と気づくだけで十分だ。自分を良い悪いと評価するのではなく、まるで他人事のように、冷静に自分の様子を観察するような気持ちでいる。
また、感情を表現せず抑えこむ事も自分への攻撃、虐待の一つだ。喜びや悲しみ、悔しさの感情を「もう大人だから」と、押し殺すと、人間として生まれた意味から遠ざかる。今までは自分の事を守るために感情を抑えていたのかもしれないが、これからはうれしい、悔しい、悲しい、虚しいなどを相手に表現できるなら思いっ切りする。もし、その感情を伝えることが難しいなら相手のいない所で思う存分表現するのを勧める。悲しい、寂しい、辛いとか自然と湧いて来る感情に対して、自分が共感してあげる。しっかり自分にその感情を味合わせるとその感情は確実に消え去る。
逆に自分の感情を押し殺すのは虐待になる。その人が自分の感情を解放するまで、もっと悲しい出来事などが人生の中で次々と用意される事となる。
このように、まず自分の感情を抑えていると気づき、自分に感情を思いっきり味合わせてあげるのが自分の事を知る第一歩で同時に人生が確実に好転していく第一歩となる。